1-5
「ナルメアの所有権?」
世界統一プログラムナルメアに所有権があるという初めて聞く内容に戸惑うマリスに、晶が爆弾発言を投げかけてきた。
「ナルメアが私たち炭素生物とは異なる宇宙からの知能を持った生物のクローンであることはご存知ですか?」
投げかけられた言葉にマリスは息を止める。晶の言葉の内容が理解できずに、目を見開いたまま心臓の音を無言で聞いていた。
晶は少し目を伏せて、ぺこりと礼をした。
「まさか言葉にできるとは思ってなかったです。ごめんなさい」
そのまま視線を合わせた晶は、心底申し訳なく思っているのか、眉根を下げてうかがうようにマリスを見上げてくる。
「私はDチップを介して、ナルメアに常時干渉を受けています。アレが望まない言葉を話すことはできない。ナルメアの起源を話せるかは、正直言って半々でしたが。アレは許してくれました」
そう言って晶はもう一度頭を下げる。困惑してマックの方を見ると、彼も珍しくポーカーフェイスが崩れた間抜け面でマリスを見ていた。
「どういう、ことだ」
「さきほどのマリスさんの質問に答えるには、ナルメアのことを話さなければなりません。もちろん今すべてのことを話すことは時間的に難しいですが、かいつまんでお話しておかないと、質問の答えになりません」
いやいやいや。といつも反射的に出てくるつっこみの言葉さえも、声帯が機能停止していて出てこない。どこをどう聞いても、一介の花屋が聞いていい話ではない。
マリスは大きく息を吸い込み、目を閉じる。自分の心臓の音を聞きながら空気を吐き出し、目の前の少女を見た。
「俺はあんたに協力すると決めた。約束は何があっても守るし、秘密にすべきことだと判断したことは秘密にする。だからあんたもだましうちのようなことはするな。俺はあんたを信頼する。だからあんたも俺を信頼しろ」
マリスの言葉に晶は驚いたように目を見開き、花開くように笑った。
「はい」と恥ずかしそうにつぶやき、「すみませんでした」と深く頭を下げた。
「俺は今あんたが言ったナルメアが俺たちとは生態が違う生き物だということもまったく知らない。だからあんたが話せる範囲で話してくれ。というか話せないことがあるのは、Dチップの影響か?」
「そうです。AからDまでのチップのなかで、Dチップが一番ナルメアとの親和性が高く、干渉も深いです」
「まず俺からしたらそこからだ。親和性が高いということは、すべてのチップで程度の差はあれ、干渉を受けているということか」
「そうです。現在進行形で、現人類はナルメアから監視をうけ、無意識下で干渉を受けています」
「どうしてそんなことが許されてるんだ。常時監視って、ありえないだろう」
「それは、ナルメアが『1998vc』から人間を守るために、脳内免疫を常時コントロールしているからです」
マリスの質問にすらすらとよどみなく答える晶の様子から、嘘がないことが分かる。だがその晶の言葉に引っ掛かりを覚えてマリスははたと息を止める。
「まて。1998vⅽは隕石の名前だろう?」
人類に刻まれた滅びの記憶。その元凶ともいえる巨大隕石。誰もがその呼称を忘れることはできないだろう。
「混乱を防ぐためにそうなっていますが、正確には隕石に付着して地球に到達した電磁生物の呼称です」
晶はマリスの言葉に答えて、長い話を示唆するように目の前の水を飲み干し、息をついた。
「巨大隕石は、当時の人類に壊滅的な被害をもたらしました。それでも人類は生きていたし、世界の繋がりは、隕石衝突当初は切れていなかった。本当の被害は、電磁生物によって世界の電波が支配され、物理的に人と人とが接触しないとコミュニケーションがとれなくなったことです。それによって復興が遅れた。そこを電磁生物に衝かれたのです」
晶は言葉を切りマリスとマックを見据えた。
「MOウィルスです」
「MOウィルス……」
マリスはおうむ返しに呟いた。晶は軽く頷き、言葉をつづけた。
「MOウィルスは電磁生物1998vcが人類に寄生するために、微細な電波を発する微生物に擬態した状態のことです。ただ復興途中の人類に、今まさに地球が地球外生命体によって侵略されていると告げて、ばらばらの人類をまとめ上げることができるカリスマが、当時はいなかった。ウィルスというなじみの深い敵を作り上げたのは、復興の疲弊にある人類を絶望し、混乱させないための方便でした。1998vcの人類への寄生のプロセスはウィルスに似ていた。だから説明もすんなり受け入れられたんです。でも1998vcにとっても、人類にとっても誤算があった。それが人類の高い免疫反応です」
「免疫?」
「はい。1998vcは電磁生物。その名の通り、それ自体は肉体を持ちません。小さな細胞ともいえる微細なメモリが本体で、肉体をもつ生物に入り込み、肉体を管理する機関に寄生する。人類でいえば脳内に入り込む。でも人類は、脳内への侵略者に高い免疫反応を示した。1998vcが脳内に入り込むと、その個体は脳機能を停止した。すなわち死です。本来は免疫とは、体内に侵入した異物を排除するためのものですが、人類は1998vcに関してはその免疫が過剰に反応し、守るべき本体ごと殺してしまうのです」
マリスはごくりと喉を鳴らした。突然もたらされた真実という名の衝撃に、脳の中で心臓が鳴動しているかと思うほどの大きな鼓動を聞いた。
「人類は復興どころではなくなりました。敵の情報もなく、残された人類は原因不明の『病』で死んでいく。事情を知る研究者は躍起となって解決法を探った。そこでようやく直哉・サラクールが光明を見出した。サルベージした旧時代の遺産を駆使し、確保した電磁生物のクローンを作り、当時サラクール家で開発途中だったプログラム『ナルメア』に移植した。そしてナルメアを介して、1998vcを排除するワクチンプログラムを人類に提供した。それが全人類に施術されたAチップです。ただこのワクチンプログラムは旧人類には強い副作用が生じました。常時脳内を監視され、ワクチンプログラムを流され続けるのです。耐性のない人類には耐えられなかった。だから人類は、自分たちをワクチンに耐性がある生物に作り替えるしかなかった。それが、現人類なのです」
約三百年前の淘汰の真実。ある意味ではMOウィルスとの戦いの歴史とストーリーは似ているが、一点決定的に異なる点がある。それは旧人類は生物としての種を打ち破り自ら進化を選び、体を作り替えてMOウィルスに勝利したと思っている。しかし真実は違う。今現在もナルメアを介してワクチンプログラムを提供されつづけ、それによって人類は生きていることになるのだ。つまり現在進行形でウイルスー宇宙生物との戦いは続いている。
「もしナルメアからのワクチン提供がなくなったら……」
マリスの言葉に晶は少し考えるように虚空を見つめる。ゆっくりと口を開いた。
「ワクチン提供がなくなってしまったらどうなるのか、医療ジーンリッチとなった現人類の臨床もない現在でははっきりと申し上げることはできません。ナルメア・プログラムは自覚されず人類に浸透している。切り離しては考えられない存在です。もしかしたらプログラムの提供がなくても、人類は自分たちの持つ免疫を適応させ、1998vcに対抗できるのかもしれない。そうであって欲しいと思います。でももしそれができなかったら、人類は今度こそ滅びてしまうかもしれないのです」
「実験をすることはできないの?」
言葉を失ってしまったマリスを代弁するように、今まで沈黙を保っていたマックが口を開く。晶はマックに視線を向けて、憂うように目を伏せた。
「どちらにせよ、いきなりワクチン供給をゼロにはできません。本気でワクチン依存脱却を目指すなら、何らかの社会実験をするようになると思います。ただ実験そのものが、ある種の賭けです。人類がいつどこでだれが電磁生物の寄生を受けるかわからない。特殊な環境下でなければ電磁生物を知覚できませんが、空気と同じようなものとしてこの地球に存在しているとお考えください。ワクチン供給率を少し下げるだけで、引き返せないほどに致命的なダメージを受ける可能性があるのです」
「それこそ被験者を絞って実験をするのは?」
我ながら反吐がでるほどに最低なことを聞いているなと思いながらマリスは口を開く。晶は再びマリスに視線を戻すと、小さく微笑んだ。
「おそらく検討はされているかと思います。ですが、現行システムのナルメアは、同調率は一律でしか変えられません。調整するなら個別の同期率ですが、現在の技術ではもって生まれたナルメアとの同期率は、任意に変更することはできません」
ナルメアと各自が装着しているチップとの結びつきは、同調率と同期率に左右される。
同調率はナルメアが人類が持つチャンネルにどれほど『同調』するかの比率で、これは全人類一律である。さらに個人でナルメアとどれほど『同期』できるか個人差があり、これが同期率と言われている。人類がナルメアとどれほど波長を合わせることができるかは個人差があり、これは一律である同調率に、個別に違いがある同期率を掛け合わせたもので決まる。人々が自由にダウンロードできるナルメアが配布するアプリにどれほど使いこなすことができるか熟練度に差が出るのは、個人の同期率の差である。一概には言えないが、ナルメアに日常生活を依存している現人類は、同期率によって能力差が顕れやすい。ちなみにマリスの同期率は30パーセント、マックの同期率は45パーセントである。微妙なようでこの数字、結構優秀で、現人類の平均同期率は20パーセントである。
「硝流お兄様は、同調率の引き下げを目指しています。このままナルメアと高い同調を続けるのは電磁生物の侵略と同じくらい危険であるというのがその理由です。確かに現在の同調率は60パーセント。治療を開始した300年前が50パーセントだったことを考えると高くなっている。これは電磁生物が耐性をもったことが原因です。ナルメアも広義では電磁生物です。人類が管理する1998vcのクローンであっても、危険であることには変わりないというのがお兄様の主張です。確かに、毒も薬も使い方次第で効能が変わります。けれども大本が一緒だから危険だといっていたら、毒草を加工して薬を作ることもできなくなってしまいます」
マリスは晶の言葉を頭の中で咀嚼する。硝流のいうことも一理あるように思う。だが晶の言うように性急に進めすぎると、300年かけて積み上げてきた、電磁生物の対抗手段も失われてしまうのではないだろうか。
「お兄様の目的は、ナルメアの奪還です。もともとナルメアは、サラクール家が独自に研究していた、『カライア』の扉となる人口知能です。隕石衝突かMOウィルスが人類に影響を与えていた当時、ワクチンを配布するために1998vcのクローンを受け入れることができる人口知能は、サラクール家が持つナルメアだけだった。サラクールは研究を中断して、世界のためにナルメアを差し出した。それから300年は、MOウィルスに対抗しながら、復興を目指す怒涛の日々で、ナルメアを回収する目処はたたなかった。でもここにきて、必要なピースがそろいました。300年という長い年月、サラクール家の実績、1998vcの落ち着き、そしてDチップ保有者です」
また初めて聞く単語が出てきた、とマリスは天を仰いだ。知恵熱がでてしまうかもしれない。
□□1998vc アテン型小惑星の呼称と一般に浸透している。正確に言えば、小惑星に付着して地上に到達した電磁生物を指す。地表到達当初は衝突時の高温で機能を停止していた当該生物は、28時間後一斉に活動を開始。まず隕石(正確には小惑星であるが、地球では隕石とされていたので、以下はそれに倣う)衝突の被害で60パーセントのダメージを受けていた地上のあらゆる電波を支配下に置いた。その後その電波を逆流する形で世界中のパーソナルコンピュータのCPU内の算術論理演算回路を支配。特にメインフレームの支配を奪われ、人類の交通は分断された。隕石衝突の影響で起きる激しい天候不順に加え、電磁生物によってインフラが機能せず、人類の生存は激しく脅かされた。その後1998vcは人類の脳内への侵入に成功。だが人類の免疫は電磁生物に過剰に反応。個体本人を攻撃し、死亡させてしまう事例が多発した。ナルメアが提供するワクチンプログラムで寄生を予防できるが、完全に1998vcを駆逐するのは物理的方法しかないとされている。