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33.対ハッチェマヒオ

 バジゴフィルメンテが学園に向かって出発する。

 その情報をハッチェマヒオが掴んだのは、バジゴフィルメンテが出発する二日前の夜だった。


「なんでもっと早く、教えてくれなかったんだ!」


 ハッチェマヒオの怒鳴る先には、彼の教育係二人がいた。

 教育係の魔法を教える方の男性が、言い難そうに答える。


「オブセイオン様も使用人も、バジゴフィルメンテのことを気にかけておりませんでしたので、彼が何時学園に出発するかを知らなかったのです。今回情報を掴めたのも、バジゴフィルメンテが街の冒険者たちに別れの挨拶を行っていたから分かったのです」

「入学式の日から逆算すれば、出発の日が分かるって、お前が豪語していた本人だろう!」

「馬車での移動ではなく、徒歩や辻馬車を使う予定にしているとは、予想しておりませんでした」


 ハッチェマヒオは、イライラとしながらも、自分が立てていた予定が崩れたことを悟った。


「天職に身を任せられる時間をもう少し伸ばしたかったけど、仕方がない。明日、バジゴフィルメンテに勝負を挑む!」


 ハッチェマヒオの宣言に、教育係二人は悲痛な面持ちになる。


「お言葉ですが、それは止めませんか?」

「相手は白髪オーガを倒した猛者。いまのハッチェマヒオのお力では」


 明確に言葉にはしていないが、教育係二人はハッチェマヒオに勝ち目はないと諭してくる。

 しかしハッチェマヒオは、自身のプライドにかけげ、その声を聞き入れる気はなかった。


「やると言ったらやるんだ! いいから、バジゴフィルメンテに勝負の申し入れをしてこい!」


 ハッチェマヒオの頑なな態度を前に、教育係二人は根負けした顔になり、バジゴフィルメンテに明日勝負を受けて欲しいと要望しに行った。

 バジゴフィルメンテにとって、受ける利点のない勝負だ。

 当然拒否されると思いきや、あっさりと了承されてしまうことになり、教育係二人は疑問顔でハッチェマヒオに報告した。


「よし! 明日こそ、僕様の実力を証明してみせる!」


 ハッチェマヒオは意気込みつつ、明日の勝負に備えるために就寝した。



 ハッチェマヒオは起床すると、準備運動で体を解し、家族揃っての食事で英気を養い、愛用している斧の調子を確かめて万全であることを確認した。

 そしていよいよ、ハッチェマヒオとバジゴフィルメンテの勝負の時間となった。


「逃げずに、よく来たな!」


 ハッチェマヒオが言葉を放つと、バジゴフィルメンテとその隣の使用人――ラピザが苦笑いする。

 その後で、ラピザの方が口を開いた。


「バジゴフィルメンテ様の読み通りの展開。出発前日に、何も予定のない日を入れてよかったですね」

「ハッチェマヒオの性格なら、僕が学園に行く前に勝負を挑んでくるって分かっていたからね」


 二人の会話で、自分の行動を読まれていたことを知り、ハッチェマヒオは怒りと羞恥で赤面する。


「そ、そう余裕顔をしていられるのは今の内だけだ! 僕様の実力を見たら、笑えなくなるんだぞ!」


 ハッチェマヒオは片手斧を構えながら前に出る。

 バジゴフィルメンテは、それに呼応して、青銅剣を腰にある鞘から抜きつつ前に出る。そして更に声をかけてきた。


「勝負の勝敗はどうする? 急所に武器を突きつけたら勝ち? それとも相手の手から武器を落とさせたら?」


 勝負の決着の仕方の確認に、ハッチェマヒオは鼻息を吹く。


「ふんっ。もちろん、相手が負けを認めたらだ!」


 その条件に、バジゴフィルメンテは微笑みを向けてきた。


「ハッチェマヒオが、それでいいのなら」

「いいに決まっているだろう!」


 ハッチェマヒオは吠えるように言葉を放ちながら、バジゴフィルメンテへと突進する。

 開始の掛け声もない不意打ち気味の行動。

 しかしハッチェマヒオは、それを卑怯とは考えず、作戦の一つだという認識で行動した。

 これが並みの相手なら、驚きで体を動かすことが出来ず、ハッチェマヒオの初撃を食らって敗北してしまったことだろう。

 だが相手は白髪オーガを倒した、バジゴフィルメンテ。

 この程度の策謀などお見通しとばかりに、あっさりと攻撃を回避してみせた。

 その上、有難くも助言までしてくる始末だ。


「思い切りはいいけど、天職の力を引き出せないのなら、そっちに勝ち目はないよ?」


 助言など聞くかとばかりに、ハッチェマヒオは手斧を振るう。

 その斧を、バジゴフィルメンテは『武器を持たない方の手』で殴って撥ね退けてみせる。


「戦闘向きの天職の力を引き出している相手は、同じように天職の力でしか傷つけられない。これは曲げようのない理だよ」

「そんなことは、分かっている!」


 ハッチェマヒオは苛立ち紛れに言い返しながら、再び攻撃する。

 しかし今度は、攻撃する直前に体を天職に任せた。

 ハッチェマヒオの体が自然と、斧を振るう最適の動きで行動する。

 天職に身を任せ、天職の力を出している一撃。

 これならば、先ほどバジゴフィルメンテが行ったように素手で斧を防げば、間違いなく傷を負わせることができる。

 しかしそんなことは、バジゴフィルメンテは承知しているに決まっていた。

 ハッチェマヒオの攻撃を、バジゴフィルメンテは青銅剣で払い退けてみせる。それも、あっさりと。


「天職に体を預けられる時間が短いから、攻撃するときにだけ天職に体を任せる。冒険者に多い戦い方だね。その弱点は、体を任せるときに、ほんの少しだけ身動きが止まること。その見極めさえできれば、攻撃が来ることを察知することは難しくない」

「勝負中に、ベラベラと!」


 ハッチェマヒオは攻撃する度に天職に身を任せるが、どうしてもバジゴフィルメンテには当たらない。

 一方でバジゴフィルメンテは、ハッチェマヒオが明確な隙を晒しているのに、攻撃をしてこない。

 あたかも、ハッチェマヒオが次に何をするかを待っているかのように。


「そっちがその気なら!」


 ハッチェマヒオは一度距離を取ると、斧に魔法の風を纏わせた。

 斧の刃から突風が噴き出している状態で、再びハッチェマヒオは天職に身を任せる。

 『斧術師』は、斧の扱いと魔法の扱いに優れる天職。

 いまこそ、斧と魔法の力を合わせた攻撃を行う。

 ハッチェマヒオの覚悟と共に、ハッチェマヒオの体は『斧術師』によって動かされていく。

 バジゴフィルメンテに近づきながら、刃から風を吹く斧を振るう。

 しかし斧が描く軌道上に、バジゴフィルメンテの体は捉えられていない。

 攻撃を失敗したのか。

 それは違う。

 斧の刃の上に、魔法によって風の刃が発生していて、その風の刃の軌道の中にバジゴフィルメンテの体が入っている。

 風の刃は透明で目で見えない。

 もしバジゴフィルメンテが斧の刃だけを見て、ハッチェマヒオの攻撃範囲の目測を誤っているとしたら、風の刃がその体を引き裂くことになる。

 ハッチェマヒオはそう期待したが、バジゴフィルメンテはあっさりと青銅剣で斧を風の刃ごと斬り叩いて逸らした。


「見破ったのか!?」


 ハッチェマヒオが驚きながら声を上げると、バジゴフィルメンテは静まった顔で声を返してきた。


「天職の行動は、常に最適だ。むしろ、最適『しか』出来ない。なら、攻撃する斧の軌道が僕の体から離れているのなら、斧が離れていても僕に攻撃を当てられる何かがあると考えるのが普通でしょ」


 バジゴフィルメンテの説明に、ハッチェマヒオは風の刃を選んだのが失敗だったと判断した。


「それなら、これならどうだ!」


 ハッチェマヒオは新たに魔法を発動させる。

 すると、その手にある片手斧の刃が赤熱化し、熱気を発し始めた。

 それを見て、始めてハッチェマヒオの顔に嫌そうな表情が浮かんだ。


「青銅は鋼鉄に比べて、熱に弱いんだよなあ」


 青銅は、木炭の炉で簡単に溶かせるほどだ。

 それこそ、鋼鉄製の刃が赤熱化するほどの温度にさらされたら、形を保つことは難しい。

 つまり、ハッチェマヒオの赤熱化している斧を、バジゴフィルメンテが青銅剣で防いでしまうと、青銅剣が焼き切られる恐れがあった。

 愛用している青銅剣が失われる危険があるのだから、バジゴフィルメンテが嫌そうな顔になるのも仕方がないことだろう。

 ハッチェマヒオは、そのバジゴフィルメンテの表情変化を見て、優位を悟った。


「さあ、攻撃を防いでみろ!」


 ハッチェマヒオは言い放ちながら、再び攻撃の際に天職に身を任せる。

 赤熱化している斧が振られ、バジゴフィルメンテへ。

 バジゴフィルメンテは、うっかりでも剣を斧に当てないためか、わざわざ剣の位置を下げてみせた。

 その上で、脚運びだけでハッチェマヒオの斧を回避した。


「まだまだあ!」


 ハッチェマヒオは優位が続いていると判断し、連続で攻撃する。

 バジゴフィルメンテは連続して回避するが、青銅剣を案じて防御も攻撃もしようとしない。

 このまま行けば勝てる。

 そうハッチェマヒオは判断して、攻撃を続けていく。

 空振りの回数が、十回、二十回と重なり、三十回を超えた。

 ここでハッチェマヒオの体から急に力が抜け、ガクリと膝を地面についてしまう。


「な、なにが……」


 ハッチェマヒオは自分の体に何が起きたかわからず、しかしまだ優位は保っているはずと斧を手に立ち上がる。

 しかし立ち上がると、より一層、自分の体の変化に気づくことになった。

 斧を持つ手が震え、膝がガクガクと震えて力が入らない。

 ハッチェマヒオは、攻撃続きの体力切れかと考えたが、体力切れ特有の筋肉の疲労感がないことに気づく。

 いま感じているのは、徒労感を抱いているときのような、心に重りを乗せられたような気落ちに近い感覚だ。

 ハッチェマヒオが自分の体の変化に混乱する中、逆にバジゴフィルメンテは心当たりがあるような口調をかけてきた。


「その症状は、魔力切れだね」

「魔力、切れ?」

「体を動かすのに体力が必要なように、魔法を使うのに必要な力のことだよ。魔法を連発した後の冒険者の様子に、いまのハッチェマヒオはよく似ているよ」


 つまり、斧を赤熱化させ続けたことで、その魔力が乏しくなった。

 体力が切れれば体が動かないように、魔力が乏しくなったことで気落ちに近い感覚に体が襲われている。

 そう説明されても、ハッチェマヒオは信じなかった。


「そんなこと、あるわけが――」


 再び斧を赤熱化させようとした瞬間、更なる重りが心に乗っかった衝撃が発した。

 それはあたかも、これ以上魔法を使おうとすると、心が重さで潰れるぞという警告のようだった。

 ハッチェマヒオは直ぐに斧の赤熱化を解き、重たくなった心を支えるように、自分の胸に片手を当てて押さえた。


「くそっ。切り札が」


 斧を赤熱化させておけば、ハッチェマヒオは防御出来ない状態に置けた。

 しかし、もうそれはできない。では、どうやって勝ちを目指すのか。

 そんなハッチェマヒオの葛藤を見抜いてか、バジゴフィルメンテが優しい声色で聞いてきた。


「手がないのなら、負けを認めたらどうだい?」

「負けを認める? そんなこと、するわけないだろう!」


 魔法が使えなくなろうと、まだ斧での攻撃が残っている。

 斧を唯一の頼りに、ハッチェマヒオは攻撃する。

 しかし赤熱化という手段がなくなれば、バジゴフィルメンテが防御を遠慮する理由もない。

 ハッチェマヒオの斧を、バジゴフィルメンテはあっさりと青銅剣で弾き返す。


「まだ頑張れるようだね」

「当たり前だ!」


 ハッチェマヒオは諦めず、体力が続く限り攻撃を続けた。

 体力が切れて『斧術師』に体を任せられない状態になっても、自分の意識と意地で攻撃を続ける。

 もう斧が描く軌跡がヘロヘロで、もはや細枝一本すら断てないような有様になっているが、それでも諦めずに斧を振るい続ける。


「ぜえ、はあ。ぜえ、はあ」


 息も絶え絶えで、もし斧を落としたら拾うことも、もし膝を地に着けたら立ち上がることも出来ないような有様だ。

 ハッチェマヒオは もはや勝てるとは思っていない。一撃を入れることすら難しいと思っている。

 それでも勝負を挑んだ者の意地だけで、ハッチェマヒオは攻撃を続けている。

 一方でバジゴフィルメンテは、涼しい顔を保ちながら、ハッチェマヒオからの攻撃を延々と剣で弾き続ける。

 ハッチェマヒオは体力がなくて隙だらけ。

 バジゴフィルメンテが思いっきり剣を振るえば、勝負は直ぐに決着となるだろう。

 しかしそれを良しとしない感じで、バジゴフィルメンテはハッチェマヒオの攻撃に付き合い続けている。

 延々と状況が続くかと思われたが、何事にも終わりは来る。

 とうとうハッチェマヒオは、両手で片手斧を握っても、攻撃するだけの体力と握力がなくなった。

 体ごと振り回せば、後一撃は放てるかもしれない。

 しかしその一撃の後は、手が重さを支えていられなくなり、斧を手放してしまうことになるだろう、

 いや、一撃の途中で、手から斧がすっぽ抜ける可能性だってある。

 ハッチェマヒオは、大きく息を吸い、カラカラの喉を自前の唾液で薄くだけ癒して、決断した。


「うおおおおおおおおおお!」


 雄たけびを上げながら、残った体力と筋力を全て使った、渾身の一撃をバジゴフィルメンテに放った。

 これまでの人生で一番、自分の意思で上手く斧を操れた一撃。

 この一撃は、神が技量を賞賛してくれたかのように、天職の力が籠っている実感がある。

 これなら、当たればバジゴフィルメンテを負けさせることが出来るかもしれない。

 そんな淡いハッチェマヒオの期待を、バジゴフィルメンテが渾身の剣の一振りで粉々に砕いた。

 剣に打たれた衝撃で、ハッチェマヒオの手から片手斧が吹っ飛んだ。

 斧が地面に落ちる音を後ろに聞きながら、ハッチェマヒオは体力切れで動けなかった。

 立っているだけで精一杯なハッチェマヒオの顔に、バジゴフィルメンテが剣を突き付けてくる。


「まだやる?」


 短い確認の言葉に、ハッチェマヒオはもう抗う気力も体力もなかった。


「僕様の、負け、だと、認める」


 負けを認めてしまったからには、立っていることも、意識を保っていることも出来なかった。

 ハッチェマヒオは真っ黒な世界に落ちるように意識を失う。

 しかし意識を失う直前まで、ハッチェマヒオの頭を占めていたのは、バジゴフィルメンテに負けたことではなかった。

 最後の最後に放てた、人生で一番良いと思えた攻撃。

 あれはどうやったのかを詳細に思い出すことに、ハッチェマヒオの思考は心血を注いでいた。


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