前へ次へ
10/46

8.暗闘

 ラピザがバジゴフィルメンテの暗殺を命じられて、半年が経過した。

 ここまでラピザは、のらりくらりと命令を無視してきた。

 やれ、人の目があった。やれ、魔境の森で人間の死体を出すと魔物が街までやってくる。やれ、天候が悪かった。

 そうした言い訳をし続けてきた。

 しかし、一年後にはバジゴフィルメンテを戦闘職を教育する学園へ送らなければいけない時期になり、とうとうオブセイオンに我慢の限界がきた。


「いつになったら、バジゴフィルメンテを殺すのだ!」


 呼びつけられて執務室までやってきたラピザに、オブセイオンは怒声を浴びせかけた。

 しかしラピザは、オブセイオンの怒りの声など効かない。

 なぜなら、ラピザの腕前でオブセイオンは楽に殺せるからだ。

 自分より弱い人間に吠えられたところで、なにを恐れる必要があるのだろうか。


「最初に申しましたように、バジゴフィルメンテ様を殺すには時間がかかるんですよ」

「だから、それは何時までだ!」

「要望は、学園に通わせる前に殺せば良い、だったと記憶していますが?」

「早ければ早いほど、いいに決まっているだろう! ハッチェヒマオを当主に据えるためにも、バジゴフィルメンテは邪魔なのだ」


 ラピザは目をぱちくり指せた後で、思い出した。


「ハッチェヒマオは、バジゴフィルメンテ様の弟のセック様へ元服を期につけられた名前でしたね。失念してました」


 ラピザの不遜な態度に、オブセイオンは更に怒った。


「次期当主の名前を失念するでないわ!」

「ともあれ、セック様ことハッチェヒマオ様を次期当主に据えたいのでしたら、バジゴフィルメンテ様を追放なさればよいのでは? 貴族の当主には、その権限があるはずですし?」

「できるのならば、もうやっておるわ!」


 ラピザが疑問顔を向けると、オブセイオンはイライラしながら事情を説明する。


「教会で天職の儀を行う。その際、天職を授かった者は、自分の口で天職を明かす。そうして明かされた天職を、その教会に勤める司祭や神父が王家と教会本部へ送る。それゆえに国と教会本部は、全ての貴族子女子息の天職と、平民の中で有用な天職を得たものの情報を握っている」

「そうなのですが。それがバジゴフィルメンテ様を追放できない理由に繋がると?」

「バジゴフィルメンテの奴めの天職は『剣聖』だ。王国の歴史をひも解いても、五指で足りる数しか現れていない、希少な天職。例えバジゴフィルメンテが不適職者であろうと、国は今後の成長を期待するとして、貴族籍から抜けさせることを了承せんのだ!」


 その口ぶりからすると、オブセイオンは既にバジゴフィルメンテの貴族籍を抜こうと試みて失敗していたようだ。

 ラピザは、そう裏の事情を察してから、何気ない口調で告げる。


「バジゴフィルメンテ様が王家や教会本部から注目されているのなら、暗殺するのは悪手なのでは?」

「ふんっ。子供など、ちょっとした拍子に死ぬものだ。多少管理不行き届きを責められはするだろうが、それだけで済む」


 どうしてもバジゴフィルメンテを殺したいと考えてそうな様子に、ラピザは疑問が湧いた。


「ワタシが言うことじゃないですけど。オブセイオン様に、他の使用人はバジゴフィルメンテ様の様子を報告したりしてないのですか?」

「報告? なんのことだ?」

「バジゴフィルメンテ様は、薪拾いを行うため魔境の森へ毎日のように通っています。剣で薪を割り終えた後は、熱心に剣を振るって剣技の向上に勤めています。そうした行動や頑張りについて、報告を受けていないのですか?」


 自分の子が頑張っていると知っているのなら、仮にその子が不適職者であろうと、可愛く感じてもよさそうなものなのに。

 そういうラピザの疑問に、オブセイオンは鼻で笑った。


「ふふっ。辺境貴族は、領地領民を守り、魔境を切り開き、魔物を屠る力がある者でしか認められない。不適職者で魔物と戦えぬ者の頑張りなど、存在価値のないゴミカスでしかない」


 その考えを聞いて、ラピザはオブセイオンに対して哀れみを感じた。

 なぜならオブセイオンは領民たちに、魔境を切り開く力も、魔物を屠る勇気もない、魔物と戦えない領主だと悪口を言われている。

 つまりオブセイオンは、自身が吐露した考えに従うのなら、領主どころか辺境貴族として失格な人物ということになる。

 自分の発言で自分の存在を否定する姿は、哀れでしかなかった。

 そんな哀れな存在に対して、ラピザは同情心と共に、オブセイオンに対して気持ちに一線を引くことにした。

 雇用主ということもあって、一定の尊重心は抱いていたのだが、その気持ちを捨てることにした。


「まことに失礼ですが、オブセイオン様よりバジゴフィルメンテ様の方が出来た人物ですね」


 唐突な批判の言葉に、オブセイオンの顔が怒りで赤く染まった。


「バジゴフィルメンテより、この俺が劣っていると!?」

「子供の天職を自分の地位の維持に使うことしか考えていない親と、天職と向き合って努力し続けている男の子。どちらに好感を抱くかなんて、言うまでもないと思うのですが?」

「おお、お前は!」


 オブセイオンは執務机の近くの壁にかけてある剣を掴むと、勢いよく鞘から剣を抜き放った。

 その姿を見ても、ラピザは全く怖いと感じなかった。

 剣の構え方は拙いし、オブセイオンの怒りに染まった表情を見れば彼が天職に体を預けていないことは明白。


「オブセイオン様に忠告します。ワタシが『暗殺者』に身を任せたら、貴方ごとき瞬殺ですよ?」

「な、舐めるなよ!」


 オブセイオンの表情が、スッと無表情になる。

 なるほど、腐っても貴族の当主。天職に体を任せることぐらいはできるようだ。

 オブセイオンの剣を構える姿が堂に入ったものに変わる。

 ラピザは、メイド服の裾を手で翻して捲ると、太腿に付けた鞘からナイフを抜き取った。しかし『暗殺者』に体を任せることまでしなかった。

 それは何故かというと、オブセイオンの肉体を見ての判断だ。

 オブセイオンの肉体が天職『剣士』に操られ、剣を振り被りながら踏み込み――足を踏み出した瞬間に床に転んだ。


「うごおおおおおっ」


 オブセイオンは床に転がったまま、右肩と左太ももの裏に感じる傷みに耐える動きをし始めた。

 ぐねぐねと体をくねらせて傷みに呻く姿に、ラピザは読み通りと思いつつ失笑が漏れた。


「ぷふふふっ。辺境伯ともあろうお方が、運動不足ですか。それも、天職の動きに体がついていかないぐらいの」


 そう。オブセイオンが肩と太腿に感じる傷みは、天職『剣士』が起こした剣を振るうのに最適な動きに、彼の筋肉や腱が耐えきれずに肉離れと腱損傷が併発が理由だ。

 その哀れな醜態をひとしきり笑った後で、ラピザは深々と一礼した。


「バジゴフィルメンテ様の暗殺。この場にて、拒否させていただきます」

「んな! 裏切る気か!」


 オブセイオンが怒鳴ってくるが、床に蹲ったままなので滑稽でしかない。

 ラピザは冷ややかな視線を送りつつ、断る理由を口にしていく。


「先ほど、オブセイオン様が言ったではありませんか。バジゴフィルメンテ様は『剣聖』という珍しい天職を授かったことで、王家や教会本部に目をかけられていると。そんな御方を殺してしまったら、ワタシは国と教会に睨まれることになります。そんな生活、まっぴらです」

「黙っていれば、そんなことには――」

「バジゴフィルメンテ様の死の原因を王家や教会本部が探り始めたら、オブセイオン様はワタシを売り渡すはずです。なにせ、自分と家の地位にしか興味のない方ですから」

「そんなことは――」

「ないとは言えないと、ご自身でお分かりでしょう?」


 ラピザの追及に、オブセイオンが口を閉じるしかなかった。

 実際に王家や教会が調査員を派遣してきたら、オブセイオンはラピザを他家に雇われた暗殺犯として売り渡すと考えていたのだから。

 ここで身の保身のために嘘の一つも平気で吐けないあたり、オブセイオンが領地経営者としても三流なことが分かる。

 口惜しそうに黙るオブセイオンに、ラピザは改めて宣言する。


「そういうわけで、バジゴフィルメンテ様の暗殺はお断りします。あの方の命を奪いたいのなら、貴方の手でおやりくださいませ」

「……命令が聞けないというのなら、雇用関係は終わりだ。さっさと屋敷から、いや領地から出ていけ」

「構いませんが、雇い止めていいんですか? ワタシに自由を与えたら、どこにでも行けるようになりますよ。例えば、王家や教会本部なんかにもね」


 それがどういう意味かを悟れないほど、オブセイオンは馬鹿ではなかった。


「お、王家と教会に、教えるというのか」 

「はい。オブセイオン様がバジゴフィルメンテ様を暗殺しようと考え、暗殺者を雇ったことを」

「お、お前を雇ったのは、バジゴフィルメンテを殺すと決める前だった!」

「雇用の前後なんて些細なことでしょう。事実、オブセイオン様はバジゴフィルメンテ様の暗殺を命じたのですから」


 そんな話を、王家と教会が掴んだら、オブセイオンはどうなってしまうのか。

 王家だけなら、プルマフロタン辺境伯家は辺境の守りの一つなこともあって、貴族家内の話だからと穏便な沙汰で済むかもしれない。

 しかし教会まで巻き込んだ騒動となったら、王家は守ってはくれないだろう。

 辺境伯といっても、プルマフロタン辺境伯家は先代と今代に渡って落ち目な家だ。騒動を理由に、他の貴族家へ辺境伯を移すことだってあり得る。

 そうした嫌な想像が、オブセイオンの頭を駆け巡る。

 そこに、救いの手のように、ラピザの言葉がやってきた。


「口止め料を払ってくださるのなら、口を噤んでいましょう。料金は、今までの給料と同じで構いません。期限についても、バジゴフィルメンテ様が死ぬか、学園に入るまでで良いですよ」

「そ、それは本当か!?」


 バジゴフィルメンテを殺すことができれば直ぐ払う必要がなくなり、殺せなくてもバジゴフィルメンテが学園に行く一年後に口止め料は要らなくなる。

 そんな好条件を、ラピザは確約する。


「こちらから言い出した契約ですから、こちらから反故にする気はないですよ。暗殺者は、信用第一ですからね」

「裏切っておいて、よくも抜け抜けと」

「裏切ったのはそちらが先でしょう。バジゴフィルメンテ様に王家や教会が注目しているだなんて、暗殺が成功したら大事になりそうなことを黙っていたんですから」


 どうするのかとラピザが視線を強めて問いかけると、オブセイオンは渋々と契約を了承した。するしかなかった。

前へ次へ目次