3:ファーストチェック-1
「ん……」
私は目を開ける。
するとコンクリートが剥き出しの部屋が一瞬映り……
「っつ!?」
視界の歪みと違和感、それに伴う鈍痛に私は思わず目を閉じる。
「あー、はい。そうよね。今の私の目は13個。いきなり全部開いたら、2個の目しかなかったリアルの私の脳みそじゃ追いつかないわ」
原因は分かってる。
異形の姿になった影響の一つだ。
とりあえず周囲の音を聞く限りでは、私が今居る場所には私以外に動く気配はないのだし、セーフティーゾーンの類だと思われるこの部屋で一つ一つ確認し、このアバターに慣れていくとしよう。
「まず、目を閉じても視界の左上に見えている二本のゲージがHPと満腹度だったかしら」
私の視界の左上には緑色のバーと黄色のバーが置かれている。
緑色がHPで、黄色が満腹度だ。
なお、『CNP』にはMPと言う物は存在しない。
「右上の歯車は設定画面ね」
私が意識すると、視界の右上に歯車が表示されて、表示された歯車を意識すると、設定画面が表示される。
内容としては……ログアウトのボタン、痛覚設定、HPと満腹度のバーの表示と非表示、称号の設定、他にもフレンドリストやブラックリスト、ゲーム内掲示板に時計、ゲーム映像の録画や投稿の設定……うん、一通りは揃っているらしい。
とりあえず痛覚設定はデフォルトの50%のままでいいかな。
称号については『呪限無の落とし児』なるものをセット。
他は……必要になるまでは弄らなくていいか。
「では、目を開けていきましょうか」
さて、何時までもプールに浮かんでいるような状態で居る訳にもいかない。
まずはこの場をきちんと把握しなくては。
「両目」
私は顔に付いている二つの目を開ける。
見えるのはコンクリートが剥き出しの天井だ。
「胸の目」
鎖骨の間にある目を開く。
少しだけ視界が下方向にも広がると共に、天井までの距離がよく分かるようになった気がする。
後、私の顎の下とかも見える。
「両手の目」
両手の甲にある目を開く。
掌は天井に向いているので、私の体の下方向を見ることになる。
で、予想としてはプールか何かが見えると思っていたのだが……予想に反して見えたのは、10センチにも満たない距離にあるコンクリートの床だった。
どうやら、私にかかっている呪いの一つの効果で、僅かにだが宙を浮いていたらしい。
道理で、水面と空気の境で感じる様な感触が無いはずである。
「両足の目」
さて、そろそろ開く目を増やそう。
私は両足の甲にある目を開く。
あ、これは面白い。
今現在の私の足の指先は天井を向いているから、甲にある目は私の体を下から見上げる様な状態になっていて、普段は絶対に見えない胸の下とか見える。
「翅の目、一、二、三、四、五、六」
私の背中に生えている六枚の翅、その先に付いている目を開く。
横方向への視界が一気に広がる。
そして、翅の目が開かれたためか、360°どころではなく、前後左右上下全ての方向が一度に見えるようになる。
「不思議な感覚ね……」
部屋の中を見渡す……のではなく、ただ見る。
ただそれだけで、コンクリートが剥き出しの部屋に、机のようにも見える台、緑色の液体が静かに湧き出している器のような物、赤と紫と黒が混じった薄い霧、外に通じているであろう金属製の扉が見える。
また、今の私が身に付けているのが胸と股間を隠すためだけに存在しているようなボロ布2枚と、ルーペのような物が付けられたネックレスだけであることも確認できた。
ついでに言えば、元からの目以外は肌の上に半球状に飛び出しているようで、それぞれの目の視線の向かう先を動せば、かなりの範囲を身動き一つ取らずに正確に見る事が出来そうである。
「さて、そろそろ立ち上がりましょうか」
何時までも大の字になって床に寝ている訳にもいかない。
なので私は右腕を動かし、右手を床に着いて立とうとしたが……
「へ?」
立てない。
床に着こうとした右手が床に触れない。
触れる前に見えない何かで押し返された挙句に、手を着く角度が僅かに斜めであるためか、思いっきり滑る。
「も、もう一度……」
私は今度は両手で床に手を着こうとする。
だが着けない。
どうしても滑る。
表現が難しいが、触る事が出来ないのに、しっかりと弾性は存在している、非常に滑りやすい油の上で寝転がっているとでも言えばいいのだろうか。
とりあえず普通の方法では立てない。
「これは72時間以内なら返金や再作成に応じるのも納得ね。絶対に他にも地雷な呪いがあるでしょ。下半身が魚になるとか、全身がものすごく臭くなるとかで」
私は確信を持って呟きつつも、手足を動かしたり、首を動かしたりする。
その結果として、上半身を起こすだけならば腹筋で起こす事は出来た。
そして、体を動かしている間に、何となくだがこの呪いの性質のような物も見えてきた。
「ふんっ!」
私は一気に両手両足を床に向かって動かす。
すると一瞬ではあるが、私の両手両足はコンクリートの床に触れ、その反動を私の体に返す。
「よし、何とか立て……」
そう、私の呪いが私の身体と地面を引き離すのには、少しではあるが時間が必要になる。
その時間はゆっくり手を着いたり、歩いたりするような動作では問題になるが、今のように勢いよく動かせば、影響が生じるよりも早く目的を達成する事が出来るのだ。
「っつ!? あ、危ない……わね……」
が、立ったら立ったで、今度は油の海の上に立つようなもの。
膝を僅かに折り曲げ、腰を落とし、両手を広げ、女子としてあまり人様に見せてはいけないのだろうと思わせる姿にならなければ、とてもではないが立ち続けていられない。
と言うか、こうしている今も、気を緩めたり、体勢を少しでも崩したりしたら、倒れそうな気配がある。
そして倒れたら、容赦なく頭などを打つことになるのだろう。
この呪いが効果を発揮するのに必要な時間から、それは間違いない。
「歩くのは無理だから……跳ねる!」
また、立っただけで終わりではなく、私は此処から移動しなければならない。
私は膝を一気に伸ばす事で、片足を床に着け、その反動を得て宙に舞う。
「よし……くないっ!?」
そして着地しようとするも呪いによって見事にすっ転び、床に体を打ち付け、全身を襲う鈍痛に悶絶する。
HPバーも僅かにだが減っている。
『CNP』プレイ、初めてのダメージが自爆とは恥ずかしい……ものでもないか、たぶん、私と同じような人は他にも居るだろうし。
「なんにせよ、これは緊急用の回避手段にしかならないわね……」
地面を蹴って移動するのは、本気で使うなら、着地の瞬間に四つん這いのような姿勢になって、滑る事も計算に入れて立ち回る必要があると思う。
とりあえず普段の移動手段にならない事だけは確かだ。
「もう一度立って……」
私はもう一度立ち上がると、今度はすり足を試す。
が、これはその場で足が前後するだけだった。
思えば生物が地面を歩けるのは、地面を蹴った反動が得られる以上に、地面との摩擦が存在することが大きいのだろう。
だが、今の私はその摩擦が得られない状態にある。
ならば、普通に動けないのは当然の話だった。
「じゃあ、翅を使ってみましょうか」
だったら普通でない方法を使えばいい。
と言う訳で、私は背中の翅へと意識を回して、ゆっくりと背中側から私の前へと動かしてみる。
「案外動くわね」
すると私の体は背中側に向かってゆっくりと、地面の上を滑るように動いていく。
「ふむふむ」
翅を逆に動かすと、先程動いたのと同じ距離だけ、私の体は移動。
元の位置に戻ってくる。
「……。えーと、確か鳥は打ち下ろす時は羽を広げて、上げる時は翅を折り畳んで出来るだけ小さくするよね」
はい、意識して翅を動かさないと、結局一歩も動けません。
と言う訳で私はその場で翅の折り畳みと広げ、それと六枚の翅を個別に動かす練習を始めると共に、気になる事を幾つか試すことにした。
そうして六枚の翅を細かく操る事によって、どうにかリアルで普通に歩くのと同じぐらいの速さで、体の向きも含めて自由自在に動き回れるようになった。
「ふう。これで探索は出来るわね」
要した時間はゲーム内時間で8時間ほど。
『CNP』は時間加速システムによって、体感時間密度が現実の3倍の密度になっているそうだが、私の脳が8時間分働いたことには変わりない。
なので私は一度休憩も兼ねて、ログアウトをする事にした。
02/24誤字訂正