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プロローグ2 天職授与

 魔境を開墾しようとする人間と、魔境の土地を取り返そうとする魔物との争いは、日々止むことはない。

 そのため、先祖が魔境を開墾し、その土地を領地とした貴族は、土地の防衛に頭を悩ませる日々を送っている。

 その中でも、プルマフロタン辺境伯領は、土地の三方を魔境に囲まれた土地のため、悩みが深かった。

 先々代の当主が『大将軍』という天職を得たこともあり、魔境を大きく切り取ることに成功し、開墾を上手くやり遂げ、王から褒章として男爵から辺境伯へと昇爵を命じられた。

 しかし、その当主の子供たちが得た天職は、戦う力がないものばかりだった。

 唯一戦う力のある天職を得た子も、『槍士』という平凡な戦闘向きの職でしかなかった。

 だから当主は、自分が死した後も土地を守れるようにと、一計を案じた。

 魔境に分け入って魔物を倒して勇名を上げることを目的とする、冒険者たち。

 その冒険者をまとめる組合を領地に作り、報酬を払って魔物を倒させる仕組みを作ったのだ。

 この狙いは当たり、『大将軍』が亡くなって当主が『槍士』になっても、その後の当主が『剣士』が担っても、開墾した土地を減らさずに済んでいた。

 しかし、最近のプルマフロタン辺境伯領の情勢は、悪化しつつあった。

 魔境から土地を奪おうとやってくる強力な魔物。

 それ倒すのは、冒険者たちだ。

 領地の民は、身近で自分たちを守ってくれる冒険者に傾倒し、領主のことを税を取り立てる悪人のように思い始めていた。

 その税金が魔物を倒す冒険者の報酬になると教えても、それなら冒険者に直接報酬を払うから税は納めないと言い返してくる始末。

 力づくで税を取り立てようとすると、冒険者に護衛を依頼して、取り立て人たちを力で追い払ってくる。

 冒険者の行動を咎めようと、冒険者をまとめる組合に文句を言っても、この土地を守っているのは冒険者たちだという自負から領主の話を聞き入れない。

 そうした領地の人々から下に見られ続けたことで、当代当主のオブセイオン・バランリア・プルマフロタンは、得た天職が悪いから民が従わないのだという妄執に取りつかれた。


「子供に戦闘向きの希少職を得させるのだ! 子が生産職や不適職を得たら、家から除名するつもりで臨むのだ!」


 天職を与えるのは神の役割。

 辺境伯当主とはいえ、只人がその理を曲げることなどできるはずもない。

 しかしオブセイオンは、天職を与えられる十歳までの子供の行いを神が見て相応しい天職を与える、という噂を信じて実行した。

 オブセイオンは、生まれたばかりの赤子に刃引きした武器を握らせ、子育て中も常に武器を子に抱えさせ、幼年期から武器を振らせる生活を送らせた。

 そんなオブセイオンの執念が実ったわけではないだろうが、長男のサンテが三歳にして剣に天賦の才を見せ始めた。

 女児のような可愛らしい顔立ちの黒髪の少年が、子供用ではあっても身の丈に近い大きさ木剣を巧みに操り、素早い動きで丸太へ攻撃する。

 その攻撃の見事さは、剣士の天職であるオブセイオンが見て驚くほどだった。


「これほどの剣の才があるのだ。神もサンテに剣にまつわる天職をお与えになるに違いない。それも剣士のような平凡職ではなく、剣豪のような希少職をだ!」


 オブセイオンは、サンテの並々ならぬ期待を寄せ、サンテが望むのならなんでもしてやる気でいた。

 しかし当のサンテは、木剣の買い替えと、貴族の勉強を控え目にして剣を振る時間の拡充を望んだだけだった。


「本当に他に望みはないのか?」

「剣を振ることが楽しいのです。それ以外の望みはありません」


 サンテの返答に、オブセイオンは鼻白んだ。

 自身がサンテの年齢の頃は、辺境伯家の子という立場で我が侭を叶えてもらうことが多かったことを思い出したからだ。

 剣以外は要らぬと語る子と、ありとあらゆる物を欲しがった過去の自分。

 どちらが出来た子なのかは、火を見るよりも明らかだ。

 そんな違いを自覚させられて、このときオブセイオンはサンテに苦手意識を抱いた。

 そしてこの日から、オブセイオンはサンテではなく、他の子供たちをより気にかけるようになっていった。



 サンテは順調に成長していき、齢九歳にして、辺境伯家の兵士と互角に剣で渡り合うことができるまでになっていた。

 もちろん雇い主の子供あいてということもあり、兵士は全力で戦ってはいない。

 そして、花を持たせるような真似もしていない。

 むしろ、サンテから直撃を食らわないように必至に防御していた。

 サンテの、子供の体を精一杯に使って駆け続け、そしてためらいのない踏み込みで斬りかかってくる。

 うっかりすれば強烈な一撃を食らいそうになるのを、兵士は貴族の家を守る者としてのプライドをかけて防ぎ続ける。

 やがて、大人と子供の体力の差から、サンテの動きに陰りが出た。

 その隙を突いて、兵士はサンテの体に刃を添わせて、模擬線に勝利した。


「ありがとうございました」


 サンテが、成長しても女子のような可愛らしい顔立ちを、運動と興奮の赤色に染めて礼を言ってきた。

 その真っ直ぐな感謝の言葉に、対戦していた兵士が気後れする。


「あのー、サンテ様。負けて悔しくはないのですか?」


 兵士が、自分の心の動きを誤魔化すように、そう質問した。

 するとサンテは、ニコニコと笑いながら返答する。


「悔しさはありますよ。でも模擬戦を通して自分の改善点を見いだせたことが、とても嬉しいんです。これでまた、剣の頂に近づけます」


 模擬戦の勝敗など、剣を極めるという目標の前には些細な事。

 そう言われた気がして、兵士は模擬戦で負けまいとした自分の行動を恥じた。

 勝ち負けに拘るのではなく、もっと大事な経験を掴むために、模擬戦の時間を費やした方が良かったのではないかと気づいて。



 周囲から剣の天才という評価を得ていた、サンテ。

 十歳になった月の末日。サンテは正装と儀礼剣を携えた姿になると、父のオブセイオンと馬車に乗り、領地の教会へと向かった。

 教会で、神からサンテに天職を与えてもらうためだ。


「サンテ。天職を授かったとき、お前の運命が決まる。戦闘職でなかったのなら、お前は即日で辺境伯家から追放する。そのうえで希少な天職でなかったのなら、辺境伯家の後継者として認めない。分かっているな」


 脅すような言葉にも関わらず、サンテは気にした様子がない。


「神様がどんな天職をくださるのか、本当に楽しみです」


 そう言いながら、傍らに立て掛けている儀礼剣を撫でる姿は、どこか剣にまつわる天職を得ることを確信しているようだった。

 その子供らしからぬ泰然とした姿は、まるでオブセイオンの言葉を歯牙にもかけていない風に見えた。

 オブセイオンは、サンテへの苦手意識がより強まりつつも、言葉を続ける。


「神から天職を授かる際に、貴族は幼名ではなく、元服名を名乗らなければならん。サンテ、お前は今より、バジゴフィルメンテ・サンテ・プルマフロタンと名乗れ」

「バジゴフィルメンテ、ですか。かなり厳めしい名前ですね」

「十歳になっても女子のような顔立ちのお前には、これぐらい勇ましさのある名前の方が良いという判断だ」


 サンテ――改めバジゴフィルメンテは、新しい自分の名前が慣れないようで、繰り返し呟いて記憶に定着させようとしている。

 こういう物覚えの悪い部分は十歳相応だなと、オブセイオンはバジゴフィルメンテの子供らしい姿を見ることができて安堵した。

 その後に二、三の言葉を交わしたところで、教会に到着。

 バジゴフィルメンテとオブセイオンは馬車から降り、教会の中へと入った。

 教会には、この日に天職を得ようと集まった子供たちと、その親の姿があった。

 既に天職を与える儀式は始まっていたようで、司祭が目の前の子供に向かって聖句を告げていた。


「神よ。この十歳を迎えた子に、天職の授与を願い奉る」


 聖句の後、祈りを受けた子供の体が薄い光に包まれた。

 その直後、子供の口からひとりでに言葉が紡がれた。


「我が天職は『ナイフ使い』なり」


 子供は勝手に自分の口が動いたことに驚いた様子の後で、大きく破顔する。そして傍らに立っていた、冒険者の風体な父親に抱き着いた。


「おとうちゃんと同じ、ナイフ使いだよ!」

「良かったな。よし、この後でナイフの使い方をみっちり教えてやるからな。新しいナイフも買ってやる」

「やったー!」


 微笑ましいやり取りをしながら、親子は教会の外に出ていく。

 その場に居合わせた人たちが祝福して笑顔になる中、オブセイオンだけは口から悪態を吐いていた。


「ナイフ使いごとき平凡職に、ああも喜ぶ神経がわからんな」


 この迂闊な発言が聞こえたのだろう、教会の中にいる人達から冷ややかな視線をオブセイオンに向けてくる。

 その人達の中には、オブセイオンとバジゴフィルメンテの格好を見て、辺境伯家の者だと気づいた様子の人もいた。

 しかし、オブセイオンのことを偉ぶるだけで碌に魔物と戦えもしない領主だと思っているため、視線を撤回するような人はいなかった。

 むしろ冒険者の風体の人などは、無礼打ちしに来いよ返り討ちにしてやるから、という態度すら見せていた。

 そんな不遜な態度の連中に囲まれて、オブセイオンは自尊心が傷つき激高しそうになる。

 そこに、バジゴフィルメンテの呑気な言葉が教会の中に響いた。


「一、二……いまなら順番は七人目みたいですよ、父上。並んで待ちましょう」


 バジゴフィルメンテがうきうきした足取りで、司祭の祝福を待つ人の列へと向かっていった。

 オブセイオンは、数秒呆気にとられた後で、慌ててバジゴフィルメンテに近寄り、その手を取った。


「馬鹿者! 領主の子が列に並ぶ必要はない! 順番を抜かして、司祭から聖句を受けられるのだ!」

「何を言っているんですか、父上。剣を振り下ろそうと思ったら、まずは振り上げないといけない。それを順番と言うのです。順番は守らなければ、望んだ結果を得られませんよ?」


 変な理論を振りかざすバジゴフィルメンテに、オブセイオンは聞いていられないと司祭の前まで引っ張っていった。


「おい! 我が子を先にしろ!」


 司祭は、強行な真似をしたオブセイオンに非難の目を、無理やり引きずってこられたバジゴフィルメンテに同情の目を向け、本来は次の順番だった女の子に謝罪の言葉を送る。


「ごめんね。この子を先にしなきゃ行けなくなってしまったんだ」

「でもぉ……」

「待ってくれたら、神様に君には特別に良い天職を、ってお願いするから。ね?」

「うんっ。それなら……」


 女の子は渋々といった様子で、順番を譲った。

 オブセイオンは司祭の物言いに不満そうな顔をして、バジゴフィルメンテは女の子に目の動きと口パクで『ごめんね』と謝罪した。

 司祭はその姿を見て、領主は好きになれそうにないが、その子は良い子そうだと認識を新たにした。

 そして司祭は、オブセイオンを横にずれろと身振りで退かすと、バジゴフィルメンテを手招きして近寄らせた。


「さて少年。君の名前は何というのかね?」

「サンテ――いえ、バジゴフィルメンテ・サンテ・プルマフロタンです」

「ではバジゴフィルメンテ。神に真摯に祈りなさい。さすれば、汝に相応しい天職を、神が与えてくださるはずです」

「分かりました」


 バジゴフィルメンテは、胸の前で左右の手の指を組み合わせた祈りのポーズをとり、目を伏せる。

 堂に入った祈りの姿だが、教会の信徒の祈りの姿とは違う、拳での戦闘に挑む前の構えのように見える祈り姿。

 司祭は、祈りの姿勢が違って見えても、バジゴフィルメンテがちゃんと祈りを捧げていることは間違いないと判断して、口から天職を授けるための聖句を紡ぎ始めた。


「神よ。この十歳を迎えた子に、天職の授与を願い奉る」


 バジゴフィルメンテの体が薄い光に包まれ、その口から自然と言葉が流れ出始める。


「我が天職は『剣聖』なり」


 バジゴフィルメンテが告げた天職は、まぎれもなく希少な戦闘職だった。

 このことに、オブセイオンは大歓喜した。


「おお! 流石は我が子、バジゴフィルメンテだ! まさか剣聖の天職を得るとは! あははははは!」


 居合わせた面々に印象付けるように、オブセイオンは大声と大笑いを教会の中で放った。

 一方で、天職を授けられたバジゴフィルメンテは、なぜか眉を寄せて自分の手を見ていた。

 そして何を思ったのか、バジゴフィルメンテは装飾剣の柄を握って抜き放とうとし――手から剣を取り落した。

 かしゃんと鳴った剣の音に、オブセイオンの笑い声がピタリと止まった。

 バジゴフィルメンテは、落とした剣を拾う。そして今度は、振り上げてから振り下ろそうとして――途中で剣が手からすっぽ抜けた。もの凄い速さで投擲されることとなった儀礼剣は、誰もいない教会の床に深々と突き刺さった。

 しんと静まり返る、教会内。

 やがて誰かが言葉を発した。


「もしかして、あの子は、不適職者なのか?」


 不適職者とは、神が与えた天職を全く使いこなすことができない人物の蔑称のこと。

 不適職者は神に見放された人物であると考える者すらいる、不名誉な呼ばれ方だ。

 特に、面子を重んじる貴族であれば、不適職者『かもしれない』と思われるだけでも恥である。

 オブセイオンは、自分の子が剣聖の天職を得られたという喜びと同時に、もしかしたら不適職者なのかもしれないという恐怖を同時に味わっていた。


「わ、我が子が不適職者のはずがあるまい! 不愉快な奴らだ! バジゴフィルメンテ、帰るぞ!」


 ずんずんと足取り荒く去ろうとするオブセイオンの後に、バジゴフィルメンテは続いて歩く。

 バジゴフィルメンテは、歩きながら床に刺さった剣を引き抜くと、腰の鞘に剣を仕舞った。ここでは剣を落としたり手放したりということはなかった。

 その後、馬車での帰宅中、オブセイオンは教会での一件で、バジゴフィルメンテが不適職者なのではという恐れに取りつかれた。

 そして帰宅後すぐに、バジゴフィルメンテに命じた。


「剣聖で不適職者など前代未聞だ! バジゴフィルメンテ、お前の部屋を取り上げ、薪割り小屋へ居を移させる! それと学園に通う年齢の十三歳になるまで、天職を扱えるようにしろ! できなければ、追放だ!」


 剣聖という希少戦闘職を手元に置きたいが、不適職者なら家から追い出したいという、相反する気持ちの折衷案だった。

 その命令に、バジゴフィルメンテは、了解を示すように頭を下げた。

 オブセイオンは、教会に居たから続く恐怖と怒りに支配された気持ちのまま、自室へと引き上げていった。

 そんな恐怖と怒りの気持ちで目が濁っていたからこそ、オブセイオンは気づかなかった。

 バジゴフィルメンテの表情が、馬車で帰っているときも、頭を下げている今も、新しい玩具を手に入れた子供のように輝く嬉しさに満ちていたことを。

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