9.ハッチェマヒオ・セック・プルマフロタン
ラピザがバジゴフィルメンテの暗殺の任務から降りた。
これでバジゴフィルメンテの安泰が約束された――わけではなかった。
「おい、サンテ! 勝負だ!」
そんな声を耳がした方向に、薪割り小屋にて森から持ってきた丸太を割っていた手を止めてから、バジゴフィルメンテは顔を向けた。
そこには、三人の姿があった。
全身鎧を着こんだ兵士が一人。神経質そうな顔立ちで貴族服を着た中年が一人。そして、バジゴフィルメンテと歳が変わらなそうな背格好の少年が一人。
そして、指を突きつけてきていることから、その少年が発言者なのだと分かった。
バジゴフィルメンテは、薪を割るために使っていた青銅剣を腰の鞘に納めてから、その少年に向き直った。
「やあ、セック――半年前に元服して、名前がハッチェマヒオになったんだったね。それで、どうしたんだい?」
バジゴフィルメンテが語りかけたように、その少年の名前はハッチェマヒオ・セック・プルマフロタン。バジゴフィルメンテの一歳下の弟である。
しかしながら、バジゴフィルメンテとハッチェヒマオの顔立ちは全く似ていない。
バジゴフィルメンテが母親似の女性っぽい細い顔立ちなのに対して、ハッチェヒマオは父のオブセイオンに似た骨太で男らしい顔立ちをしている。髪色と髪型も、母親譲りの艶やかな黒髪を肩まで伸ばしているバジゴフィルメンテと、オブセイオンと同じ焦げ茶の髪を短く刈り込んでいるハッチェヒマオで、対照的だ。
そんな似ていない兄に対して、弟のハッチェヒマオがもう一度指を突き付ける。
「だから勝負だ! この僕様が、サンテより優秀なところを見せてやる!」
ハッチェヒマオの宣言に対して、バジゴフィルメンテは疑問顔を返す。
「どんな方法でだい? 模擬試合でもするのかな?」
バジゴフィルメンテはハッチェヒマオに言いながらも、視線はハッチェヒマオの隣にいる大人二人に向けていた。
その二人の大人は、ハッチェヒマオの戦闘技能を教える教育係。
唐突な勝負宣言は、この二人の入れ知恵ではないかと、バジゴフィルメンテは疑った。
しかし二人の教育係は、首を横に振って返してきた。
ここでバジゴフィルメンテは、ハッチェヒマオが来た理由は、自身を毛嫌いする父親に何か言われてのことだと察した。
「辺境伯家の跡継ぎはハッチェヒマオだから、僕に負けないよう頑張れと言われたのかい?」
「父上が期待してくれているのは、サンテではなく、僕様ってことだ」
父親の関与をあっさりとばらした言葉に、バジゴフィルメンテは苦笑いを浮かべる。
しかし、父親の所業について説明しても仕方がないと判断して、勝負の話に戻ることにした。
「それで、勝負って何をするんだい?」
「この僕様の天職は『斧術師』だ。つまり、斧と術の威力を見せつけてやる」
それって勝負なのかなと、バジゴフィルメンテは疑問顔。
そんなバジゴフィルメンテの様子を目に入れずに、ハッチェヒマオは薪割り台――大きな丸太の前に歩き寄った。
すると、教育係の兵士が斧をハッチェヒマオに手渡した。魔物と戦うときに使う戦斧でも、魔境の森の木を切り倒すための大斧でもなく、十歳の少年の手で十分扱えるぐらいの手斧だ。
ハッチェヒマオは、その手斧の柄を両手で握って構える。
その構えを見て、もう一人の教育係が、薪割り台に新たな薪を置いた。
次の瞬間、ハッチェヒマオが大きな声を上げた。
「はあああああああああ!」
大声をあげながら、手斧を振り上げ、そして振り下ろした。
薪割り台の上の薪に、手斧の刃が入り込み――薪の半ばほどで止まった。
予定していた結果とは違ったのか、ハッチェヒマオと教育係二人は、数秒間、時が止まったように動かなかった。
その後でハッチェヒマオがいそいそと動きだし、薪を踏んで固定してから手斧を引き抜くと、再び両手で手斧を振るって薪に叩きつけた。
先ほど半分は割れていたこともあり、今度の一撃で完全に薪が両断された。
二つに割れて薪割り台から転がり落ちた薪を見て、ハッチェヒマオは自信を取り戻した様子で胸を張る。
「どうだ。これが僕様の力だ。凄いだろ!」
天職を授かるまで、ハッチェヒマオは斧を扱ったことはなかった。
だから天職を得て半年の間に、十歳の子供が一人で湿った薪を斧で叩き割れる、その技量を身に着けた。
これは確かに誇れることだろう。
バジゴフィルメンテは、弟の成長を喜ぶ兄らしく、拍手でハッチェヒマオの努力を称えた。
するとハッチェヒマオは調子に乗った様子になり、教育係に次の薪を台に置くように指示した。
「僕様の力は、こんなものじゃないんだ。次が本命だよ!」
ハッチェヒマオは再び手斧を振り上げると、今度はすぐに振り下ろすのではなく、少しだけ溜めを作った。
ハッチェヒマオが溜めを行っていると、大上段に振り上げた斧の刃から微かな風が吹き始めた。
その風を感知してから、ハッチェヒマオは大声をあげながら手斧を振り下ろした。
「風刃斧撃!」
刃から風を吹く斧が薪に叩きつけられ、先ほどは二撃で割った薪が、今度は一回で真っ二つになった。
それを見て、バジゴフィルメンテは再び拍手を送った
「斧術師の術の部分だね。斧から風を出して攻撃するみたいだね」
「それだけじゃないぞ。もっと練習してもっと術を覚えれば、斧から火を出したり、水を出したりできるんだ。筋肉をムキムキにすることだってできるんだぞ」
どうだと胸を張るハッチェヒマオに、バジゴフィルメンテは心から賞賛して拍手を送っている。ハッチェヒマオの教育係二人も、上々にハッチェヒマオの実力が披露できたことに対して、拍手を送る。
そんな心温まる光景に、水を差すようなことを言う人物が一人。
暗殺任務から解放されても、バジゴフィルメンテ付きのメイド業務はそのまま継続している、ラピザだ。
「それ、天職の力じゃないですよね。天職に身を委ねられないなんて、不適職者なんじゃないですか?」
嫌味な発言に、鳴り響いていた拍手が止まった。
バジゴフィルメンテは野暮なことは言うなという視線を、ハッチェヒマオは失礼な奴だといった目を、教育係二人は物を知らない人を咎める目を向けた。
そしてメイド相手ならと、教育係の神経質そうな方の男性が文句をつけてきた。
「あのですね。天職を得てすぐに、天職に身を委ねらるはずがないでしょう。十三歳までに数秒、学園を卒業したあたりで半刻ほど、天職に身を預けられるようになれば、優秀な部類なんですよ」
その発言を受けて、ラピザは視線をバジゴフィルメンテに向ける。
「バジゴフィルメンテ様は、天職を授けられてすぐの頃に、父親から不適職者って見做されたんですけど?」
「それは簡単な話ですよ。授けられた天職が戦闘向きであった場合、その天職に見合った武器を手から取り落とす。それこそが不適職者の証なのですからね」
初めて耳にする論拠に、ラピザは突っ込みを入れる。
「手から武器を取り落としたら不適職者なんですか? 手を滑らせることなんて、良くありそうですけど?」
「メイドを職にするような、非戦闘職の方には理解できないでしょうが。戦闘向きの職を得た後は、天職の加護によって、手を滑らせて武器を落とすなんてことは起きないのですよ。自ら手放したり、誰かに弾き飛ばされでもしない限りはですがね」
ラピザは戦闘向きの天職で『暗殺者』を授かっているが、その発言を疑った。
天職『暗殺者』は、標的を殺すことに特化している。
だからラピザが『暗殺者』に身を任せても、標的の油断を誘うために武器を自然と取り落としたりや不意に転んだように見せかけるなどの偽装をやる。
それこそ身を任せているラピザ本人すで、素で武器を落としたり転んだのか、それとも演技なのが判別できないほどの自然さでだ。
そのため『戦闘向きの天職者は武器を取り落としたりしない』という言葉が、合っているという確信が抱けない。
でも、バジゴフィルメンテが不適職者だと思われた理由について納得した。
まさか『天職に体を動かされるのが我慢ならない』からと『教会にて大勢の目の前で自分の意思で剣を手放す』なんてことをやったなんて、誰も思わない。
ここでラピザは、ふと思いついたことがあった。
もしかしてバジゴフィルメンテは、不適職者だと誤解されるように、わざと教会で下手を打ったんじゃないだろうか。
よくよく考えてみれば、バジゴフィルメンテの今置かれた状況は、バジゴフィルメンテにとって悪い状況じゃない。
不適職者だと見做されたことで、いままで行われていた貴族の教育の一切がなくなった。寝床は薪割り小屋があり、食料は魔境の森から得たり、魔物の素材を冒険者組合に売った金で街で調味料や衣服が調達できるため、衣食住には困っていない。
薪集めにしても森で木を斬ったり魔物を斬ったりは苦労なく行えているし、薪割りにしても据え置き斬りの標的に最適だ。
そして薪集めの仕事が終われば、後は自由時間。
バジゴフィルメンテは、その自由時間で、飽きることなく剣を振り続けている。そして時間をかけた分だけ、バジゴフィルメンテの剣の腕前は伸び続けている。
つまるところ、剣の道を進むために不自由ない環境が、既に構築されていた。
「……バジゴフィルメンテ様って、剣術馬鹿なんですか?」
「なんですか、いきなり。その自覚は、多分にありますけど」
急に話を振られたバジゴフィルメンテが驚きながら苦笑いすると、神経質そうな方の教育係が声を張り上げた。
「つまり、そこの辺境伯家長男は不適職者だからこそ、辺境伯家を継ぐのに相応しくないのです」
教育係としてハッチェヒマオに辺境伯家を次いで欲しいからか、それとも辺境伯家にとってそれが最善だと思っての発言か。
どちらにせよ、ラピザはその発言に同意した。
「そうですね。バジゴフィルメンテ様は、領主の座に座っているよりも、魔境の森の中で魔物を斬り捨てている方が似合いますし」
「酷いなあ。でも僕としても、魔物を殺すことで領地の役に立ちたいから、否定できないね」
仲良さそうに言葉を好感する、ラピザとバジゴフィルメンテ。
その様子に、神経質そうな教育係は、毒気を抜かれたような顔になる。
「後継者失格という烙印を押されて、悔しいとは思わないのですか?」
そう問いかけられて、バジゴフィルメンテは首を横に振った。
「僕は僕自身がやるべきことを定めている。その中に、辺境伯の当主になるって目的はないからね」
「では、やるべきこととは、なんなのです?」
「それはもちろん、俺が天職『剣聖』を従わせることだよ」
「天職を従わせる……」
そんな考えを持ったことすらないと、教育係は絶句した。
ここで、会話に入れなかった、ハッチェヒマオが喜々と参加してきた。
「馬鹿だなあ、サンテは。天職ってのは、自分の代わりに体を動かしてくれる、便利な奴なんだぞ。従わせちゃったら、体を動かしてくれるってこと、やってくれなくなるだろ」
「ハッチェヒマオの言う通りだね。でも僕は、天職が僕の体を操ることに我慢ならないんだよ。たとえ、今の僕よりも上手く体を使ってくれるとしてもね」
「天職に体を任せれば、楽で強いのに?」
「自分の努力で、苦労して強くなりたいのさ」
ハッチェヒマオは、バジゴフィルメンテの理屈が理解不能という顔になった。
「ふんっ。サンテは不適職者だ。その考えなんて、分からなくて当然か。もういいや。おい、帰るぞ」
ハッチェヒマオはそう告げると、手斧を持った状態で踵を返して、屋敷の本邸がある方へと歩き始める。
教育係二人は、ハッチェヒマオの後を追いかけていった。
そうして不意の闖入者たちが消えたので、バジゴフィルメンテとラピザは日常へと戻ることにっした。
バジゴフィルメンテは森から持ってきた丸太を青銅剣で割って薪にしていき、ラピザは小屋の中でアルミラージと化け茸と根野菜を煮ているスープの具合の確認を続けることにした。