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10.兵士との模擬戦

 ラピザがバジゴフィルメンテの薪割り作業を眺めていると、兵士三人が薪割り小屋に近づいてくる姿が見えた。

 バジゴフィルメンテも気づいた様子で、薪割りに使っていた青銅剣を腰の鞘に戻す。

 兵士たちは、ラピザとバジゴフィルメンテの近くにくると、無礼な態度で用件を告げてきた。


「プルマフロタン辺境伯様がお呼びだ。今すぐ、ついてこい」


 兵士の言葉に、ラピザとバジゴフィルメンテはお互いに顔を見合わせる。

 そして、一応はバジゴフィルメンテ付きのメイドだからと、ラピザが兵士に声をかける。


「ワタシとバジゴフィルメンテ様。どちらへの用件でしょう?」


 ラピザの疑問に、声をかけてきた兵士が苛立った顔になる。


「二人ともだ。ついてこい」


 端的にしか言葉を話さない兵士に、ラピザとバジゴフィルメンテは肩をすくめ合うと、大人しく先導されることにした。

 話しかけてきた兵士を先頭に、他二人がラピザとバジゴフィルメンテの背後について歩く。

 その隊形は、まるでラピザとバジゴフィルメンテが逃げ出さないように、囲んでいるかのよう。

 ラピザは直感的に、またオブセイオンが碌でもないことをやろうとしていると理解した。

 一方でバジゴフィルメンテは、特に何も感じていない平然とした表情をしていた。

 そして兵士たちは、オブセイオンが呼んでいると言っていたにも拘らず、本邸ではなく兵士の訓練場へとラピザとバジゴフィルメンテを案内した。

 訓練場には、オブセイオンと新たな兵士が二人立っていた。

 その二人は、バジゴフィルメンテが小屋暮らしを始めた二年前ぐらいから、めきめきと頭角を現し出した兵士の中でも強いと評判の者たちだ。

 ラピザは、その面子を見て、なんとなくオブセイオンがやろうとしていることを察した。


「あの兵士たちで、オブセイオン様をコテンパンにしてやろうとしているんでしょうね」


 ラピザが声を潜めて予想を告げたが、バジゴフィルメンテの視線はあらぬ方向を向いていた。

 ラピザがバジゴフィルメンテの見ている方に視線を向けると、そこには綺麗なドレスを来た黒髪の美女が椅子に座っていた。

 その美女の傍らには、ティーセットが置かれた小机があり、メイドが大きな日傘を掲げて立っている。少し離れた場所にも、使用人が五人いる。

 ラピザは、その美女を見て驚いた。


「あの方は、バジゴフィルメンテ様やハッチェヒマオのお母上様ですよね?」

「そうだね。相変わらず、何も考えてない顔をしているや」


 バジゴフィルメンテが小さく呟くと、ここで彼の母親がにこやかにバジゴフィルメンテへと手を振ってきた。

 その様子は、バジゴフィルメンテが薪割り小屋暮らしを二年もしていることを知らないような、とても朗らかなもの。

 むしろ、この訓練場で何が行われようとしているのかすら、考えもしていない能天気さがあった。


「きっと、僕をこのところ見てないってつい最近に気づいて、顔を見たいって父上に強請ったんだろうな。それで父上は、ちょうど呼びつける用事もあったしと、連れて来たんだろう」

「オブセイオン様は、バジゴフィルメンテ様を痛めつける様子を母親に見せる気なんですか?」

「いや。母上のことだ。僕の顔を見れたから、もういいやって、すぐ帰ると思うよ」


 バジゴフィルメンテの言葉が真実であると、彼の母親はカップにあるお茶を飲み干すと、席を立って本邸の方へと歩いて行ってしまった。

 日傘を持つメイドが後についていき、五人の使用人が小机とティーセットを片付けて持って行った。

 その様子の一部始終を見て、ラピザは呆れた顔になる。


「あの方。母親であるという自覚があるのでしょうか」

「ないと思うよ。それなりの血筋で、欲深いことを考える知恵がない人を嫁に選んだって、父上が語ったことあったし」

「欲どころか、まともな知恵のある方のようには見えませんでしたが?」

「落ち目の辺境伯家に嫁がせるのは、他では許容されない出来の人で十分ってことでしょ。もっとも、父上と母上はうまくいっているようだけどね」

「一年ほど前にも、お子が生まれていましたね。女児だったはずです」

「僕と同じく、母上譲りの黒髪の女顔だったよ。あっちは女の子だから、将来美人になって求婚先に困らないはずさ」

「見に行ったのですか?」

「夜にこっそりと、人目を盗んでね」


 そんな会話を二人がしていると、オブセイオンが怒鳴り声を放ってきた。


「何時までそこにいる気だ! こっちに来い!」


 何を怒鳴っているのだろうと、ラピザとバジゴフィルメンテは顔を見合わせると、仕方がないとばかりにオブセイオンの方へと歩き寄った。

 そしてバジゴフィルメンテから声をかけた。


「それで父上。今日の用はなんでしょうか。珍しい場所で、珍しく兵士を引きつれているご様子ですけれど」


 その疑問に、オブセイオンが傍らの兵士二人を指す。


「たまには父親らしいことをしてやろうと思ってな。この二人は、我が辺境伯家が抱える兵士の中で一、二の猛者。お前の訓練の相手に丁度いいだろう」


 オブセイオンは自信たっぷりな様子。

 しかし兵士二人は、逆に緊張感を抱いている、硬い表情をしている。

 ラピザは、兵士の態度が硬い様子について、バジゴフィルメンテを傷つけろや殺せと命じられているからだろうと予想した。

 だからラピザはバジゴフィルメンテに警告しようとして、バジゴフィルメンテの表情を見て止めた。

 バジゴフィルメンテの顔は、兵士二人との戦いに怖気づくどころか、自分の腕前を試せる相手が来たことに輝いていたからだ。


「バジゴフィルメンテ様。やりすぎないでくださいよ」

「弁えているって。あの二人へ辺境伯家の兵士。殺したり、欠損させたりはしないよ」


 それ以外はやると言っている気がして、ラピザは吐きそうになった溜息を堪えるだけに留めた。



 バジゴフィルメンテと兵士二人の戦い。

 ラピザはてっきり、兵士一人ずつ順番に戦うものだと思っていた。

 しかし、兵士たちは槍を構えると、二人ともバジゴフィルメンテへと突っ込んでいった。もちろん槍は、模擬戦用の木槍ではなく、殺傷用の本身の槍だ。

 更に見れば、兵士たちの表情は、先ほどまでの硬いものから一変して、無表情なものになっている。つまり、あの兵士たちは彼らの天職に身を任せた状態であるということ。

 間合いが長い槍と、天職に身を任せられる相手が二人。

 武器が青銅剣で一人だけのバジゴフィルメンテは、圧倒的に不利だ。


「でも、そんな不利が不利じゃないのが、バジゴフィルメンテ様なんですけどね」


 ラピザが零した独り言の通りに、バジゴフィルメンテは兵士二人の攻撃を簡単に避けていく。

 槍の突きは剣で逸らし、槍の振り回しは間合いのギリギリ外に退避してやり過ごす。

 顔に、胴体に、足にと、攻撃する度に槍の狙いが変わるが、バジゴフィルメンテはその全てに対応する。

 そのうえで、避けてばかりじゃ芸がないとでも言いたげに、兵士の攻撃に合わせて反撃する。

 その反撃の仕方は、バジゴフィルメンテんが行う日頃の訓練の様子からすると、とても荒々しくて拙いように、ラピザには見えた。

 そんな拙い剣技では、天職の力が発動するはずもない。

 ラピザがそう感じた通りに、バジゴフィルメンテが振るった青銅剣の切っ先は、兵士が槍を握る手に当たったものの、あっさりと弾き返されてしまった。

 魔物を倒すのに天職の力が必要なように、天職の力を発揮する人を傷つけるにも天職の力が要るのだから、天職の力がない攻撃が弾かれるのは当然の結果だ。

 しかしバジゴフィルメンテは、自分の攻撃が通用しなかったことに対して、逆に嬉しそうな顔になっている。


「ああ、なるほど。綺麗な剣技でなければ天職の力が乗らない。なら荒い剣技で戦えば相手を傷つけないように訓練が積める、ってことですか」


 ラピザが見抜いた通りに、バジゴフィルメンテは兵士を訓練相手に使っていた。

 兵士の攻撃を躱す動きは、天職『剣聖』が認めるであろう見事さを披露する。逆に攻撃は、兵士の急所を狙いこそしても、天職の力を乗せないように配慮した荒々い剣技で叩く。

 その結果、どういう光景になるかというと、天職に身を任せた兵士二人が延々とバジゴフィルメンテに翻弄される絵面が展開されている。

 しかし、永遠かつ長々と、その光景が続くわけではなかった。

 バジゴフィルメンテの攻撃は、どうせ傷つかないからと、兵士たちの急所――目や喉や股間を遠慮なく突く。

 その攻撃は兵士たちの体を傷つけることはない。

 しかし急所に剣を当てられる恐怖は、兵士たちの心に確実に積もっていく。

 加えて、体を任せている彼らの天職がバジゴフィルメンテを捉えきれていない事実が、徐々に天職に対する不安と不信へと繋がっていく。

 そして人間は、不安や不信なものを相手を頼り続けることはできない生き物だ。


「うおおおおっ!?」


 兵士の一人が、心に積み上がった恐怖と不安によって、天職に身を任せることを止めてまで槍でバジゴフィルメンテの攻撃を防いだ。

 その事実を見て、バジゴフィルメンテはその兵士の頭を回し蹴りで攻撃し、頭と脳を揺らさせて失神させた。今の彼の状態で青銅剣を受けると、バジゴフィルメンテの攻撃に天職の力が乗ってなくても、致命傷になりかねないので配慮したのだ。

 仲間の兵士がやられたことで、もう一方の兵士も天職に身を預けることが難しいくなった。

 しかしその兵士は、顔に覚悟の表情を浮かべると、再び天職に自身を預けることを選択した。

 バジゴフィルメンテは、その選択を賞賛するように満面の笑顔を返し、そして攻撃した。

 兵士は槍で攻撃し続け、それが効果ないと知るや、槍を手放して剣での勝負に切り替える。剣だけでも無理だと分かるや、相手の足を踏もうとしたり、地面の土を蹴りかけたりと、荒っぽい戦法も取るようになる。

 しかしバジゴフィルメンテは、その全てに対応しきってみせた。

 そうした攻防が続くが、とうとう兵士に限界がきた。

 体を任せれば、天職は理想の動きを実現してくれる。しかしそれは、天職の持ち主の体のことを考えない動きでもある。

 運動不足な体では理想の動きに耐えられずに悲鳴を上げるし、体を鍛えている人でも長々と戦闘状態は維持できない。


「――ぜえ、はあ!」


 兵士の口から、急に荒々しい呼吸が出た。

 天職に動きを任せていた体の体力が底をつき、大量の呼気を体自体が要求し始めたのだ。

 もうこうなると、呼吸を優先するしかなく、天職に体を任せることはままならない。

 バジゴフィルメンテは、兵士の体力が尽きたことに残念そうな顔をしながら、青銅剣の側面で兵士の頭部を強く打って失神させた。

 その後で、バジゴフィルメンテは剥き身の剣を持ったまま、オブセイオンに近づいていく。

 オブセイオンは、十二歳の少年が剣を手に近寄ってくる姿に恐怖した。


「お、おい! バジゴフィルメンテを止めろ!」


 その号令に、バジゴフィルメンテとラピザを案内した兵士三人が、バジゴフィルメンテとオブセイオンの間に割って入ってきた。

 そんな彼らに、バジゴフィルメンテはにっこりと笑うと、一人は剣の腹で攻撃し、一人は剣の柄尻で叩き、一人は片手投げで地面に叩きつけて失神させた。

 瞬く間に兵士三人を追加で倒し、バジゴフィルメンテはオブセイオンに近づく。

 オブセイオンは、この場に自分を助けてくれる者が他にいないと悟ると、捨て台詞と共に走り逃げ始めた。


「お前が調子に乗っていられるのも、あと少しだぞ!」


 口では勇ましいようなことを言ってはいるが、現実は味方の兵士を見捨てて逃げる腰抜けでしかない。

 バジゴフィルメンテは、そんなオブセイオンの姿を見て、溜息を出しながら手の剣を鞘に納めた。


「近づいて、訓練のお礼を言おうとしただけなんだから、あんなに逃げなくてもいいのに」


 その言葉に、ラピザが突っ込みを入れた。


「剥き身の剣をてに近づいていくので、てっき、バジゴフィルメンテ様はオブセイオンを亡き者にしようとしているのだと思ったんですけど?」

「ええー。実の父親を理由もなく手にかけたりしないって」

「理由はあるのでは? 薪割り小屋に押しやられ、貴族としての教育も受けさせて貰えず、食事もまともに用意されていないのですから」

「そのどれもに対して、僕は困ってないけど?」

「仮に同じことをやられたら、それを命じた者に復讐する。オブセイオン自身が、そう感じていたとしたら、怖気づくのは当然ではないでしょうか」

「なるほど、そういう考えもあるのか」


 自分にはない視点だと納得した後で、オブセイオンはラピザに新たな質問をする。


「ということは、父上はまた何かやってくると?」

「オブセイオンの手駒の中で一番二番の強者を倒したんです。次は、外から呼び寄せるんじゃないですかね」

「僕を倒せそうな人をってことだよね。それはそれで楽しみだなあ」


 オブセイオンの自分が殺されるとは考えていない――いや、殺されるような状況で剣技を磨くことをよしとする考え方に、ラピザは呆れるしかなかった。

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