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1.薪割り小屋住みの辺境伯長子

 プルマフロタン辺境伯家当主、オブセイオンは上機嫌だった。

 なぜなら、彼の次男であるハッチェマヒオ・セック・プルマフロタンが昨日教会にて、『斧術師』の天職を授けられたからだ。

 貴族の跡継ぎに必須な斧に適性を持つ戦闘職であり、更には『術』――魔法を少し扱える職でもあったからだ。

 彼の祖父の天職である大将軍には及ばないものの、剣士や槍士などの平凡職とは一線を画す優秀な天職である。

 ハッチェマヒオが優秀な天職を授けられたことで、オブセイオンは一つの決断をした。

 一年前に不適職者だと判明し、薪割り小屋に押し込めた長男――バジゴフィルメンテを暗殺することを。

 ハッチェマヒオに辺境伯家を継承させる際、バジゴフィルメンテが不適職者であっても『剣聖という希少職』という点だけで、継承の障害になると見越しての決断だった。

 そこで、貴族なら誰もが手元に飼っている、ある手駒を呼び寄せることにした。

 オブセイオンの執務室に来たのは、一人の女性。

 痩せぎすで低身長、黒茶色の髪を後頭部で一まとめに括った、笑顔を顔に貼り付けているような表情の、掃除洗濯担当のメイドの服を着ている人物だった。


「ご用とお聞きしましたが、衣服の洗濯ですか? それともこの部屋の掃除でも?」


 そのメイドの質問に、オブセイオンは決意を込めた顔で告げる。


「お前の天職、『暗殺者』を活かす時がきた」


 オブセイオンのその一言で、メイドの表情がガラリと変わった。

 貼り付けていたような笑顔が、全くの無表情になっていた。


「標的はどなたで?」

「我が子、サンテ――いや、バジゴフィルメンテだ」


 一年半前の天職の儀以降呼ぶことのなかったため、オブセイオンは長男の元服名が直ぐに出てこなかった。

 その名前を失念してしまうほどに、オブセイオンにとって、バジゴフィルメンテの存在は思い出したくない過去になっていた。

 そんなオブセイオンの命令に対し、暗殺者メイドは身を固くした。そしてオズオズとした喋りで、質問を返した。


「バジゴフィルメンテ様を、暗殺、ですか?」

「顔見知りの暗殺で気が進まなかろうが、やってもらう。あいつは、我が辺境伯家の汚点なのだ。汚れはさっさと拭い去るに限る」

 

 オブセイオンの要求を、暗殺者メイドは無表情から困惑を深めた表情に変わりながらも了承した。


「それがご命令であれば、従うだけです。しかし暗殺は、一朝一夕でできるものではないことを、ご承知いただきたく」

「なに? 殺すだけだ。何を手間取る必要がある」


 オブセイオンの叱咤に近い言葉に、暗殺者メイドは毅然と言い返す。


「暗殺とは二種類の方法があるんです。一つは、対象が無防備な状態の時に殺す方法。もう一つは、対象が殺されたと周囲にバレないように殺す方法です。そして暗殺者を呼び寄せたからには、当主様が要望する暗殺は、二つ目ではないのですか?」


 そう問われて、オブセイオンは考えた。

 確かにバジゴフィルメンテを殺すだけなら、忠誠心の厚い兵士を多数集めて襲い掛からせればいい。

 しかし、そんな真似をすれば、オブセイオンは子殺しだという悪評が広まることになるだろう。例え兵士だけでなく屋敷中に緘口令を敷こうと、噂というのは、必ずどこかから漏れるものだからだ。

 そういう不名誉な悪評を出さないようにするためには、バジゴフィルメンテが自然死や事故死したように見せかける必要がある。

 オブセイオンはバジゴフィルメンテを殺すことばかり考えて、そういう偽装の必要性ということを失念していた。


「そ、そうだな。バジゴフィルメンテの死に、不審な点があってはならないな。その偽装のために、時間が必要ということだな」

「いえ――ああその、バジゴフィルメンテ様を殺すのに、かなりの時間が必要であることは確かなのですが」

「かなり? 一週間か、一ヶ月か?」

「いえ。年単位で用意する必要があります」


 暗殺者メイドの言葉に、オブセイオンは驚いた顔の後に困った表情になる。


「そんな時間はかけてられん。貴族の子息子女で戦闘向きの天職を授けられた者は、十三歳になったのなら学園に預けなければならない決まりだ。バジゴフィルメンテは剣聖の天職を得ている。例え不適職者であろうと、戦闘向き天職であるからには、学園に行かせなければならない」

「当主様にとって、バジゴフィルメンテ様が学園に通うことは許しがたいと?」

「当然だ! 剣聖という希少職を得ながら不適職者であるなど知られるようなこと、我が辺境伯家の恥となる!」


 激高するオブセイオンに、暗殺者メイドは再び無表情になる。その後で、静々と頭を下げた。


「では、学園に入る時期が来る前までに、バジゴフィルメンテ様を暗殺する。そういう要望ということで良いですね?」

「うむっ。必ず、バジゴフィルメンテを、その日が来るまでに殺すのだ」


 暗殺者メイドは一礼したまま下がり、執務室から出ていった。そしてその足で、バジゴフィルメンテが要るはずの、屋敷の敷地の端にある薪割り小屋を目指して歩き始めた。

 


 この世界の貴族の役割は、領民から税を受け取り、その税で領地を守り繁栄させること。

 神に祝福された土地であるアユダ平原を預かる貴族であれば、人の暮らしを豊かにするために道路の整備を行ったり、畑作を助けるための灌漑工事を行ったりが、役割となる。

 では、魔物が闊歩する魔境に土地を構える辺境の貴族は、どんな役割を持つのか。

 それは、魔境を切り取って人が住める地に変えること、土地を奪い返そうとする魔物を武力で退けること、民を魔物の脅威から守ることである。

 その役割を課されているからこそ、直ぐに魔境に行けるよう、そして魔物の襲撃の防波堤になるために、辺境貴族の家屋は魔境と極めて近い位置に建てることが推奨されている。

 プルマフロタン辺境伯家の屋敷も、その推奨に従い、目と鼻の先に魔境の森がある場所に建てられていた。

 そしてバジゴフィルメンテが住めと命じられた薪割り小屋は、魔境の森から木々を運んでくる関係から、屋敷の中でも一番森に近い場所に建てられていた。

 その薪割り小屋に、バジゴフィルメンテの暗殺を命じられたメイドが近づいた。

 そっと小屋の扉を開け、中を覗く。

 ベッドと小さな机と暖炉が一つずつあるだけの、殺風景な部屋。

 机の上には木の器と木の匙があり、暖炉には吊り下げ式の鍋がかかっている。

 メイドは小屋の中に入り、足音を立てないようにして、鍋の中を確認。

 肉と根野菜が煮込まれた料理が少量だけ入っているが、中身はすっかりと冷めてしまっている。

 次にベッドに移動し、シーツに手を当てる。こちらもすっかり外気温と同じ温度になっている。

 それらが示すのは、バジゴフィルメンテが小屋から出て長い時間が経過しているいう事実だ。

 標的が居ないことに、暗殺者メイドは凄く安堵した表情になる。そして愚痴を一つ零した。


「バジゴフィルメンテを殺せなんて、できるはずがないでしょうに」


 逃れられない無茶な命令をされた者特有の、途方に暮れた表情が暗殺者メイドの顔に浮かぶ。

 メイドの愚痴が小屋の中で消え去った直後、辺境伯家の屋敷の小さな裏門が開閉する音が聞こえた。

 あの裏門を使うのは、魔境の森に入る用事のある、兵士か薪割り人ぐらいしかいない。

 そして裏門を通ってきた人物は、兵士の宿舎がある方向ではなく、この小屋に向かって近づいてきている。

 暗殺者メイドは、深呼吸を一つして表情を改めると、小屋の外に出た。

 小屋から裏門までの直線上に、一人の少年が大荷物を背負って歩いていた。

 少年は、肩まで届く黒く艶やかな髪を首の後ろで一つに括り、女性と見間違う綺麗な顔立ちに汗を滴らせ、胴体に革鎧を腰に剣をつけ、背中に木の枝や丸太が満載になった背負子がある姿をしていた。

 この少年こそ、十一歳となったバジゴフィルメンテだった。

 バジゴフィルメンテの体躯は、同い年の少年の平均的な背の高さだが、重たい荷物を毎日運んでいるとわかる鍛えられた筋肉が足腰についていることが服の布地越しにも見て取れた。

 バジゴフィルメンテは、自分が暮らす小屋の扉の前に暗殺者メイドがいるのを知って、破顔する。


「やあ、ラピザ。シーツや衣服を洗ってくれる日は、まだ先だったと思うけど?」


 暗殺者メイド――ラピザは、バジゴフィルメンテの疑問の声に、掃除洗濯を担うメイドらしく答える。


「ちょっと様子を見に来ただけですー。あと、美味しいお裾分けがないかなーって」


 気安いメイドを装って、バジゴフィルメンテの背負子へと目を向ける。

 バジゴフィルメンテは苦笑しながら小屋の近くに来ると、背負子を下ろし、枝や丸太を地面に置いていく。

 すると、枝や丸太の隙間に隠すように、一匹の大きな兎が入っていた。

 この兎は平野で見る兎とは別の、兎の魔物であるアルミラージ。

 額から伸び出ている三日月形の刃で森に入ってきた人間の首を狙ってくる、首切り兎として冒険者の間で有名な危険な魔物だ。

 そのアルミラージの死体を見て、ラピザは演技を忘れて目を輝かせる。


「それ! 前に一度食べさせてもらった、めちゃんこ美味しい兎じゃないですか!」

「運よく襲ってきてくれてね、だから狩るのに手間がかからなかったよ」


 バジゴフィルメンテは、アルミラージを丸太の断面の上に置くと、一度小屋の中に入った。

 そして暖炉に吊るしていた鍋を持ってくると、冷めた料理を平らげてから鍋を汲み置きの瓶の水で洗った。

 その後で、アルミラージをナイフで解体していき、その骨と肉を鍋に入れる。小屋の横にある小さな家庭菜園から、根野菜を二つ引っこ抜くと、水で洗ってから切り分けて鍋の中に投入。

 それらの食材が浸かるぐらいの水を入れてから、その鍋を小屋の中に持っていった。

 少しして、小屋の煙突から煙が立ち上り始め、バジゴフィルメンテが戻ってきた。


「いい感じに煮えのは、今が昼過ぎだから、夜前になるかな。それまでラピザは、自分の仕事をしていたらどうだい?」

「いえいえ。今日はもう非番なんで、ここで待たせてもらいます」

「そうなの? サボりで怒られないなら、好きにしてなよ」


 バジゴフィルメンテは自分の仕事があるからと、先ほど森から持ってきた木枝を抱えると、薪棚の前まで持っていった。

 そして枝が集まっている棚へ、木枝を一定の長さに折ってから刺し入れていく。

 集めた枝を全て収用し終えたら、次は持ってきた丸太の番だ。

 一つがバジゴフィルメンテの胴体ぐらいありそうな、大きさと太さをした丸太。

 バジゴフィルメンテは、その丸太を地面に立てると、腰から剣を抜いた。

 それは、黄色みの強い銅色の剣身――青銅製の剣。

 青銅武器は、製造も手入れも鉄より楽なことから、中堅までの冒険者が愛用するありふれた武器として認知されている。それこそ冒険者が多く集まるプルマフロタン辺境伯領では、手に入りやすい安物武器という位置づけになっているほどに。

 そんな剣を抜いて、バジゴフィルメンテは何をしようとしているのか。

 それはすぐに、バジゴフィルメンテの手によって明らかになる。


「せい!」


 短い気合の声と共に、バジゴフィルメンテの剣を持つ手が振り下ろされた。

 振られた剣は、立てられた丸太に縦に入り、そのまま底まで両断した。

 森から取ってきたばかりの、水分を多く含んで割れにくいはずの、丸太を真っ二つ。

 それがまぐれじゃないことを、バジゴフィルメンテは持ってきた丸太を全て一撃で両断し、両断したものを更に容易く分割することで証明してみせた。

 その剣の冴えを見て、ラピザは暗殺者としての評価を心の中だけで呟く。


(前に見せてもらったときより、剣振りの鋭さが増している。これが不適職者だなんて、絶対に嘘でしょ)


 一年半前。ラピザはバジゴフィルメンテが不適職者かもしれないという噂を聞き、暗殺を命じられるかもしれないからと彼を観察し続けてきた。

 その観察を開始した当初から今まで、バジゴフィルメンテが丸太を相手に剣を振り損ねたことを見たことは一度もなかった。

 バジゴフィルメンテは、本当に不適格者なのか否か。

 暗殺標的の実力を知るためにも、その部分をハッキリさせる必要があると、ラピザは考えたのだった。

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