32.準備期間
バジゴフィルメンテが入る予定の学園の入学式まで、あと三ヶ月。
ラピザはその情報を、ご機嫌伺いと称して薪割り小屋までやってきた、寄子貴族の使者から聞いて驚いた。
なにせ学園に通うための準備を、プルマフロタン辺境伯家がする気配もなく、バジゴフィルメンテ自身もやっている様子がなかったからだ。
ラピザは使者を平然とした態度で追い返してから、バジゴフィルメンテに話を聞きに向かった。
「バジゴフィルメンテ様。プルマフロタン辺境伯家は辺境も辺境です。学園――クルティボロテ学園に向かう気でいるのでしたら、貴族子息の持ち物や旅程日数の把握は必須ですよ」
「そういえば、そうだったね。ラピザが知っていたりは?」
「知るわけないじゃないですか。平民で『暗殺者』ですよ?」
二人して、どうしようかと首を傾げ合う。
「父上に聞いても素直に教えてくれないだろうし、母上に聞いてみようか?」
「バジゴフィルメンテ様の母君は、常にぼんやりしておいでです。学園に何を持っていくべきかなど、知らないのでは?」
ラピザは、かなり失礼な物言いに成ってしまったが、仕方がない。
なにせバジゴフィルメンテの母親は、『オブセイオン様がそう決めたのならば』とバジゴフィルメンテの薪割り小屋暮らしを追認した。
その上で、稀にバジゴフィルメンテと顔を合わせるような場面があると、普通に息子に接する態度を取る。
行動と態度に一貫性がない――むしろ自己や主体性のない姿は、ラピザからすると異様だ。
(バジゴフィルメンテ様はあの方と見た目の共通点が多い。つまり血はあちらの方が濃いと考えられる)
だからバジゴフィルメンテも変わった価値観なんだろうなと、ラピザは納得した。
そして納得している場合じゃないと、思考を戻すことにした。
「学園のことを知ってそうなあてとなると、あとは」
ラピザは考えついた解決法が一つあったが、明確に口に出すことをためらった。
頼る先が、プルマフロタン辺境伯家の寄子貴族しか思い浮かばなかったからだ。
仮に寄子貴族に頼るとしたら、それはバジゴフィルメンテがその貴族に借りを作ることになる。
そして貴族の借りは、とても怖いものだと、『暗殺者』として少し世の裏をしるラピザだからこそ知っていた。
けどラピザが考えつくことだからこそ、バジゴフィルメンテが思い浮かばないわけがなかった。
「さっき来た使者の人を呼び戻して、寄子貴族と面会して、学園についての話を聞くべきだね」
「他の貴族に借りを作るのは、お勧めしません。その借りを使って、何を要求されるか分かったものじゃないですよ」
「そこは幼い頃に教えてもらったから弁えているよ。貴族からの借りは早めに清算、貴族への貸しは長期保有が鉄則ってね」
バジゴフィルメンテは考える素振りをした後で、ラピザに申しつけてきた。
「僕の剣技を披露する場を設けるから、興味があるのなら見に来て、良ければ参加もどうぞと」
「見学はわかりますが、参加とは?」
「僕の腕前を確かめたい人だっているだろうからね、剣を交えてもいいってね」
ここでラピザは、バジゴフィルメンテの目論見を察した。
「剣の勝負で賭けるわけですか。勝ったら、学園の情報をと。負けた場合は、何を差し出すので?」
「学園の情報と負け分とで、貸し二つだね。それなら受けてくれるでしょ」
「本来なら、貸しを作らないように立ち回るのに、貸しを増やすような条件を付けるなんてと怒るべきなんでしょうけど」
ラピザは、バジゴフィルメンテが負けることが考えられず、無用な心配だと判断した。
ラピザはバジゴフィルメンテに一礼すると薪割り小屋の前から離れ、先ほどの使者とその主の元へと向かうことにした。
バジゴフィルメンテと寄子貴族は、名前を交換し合った後で、早速と立ち会うことになった。
(話が早いと考えるべきか、辺境貴族は誰も彼もが脳筋だと嘆けばいいのか)
そんな事を考えているラピザの目の前では、バジゴフィルメンテは青銅剣を力みなく構え、中年をやや超えたぐらいの辺境貴族当主――確か男爵だった――が槍を力んだ様子で構えている。
二人はしばし向かい合っていたが、先に男爵の方が動き出した。
「『豪槍士』のエクセンザ、参る!」
自分の天職と名前を告げた直後、男爵の表情が抜け落ち、体の力みが消えた。天職に体を任せきったのだ。
ラピザは、天職『豪槍士』はバジゴフィルメンテに対して、どのように動くかが気になった。
『暗殺者』なら、殺せない相手に挑むような天職ではないから、迷いなくいまのバジゴフィルメンテから逃げる。
(逃げて潜伏し、殺せる隙が来るまでひたすら待つことも、『暗殺者』の技能)
では、真正面から戦う天職っぽい『豪槍士』ではどういう立ち回りになるのか。
ラピザが興味を抱きながら見ていると、男爵の体が『豪槍士』に身を任せて動き出す。
「ふっ」
と短い呼吸の音が聞こえ、男爵の手によって槍が発射されたように突き出された。
その突きの早さと力強さは、刃が進む軌道上にあるものを全て貫き通すような威力があるように、ラピザには見えた。
これには流石のバジゴフィルメンテも、逃げの一択だろう。
そんなラピザの予想に反して、バジゴフィルメンテは半歩踏み込みながら剣を振るった。
直後、バジゴフィルメンテの青銅剣と男爵の槍の先がかち合い、そしてなぜか槍の方が大きく弾かれた。
「はぁ?」
現実が理解できずに、ラピザは混乱の声を上げてしまう。
男爵が突いた槍は速さも威力も申し分なく、バジゴフィルメンテが振るった剣より勝っていたようにしか見えなかった。
むしろバジゴフィルメンテが振るった剣は、薄紙一枚を斬り捨てるためのような、素早くとも軽い剣振りだった。
だからラピザの持つ常識では、槍が剣を突破して、バジゴフィルメンテの胴体に槍が刺さってないとおかしい。
しかし現実は、軽く振るった剣が、威力も速度も乗った槍を弾き飛ばしている。
まるで理屈が合わない光景に、ラピザの混乱度合が強まる。
(天職を掌握した者と、天職に身を委ねている者の差、だろうか)
ラピザは思考放棄に近い結論を出しつつ、二人の戦いの推移に目を向ける。
男爵は、弾かれた槍を車輪のように回転させると、その回転の威力を乗せた叩きつけを行ってきた。
しかしバジゴフィルメンテが軽く剣を振るうと、槍の叩きつけの軌道が変わって地面を打つ結果になった。
男爵は地を叩いた反動を利用して槍を跳ね上げ、穂先での薙ぎ払いを行う。
バジゴフィルメンテは動きもせずに、その穂先をやり過ごした。穂先が描く軌道の上に自分の体がないと見切っていたようだ。
その後で、五回男爵の攻撃が続いたが、どれもバジゴフィルメンテの剣に阻まれて髪毛の先にすら刃が届いていない。
とここで、バジゴフィルメンテから宣言がきた。
「では、次はこちらから」
断りの言葉を入れてから、バジゴフィルメンテは男爵に接近した。
あまりにも滑らかな動きで、傍から見ているラピザでさえ、バジゴフィルメンテが前に動いたことに気づくのが送れたほどだ。
体面している男爵の視界では、恐らく急にバジゴフィルメンテが近くに来たように見えたことだろう。
男爵は――いや『豪槍士』は、バジゴフィルメンテの剣の間合いに入っていることを嫌った様子で、連続突きを小刻みに素早く放ちながら距離を取ろうと下がる。
しかしバジゴフィルメンテは、剣で全ての突きの軌道を逸らして自身の体に当たらないようにしつつ、さらに男爵へと近づく。
下がる男爵に、負うバジゴフィルメンテ。
人間の体の構造上、どうしても下がるよりも前に進むほうが早くなる。
そのため、男爵の体の位置が、バジゴフィルメンテの剣の間合いに入るのに、そう時間はかからなかった。
バジゴフィルメンテの剣が翻り、男爵の槍を持つ手を打った。
真剣勝負なら、きっと手と腕が泣き別れになっていたに違いない、そんな一撃。
しかし男爵の手は、強かに打たれて痺れた様子で槍を手放したが、腕にくっついている。
(男爵の手に傷を負わせず、しかし打撃の痛みは与えるように、天職の力を調整した?)
戦闘職の天職に身を任せている者を傷つけるには、同じく天職の力による攻撃か、魔物の攻撃かしか方法がない。
だから弱い天職の力が籠った攻撃でなら、天職に身を任せている者を傷つけないように傷みを与えることは可能だ。
しかしそれは、未熟な使い手が偶然起こせるようなものである。
バジゴフィルメンテが今やったように、天職の力を調整した攻撃なんて真似は誰にもできない。
(天職を掌握しているからこそ、出来る芸当か)
天職に身を任せないままに、天職を匹敵ないしは超える技能を持つことで天職の力を引き出すことができるようになる。
いままでの常識では荒唐無稽のように感じる行いでも、実際にバジゴフィルメンテができてしまっている。
(天職を掌握し、天職の力を意のままに使う。そんな天職を従わせる戦い方が、これからの主流になるのかもしれない)
そんなラピザの予感が合っていると示すように、天職に体を任せた男爵が打ち倒され、天職を掌握しているバジゴフィルメンテが試合に勝っていた。
勝負に負けたところで、男爵は天職から体の支配権を戻したようだ。
「こうも正面から叩き潰されて負けると、むしろ気持ちいいぐらいだな」
男爵は敗北宣言しながら、槍を側仕えに手渡している。
一方のバジゴフィルメンテも、使用していた青銅剣を腰の鞘に戻していた。
「そちらの槍の冴えも目を見張るものがありました。長期戦覚悟でしたら、オーガも倒せるでしょう」
「ほほう。お世辞とはいえ、白髪オーガを倒してみせた者に言われると、悪い気はしないな」
刃を交えた者同士の気安さが発揮されているようで、二人は仲良く握手を交わす。
「それで勝者の要求は、学園に入学する際に貴族子息が必要とする物品の情報でよいのだな?」
「はい。自力で揃えようと思っているので、お教えください」
「なんとも無欲なものだ。男爵とはいえ、貴族当主を相手に要求するものが、それっぽちとは」
「そうでもありませんよ。いまの僕にとっては、この情報は値千金なのですから」
「ふっ。必要な小金は、不必要な大金に勝るというわけか。至言だな」
男爵が手振りすると、側仕えの人が懐から一枚の紙を取り出し、バジゴフィルメンテに渡した。
どうやら紙には、貴族子息が学園に入る際に必要不可欠な物品が書き並べてあるようだ。
バジゴフィルメンテは紙の文字に目を向けてから、小首を傾げつつ紙の一部を指した。
「ここから後の物品は、学園で買えるものとありますが、領地で用立てては駄目なんですか?」
「駄目ではないが、学園に住むのだから、領地の物でなく学園で買える物品を使い慣れていた方が良い。領地の使い慣れた物でないと実力が出ないのでは、学園での学びに支障がでるからな」
「なるほど。学園に入った後のためなんですね」
素直に頷くバジゴフィルメンテに、男爵は大きな笑みを向ける。他人からの助言を受け入れる姿に、好印象を抱いた顔だ。
「学園のことについて知りたいことがあるのなら、今のうちに全て質問しろ。貸し借りなく、全て教えてやろう」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて――」
バジゴフィルメンテがあれやこれやと質問し、男爵は嬉しそうな顔のまま答えを返していく。
その光景は、男爵の側近が「もうそろそろ」と中断の申し入れを出すまで続いた。