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17.夜の語らい

 アマビプレバシオン・べレザ・ベンディシオンは、与えられた客室の中で、今日の昼に見た護衛騎士とバジゴフィルメンテの戦いを思い返していた。

 十二歳――アマビプレバシオンと同じ年齢にも拘らず、王位継承権第一位の王子――アビズサビドゥリアの護衛に任じられる護衛騎士と互角以上の戦いを演じてみせた、あの光景を。


(護衛騎士の厚い盾が傷だらけになった一方で、バジゴフィルメンテ様には剣先すら掠っていなかった。損傷の度合で考えるのなら、バジゴフィルメンテ様の勝ちなのでしょうけど)


 王子を護衛する騎士が負けると体面に係わるからか、ある程度戦いが進んだところで、アビズサビドゥリアが中止を呼びかけて、模擬戦は終わりとなった。

 引き分けという結果に終わったものの、戦った二人には遺恨は残らなかったようで、模擬戦の後でお互いの技量についての感想戦までやっていた。

 その後は、場を整えての晩餐会となったのだが、そこにバジゴフィルメンテの姿はなかった。


(屋敷の料理は口に合わないからと辞退する申し入れがあったというけれど)


 それは本当のことだろうかと、アマビプレバシオンは疑った。

 しかし、バジゴフィルメンテが出ないと伝えられて、父親のオブセイオンが慌てた顔をしていた。

 だから恐らく、バジゴフィルメンテが晩餐会を辞退したのは、本当のことなんだろう。

 バジゴフィルメンテが今までおかれた境遇を考えれば、晩餐会の辞退は仕方がないことだと思える。


(王族との顔見せだというのに、訓練着のような格好でしたもの)


 恐らくは、あれがバジゴフィルメンテが所有する、一番良い格好なのだろう。

 あのような格好しか許されない状況に置かれれば、父親に意趣返しの一つもしたくなっても変じゃない。

 アマビプレバシオンは、そう晩餐会での出来事を受け取った。


(それにしても、あの護衛騎士の感想ですけど)


 模擬戦を通じて、バジゴフィルメンテは不適職者か否かの判定を、アビズサビドゥリアに命じられていた。

 そして護衛騎士が下した判定は『天職の力は使えるも、天職に身を任せている感じはない』という、不思議なものだった。

 天職の力は、天職に体を預けないと得られないもの。常識ではそうなっている。

 しかしバジゴフィルメンテは、その常識から外れていた。

 どうやって天職に体を預けないまま、天職の力を引き出しているのか。

 そして、その方法を知れば、天職『太夫』の力の他人を魅了する部分だけを抑制できるのではないか。

 アマビプレバシオンは、バジゴフィルメンテに強く興味を抱いていた。

 丁度そこに、アマビプレバシオンが遣わした侍女が戻ってきた。


「姫様。バジゴフィルメンテ様との面会の約束を取りつけました」


 喜ばしい報告のはずが、侍女の面持ちは鎮痛なものだった。


「面会に際して、なにか条件を出されたの?」


 この侍女が悔いる顔をするほどの、とんでもない条件なのだろうか。

 アマビプレバシオンはそう疑ったが、侍女は首を横に振った。


「条件は、バジゴフィルメンテ様が暮らす場所での面会という一点だけです。ですが、その」

「殿方のお部屋にお邪魔するのははしたないとか、そういう話かしら?」

「違うのです。その、バジゴフィルメンテ様は、あばら家にお暮しで」


 アマビプレバシオンは『あばら家』という単語を聞いて、すぐに想像力が働かなかった。

 なにせアマビプレバシオンは、自身の天職『太夫』に問題はあっても、王家の家族に愛されて育った少女だ。

 貧乏暮らしに関係する事象を目にする機会など、この旅の道中で馬車の窓越しにみたぐらいの、ごく稀にしかなかったのだから。


「あばら家って、粗末な家って意味の、あれよね?」

「そうです。王城にある家畜の厩舎よりも貧相な小屋で、暮らしておられうようでした」


 その報告にアマビプレバシオンは、オブセイオンのやり様に怒りを覚えた。


「実の子に、そんな場所で暮らさせるだなんて」


 と憤ったところで、侍女から注意を受けた。


「ですが、姫様。貴族の不適職者の扱いは、厳しいところでは、このぐらいは当たり前なのです。もっと悪いところでは、それ以下の扱いも」


 侍女は言葉を濁したものの、粗末な小屋暮らし以下となれば、それは命に係わる扱いということだ。

 アマビプレバシオンは賢さから、その事実に気づいてしまう。


「そういう、ものなの?」


 衝撃的な事実を確認するための問いかけに、侍女は重々しく頷く。


「辺境貴族では戦闘職でない嫡子は一段下の扱いをされると聞きます。我が生家は先祖代々王家に出仕してきた貴族ですが、王家の役に立たない天職の子は余所へと送られ、役に立つ天職でも学園卒業までに天職に体を長時間預けられるよう求められます」


 それが貴族の社会であり、不適職者はその社会の枠には入れないと、侍女は説明した。

 貴族社会の外に出す際に、不適職者の命を取る取らないは、各貴族家によって違うとも付け加えた。

 そこまで説明されて、バジゴフィルメンテが晩餐会を欠席した理由に別の可能性があることを、アマビプレバシオンは気づいた。


「もしかしてバジゴフィルメンテ様は、食事の席で毒を盛られる可能性を考えて、晩餐会を欠席したの?」

「有り得ます。バジゴフィルメンテ様の側付きの使用人にそれとなく事情を聞いたところ、父親のオブセイオン様から何度か命を狙われた話を聞けましたので」


 その衝撃的な話に、アマビプレバシオンは眩暈を覚えた。

 実子を殺そうとする親がいるなんて、まるで別の世界の話のようだと。

 加えてアマビプレバシオンは、天職『太夫』に問題があるとい理由で命を狙われないよう、父母に守られているのだと実感して。


「バジゴフィルメンテ様の境遇には悲しさを覚えますが、私は私の目的のために行動しなければ」


 アマビプレバシオンは気合を入れなおすと、バジゴフィルメンテの薪割り小屋へと向かうことにした。

 完全に身を彼女の天職に預けた状態の侍女に先導されて、部屋から屋敷の外へと移動していった。



 バジゴフィルメンテの薪割り小屋は、アマビプレバシオンの主観からすると、みすぼらしい小屋でしかなかった。

 そんな小屋の前で、バジゴフィルメンテは青銅剣を握って素振りをしていた。

 汗で衣服が濡れないようにするためか、上半身は裸になっている。そして長時間剣を振るっているのか、その肌からは汗が流れて湯気が立ち上っている。

 夜に星と月の光に、バジゴフィルメンテの女性的な顔立ちと男性的に鍛えられた肉体が照らしだされ、一種幻想的な光景になっている。

 王城や王都の教会にある、神の絵姿。

 想像で描かれたものであるからこそ、その神の姿は男性にも女性にも見える様に描かれている。

 そんな神の絵のようだと、アマビプレバシオンはバジゴフィルメンテの剣振りの姿を見た。

 アマビプレバシオンが見惚れていたと表現していい気持ちになっていると、バジゴフィルメンテは来客に気づいて剣振りを止めてしまった。

 そして汗に濡れた体を荒布で拭くと、上半身に衣服を着てしまった。


「お待ちしておりました。僕になにか聞きたいことがあるそうですね」


 バジゴフィルメンテの問いかけを受けても、アマビプレバシオンの心の中には『あの光景を見ていたかった』という気持ちがあった。

 しかし、確りしないとと気持ちを切り替えて、アマビプレバシオンは淑女の礼をバジゴフィルメンテへ送った。


「夜分に失礼いたします。バジゴフィルメンテ様は率直な御方だと見込み、前置きなしで質問させていただきます。聞きたいこととは、バジゴフィルメンテ様の天職についてです」

「不適職者が護衛騎士の盾をボロボロに出来たことに納得がいかない、という苦情ですか?」


 バジゴフィルメンテからの人柄を試すような言葉に、アマビプレバシオンは首を横に振る。


「私が知りたいのは、そこではありません。天職に身を預けないままに、天職の力を引き出せているという点です」


 バジゴフィルメンテは、予想外のことを言われたとばかりに、目を瞬かせた。


「天職に身を預けてなにも感じない人であれば、聞く必要のないことだと思いますが?」


 バジゴフィルメンテの視線は、アマビプレバシオンの傍らにいる侍女へ向けられる。

 侍女は自身の天職に完全に身を預けた状態で立っている。

 その侍女のように、天職に体を長時間預けられることは、王城で働く人の必須の技術として広く認知されている。

 つまり王家は、人が天職に身を委ねることを推奨しているということ。

 だから王家の一人であるアマビプレバシオンは、天職に身を委ねることを良しとしちるのではないか。

 そんな推論をバジゴフィルメンテが展開しているのだと、アマビプレバシオンは感じた。

 だからアマビプレバシオンは、首を横に振るった。


「実は、私の天職『太夫』に少し問題があるのです。その問題解消のために、バジゴフィルメンテ様に天職のお話が聞きたいんです」


 事情を説明されて、バジゴフィルメンテ様は首をかしげる。


「『太夫』? 聞いたことのない天職ですね」

「それもそうでしょう。王城の記録簿をひっくり返しても、三例しか確認できなかった、貴方の『剣聖』より出現数が少ない、珍しい天職ですから」

「三例だけですか。でも前例があるのならば、その問題にも対処できるのではありませんか?」


 当然の疑問だと、アマビプレバシオンは頷き、そして首を横に振った。


「その三例。それぞれの天職所有者が辿った道のりは、全く別々だったのです」

「どう違ったんです?」

「ある者は、王に仕えた稀代の忠臣で、当時の王が手記にて絶賛する方でした。別の者は、謎の天職を与えられた者として市井で暮らし、幸せな一生を送ったようです。またある者は、神殿の奉公人として絵や歌を披露して評判になったとか」


 同じ天職を与えられた人物とは思えない、三つの人生。

 それを聞いた後で、バジゴフィルメンテは質問した。


「それで、アマビプレバシオン姫様の『太夫』には、どんな問題があるんですか?」


 とうとう問われたしまったと感じながら、アマビプレバシオンは返答する。


「私が『太夫』に任せて踊りを披露したところ、多数の人々が我を忘れるほどに魅了されてしまったのです」


 その説明に、バジゴフィルメンテは疑問と納得の両方を得た顔になる。


「三つの先例とはまた違った感じですね。ですが、踊りで人を虜にしてしまうなんて困るということはわかります」


 ここでバジゴフィルメンテは言葉を切ると、深く悩む顔になった。

 何について悩んでいるのか。

 アマビプレバシオンが予想を立てるより前に、バジゴフィルメンテは結論が出た表情に変わった。


「良いでしょう。僕が実践している、天職を自分の意に従わせるやり方をお教えします」


 バジゴフィルメンテが説明を始めようとするが、アマビプレバシオンは手を挙げて『待った』をかけた。


「天職を『従わせる』? そんなことが出来るだなんて初耳です?」

「でも実際に、僕は天職の力を引き出せていますよね。天職に身を任せた護衛騎士の鋼鉄の盾を、この青銅剣で傷つけることが出来たんですから」


 戦闘職の天職に身を任せることで天職の力を発揮する者は、天職の力でないと傷つけられない。そして鋼鉄の盾の硬さは、青銅剣では傷つかない。

 その両方の理を無視するように、バジゴフィルメンテは護衛騎士の盾を大いに傷つけた。

 そんなことを可能にするのは、やはり天職の力でしか有り得ない。

 そう考えると、バジゴフィルメンテが天職を従わせているのだという説明に納得感が出てくる。


「天職を従わせるのと、天職に身を預けるのとでは、何が違うのです?」


 どちらも天職の力を得られるのならば、天職に身を預けてしまった方が楽ではないか。

 アマビプレバシオンの問いかけに、バジゴフィルメンテは首を横に振る。


「天職『剣聖』と僕とでは、剣の振り方や物の斬り方の好みが違うんですよ。自分の好きなように、好きな行動を取るには、従わせるしかないんです。でも悔しいことに、未だに『剣聖』の方が剣振りや斬り方が巧みなので、その振り方や斬り方を参考にしないと従わせることすら難しいんですけどね」


 先ほど汗だくになりながら剣を振るっていたのも、『剣聖』の技術を追い越すためなのだと理解できた。


「つまり、我が侭を通すために、不必要な苦労を払っているわけですか?」

「まさにその通り。僕のような偏屈者じゃないのなら、天職に従った方が『楽』ですよ」


 バジゴフィルメンテは忠告をするような口調ではあったが、その中に少し嘲りがある感じを、アマビプレバシオンは受けた。

 まるで、天職に従うなんて選択はつまらないと、その選択をする奴は愚かだと、そういう気持ちが潜んでいるかのように。

 そんな口調の後で、バジゴフィルメンテは話を『太夫』に戻した。


「でも僕の天職を従わせる方法なら、『太夫』の人を魅了する力を発揮させないように出来るかもしれないのは確かですよ。僕が『剣聖』が提示する気に入らない斬り方を無視しながらも、天職の力を発揮できているんですから」


 天職に身を委ねれば、天職は全ての力を発揮してしまう。所持者の望む望まずに拘わらず。

 しかし天職を従わせる方法ならば、従わせる苦労をすることが必須ではあるものの、所持者の望む天職の力だけを使えるようになる。

 アマビプレバシオンがどちらを望むのかなど、言うまでもない。


「教えてください。どうすれば天職を自分の意思で扱えるようになるのか」

「いいですよ。ですが僕が教えられることは、取っ掛かりにすぎません。僕の天職は『剣聖』であって『太夫』じゃないですからね。『太夫』の従わせ方は、アマビプレバシオン姫様がご自分で『太夫』と語り合う必要があるんです」


 そんな抽象的な発言の後で、バジゴフィルメンテはちゃんと天職との向き合い方を教えてくれた。

 アマビプレバシオンにとっては目が開くような説明の連続だったが、それが『入門編』でしかないことも理解した。

 それと同時に、天職を従わせるのには並々ならない努力が必要であることも。

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