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晶・サラクール。

 サラクール家の第四子。十五歳。

 現サラクール家当主、硝流・サラクールの同腹の妹。国立アカデミー情報科学研究室所属。情報工学博士。

 新型疾患であるNMOの三人の罹患患者の一人であり、新型チップDチップ装着者でもある。

 サラクール家はビオ・クルスの名門とうたわれるだけあって、その若き兄弟の経歴も華々しい。国の宝と言われている長男硝流もさることながら、彼の異母姉と異母弟もエリートといわれる存在で、その分野では有名人だ。だが次女晶・サラクールに関しては情報が極端に少ない。彼女が若くその実績が少ないということもあるが、彼女自身が人間嫌いで、名門らしく広告塔として人前に出ることが少ないからとも言われているし、極秘研究の対象となっているNMOの患者であるから情報を秘匿されているとも言われている。いや意図を感じるほどに存在を薄められている。

 マリスはビオ・クルスにおいては、花屋を営む一般市民であるため、彼にとっての晶・サラクールという存在は、おそらく大多数の国民と同じように、メディアで硝流・サラクールの紹介をされる時ひっそりと添えられる人間という程度のものだった。だからその名前を聞いても、やっかいな人間に関わってしまったと思うことはあっても、どのような人間なのか判断する材料はさっぱりと持ち合わせていなかった。

 だが一点、どうしても突っ込まずにはいられない。

「お前やっぱり子どもじゃないかよ」

 そう初対面の時、外見で判断し子ども扱いをしたことを詫び、遺伝子疾患を患ってるであろうことを同情したあの時の気持ちを返せと言いたい。

 それを聞いて目の前の少年改め少女は真意が読めない綺麗な笑顔で口を開いた。

「ボ……わたし成人してるって言いましたっけ?」

 言ってない。

 大人であるとも、男性であるとも言っていない。マリスが勝手に誤認しただけだ。だが、明らかに誤解されるような言動をしていたと思う。多分。

 マリスは言葉を失い、反論する気力も失せた。両手を挙げてため息をつく。

「で、俺に頼みってなんだよ。報酬まで準備して。時間がない。早く話せ」

 マリスの言葉に少年は先ほどまでの笑みを消し、大きな目をぱちぱちと瞬かせた。

「受けていただけるんですか?」

「諦めたんだよ。どうせ断らせないんだろ?」

 『アリス』事件の事を知られているのだ。それを交渉材料にされたら、こちらは拒否できない。

だからしっかりとくぎを刺して、多少脅しも交えて拒絶してお帰りいただこうと場所を移した。だが既に勢いで目の前の少女を拒絶するには完全に機を逸しているといえる。

それにリリィの育て方手順書は魅力的だが、看過できないのがもう一つの報酬である『あいつ』の居場所の情報だ。確かに彼女の言うようにマリスはあの男の居場所を探していた。

 晶は少し眉を下げて頼りない顔を見せた。

「申し訳ありません」

「謝らなくていい。早く話せ」

 マリスがあごでしゃくって話すように促すと、少年は目の前の水を口に含み、一息ついた。

「アート・フィーグルスの脳内チップに連動している爆弾の緊急停止をしたいんです」

 現人類が旧人類から引き継いだ遺産の一つに、『脳内チップ』がある。言葉通り脳内に装着し脳の働きをサポートする集積回路を組み込んだ半導体基板だ。例えば脳の筋肉を動かす指示を出す部位を欠損したら、人体は司令塔を失ったに等しいため体は健康でも指一本動かすことが不可能になる。だが脳内チップは脳の働きを高い精度で代行することができる。リハビリをきちんと受けると、損傷部位やその度合いにもよるが、日常生活に復帰できるといわれている。また脳機能の代行だけでなく、身体強化プログラムにしたがって通常以上の身体機能を得ることも可能だ。だがプログラムに対応する身体の強化―サイボーグ化が必須ではあるが。

 現在承認されているのが、一般用のBチップ、装着に政府の許可が必要なCチップ、内容が秘匿されている対NMO用のDチップの三種類である。

Bチップは一般向けのチップで、主な用途は医療用産業用と分かれ、汎用品も多く販売されている。汎用品はそれこそ大型量販店でも手に入れることができ、医務局を併設していたら、購入したその日に装着が可能な手軽さだ。日常生活をスムーズに送ることを目的とする汎用品は、対応アプリケーションも多く、そのアプリケーションの価格も安価である。衛星から手軽にダウンロードできることも相まって、広く浸透している。分野が狭くなる純正品でも、医療用は欠損部位を補うレベルの高度なものや、産業用は専門職向けのものは価格が高く、取り扱い場所も限られる。だが正規の手続きを踏めば手に入れることができ、敷居は高いが一般向けといえる。

Cチップは政府によって使用者が厳しく管理されている限定モデルである。軍関係者や官僚など高度な守秘義務が課され、また専門的な高い能力が必要とされる職業の人間に、世界中央機構(WCM)を通して支給される。身体強化を目的としたサイボーグ化とセットで供され、専用アプリケーションも秘匿軍事衛星によって配信される。各分野の技能サポートだけでなく、コンプライアンスの面からも私生活を監視される側面を持つ。

DチップはCチップの進化系ともいえ、その内容はナルメア・プロテクションレベル3に該当する。ただ新しい疾患であるNMO患者向けのチップであるということだけが公開された情報だ。

マリスはチップについて頭を整理し、マックを振り返る。

「Cチップって、爆弾とセットなのか?」

 晶の言葉から結論づけた事柄なのだが、初めて聞く情報であったため、思わずマックにも確認を取る。もちろんその非道な内容から聞かずにはいられなかったというのもあるが、そうなってくるとマックの頭の中にも爆弾があるということになる。マリスも一時軍に属していた時にCチップを装着したが、そんな危険なものを頭に埋められていたとは想像すらしていなかった。

 先ほど晶が言ったアート・フィーグルスとは、ついさっき店舗で話題となっていた近衛警邏一班班長のことだろう。目の前のアキラとどのような関係性かまでは知らないが、アート・フィーグルスに装着されている脳内チップといえば、Cチップに他ならない。Cチップの情報もDチップほどの厳重さはないが、公開を制限されている。マリスの知らない情報が隠されていてもおかしくなかった。

 マックはマリスの質問に首をふって、肩をすくめる。

「そんな事実はないよ。さすがに頭の中をのぞくことはできないが、爆弾を埋め込んでいて本人に申告なしはないだろう」

 どのような意図があり爆弾を装着するにしても、禁忌事項の説明くらいはあるだろう。一切の説明が本人にないというのは考え難かった。

「Cチップ本来の機能に爆弾はありません。マックさんのCチップも大丈夫ですよ」

 マリスの様子からただならぬけはいを察知したからか、晶が慌てて訂正を入れる。

「爆弾と申し上げましたが、正確には違います。アートの装着しているCチップは、正確にはC-Ⅱチップといい、適応者以外は装着できません。C-Ⅱチップは追加機能がいくつかあるのですが、その一つとして、脳内物質コントロール部分に特殊なプログラムが施してあります。起動条件は兄とアートの間でなされているので内容までは分かりかねるのですが、アートがある禁忌事項に触れる思考を持つと、彼の脳内物質を常時監視しているプログラムが作動します。その禁忌事項にある一定時間触れ続けると、脳内伝達物質を調節し、彼の身体は機能を強制的に停止させられます」

 言っている意味は半分ほどしか分からなかったが、その内容のおぞましさにマリスは一瞬戦慄する。ごくりと喉を鳴らし、マックを振り返った。

「可能なのか?そんなこと」

 マックは肩をすくめて首を振る。

「詳しくは分からないが、可能か不可能かで言えば技術的には可能だろう。人道的にはとても許されることじゃない」

「ええ。だから公にはなっていません」

 晶は少し目を伏せると、耐えるように唇をかんだ。

「今この瞬間にも、アートの命は危険にさらされ続けているんです」

脳内伝達物質を管理する。

言葉にするとひどく簡単に感じるが、脳内伝達物質というのが曲者だ。人間は思考する生き物だ。外部からの刺激に対し、常に思考し、感情を震わせ、体に作用する。うれしければ笑う。悲しければ泣く。すべて脳が思考し、その結果が体に顕れる。その際に分泌すされるのが、脳内伝達物質だ。それはその人の感情そのものといってもいい。コントロールできるものではないし、ましてやチップで包括的に監視し、管理できるものとも思えない。例えば誰かを憎む心が禁忌事項ならば、一時的にでもその誰かに悪感情を持ってしまうと、本人のコントロールを超えたところで脳内伝達物質が分泌されてしまう。思考を意思でねじ伏せ、悪感情に任せた行動を抑えることはできても、悪感情を持つこと自体を禁忌とされてしまうと、起爆条件はかなり厳しいものとなるだろう。まさに気が休まることがない。命が危険にさらされているというのは比喩ではない、事実だろう。

「理由は?」

 マリスの問いに、少し目を見開いて晶がマリスを見つめ返す。

「どうして今? あんたがその事実を知ったのは今ではないだろう?」

 依頼の理由を尋ねること自体は一般的な契約関係で禁じられることではない。自らの命を危険にさらす以上、その動機を知りたいと思うことは当然だからだ。ただプロであればあるほど、理由を問うことは珍しい。マリスも今まで自分に課された命令の動機を上官に尋ねたことはない。それを知っているから目の前の少女も意外そうな顔をしたのだろう。

 マリスとて、自分がいつもと違う行動をしている自覚はある。ただ理由は分からないが、聞きたくなったのだ。聞きたくなったのだから仕方がない。

「一週間後に世界中央会議が行われるからです」

 晶は表情を崩したのは一瞬だけで、少しマリスから視線を逸らすと口を開いた。

「世界会議の表向きの議題はご存知ですよね」

「ビオ・クルスの独立だろう?」

 マリスの言葉に晶は頷く。そして少し迷うように視線をさ迷わせて、ふよふよと浮かぶ自らのPSPCに視線を定めて意を決したようにマリスに視線を戻した。

「ビオ・クルスの独立の手続きは9割完了しています。代表国の事務官で協議して議定書を作成、首相クラスがサインをしたら成立します。今回の会議の真の議題は、ナルメアの同調率引き下げと、所有権の返還にあります」



□□世界中央会議(主要十か国首脳会議) 大衝突からの復興の過程で中心となった家や人物がまとめた10の主要国からなる世界で最も権威のある会議。現在は国家として認められているものは88存在するが、そのすべてが主要十か国の庇護下や協力下にある。


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