45.恋をして
ディエ様と触れ合っていると、ずっとそうしていたくなってしまう。
朝だって夜だって関係ない。この腕の中にずっと居られたらいいのに。
わたしはそんな甘い誘惑を断ち切って、寄せていた体をそっと離した。ディエ様はわたしの目元に口付けを落としてから、回していた腕を落としてくれる。
「ディエ様、コーヒーのお代わりはいかがですか?」
「もらう」
「お砂糖とミルクは?」
「いらねぇ」
そう言うと思っていたけれど、一応。
魔法のおかげでまだ温かいポットを持ち上げて、ディエ様と自分のカップにコーヒーを注ぐ。ふわりと漂う香ばしさ。うん、いい匂い。
ディエ様のカップには何も入れず、自分の分にはお砂糖をミルクを注ぐ。ミルクを入れると渦を描くように色が変わっていく様が好きだった。
ソーサーに載せたカップをディエ様の前に置くと、「ありがとう」と言ってくれる。そういえば初めてディエ様に紅茶を淹れた時もそうだった。紅茶を出したらありがとうと言ってくれて、拙い紅茶でも美味しいと言ってくれた。
ディエ様は変わらない。あの時からずっと、優しい。
「何笑ってんだ」
「いいえ、何でも」
怪訝そうに眉を寄せるディエ様だけど、それ以上追及してくる事はなかった。カップを持って口に運び、コーヒーを楽しむ事にしたようだ。
わたしはテーブルに残るケーキに向き合う為にフォークを手にした。
次はミルフィーユを食べよう。食べにくいミルフィーユだけど、食べ方は以前、ルカとリオに教えて貰っている。
まずナイフとフォークを使って横に倒す。そうするだけで、ぐっと食べやすくなるのだから不思議なものだ。
ナイフを入れると、パイ生地のさくさく加減が伝わってくる。軽やかな音を立てる生地を一口大に切り分けて口に運ぶと、香ばしささえ感じる生地と生クリームが見事なバランスをとっている。
「ミルフィーユも美味しい」
チョコレートタルトとミルフィーユ。美味しいものをこうやって一気に食べられるなんて。
幸せを感じながらまた一口分を切り分けて、今度はイチゴと一緒に口に入れた。甘酸っぱさがまた美味しい。
「幸せそうで何よりだ」
ディエ様が笑いながら、チョコレートタルトをフォークで切り分けている。甘いものをそんなに好まないと言いながら、わたし達が作ったものは必ず食べてくれる。
「美味しいものがいっぱいで、好きな人が隣に居て。これ以上の幸せなんて考えられないですもの」
「おい、その言い方だと俺がついでみたいに聞こえるぞ」
「まさか。好きな人と食べたらもっと美味しいって事ですよ」
「そういう事にしておくか」
ディエ様には珍しい、拗ねたような口調に笑みが零れた。
崩れたパイ生地の欠片をクリームで集めて口に運ぶ。うん、欠片まで美味しい。
「美味しいものも、綺麗な景色も。何もかもディエ様と一緒だから嬉しいんです。ディエ様もそう思ってくれていますか?」
タルトを食べたディエ様が、またコーヒーカップを手に取った。
わたしに向けられる眼差しがあまりにも穏やかで、また心臓が騒いだ。
「お前と一緒じゃなきゃ、こんな時間も取ってねぇよ」
遠回しな言い方だけど、その気持ちは伝わってくる。
二人で居る事が特別だと。そう思っているのがわたしに流れ込んでくるようだった。
「……ディエ様はわたしを喜ばせるのが上手です。ちょっとだけ、わたしが言わせた感も強いんですけど」
嬉しさと恥ずかしさを誤魔化すように茶化すように言葉を紡ぐと、ディエ様は可笑しそうに肩を揺らした。
「態度だけじゃなくて言葉で示して欲しい時だってあるだろ。そんな時はいつだって俺に言わせていいんだぞ。俺は俺の想いのままに言葉を紡ぐだけだ」
「またそうやって、わたしを甘やかすんですから」
「可愛い妻を甘やかして悪い事なんてないだろう?」
甘い言葉を重ねられて、わたしの顔には熱が集うばかりだ。
羞恥も飲み込んでしまおうとカップを口に寄せてコーヒーを飲むけれど、まだ熱くて少し噎せてしまった。舌がじんじんと痛む。
「何やってんだ、お前は」
「……ディエ様のせいです。舌も火傷しちゃいましたし」
「人の世では軽い傷は舐めたら治るって言うんだったな。その火傷も舐めて治してやろうか」
「結構です!」
笑うディエ様に、また揶揄われたと気付く。
でも苛立ちを感じる事はなく、わたしも一緒に笑ってしまった。甘い言葉が恥ずかしいけれど、その全てが本心だって分かっているから。
言葉は沢山頂いたから、次はやっぱり……温もりが欲しい。
「……くっついてもいいですか」
「今更。ほら、おいで」
揶揄ったその口が、今度は優しく囁いてくれる。
嬉しそうに鼓動が弾んで、触れ合ったら音が聴こえてしまうかもしれない。でも広げられた両腕に飛び込む以外に考えられない。
胸元に顔を寄せるように体を預け、わたしからも両腕を背に回した。
とくんとくんと聴こえる鼓動。シャツ越しに伝わるのはわたしよりも高い体温。
触れ合ったらそれだけで、わたしの想いは膨らんでいくばかりだ。
「ディエ様、わたし……今までずっとディエ様の事が好きだったじゃないですか」
「うん」
「でもきっと昨日よりも今日の方が、ディエ様の事が好きなんです」
「うん?」
「好きって気持ちが昨日よりも強く溢れていって……きっとわたし、今日もディエ様に恋をしているんだと思います」
ディエ様がわたしをきつく抱き締める。
髪に頬を擦り寄せてくるのが少し擽ったいけれど、嬉しく思う気持ちが強い。
こんなにも素敵なひとだもの、わたしが何度も恋に落ちるのも当然だ。
わたしは毎日、ディエ様に恋しているんだ。
「いまだにディエ様にくっつくのは慣れません。嬉しいのと恥ずかしいのとが色々と混ざって……でもやっぱりくっつきたくて。心臓がおかしくなって壊れそうで、息の仕方だって分からなくなるくらいです」
「……随分と熱烈な口説き文句だな」
胸元から目線だけを上げると、ディエ様の耳が赤く染まっているのが見える。
わたしに向けられる眼差しに熱が籠っている。でもそれはきっとわたしも一緒。
「愛してるんですもの」
想いを口にしたら、ディエ様がぎゅうぎゅうと抱き締めてくる。応えるようにわたしも腕の力を込めて、これ以上は溶け合うしかないほどに体を寄せ合った。
ああ、いっそ溶け合ってしまえたらいいのかもしれない。
「ディエ様の事を愛しています。それと同時に、恋のときめきも感じるのです」
「お前は……」
掠れた声で小さく呟いたディエ様が、片手をわたしの顎に掛ける。ぐいと上を向かされたと思ったら、唇が重なっていた。
いつもよりも荒々しくて、激しい口付けに翻弄される。でも離れたくなくて、応えたくて。背に回した手の指先でシャツの布地を握り締めながら、交わす口付けは嵐のよう。
呼吸まで飲み込まれ、くらくらするのは息が出来ないだけじゃなくて──注がれる熱のせい。
「……俺だってお前を愛してる。クラリス、お前が思うよりもずっと……俺はお前に溺れてる」
わたしの濡れた口元をディエ様が親指の腹で拭ってくれる。
浅く短い呼吸を繰り返しているうちに、ぼんやりとしていた視界も戻ってきたようだ。
「これからもずっと、俺に恋して過ごしてろ」
そんな事を口にするディエ様が格好良すぎるものだから、落ち着きを取り戻したはずの鼓動がまた騒いだ。
ただ何度も頷くしか出来ないわたしが、どんな顔をしているのか。ディエ様が蕩けるような笑みを浮かべているから、何となく分かってしまうけれど。
赤と黄の瞳が熱を孕んで色を濃くしている。でもきっと、それはわたしも一緒。
吐息が重なって、唇が触れ合って。ディエ様がわたしの後頭部に片手を回して、くしゃりと髪を撫でてくれる。
溺れているのはわたしの方だ。
深まる口付けに視界が滲む事を感じながら、頭に浮かぶのはそればかり。愛しい気持ちがまた溢れ出していく。
今日も明日も、わたしはディエ様に恋をする。
恋を重ねて、愛を積み上げて──幸せが彩られていくのだ。
その全てが、愛しい人と共に在る。
花の香り。暖かな風。空は青く、薄い雲がたなびいている。
美味しいケーキと甘いコーヒー。
これからもこんな毎日を過ごしていくのだろう。
ディエ様に、恋をしながら。
これで完結となります。
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