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その部屋には、ボクと彼が居た。
外からの一切の音を拒む狭い空間はほの暗い。天井で申しわけ程度に丸い光を放つ小さな照明だけの世界はひどく静かだ。
弱弱しい光が、部屋の奥にたたずむボクの顔を白く射貫いている。対峙する彼には光は届かず、体ごと闇に沈んでいた。
追い詰められたボクは、光の中で目を見開き、涙を流した。絶望の闇に沈み、目を閉じて膝を抱えようとする自分を叱咤して顔を上げ、表情の伺えぬ影法師の瞳を見つめた。いつもボクにあふれるばかりの希望と温かい未来をくれる半身は、ひどく冷たい瞳でボクを見ていた。
静かだった。
呼吸の音すら吸収する、虚無の空間。
そこでボクと彼は永遠とも思える刹那の時間、お互いを見つめていた。
「何故……」
沈黙に耐えかねて、ボクは口を開いた。その瞬間頬を流れ落ちた涙が粒になって床に散った。
「何故、こんなこと……」
ボクのことばを聞き、闇をまとった彼が一歩足を踏み出してきた。冷たくボクを見つめる彼が怖くなり、ボクの足が意識せず一歩下がり、距離を取った。
闇の沼から出た彼の顔に照明の光が当たり、浮かび上がった彼の秀麗な顔にかすかな陰影ができる。
まるで鏡を見ているかのようにボクそっくりの彼は、光のなかでもやはり冷たい瞳をしていた。
「こんなこと、間違っている……。こんな……」
「狂ったシステムを、創って?」
少しかすれたハスキーな声が紡いだ言葉に、ボクは涙にぬれた顔を上げる。乾いた瞳で冷ややかにボクを見つめる少年は、言葉を引き継ぎ、唇の端で笑んだ。その作り物めいた微笑は、一抹の狂気をはらんでいた。
「そうだね。僕はとっくに狂ってる」
闇の中に佇む彼の言葉は、強い力をはらんでボクの胸に突き刺さった。ボクは怯えを表情に出さないように唇をかみしめる。そんなボクの顔はひどく醜いだろう。
そんなボクをじっと観察するように見つめていた彼は、少し自嘲するように笑みを浮かべた唇を一瞬で引き結ぶ。あっと認識した時には、彼とボクとの距離はなくなっていた。
ボクが息を呑んで一歩下がるのを許さず、彼はその腕でしっかりとボクを抱きしめた。その腕は冷たかったが、抱擁がもたらすぬくもりはボクをひどく安心させた。
腕の中で聞いた彼の声は、泣き出しそうなほどに苦しみに満ちていた。
「僕はリンを殺す世界が憎い」
「誰かが選んだわけじゃない。憎むことでもない。仕方のないことだよ。少なくともボクは受け入れている」
「受け入れない。リンがいない世界? そんなものいらない」
「お願いだからやめてくれ。これ以上世界を歪めたら、人類は戻れなくなる」
「僕が創ったものは、人類の希望だ。希望を失ったら、みんな生きてはいけないだろう?」
ボクは彼の腕の中で激しく首を振る。いやいやをするように体をよじり、すがるように彼を見上げた。
「お願いだ、ユウ。今なら止められる」
目が合ったユウはひどく優しく微笑んだ。そして、そっと雪をつかむように、ボクの頬を両手で包んだ。そのてのひらは、はっとするほどに冷たかった。
「君を失うくらいなら、僕は狂うことを選ぶ」
彼が囁いた瞬間に首の後ろに慣れた痛みが走る。ゆっくりと意識が閉じられていく。彼がこれから成そうとしていることを悟り、涙が零れ落ちた。意識を手放すまで見つめあった彼の瞳は、声とは裏腹に優しく、温かかった。いつもボクにたくさんの祝福されたものを与えてくれる瞳。その瞳を見ながら、ボクはついに信じることができなかった神に祈り続けていた。
□□凛・サラクール MOウィルスの治療法を確立した直哉・サラクールの直系。希少ジーンリッチであるが、IQは高くはない。NMOの患者にして、Dチップ保有者。