906:ムミネウシンム-4
「ふふっ……」
気が付けばそこは琥珀色の壁に囲まれた立方体状の空間だった。
私以外には誰も居らず、私自身が発するもの以外に音はなく、箱の外の様子は欠片も分からず、眼球ゴーレムや化身ゴーレムとの繋がりも断たれている。
箱の中に封入されている呪詛は私の支配下になく、少しずつ失われていく。
箱の強度は極めて高く、普通に『
「ふふふふふ……」
これが『琥珀化の蜂蜜呪』ムミネウシンムの奥の手。
相手が自分より高位の存在であろうと、何かしらの回避手段を持っていようとも、ムミネウシンム自身が捉えたと認識しているのであれば、強制的に封印する呪術。
ただ琥珀の柱に封じ込めるのと違って、封じ込めた相手の呪詛を搾り取って利用する事などは出来ないようだが、それと引き換えに効果の高さについては折り紙付きと言っていいだろう。
「あはははははははははっ!!」
そして、これはプレイヤーに対してもキャラロストと言う終わりをもたらす事が可能である攻撃でもある。
その証拠に私の視界には残り一時間を切っているタイマーが表示されており、このタイマーが0になる前に脱出する事が出来なければキャラロストする事が明記されている。
しかし、内部からこの封印を撃ち破る事は極めて難しく、外部からの攻撃と解呪によって破壊するのが普通の手段となる。
けれど、その普通の手段にしても、ムミネウシンムと言う強大なカースの守りを潜り抜け、恐らくは蜜の海の中の最深部に移動されたであろう封印にたどり着くと言う超高難易度のミッションになるに違いない。
「素晴らしい! 実に素晴らしいわムミネウシンム!! ルナアポの力によって貴方が私にも届き得る何かを隠し持っているのは分かっていた! だからこそ私は『座標維持』の応用によって攻撃をすり抜け! 慢心している姿を見せ! その何かを切らなければ圧倒されると言う状況を作り上げたのだけれど、これほどの封印とは!! 私も頑張った甲斐があったと言う物ね! 本当に素晴らしいわムミネウシンム!!」
『たるうぃー……』
「ええ、ええっ! 分かっているわザリチュ! ムミネウシンムは秘策を繰り出した。ああ、この秘策にはいったいどれほどの知識と経験が、呪詛の積み重ねが、惜しみのない手間暇が、技術が! 思いが! 対価と制約が含まれていたのかしら! そして、それには途方もない量の未知が含まれていたに違いないわ!! ああ、それほどの力を私個人に対して行使してもらえるだなんて、これぞ敵対者冥利に尽きるというものではないかしら!! 感謝を! 最大限の感謝を!」
『そろそろいいでチュかー……』
「ああでもそうね。一時の興奮にかまけて全てを失い、これから先に見れるであろう未知を見逃すだなんて勿体ない事は出来ないわ。それにこの空間そのものは既に未知が失われて既知しかない領域。こんな領域に一時間も居たら、キャラロストなんてどうでもいい事柄の前に私自身の気が狂ってしまうに違いないわ。だからこの箱は破壊しなければならないの。ああけれども、その破壊の際にはいったいどれほどの未知が生じる事になるのかしら、今から、そう今から既に楽しみでしかなくて、興奮が隠しきれなくて、達してしまいそうだわ!!」
『はい、それ以上はアウトでチュよー。真面目にやるでチュよー』
「私は至極真面目よ。ザリチュ」
さて、思いの丈を吐き出し、キリっとした表情でザリチュに応えたところで、脱出しよう。
「『
『竜活の呪い』発動によって私の姿だけでなく、ザリチュたちの姿も変貌していく。
並みの呪いによる封印であれば、この姿になっただけで撃ち破れるはずだが……流石はムミネウシンム、問題ないようだ。
これほどの強度の封印となると、偽神呪であっても油断しきるわけにはいかないのではないだろうか。
後、ぶっちゃけた話として、非常に狭い。
『竜活の呪い』発動中の私は翅などが巨大化し、色々とゴチャゴチャしているので仕方がないのだが。
「続けて……
では次。
『呪憲・
再生成したルナアポを手に握って、呪法と伏呪を乗せた『石化の邪眼・2』を壁に撃ち込み、石化させる。
それからルナアポをドゴストに飲み込ませた。
「『
ドゴストの口からルナアポが壁に向かって放たれる。
放たれたルナアポは石化によって若干もろくなったはずの壁に衝突し、一瞬の拮抗の後に壁を粉砕。
その向こう側へと突き抜けていくと同時に、衝撃波が撒き散らされ、残された琥珀色の壁が粉々に砕け散り、虹色の霧と炎が立ち込めていく。
『馬鹿な……こんなふざけたことが……』
「ふふふ、素晴らしい未知だったわ。ありがとう、ムミネウシンム」
そして虹色の霧と炎がある程度晴れた時、周囲の光景は一変していた。
まず目に入ったのは、体の半分以上が千切れ飛ぶと同時に、傷口の断面から血のように蜜を体から流すと共に、体の一部が虹色の石……オパールのような物体と化しているムミネウシンムの姿。
続けて、床も壁も天井も虹色の炎に包まれた空間。
こちらもまた部分的には琥珀ではなくオパールと化しており、蜂カースたちもそれに巻き込まれているようだった。
「けれど残念だったわね。未知を切り開き、既知を広げるのは私の性質と言ってもいい。そんな私に対して封印と言う行動は最も効果が薄い攻撃だと言ってもいいわ」
『これでは……こんな事では……』
「では改めて名乗りましょう。ムミネウシンム」
どうやらムミネウシンムはまだ体勢を立て直せないようだ。
だから私は時間を与える意味でも、ゆっくりと、仰々しく、ルナアポをネツミテの先端に再生成しつつ、堂々とした姿で、周囲に私の威光を、虹霓の領域を広げるかのように名乗りを上げる。
「私は『虹霓境究の外天呪』タル。外より来たりし呪いにして、語られる事すら拒みし否定にして無意識の神を祖の一に持つもの。さあ、未知を既知とする変化を、狂気を、この場へともたらしましょう」
そして、『蜜底に澱む呪界』全体が音を立てて崩壊を始めた。