22.外壁の上には
魔物の大移動の開始が、偵察に出ていた冒険者が戻ってきて伝えてきた。
冒険者たちは、街に被害が出ないように外壁の外に布陣して、魔物を迎え撃つ準備を整えた。
総勢五百人に達する冒険者集団の旗頭は、領主からの任命と依頼料を支払ったこともあり、バジゴフィルメンテが担うことになった。
「では皆さん。命大事に、魔物をぶっ殺し、ついでに街を守るとしましょう」
平民用の古着の上に安値の革鎧と青銅剣という装備をつけた、美少女のような顔立ちの少年からの、気の抜けた言葉。
それを受けて、冒険者たちは笑いながら野次を飛ばす。
「あははは。ここは、命かけて街を守れって言う場面だろう」
「そんな軽い感じでいいのかよ。ま、死ぬ気はねえけどな!」
「坊主よお! 貧弱な装備で大丈夫かあ? 鋼の剣を貸してやろうかあ?」
冒険者たちからの野次に、バジゴフィルメンテは怯む様子もなく言い返す。
「張り切り過ぎて最初に死なれると、後で人手が足りなくて困るので、ほどほどに頑張ってくれればいいよ。それに戦功第一位は僕だろうからね」
お前らよりも自分の方が強いという、バジゴフィルメンテの宣言。
これに冒険者たちは、特にベテランな者たちは、噛みついた。
「はああ? 天職の儀から数年しか経ってねえ小僧っ子が、生意気言うじゃねえの!」
「この土地で長年魔物と戦って暮らしてきた、俺たちを舐めるなよ!」
「おい、お前らも! こんなガキに下に見られていいのか! いいわきゃねえよなあ!」
ベテラン勢の言葉に、他の冒険者たちも同調する。
「テメエの活躍の場を奪ってやるぜ!」
「むしろ、オレらが魔物の親玉を倒して、テメエに吠え面かかせてやんよ!」
士気が高まっていく様子に、バジゴフィルメンテは嬉しそうに笑う。
「大きなことを言ったんだから、実力で証明してみせてよ。もちろん僕も証明するからさ」
「おうよ! やってやんよ!」
「魔物がなんぼのもんじゃい!」
五百人の冒険者が、意気高く声を上げる様子は、なかなかに迫力がある。
それこそ、魔物の集団ですら、この様子を見たら逃げ出すんじゃないかと思えるほどに。
しかしそうはならないんだろうなと、バジゴフィルメンテに付き従う形でやってきた、黒づくめの暗殺者姿のラピザは考えていた。
そんなラピザが見ている前で、バジゴフィルメンテは冒険者たちの個々に近づき、なにかしらの声をかけている。
ラピザが見るに、バジゴフィルメンテが声かけしている人達は、どこか怖気が残っている様子があった。
しかしバジゴフィルメンテが二つ三つ言葉をかけると、誰も彼もが勇気を奮い立たせた勇士に早変わりする。
一通りの声かけが終わるのを待って、ラピザはバジゴフィルメンテに声をかけた。
「バジゴフィルメンテ様。『剣聖』には人誑しな能力もあるんですか?」
意外なことを言われたと、バジゴフィルメンテは目を見開く。
「いや、そんなわけないjでしょ。『剣聖』なその名前の通り、剣に纏わることしか力を及ぼさないよ」
「その割には、冒険者たちの怖気を潰す方法を熟知しているようですが?」
「それは昔の教育の賜物だよ。僕は長男だからね。辺境伯家を継ぐに相応しい人物になるよう、学問と共に、人心掌握術を物心ついた頃から学ばされていたから」
バジゴフィルメンテは苦笑いしながら言うと、不意に視線を街の外壁の上へと向けた。
ラピザが、その視線の先を目で追ってみると、外壁の上にプルマフロタン辺境伯家の兵士の姿がある。
いや兵士だけでなく、バジゴフィルメンテの弟、ハッチェマヒオの姿もあった。
ハッチェマヒオと兵士は、冒険者と共に魔物と立ち向かってくれるのだろうか。
そうはならないだろうと、ラピザは予想する。
事実、冒険者たちが街の外に布陣しているのに、兵士たちは壁の上に立ったまま降りてこようとはしていない。
恐らくは、冒険者たちが壊滅したら、外壁の防御力を頼りに魔物と対抗する気でいるんだろう。
バジゴフィルメンテは、外壁の上を見続け、不意に移動を開始した。
ラピザはその後を追いかけながら、質問する。
「何処に行くんですか?」
「もちろん、家の兵士に話をつけにね」
「話とは?」
「兵士たちがどういう意図で外壁にいるのか。それとハッチェマヒオがなぜいるのかをね」
「兵士の思惑はともかく、ハッチェマヒオの件はどうしてです?」
「父上の思考なら、大移動の魔物が来る場所にハッチェマヒオを置かないからだよ」
「ハッチェマヒオが自分から来たのか、それとも兵士の誰かにそそのかされたのか。それを確かめるためですか?」
「十中八九、ハッチェマヒオの独断だろうけどね」
そんな会話をしながら、二人は街中に入ったあとで、外壁の上に上がる階段へと足をかけた。
大人三人分の背丈ほどの高さがある、石と木で組まれた外壁。
その外壁の上に立つと、街と魔境の森を遠くまで見渡すことができることに気づく。
街は、森から切り出した木々で作られた、木造の平屋家屋が立ち並んでいた。
逆に森の方は、外壁からしばらく下草だけの空間が広がり、そこから先は森の木々が鬱蒼としていた。
そんな光景を見やった後で、ラピザは城壁にいる兵士たちに目を向けた。
どの兵士も金属鎧と槍を身に着け、外壁の縁近くには落石に使う石の山が築かれている。
そんな姿を見て、ラピザが抱いた感想は、ただ一つだった。
「兵士の数が少ないですね」
魔物の大移動ともなれば、領地の一大事だ。
全兵士を投入するのは当然なのに、外壁の上に見える兵士の数は、プルマフロタン辺境伯家が抱える兵士の半分未満しかいないように見える。
そのことについて、バジゴフィルメンテからの返答がきた。
「家の屋敷の立地は、魔境の森のほど近くだからね。そっちの守りに、兵士の半分以上を割いているんだろうね」
「屋敷さえ守りきれればよいと?」
「父上のことだから、街が滅んで住民が全滅しても、他から人を連れて来ればいいぐらいにしか考えていないんじゃないかな」
「どうしてそんな考えに?」
「ベンディシオン国では、開墾できる場所は全て開墾しきっちゃっているからね。新たに生まれた子供は、家業を継ぐ人とその配偶者以外は、辺境送りにされることが殆どだって聞いている。特に平民かつ平凡な戦闘職だと特にね。つまり、黙っていても人は辺境に集まってくる。壊滅した街があると知れば、死んだ人の後釜に入ろうと、辺境送りにされた人達も集まって来るだろうね」
そんな話をしながら、バジゴフィルメンテは兵士の一人に近づいた。
その兵士は、バジゴフィルメンテに対して、どんな態度を取るべきか迷う顔をしている。
今現在のバジゴフィルメンテの立場は、とても複雑だ。
剣の天才だと兵士と手合わせをしたこともある子供。不適職者だと当主から蔑ろにされる子息。王家の人に戦闘力を認められた少年。魔物の大移動の指揮を任されたプルマフロタン辺境伯家の代表。
昔からの知り合いの子供相手なら寛容に、蔑ろにされる貴族子息なら冷徹に、王家が認める少年なら恭しく、指揮の代表者相手なら尊重した対応をするべき。
では、この兵士がどの態度を選んだかというと、全方面に可もなく不可もない、実直な兵士に見える態度だった。
「なにかご用で?」
言葉は短く、そして感情を表に出さない態度。
バジゴフィルメンテは、その態度に少し笑う。
「緊張しなくていいよ。少し聞きたいことを聞いたら、元の場所に戻るからさ」
元のと言いながら指した先は、外壁の外に集まる冒険者たちの方。
兵士はチラリとそちらを見てから、バジゴフィルメンテに視線を向けなおす。
「聞きたいこととは?」
「君たちが想定する、大移動で来る魔物との戦い方。そしてハッチェマヒオがあそこにいる理由だね」
少し離れた場所に、ハッチェマヒオが教育係二人と共に立っている。教育係たちは、以前にハッチェマヒオとラピザが見たことのある、あの二人だった。
ハッチェマヒオも教育係たちも、プルマフロタン辺境伯家が用意したと思わしき、金がかかってそうな豪華な装備に身を包んでいる。そんな格好で、ハッチェマヒオは外壁の上から身を乗り出して、森の中の様子を見ようと躍起になっている。
バジゴフィルメンテに声をかけられた兵士は、ハッチェマヒオたちの方を見た後で、聞こえないほど小さな溜息を吐いた。
「……兵士が考える魔物への対処は、この外壁を用いての防衛戦。ハッチェマヒオ様は、勝手に来た」
「防衛戦ってことは、街の外に出る気はないと?」
「ない。街の中に魔物が入らなければ、それで良しだ」
「仮に冒険者たちが外壁の外で大移動に決着をつけちゃったら、プルマフロタン辺境伯家の悪評がさらに高まることになるけど?」
「それは兵士の職務に関係ないことかと」
つまりは、そう命令されているから、そうするわけだ。
ここでラピザは、少し疑問に思った。
この魔物の大移動の指揮権は、バジゴフィルメンテに委ねられている。
だからバジゴフィルメンテが命令すれば、兵士たちも街の外に出て戦うようにできるのではないか。
しかしバジゴフィルメンテは、ラピザとは違う考えだったらしい。
「兵士たちは、僕の命令には従わない――いや、命令系統が別だと考えているわけだね。そしてその命令系統の一番上は、ハッチェマヒオってことかな?」
「あの方が、次期辺境伯になられると、そう聞いている」
その兵士の返答で、ラピザは兵士たちの思惑を理解した。
「家を継げない人よりも、継ぐであろう人の命令を聞くと判断したわけですね。仮にバジゴフィルメンテ様がこの戦いで功績を得ようと、あの辺境伯なら握りつぶしてしまうか、最悪ハッチェマヒオに功績を付け替えるぐらいするだろうと見越して」
「……勝手に想像するといい。否定はせん」
兵士の態度は、ラピザの予想が会っていると言っているようなものだった。
ラピザは思わず憤慨しそうになるが、バジゴフィルメンテは思惑を知っても気にした様子がない。
「教えてくれて、ありがとう。兵士たちのことは、元からあてにしてなかったから、防衛線が後ろに一つあると知れただけで十分だよ」
バジゴフィルメンテは兵士の前から離れると、ハッチェマヒオの方へと歩き始めてしまった。
ラピザは、離れていくバジゴフィルメンテと、その場から動かない兵士とを交互に見て、バジゴフィルメンテを追いかけた。
「良いんですか、バジゴフィルメンテ様」
「いいよ。プルマフロタン辺境伯家は、もうどうしようもないって知れたしね」
あっけらかんとしながらの、生家を扱き下ろした言葉。
それにラピザは驚いた。
「バジゴフィルメンテ様。とうとう実家を見限る判断をしたんですね。では急いで、この街から逃げましょう。今からなら大移動から逃げ切れます」
「いやいや、逃げたりしないって。家はどうしようもなくても、領地で暮らす人達を守る責任は、領地領民からの税で育ててもらった僕にはあるから」
バジゴフィルメンテはラピザに返答しながら歩き続け、ハッチェマヒオのところまで近寄った。
「やあ、ハッチェマヒオ。父上に、屋敷に居ろって言われていると予想しているんだけど?」
そう声をかけたところ、ハッチェマヒオは森の様子からバジゴフィルメンテに視線を向け変えた。
「魔物の大移動なんて、プルマフロタン辺境伯家の一大事! 次期当主として、戦闘に参加することは当然の義務だからな!」
「その義務の前なら、父上の言いつけを無視しても良いと?」
「当然だ。辺境の貴族とは、その武力でもって、魔物に対抗する者だ。その大原則に反するようなら、辺境伯当主の言葉でも反故にしてもいい!」
ハッチェマヒオの断言を聞いて、ラピザは意外に感じていた。
ラピザは、ハッチェマヒオが外壁の上に陣取っているのは、バジゴフィルメンテへの対抗心からだと予想していたからだ。
しかし事実は、辺境貴族の心意気を実現するためだという。
ハッチェマヒオが口から出まかせを言っている可能性は捨てきれないが、言った建前自体は立派なものだった。
(建前上でも、バジゴフィルメンテ様と言っていることが同じなのは、同じ環境で育ってきた兄弟だからですかね)
そう納得しつつも、ラピザはハッチェマヒオのことを疑っている。
バジゴフィルメンテは最前線で魔物と戦う決意を見せているが、果たしてハッチェマヒオはどうなのだろうかと。
外壁の上という安全な場所に留まって、冒険者たちが魔物と死闘を演じるのを観戦する気でいるだけじゃないだろうかと。
バジゴフィルメンテも、ラピザと似たようなことを考えたようで、ハッチェマヒオに質問した。
「ハッチェマヒオは、どうやって魔物と戦う気なんだい?」
言外に、外壁の上からじゃ魔物とは戦えないのではないか、という意味を含ませての問いかけ。
その言葉に、ハッチェマヒオは胸を張って言い返す。
「僕様の『斧術師』は、次の段階に進んだんだ。斧を振るって風の刃を飛ばすことで、敵を傷つけるようになったのだ」
斧の攻撃と魔法的な攻撃を行えるようになる、斧術師の特性。
それを活かして戦うという宣言。
ラピザは感心したが、バジゴフィルメンテの表情は浮かない。
バジゴフィルメンテは困り顔のまま、視線をハッチェマヒオの教育係のうち魔法担当の方へと向けた。
その魔法担当は、バジゴフィルメンテの視線を受けて、あからさまに顔を逸らした。
ここでようやく、ラピザは理解した。
あの魔法担当が、ハッチェマヒオに虚言を告げたのだと。
(魔法の攻撃をハッチェマヒオが出来ることは真実なんでしょう。でも、外壁の上から魔物に当てられるほどの、射程距離はないんでしょうね)
実際に戦いが始まったら、あの魔法担当が更になんだかんだ言って、ハッチェマヒオの攻撃参加を遅らせる。
冒険者たちが全員やられて、魔物たちが外壁に迫ってきたら、ようやく戦闘参加を許すか、もしくは屋敷まで撤退させる。
ラピザは、そんな筋書なんだろうと予想し、バジゴフィルメンテもそう見抜いているはずだとも予想した。
しかしバジゴフィルメンテは笑顔を浮かべると、ハッチェマヒオを激励した。
「それは凄いじゃないか。ハッチェマヒオが居れば、後方は安泰だね」
「ふふん。任せておきたまえ」
自信満々なハッチェマヒオ。
バジゴフィルメンテは一度森の方へと顔を向けると、ハッチェマヒオから離れ、街の外へ出るために外壁の階段へと向かった。
階段を降りながら、バジゴフィルメンテはラピザに潜めた声をかける。
「猶予がなくなった。もうすぐ魔物が森からでてくる」
「バジゴフィルメンテは、本当に戦う気ですか?」
「もちろんだよ。剣の腕前を上げる絶好の機会でもあるから、逃す気はないよ」
魔物と戦うのが楽しみだと言いたげに、バジゴフィルメンテは手を疼つかせていた。