18.一夜のできごと
アマビプレバシオンは、バジゴフィルメンテと語り合った後、プルマフロタン辺境伯の屋敷の宿泊に与えられた部屋にて、一人踊っていた。
本人以外は誰もいない室内で、寝巻の薄衣だけを着けた状態で、天職『太夫』に体を任せて踊っていく。
たった一人での踊りだが、アマビプレバシオン自身は、『太夫』と共に踊る気持ちで、自身の天職と向き合っていく。
(こうしてちゃんと踊るのは、お披露目のとき以来ですね)
そのお披露目で他者を魅了してしまって以降、アマビプレバシオンは『太夫』と向き合うことを止めていた。
大して知りもしない相手が、踊りを見せただけで、アマビプレバシオンに心酔して僕に変わる。
心根が正しいアマビプレバシオンにとって、人の考えを歪めてしまう踊りは恐怖でしかない。
だからこそ『太夫』の力を使うまいとしてきた。
しかし恐れているばかりではダメなのだと、バジゴフィルメンテとの会話で気づかされた。
『太夫』は、バジゴフィルメンテが振るっていた剣と同じ。
剣の刃は人を傷つけるからと忌避しては、魔物を倒すことや薪を割ることに繋がらない。
(怖さから、『太夫』の魅了という力の一端しか、私は見てきませんでした)
『太夫』の真価は、数少ない前例を鑑みれば、魅了ではないはず。
その真価がなんなのか、改めて知るために、アマビプレバシオンは踊り続ける。
金糸のような髪を空間に流し、豊かな胸を大きく弾ませて、幼さが残る肢体をいっぱいに使って跳躍する。顎の先、振る手の先、上げた足の先から汗が飛び散り、窓から入ってくる月光を受けて煌めく。
本格的に身を任せて踊るのは、今回で二度目。
アマビプレバシオンは、『太夫』に極力身を預けようとするも、体の支配権を数十秒預けては自分に戻ってきてしまい、そしてまた預けるという状態が繰り返されている。
しかしその数十秒の間は、『太夫』は遠慮なくアマビプレバシオンの体を動かす。まるで、今まで押し込められていた分を取り戻すように。
アマビプレバシオンが意識的に協力していることもあり、お披露目の時に発動した効果以上に、魅了の力が発揮されているだろう。
仮に、この姿を見た人がいれば、心酔や虜を通り越し、アマビプレバシオンの命令を受けて動くだけの自意識のない生ける屍になったに違いない。
そうなったに違いないと、『太夫』に身を預けて踊る、アマビプレバシオン自身が自覚していた。
(でもなぜか、バジゴフィルメンテ様には効かない気もするんですよね)
アマビプレバシオンの想像の中では、バジゴフィルメンテは魅了の踊りを見ても、どう自分の剣に活かすかを考える姿しか思い浮かばない。
お披露目のときに虜になった人達の様子をバジゴフィルメンテに適応してみようと試みるが、心酔する姿がどうしても考えられない。
(神様が与えてくださる天職を掌握しようなんて考える方が、天職の力で魅了されるはずもないですよね)
そう納得するも、どこか納得しきれない気持ちも抱く。
魅了されて欲しいとは思わないけれど、全く見向きもされないのはそれはそれで気に入らない、という乙女の複雑なプライドからだ。
その妙なプライドから、アマビプレバシオンは『太夫』に願った。
もっと魅力的に踊れないかと。
すると『太夫』は、アマビプレバシオンの願いの応えるように、踊りの動きを変化させた。
綺麗な顔立ちや艶やかな髪に豊かな胸など、男性の気を引けるような体の部位を強調するような踊り方になる。
(これなら少しは――)
とアマビプレバシオンは考えかけて、ハッと我に返った。
バジゴフィルメンテを気を引くために、『太夫』と向き合っているわけじゃないと気づいて。
そうして我に返ったところで、『太夫』の踊りで披露が溜まった体が動きを止めた。
「ふっ、はあ、はあー。つ、疲れましたー」
乾いた喉に、水差しからコップに移した水を入れると、どっとアマビプレバシオンの体から汗が噴き出した。
一杯だけでは足りず、二杯三杯と飲んで、ようやく喉の渇きが癒えた。
汗を吸って重たくなった薄衣を脱いで全裸になると、侍女が置いていってくれたタオルで全身を拭っていく。
その中で、アマビプレバシオンは笑顔になっていた。
(天職『太夫』の特性について、少しわかりましたね)
先ほどバジゴフィルメンテを気を引くためにと考えた瞬間に、『太夫』が操る踊りの種類と質が変わった。
明らかに相手を意識した変化だが、それが天職の行動としては不可思議だった。
なにせ天職が齎す動きは、その天職における最適な動きである。
使用者が願おうとも、最適な動きが変化することはないとされている。
バジゴフィルメンテが良い例だ。
『剣聖』が提示する最適な動きを『好みじゃない』と評価しているにも拘らず、バジゴフィルメンテの意思では変更できない。だからこそバジゴフィルメンテは、自身が『剣聖』を掌握することで、自分の好みに合った動きに天職の力を乗せようとしているのだから。
つまるところ――
(『太夫』の本当の力は、向ける相手によって発揮する能力を変化させることなんでしょう)
王に仕えるのならば、王の補佐に適した能力を発揮する。市井で暮らすのならば、生活が豊かになるように。神殿で芸事を披露するのならば、信者の心を慰撫することができるように。
数少ない前例が全て別々な内容なのも、そういう風だったのではと考えられる。
そして特定の相手がいない状況だと、魅了を振りまいてしまうのも納得できる。
自分のために『太夫』の能力を使うのなら、誰もが言いなりになる魅了の力は、自分の望みを叶えるのに最適だ。
なにせ魅了の力で他者は言いなりになる。その僕になった他者を利用すれば、望めば望むだけのものが叶えられる違いないのだから。
アマビプレバシオンは『太夫』の本質は理解したものの、それはそれで困ったことになったと自覚した。
(私が気づいたことが真実だとするなら、『太夫』は補助向きの天職です。仕えるべき主がいてこそ、真の能力を発揮します)
過去の『太夫』たちは、王に、配偶者に、神に、と仕える主を定めていた。
だがアマビプレバシオンは、誰に仕えるかなんて、まだ決められない。
(王家の子女として考えるのでしたら、次期国王になられるレヒディモ兄様に仕え、その補佐することが本筋なのでしょうけれど)
まだ十二歳と若く、天職の能力の一端が分かって未来の展望も開けたことから、あれもこれもとやりたいことが沢山出てくる。
夫を迎えて幸せに暮らしたいという望みもあれば、魅了の力さえ出なければ踊りや歌を披露して人民を楽しませたいという欲も。
戦闘向きの天職じゃないからと諦めていた学園も、仕えるべき主によって能力が変化する『太夫』ならば、通うことも叶うことだろう。
「そうですね。少し試してみましょうか」
アマビプレバシオンは、全裸の状態のまま、護身用の短剣を抜いた。
そして仮の主として、自身が知る中で一番の武芸者であるバジゴフィルメンテを設定してから、体を『太夫』に預けてみた。
すると、武術の心得なんて一切ないにも拘わらず、アマビプレバシオンの体は見事な短剣での一撃を空中に描いてみせた。
これでまた少し自分の可能性が広がったと、アマビプレバシオンは嬉しくなった。
一夜にして、自分の天職を憂う少女から、自分の天職をどう活かそうか考える少女に成れた。
その事実に、アマビプレバシオンは切っ掛けとなったバジゴフィルメンテに恩を感じざるを得なかった。
(なにかお礼をしたいところですけど)
バジゴフィルメンテは、実の父親のオブセイオンに嫌われている。
王女であるアマビプレバシオンが何かを贈ってしまうと、オブセイオンの敵意を抱いてバジゴフィルメンテを害するかもしれない。
そんな状況になっては困る。
(兄様に相談しましょう。『賢王』なら適切な判断をしてくれるでしょうから)
アマビプレバシオンはお礼の仕方を棚上げすることにして、寝台机に置いてあるベルを手に取って鳴らした。
すると五十秒も経たないうちに、アマビプレバシオンの侍女が入ってきた。
「姫様。お呼びで――」
侍女は、アマビプレバシオンが少し汗が浮いている全裸だと知ると、慌てて開いていた扉を閉めた。
「――姫様。せめて何か羽織った状態で呼んでください。ここは他家の中なのです。不埒者に見られる可能性だってあるんですから」
「ごめんなさい。でも、服の場所が分からなくて」
「服の置き場が分からないのなら、ベッドのシーツでもカーテンでも、なんでもいいですから」
「分かったわ。次からはそうするね」
侍女はそんな注意をしながら、アマビプレバシオンの拭き残しがある体を丁寧に拭き直していく。そして新たな寝巻の薄衣を着させると、体が冷えてはいけないからと、アマビプレバシオンをベッドの中に押し込んだ。
アマビプレバシオンは過保護な侍女の様子に笑顔になった後で、踊って体力が減っていたこともあり、スッと寝入ってしまった。