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20.予兆

 人間は魔境を切り開いて新たな生活圏を得ようとし、魔物は失った魔境を取り戻そうと開墾した場所を襲ってくる。

 その中で、人間は軍勢でもって一気に魔物を殲滅し、魔境を切り取ることをやる。

 では魔物の方には、一気に失地を取り戻す方法はないのか。

 魔物は、基本的に同種以外では、群れることはないと考えられている。

 そのため、人間のように数を揃えることは、繁殖力が高い魔物以外は難しいとされている。

 短い妊娠サイクルで子を生むことが確認されている、ゴブリン。

 一度の出産で十匹近く生むと考えられている、オーク。

 女王が多数の卵を産んでいるであろう、巣を持つ昆虫系。

 それらだけが、魔境の中で数を揃えられる種族であると、人間は認識している。

 しかし、これらの例に当てはまらず、色々な種族の魔物が一同に集まって侵攻してくることがある。

 それは、魔物の長ともいうべき存在が現れたとき。

 その魔物の長が、周囲の魔物を配下にしているのか、それとも追い立てることで人間の領域に向かわせるのかは、分かっていない。

 しかし実際に、魔物の長に率いられた魔物たちが、大挙として押し寄せることが稀にある。

 そんな稀な事態が起こりつつあることを、プルマフロタン辺境伯領の冒険者が掴んで冒険者組合に報告にきた。


「――だから! 森の中に多種多様な魔物が集まっていたんだって! ざっと見て千匹はいたんだって!」


 天職『斥候』の青年が、プルマフロタン辺境伯領の冒険者組合の組合長に向かって吠える。

 組合長は頭痛がしている様子で、頭を押さえながら青年に尋ね返す。


「魔物の長っぽい奴は、見なかったのか?」

「パッと見じゃ、すげえ強そうな魔物はいなかった。でも!」

「分かっている。色々な魔物が集まって、千匹以上いたってんだろ」


 組合長は、斥候が魔物たちを発見した場所を記した地図を見ながら、腕組みする。


「魔物たちを見つけた場所が、人間の領地に近すぎる。過去の『大移動』の例を紐解くと、気づいたときには大移動の最中ってのが多い。魔物たちが大移動の準備をするのを見つけた例はもちろんあるが、それはもっと魔境の奥でだった。それに、強そうな魔物を見かけなかった点も気になる」


 組合長の発言に、『斥候』の青年は首を傾げている。

 組合長は、自分の取り越し苦労出会ってくれと願う顔で、言葉を続ける。


「つまり、お前が見つけた魔物の集団は。本命の集団からあぶれた、いわば予備の別動隊なんじゃないかってことだ」

「別ってことは、つまり千匹以上の数が、大移動してくるってことか?」

「群れを二つに分けてんだ。倍は確実だろう。もしかしたら、三倍四倍っていう可能性もある」


 組合長の予想を聞いて、青年の顔色は青くなる。


「た、大変でしょ、それ。ど、どうすんです」

「さて、どうするかなあ」


 組合長は悩ましげに表情を歪める。

 その様子に、青年は噛みつく。


「戦うことになるなら、早く準備しないと!」

「……戦うかどうかを悩んでんだよ」


 組合長からの意外な言葉に、青年は虚を突かれた様子になる。


「えっ。戦わないってことは、逃げるってこと?」

「それも選択の一つだろう。なにせ俺らは冒険者だ。魔物を殺して金を得て、魔境を切り取り取ってあわよくば貴族の仲間入りをしたい。そんな目的で集まっている連中だ。別に、この領地に命を捧げる必要はねえからな」


 むしろ、魔物たちの大移動で領地が壊滅してくれれば、逆襲で土地を奪い返した際に土地持ち貴族になれる可能性すらある。

 自己の利益を考えるのなら、わざわざ大移動に立ち向かう必要はない。


「それに、実際に冒険者がどれほど集まるかが疑問だ。なにせプルマフロタン辺境伯は、冒険者嫌いで有名だ。命がけで領地を守ってやったところで、労いの言葉どころか、逆に難癖をつけてきそうだしな」

「そ、それなら、その辺境伯に、軍を出してもらえば」

「そりゃあ要請するが、果たして数千匹の魔物を、あの辺境伯の手駒で押し留められるもんかな」


 魔境の森に入って、魔物を間引いてきたのは、主に冒険者たちだ。

 辺境伯の部下の兵士たちは、魔物と戦っていることもあるが、主に領地の治安維持に使われている印象が強い。

 兵士に成れる天職持ちであることは間違いないだろうが、果たして魔物と戦える実力があるのか。そして魔物の大移動を押し返すだけの技量を持っているのか。

 兵士たちにその力がないのなら、組合長は冒険者の命を守るためにも、非常な決断をしなければいけない。


「とにもかくにも、情報は上げておくべきだな」


 組合長は大きく溜息を吐くと、職員の一人に情報を託して辺境伯の屋敷まで使いに出した。



 魔物の大移動の兆候があると知らされて、オブセイオンは大慌てになる。


「どうして、こんな時期に!」


 ハッチェマヒオの教育に更に力を入れるべく、有能な家庭教師を更に複数雇った。

 その家庭教師を呼び寄せるためと支払う給料とで、辺境伯家の金庫の中身が目減りしている。それこそ、少し節制せねばと考える必要があるほどに。

 減った金は今年に回収する税で賄えば良いと考えていたところに、魔物の大移動の話だ。

 それも、やってくる魔物の数が数千匹であることを覚悟する必要があるという。

 それほどの数だ。

 領地を守るためには、手駒の兵士たちを派遣するだけでなく、少ない金庫の中身を全て使い果たしてでも冒険者を動員する必要がある。

 加えて、もう一つ問題があった。


「くそぉ。なにが『領地を守る旗印となる方を、辺境伯の身内からお出しください』だ。『出さないとあれば、冒険者たちは集まらないでしょう』だ!」


 冒険者組合からの使者から受けた言葉に、オブセイオンは憤る。

 領地を守るのなら金は払うと、倒した魔物の素材も好きにしていいと、そう約束した。

 それなのに、家族の誰かを生贄にしろと言ってきた。

 オブセイオンは、なんと冒険者はがめついんだと、そう感じていた。


「子供の中から犠牲を選べというのなら」


 オブセイオンの子供は、まだ総じて幼い。

 それこそ天職の儀を終えたオブセイオンの子供は、二人――バジゴフィルメンテとハッチェマヒオだけだ。

 少し前までのオブセイオンなら、バジゴフィルメンテを直ぐに冒険者のもとへと送っただろう。

 しかし現在、バジゴフィルメンテは王族の目に留まったことで、気にするべき相手となっている。

 ここで魔物の大移動に生贄として差し出したら、後々に王族からの叱りの言葉を受けることになりかねない。

 では、ハッチェマヒオはどうか。

 オブセイオンは、ハッチェマヒオを次の辺境伯にと考えている。

 だから魔物の大移動なんかに立ち向かわせることなど、とてもできない。

 では、その二人以外の子供――赤子を含めれば五人いる――ならどうか。

 しかしオブセイオンは、その子供たちを生贄にすること嫌がった。

 子供のことを思ってではない。

 その子供たちが天職の儀で、良い天職を得られる可能性があるからだ。

 バジゴフィルメンテは、不適職者ではあるが、希少職の『剣聖』を得た。

 ハッチェマヒオは、『斧術師』という斧と魔法を扱える、少し珍しい天職を得た。

 天職の儀を受けた二人が、二人とも珍しい天職を得たのだ。

 それなら他の子たちも珍しい天職を得るのではないか。その可能性をあたら潰すのは損失ではないか。

 そうオブセイオンは考えてしまう。

 オブセイオンは、時間をかけて考え、そして決断した。


「バジゴフィルメンテを送ろう。領地を守って死んだとなれば、王家も文句は言いにくいはずだ」


 オブセイオンは家令を呼ぶと、バジゴフィルメンテに魔物の大移動を防ぐ代表になれと伝えろと命じた。

 家令は一礼すると、バジゴフィルメンテがいるであろう薪割り小屋へと向かっていった。

 オブセイオンは、これで冒険者たちが逃げ散ることはないだろうと、一安心した。

 この段階に至っても、オブセイオンに自身が大移動の陣頭指揮を執るという発想がないあたり、領地の冒険者から下に見られても仕方がない気質といえた。

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