28.神覧試合・後編
白髪オーガは、バジゴフィルメンテの姿を見つつ、改めて構えをとる。
一方のバジゴフィルメンテは、周りの冒険者たちの動きに目を配っていた。
冒険者たちの動きは、敵のオーガに近づくときと攻撃するときだけ天職に身を任せ、一撃を入れたらすぐに自分の意思で体を動かして逃げるを繰り返している。
戦闘向きの天職は、魔物と直接戦うためのもの。そして天職に身を任せると、魔物に攻撃が通用する代わりに、その職に適した動きしか出来なくなる。
その特性から、天職に身を任せた状態では、一撃離脱戦法は使い難い。
なぜなら、敵に隙があれば二撃目を叩きこもうとすることが最適だと、天職は判断してそう動いてしまうからだ。
そこで冒険者たちは、オーガに一撃入れた直後に天職に身を預けることを止めて、そそくさと退避することで、一撃離脱戦法を実行しているようだった。
そういった創意工夫を、バジゴフィルメンテは好意的な目で見ていた。
相対しているバジゴフィルメンテが、よそ見をしている。
白髪オーガにとって、これは攻撃を放つ絶好の機会のように見える。
しかし白髪オーガは、じりじりと距離を詰めはするものの、バジゴフィルメンテに襲い掛かろうとはしない。
その姿は、バジゴフィルメンテのよそ見が罠であると、警戒しているようだった。
そうして襲ってこないのを見てか、バジゴフィルメンテの目が白髪オーガに向き直った。
「あからさまに過ぎたかな。隙だと見て飛び掛かってきたら、その首を落す気だったんだけどなあ」
あてが外れたと言いたげな、バジゴフィルメンテ。
どうやら、よそ見はわざと行った、白髪オーガを釣るための罠だったようだ。
白髪オーガは、バジゴフィルメンテの言葉を理解したのかは分からないが、少しずつ少しずつ距離を縮め続ける。
大柄で筋骨たくましい白髪オーガと、鍛えられているとはいえ少年の体でしかないバジゴフィルメンテ。
その両者の位置が近づき、バジゴフィルメンテの剣が攻撃できる間合いに入った。
しかしバジゴフィルメンテは動かない。
まるで白髪オーガが攻撃できる距離まで、動くのを待つかのように、じっとしている。
さらに両者の距離が近づく。
あとほんの少しで、白髪オーガの手や足がバジゴフィルメンテを攻撃できる距離になる。
さらにまた近づ――ここでバジゴフィルメンテが動いた。
青銅剣が翻り、白髪オーガの左腕を切り落とそうと空中を走る。
白髪オーガは、距離を近づけることに意識を割いていたようで、バジゴフィルメンテの攻撃への対処が一瞬遅れた。
それでも白髪オーガは、狙われた左腕を引いて、剣閃から退避させる。
しかし、行動が遅かった。
白髪オーガの左の二の腕に、バジゴフィルメンテの青銅剣の刃が入り傷を生んだ。
骨まで達する深い傷。その傷から血も吹き出た。
しかし、両断はされていない。深い傷ではあるが、オーガの特性で直ぐに完治できる。そして腕が繋がっているのなら、怪我を押して左手で攻撃が可能。
白髪オーガは引いた左腕を再度突き出して、バジゴフィルメンテの胸元を攻撃する。
その攻撃を、バジゴフィルメンテは食らった。
傍目には、バジゴフィルメンテが大きく後ろに飛ばされたので、痛打を受けたように見えた。
しかし両者の顔にある表情は、その見識を裏切るものだった。
攻撃を当てた白髪オーガの顔が歪んでいて、まるで自身の失敗を悔いているかのよう。
バジゴフィルメンテの方は、自分の目論見通りといった、ほくそ笑みが浮かんでいた。
実際、バジゴフィルメンテは殴られて後ろに飛ばされたように見えた割には、飛ばされた先できっちり着地を行い、痛みを感じていなさそうな身動きで構え直している。
どうやら、何かしらの技術で、バジゴフィルメンテは白髪オーガの攻撃の威力を打ち消すことに成功していたようだ。
そしてバジゴフィルメンテが大きく後ろに飛ばされたことで、再び両者の間が開いている。
距離があるということは、攻撃の間合いが広いバジゴフィルメンテの方が有利になっているということでもある。
「さあ、どうします?」
バジゴフィルメンテが挑発するような言葉を投げかけると、白髪オーガは先ほどとは打って変わって突撃をしてきた。
構えもなにもなく、ただただ愚直な突進。
それを見たバジゴフィルメンテの顔は、失望したものになっているかと思いきや、嬉しそうに輝いていた。
「それが、貴方の本気の戦い方なんだね!」
「ぐるぐがあああ!」
白髪オーガは叫び声をあげると、防御を捨てながら、全力でバジゴフィルメンテに拳を振るった。
バジゴフィルメンテは、その拳を回避しながら、白髪オーガに剣を振るった。
拳が巻き起こした風圧でバジゴフィルメンテの黒髪が棚引き、青銅剣の刃が白髪オーガの胴体に傷を作る。
しかし傷は、先ほど左腕に与えたものより、各段に浅くて薄い。
その差の理由は、白髪オーガがすぐさま連撃を放つ体勢に入っていたため、バジゴフィルメンテが攻撃に身を入れきれなかったからのようだ。
「打撃の嵐で相手を圧倒し、反撃で傷はオーガ特有の身体回復速度に任せて気にしない、そんな超攻撃的な戦い方か。とても参考になるね!」
バジゴフィルメンテは、白髪オーガの攻撃を避けなら胴体狙いで攻撃を続けていたが、このままでは埒が明かないと理解したようだった。
あるときから、白髪オーガの打撃や蹴り自体を叩ききる方向に、攻撃を変えていた。
顔面に迫る拳を刃で斬り裂いて二分にし、胴体に向かって振り回してくる足を刃で骨を断つ。
右手左手を断ち、右脚左脚を斬り、頭突きの返しに額を割り、体当たりには胴体を斬り裂くことで対処する。
そうして剣が傷をつける度に、白髪オーガの動きが少しの間だけ鈍る。
攻撃がいなされて崩れてしまった体勢の立て戻し、つけられた怪我の痛みによる硬直、傷を再生する体のバランスの変化、反撃を終えたバジゴフィルメンテの立ち位置の移動への対処。
そんな諸々の対応をする必要に迫られる分だけ、白髪オーガは少しだけ時間を遣わされているようだった。
一方でバジゴフィルメンテは、十全に自分の力を発揮できているようだ。
それもそうだろう。
白髪オーガのように相対する敵から受けた被害に対処する必要がなく、冒険者たちのように天職に身を任せることもなく、自分の意思のままに体を動かせているのだから。
そして、ここから段々と、バジゴフィルメンテの身動きは一層洗練され始めた。
白髪オーガの攻撃に剣を合わせていただけだった行動が、相手の攻撃を斬り払った後にもう一撃を加えるようになる。
立ち位置の移動も絶妙になり、白髪オーガが直ぐには攻撃し難い場所への位置取りが連続するようになる。
更には攻撃の軌道を変化させる技まで操り始め、白髪オーガの体の至る場所を傷つけるようになった。
「ぐ、ぐるぐるる」
白髪オーガは、戸惑ったような声を上げる。
それは、どうして若いはずの敵が、こうも老獪な技を繰り出せるのか、それがわからないと言っているかのようだった。
そして白髪オーガは、救いを求めるような目で、仲間のオーガと戦う冒険者に目を向ける。
バジゴフィルメンテよりも明らかに年を取り、経験を積んでいるはずの冒険者。
その動きを見て、白髪オーガは『あれこそが自分の知っている人間だ』と納得するような表情の変化を起こした。
しかし、この白髪オーガのよそ見は、バジゴフィルメンテが先にやった罠ではなく、完全なる隙でしかなかった。
「集中力が切れたのかな?」
バジゴフィルメンテから忠告のような声が聞こえ、白髪オーガがハッとした顔をする。
しかしその段階で、白髪オーガの体は鎖骨から脇にかけて斜めに深々と切り裂かれていた。
「ぐがっ、ぐるっ」
深い傷であろうと、オーガの特性で治すことができる。
しかし、傷つけられた心臓から血が噴き出しているため、体を動かすに足る血の巡りが得られない。
白髪オーガは腰砕けになったように、その場に座り込む。
恐らく十秒もあれば、心臓の傷が治り、血の巡りは復活するだろう。
だがその十秒を、バジゴフィルメンテが待つはずがなかった。
「君は、歳を取ってから、全力で長く戦った経験がないんじゃないかい? だから老いた体で集中力がどれだけ保つか、把握できてなかったんじゃない?」
バジゴフィルメンテは、そう敗因を告げるように言いながら、白髪オーガの首を狙って剣を振るった。
白髪オーガは、その白刃を目に入れながら、覚悟を決めた顔になる。
バジゴフィルメンテの剣の刃が首に入った瞬間、白髪オーガの体から戦意が迸り胸の傷から血が盛大に噴き出す。その直後、白髪オーガの体が動いた。
恐らく、戦意を体に込めることで心臓を力強く拍動させ、傷から失血する以上の血の巡りを体に取り戻させたのだろう。
白髪オーガの首の骨に刃が食い込み、白髪オーガの右腕がバジゴフィルメンテの顔面目掛けて突き進む。
やがて白髪オーガの頭が剣で斬り飛ばされ、バジゴフィルメンテの顔面へと白髪オーガの右腕が伸び切った。
まさかの相打ちか。
傍目からだとそう見えたものの、しかしバジゴフィルメンテはこの場の誰よりも慎重だったらしい。
白髪オーガの首を落とす段階でも気を抜かったようで、白髪オーガの右腕の攻撃も顔を傾けて避けきっていた。
しかし、かなり避けるのがギリギリだったようで、左目の下の頬に擦過傷が赤くついていた。
バジゴフィルメンテは、その傷に手を当てた後で、体をふらつかせる。
「なんて、偉そうなことを言っておいて、僕も体力の限界なんだけどね」
バジゴフィルメンテが自嘲しながらの言葉は、恐らくは落とした白髪オーガの頭へのもの。
バジゴフィルメンテは、魔物の大移動を最前線で戦い続け、さらには白髪オーガという強敵と一対一で戦った。
バジゴフィルメンテが『剣聖』を掌握しつつある剣の天才といえど、体は十二歳の少年のものでしかない。
流石にこの連戦は、幼さの残る身で行うには厳し過ぎたらしい。
しかしバジゴフィルメンテは、己の中にある意地を掻き集めるように一度目を瞑ると、一秒経たずに目を開いたときには、疲れを感じさせない戦意を身にまとい直していた。
その状態になったバジゴフィルメンテは、切り落とした白髪オーガの髪を左手で掴むと、高々と掲げながら声を上げた。
「白髪オーガは、この僕、バジゴフィルメンテ・サンテ・プルマフロタンが打ち倒した! さあ、次に僕に挑んでくるオーガは誰だ!」
バジゴフィルメンテの宣言を聞いて、掲げられている白髪オーガの頭を見て、冒険者たちは戦意が高揚し、オーガたちは尻込みした様子を見せる。
「おっしゃあ! あとはこいつらをぶっ殺せば終わりだ!」
「やってやらあああああ!」
「ぐ、ぐるぐ」
「ぐるるるっ」
冒険者たちはオーガたちを武器で斬りつけ続け、オーガたちは身の安瀬園を図ろうとするかのように防御主体な動きになる。
このまま追い詰めると、オーガたちが森に逃げるかもしれない。
そうバジゴフィルメンテも考えたようで、白髪オーガの頭を地面に置き直すと、近くのオーガへと斬りかかりにいった。
その動きは疲れの極致にいるとは思えないほど流麗で、放った一撃は鮮烈だった。
なにせその一撃で、オーガの首がぽろりと落ちたほどなのだから。
バジゴフィルメンテは、攻撃を終えた後で、いまの自分の動きを反芻するように呟いた。
「まだまだ体に無駄な力が入っていたのか。でも今は疲れ切って、余計な力を体に入れるだけの体力すらないから、綺麗な体裁きと剣筋を作ることができたってわけね」
剣の極みに一歩近づけたことを喜ぶ声の後、バジゴフィルメンテは次のオーガへと襲い掛かる。
それは、いま掴んだ手応えを確実にするために必要な、新たな獲物を求めての動きのようだった。