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31.平和な日常

 ラピザは、プルマフロタン辺境伯家の寄子貴族たちからの使者を、丁寧な対応で追い返した。

 その後で、薪割り小屋にいるバジゴフィルメンテの所に戻った。


「いいんですか、バジゴフィルメンテ様。寄子貴族たちを味方につければ、プルマフロタン辺境伯家の筆頭後継者に返り咲くチャンスですよ?」


 その質問に、バジゴフィルメンテは剣振りの手を止める。左右に一本ずつ剣を持つ、双剣の練習中だったのだ。


「優先度の違いかな。いまの僕にとって重要なのは、剣の腕を磨くことだから」


 呼吸を整えてから、バジゴフィルメンテは双剣の練習に戻る。

 片手剣とはいえ、前から使っていた青銅剣と、街を守ってくれた礼と鍛冶屋から渡された鋼鉄の剣、その二本を操ることは、バジゴフィルメンテの十二歳の肉体にかなりの負荷をかける。

 しかしバジゴフィルメンテは、その困難さを楽しむような顔で、踊る様な歩法で剣を振り回す。

 綺麗かつ流麗でありながら、あの白刃の内側に入った何物もを切り裂くであろう危険さのある剣舞だ。

 ラピザはその美しさに見惚れたが、直ぐに自意識を取り戻した。


「オーガを倒したんですから、もう剣の腕前は十分なのでは?」


 オーガは魔境にいる魔物の中でも、かなりの強者だ。

 そした白髪オーガは、そのオーガの中でも一段高い実力を持つ。

 だから白髪オーガを倒したバジゴフィルメンテは、現在最強の剣士と名乗っても許される存在だ。

 人間で最強になったのだから、剣の腕を磨いたところで、最強以上には慣れないんじゃないか。

 そんなラピザの疑問に、バジゴフィルメンテは双剣を操りながら答える。


「剣の道に果てはないよ。そした魔物も、オーガより強い相手だっている」

「オーガ以上って。与太話の類ですよ」


 魔境の魔物について、人間は全てを知ってはいない。

 そのため魔境でこんな魔物を見たという発見話を元に、様々な魔物の絵姿が作られた。

 この絵姿が、実際は違っていたという例もままある。

 オーガも、その例の一つ。

 バジゴフィルメンテの曾祖父の『大将軍』より前は、森に住む人という絵姿で、肌色も人間と同じにされていて額の角もなかった。

 つまり正確なオーガの姿が判明したのは、『大将軍』が森で会敵した後からだ。

 そして発見話がホラだったことも多々あり、現実には存在しない魔物もいる。

 それこそ、雷を操る大きな猫や、燃える翼で飛ぶ鳥や、小山のように大きな蜥蜴なんて、適当に嘘を吐いたんだろうと思える魔物の発見話もあったりする。

 オーガより強い魔物とされるものも、その多くはホラ話だろうと世間では認識されている。

『噂の『大将軍』が敵わなかった魔物よりも、更に強い魔物から逃げ切って情報を持って帰ってみせた』

 そんな、嘘の功績を語るためだろうと。

 ラピザがそういう認識を語ったところ、バジゴフィルメンテは剣振りを続けながら己の認識を語り始めた。


「僕は確信しているんだよ。森の中にはオーガ以上に強い魔物がいるってね。だって、オーガが森で最強な魔物だとしたら、あまりにも弱すぎるし」


 バジゴフィルメンテのオーガの評価に、ラピザは苦笑いを浮かべる。


「バジゴフィルメンテ様にとっては弱いかもしれませんが。それだけでオーガが最強じゃないと語るのはいかがなものかと」

「ああ、違う違う。僕の実力どうこうじゃなくてね。うーん、なんて言ったらいいかな」


 バジゴフィルメンテは剣振りを止めると、言葉を探すように首を傾げた。


「こう言って伝わるかな。『剣聖』に身を委ねれば、誰でもオーガぐらいは倒せそうだと、僕は感じたんだよ」

「……それは普通のことでは?」


 『剣聖』は文字面だけで、戦闘向けの天職の中でも上澄みだと読み解ける。

 それほどの天職を十全に使うことができるのならば、オーガと渡り合うことなど造作もないだろう。

 そういうラピザの認識を、バジゴフィルメンテは否定する。


「そうじゃなくて。オーガを倒すとして、『剣聖』は過剰戦力なんだよ。父上の『剣士』――に任せるには難しいけど、ハッチェマヒオの『斧術師』なら一対一で普通のオーガは倒せるんじゃないかな」

「そうなんですか?」

「だってさ、思い返してみてよ。大した戦闘職じゃない冒険者たちだって、オーガを倒していたじゃないか」

「それは、冒険者側が多数だったこと。オーガが傷つけられた自身体の回復を繰り返して、肉体を弱り細った。その両方があったから勝てたのですよね」

「確かに策は弄したね。でも、勝てたことは勝てたでしょ?」


 ここまで説明されて、ラピザはようやくバジゴフィルメンテの意見が腑に落ちた。


「つまりバジゴフィルメンテ様は、『剣聖』が全力を出したうえで、ありとあらゆる手練手管を使ってようやく勝てるような魔物が、魔境にいると予想しているわけですね」

「勝てる、じゃなくて、負ける、だね」


 さらりとした訂正の言葉に、ラピザは目を丸くする。


「魔物に『剣聖』が負けると?」

「それはそうでしょ。だって『剣聖』なんて、僕があと少しで乗り越えられるぐらいの存在でしかないし」


 再び、さらりと衝撃発言をされて、ラピザは眩暈を起こした気分になる。


「聞き間違えでしょうか? バジゴフィルメンテの実力が、既に『剣聖』と並び立っているぐらいだと、そう聞こえたんですが?」

「大量の魔物を一撃で倒し続けた経験と、白髪のオーガとの戦いの経験で、一気に剣の理への理解度が上がったんだよね。必要なところに必要な分の力だけを入れる。それが肝要だったようでね」


 バジゴフィルメンテは双剣での剣振りを再開させ、その理解度のほどをラピザに示す。

 ラピザの天職は『暗殺者』だ。

 その天職の働きによって、バジゴフィルメンテが振るう剣が、どの程度の殺傷力を持つかを直感的に理解できる。

 バジゴフィルメンテは軽く剣を振っているように見えるし、剣の速度も驚異的とは言い難いほどでしかない。

 しかし『暗殺者』は、いまのバジゴフィルメンテに近づくことを恐れていると、ラピザは感じた。

 もし仮にラピザがいま『暗殺者』に身を任せたら、バジゴフィルメンテの視界の外まで逃げ出すことになるだろう。

 それほどに『暗殺者』は、バジゴフィルメンテが振るう剣に、死の匂いを感じ取っているようだった。

 そんな風にラピザが脅威と感じているとは思ってなさそうな声色で、バジゴフィルメンテは剣技について語っていく。


「必要な力を必要な分だけっていうのが、なかなかに難しくてね。どうしても、体のどこかに不必要な力が入っちゃうんだよ。だからいまやっている剣振りは、体を動かした際に入る余計な力――体のこわばりを取る体操なんだよね」

「いまのそれが、整理体操のようなものだと?」


 攻撃の意図のない剣振りというのが本当なら、『暗殺者』が感じている死の匂いはなんなのだろうか。

 もしもバジゴフィルメンテが攻撃の意識を込めての剣振りをしたら、『暗殺者』はどんな挙動を取ってしまうのだろうか。

 ラピザは恐怖と興味がない交ぜになった気持ちを抱き、バジゴフィルメンテの脅威度を更に高く認識することにした。


「それで――そう。もう少しで『剣聖』を超えられそうだから、プルマフロタン辺境伯家の後継問題よりも先にやってしまおうということですね」


 剣の話題が続くことを避けるための、ラピザの咄嗟の話題転換。

 それを受けて、バジゴフィルメンテは苦笑いする。


「『剣聖』の完全掌握をしてしまおうとしているのはそうだけど、家の後継ぎにはあまり興味がないんだよね」

「それは、家族のことなどどうでもいいと考えているからですか?」


 バジゴフィルメンテは、十歳で薪割り小屋に追いやられた。

 その仕打ちを考えれば、バジゴフィルメンテが家族に対して失望して情を消し失せさせても仕方がないかもしれない。

 そんなラピザの考えを、バジゴフィルメンテは否定する。


「どうでもよくないよ。僕の家族だからね。健やかに暮らしていてほしいとも」

「家族に対する情を持っているわけですか?」


 ラピザの口から疑わしいという気持ちが出てしまったからだろう、バジゴフィルメンテが剣振りを止めて半目を向けてきた。


「……あのね。僕のことを何だと思っているのさ。僕だって人の子だよ。ちゃんと親に対しても、兄弟姉妹に対しても、ちゃんと愛情を持っているとも」

「普通、家族に蔑ろにされたら、親子や兄弟姉妹の情なんて消え失せると思うんですけれど?」

「そうかな? 家族に愛情が持てなくても、家族に疎まれて悔しい悲しい怒りが湧く。そういう負の感情を抱けた時点で、情はあるんじゃない?」

「正負に関わらず、家族に対する情があるからこそ感情を抱くと?」

「真に情がない相手なら、なにも思わないと思うんだよね。例えば、あの街でいま誰かが転んだとする。その転んだ人物の家族や知人なら、体の心配や同情するだろうね。でも僕もラピザも、見も知りもしない人物に、そんな気持ちは抱けないでしょ。それが情がない相手に対する普通の反応だと、僕は思うんだよね」


 説明されて、ラピザはそういうものかもしれないと納得した。


「ちなみのバジゴフィルメンテ様は、家族に対して負の感情を抱いているのですよね?」

「えっ、どうして?」


 心底不思議そうに返されて、逆にラピザが狼狽えてしまう。


「いや。こうして薪割り小屋に追いやられたわけですし」

「屋根付きの寝床があって、食事もとることができている。薪集めの仕事をやれば、後は剣振りをするのが許されている。これ以上の何が必要なんだい?」

「それは、ほら、他の家族の方々は屋敷に暮らしています。料理人が作った豪華な料理も食べられますし、使用人が身の回りの世話をしてくれます。薪割り小屋に住むより、快適な生活が送れるはずですよ」

「それって、本当に必要なこと? 辺境貴族は魔境を切り開くことが使命だよ。その使命を全うするのに、屋敷や豪華料理や使用人の世話が必要?」


 バジゴフィルメンテの瞳は、純粋な疑問に満ちていた。

 ラピザは、どう答えたものかに迷う。

 バジゴフィルメンテが語った、辺境貴族の使命を全うするという視点だけに限るなら、必要ないだろう。

 むしろバジゴフィルメンテが行っているように、粗末な小屋に住もうとも、剣の腕を磨き、魔境に入って魔物を倒して日々の糧を得ることが、真っ当な辺境貴族の有り方といえる。

 辺境貴族の立場の原理原則を考えれば、バジゴフィルメンテのやり様が正しいだろう。

 しかしラピザは、全ての貴族がバジゴフィルメンテを見習えと、考ることができなかった。

 その理由についてじっくりと考えて、一つの答えを出した。


「健全に辺境貴族を担っている領主やその家族が、みすぼらしい生活をしていることに、領民は耐えられないと思います」

「領主家族や貴族たちが節制すれば、取られる税が安くなるのに?」

「心苦しくなると思います。魔物の脅威から庇護されている立場なのに、自分たちよりも領主の生活の方が慎ましやかだと知れば、自分たちも慎ましやかに暮らすべきだろうかと考えが浮かんでです」

「領主が豊かに暮らしていたら、自分たちも豊かに暮らしてもいいだろうと思えるわけか。そういう視点はなかったなあ」


 バジゴフィルメンテは感心したように頷いてから、話を元に戻した。


「ともあれ。僕は今の生活に不満がない。不満がないのだから、この生活を命じた父上や、屋敷で暮らす家族に対する恨みなんてないんだ」

「……バジゴフィルメンテ様が楽しんで暮らしているのは、見ていれば分かります。なので、本心の言葉だと理解できます」


 ラピザが見たバジゴフィルメンテは、剣好きという芯に辺境貴族の原理原則を肉付けした少年だ。

 だから、剣が手元にあって辺境貴族の規範に沿った行動ができるだけで、不満とは関係ない生活を送れてしまうんだろう。

 その性格が普通の人とはほど遠いと、バジゴフィルメンテ本人が自覚があるのかないのか。


(あと半年経たずに、戦闘職を授かった貴族の子供が通う学園に行くのに、大丈夫でしょうか)


 バジゴフィルメンテのこの性格は、騒動を巻き起こす予感しかないと、ラピザはため息を吐きたい気持ちになった。


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