20.可愛いと言ってほしい
雨の音で目が覚めた。
枕元の時計を見れば、起きる予定の時間も近い。大きな欠伸を手で隠しながら起き上がったわたしは、両手を上に伸ばしてから寝台を降りた。乱れた上掛けを直すのは後にするとして、まずは祈りを。
そう思って窓に近付き、カーテンを開ける。広がっていた朝焼けが、神々しい程の美しさで中庭の花々を照らしている。赤金の色に染まる花を濡らす雨。朝焼けの色を濃く映すのはうっすらとたなびく雨の雲。
あまりにも綺麗な光景に、わたしは暫くの間動く事も出来ずに見惚れていた。
朝のお祈りを済ませたわたしは顔を洗って、いつものお仕着せに──着替えようとしたところで、部屋の扉をノックする音が聞こえた。それから、鈴のような軽やかな声。
「クラリスクラリス、起きているか」
「クラリスクラリス、朝早く済まないがいいだろうか」
ルカとリオだ。
二人の朝も早いのは知っている。わたしが厨房に向かうと丁度二人と行き会う事が多い。でも今までにこうやって、部屋まで来た事は一度もなかった。
何かあったのかと、寝着のままだったけれど扉へと駆け寄った。
「おはよう。何かあった?」
開いた扉の先にいた二人は、既にいつもと変わらない身支度を済ませていた。
お仕着せにフリルの白エプロン、三つ編みにした金髪はピンクのリボンで飾られている。
「起きていてよかった」
「入ってもいいだろうか?」
二人の様子に切羽詰まったものはない。
それにほっとしなしながら、部屋に入って貰う為に大きく扉を開けた。
「それで……どうしたの?」
「クラリスには今日は別のお仕事をお願いしたい」
「それの為の準備に来た」
部屋に入るなり、ルカはわたしのことをドレッサーの前に座らせた。
二人が朝早くから部屋に来るくらいだ、その『別のお仕事』というのはそれだけ重大なものなんだろう。緊張する事を自覚しながら、鏡越しにルカに問いかけた。
「別のお仕事?」
「クラリスにしか出来ない仕事」
にんまりと笑うルカの様子に既視感を覚えた。【冬の星祭り】でディエ様とお出掛けした時にも、こんな事を言っていなかっただろうか。
ルカは機嫌よくわたしの髪を梳かすと、耳上の髪を両側から後ろに集めている。そこで何やら……見えないけれど、たぶんその髪を三つ編みにしているのだと思う。襟足辺りで結んだかと思えば、鏡越しではもうよく分からないような手の動きをしていた。自分でやろうとしてもたぶん無理だ。
手際よく仕上げたルカは大きな鏡を持って、合わせ鏡でわたしに髪を見せてくれた。
わざと崩したらしい緩い三つ編みに、ねじりが加えられてとても可愛らしい。三つ編みの終わり、結んだところには大きな赤いダリアが飾られていた。
「素敵。とっても可愛いわ」
「ふふ、そう言ってくれて嬉しい。クラリスの髪はいじりがいがある」
「そう? 特別長くもないから、自分で結ぶにはなかなか難しいの」
「でも少し伸びた。もう肩から落ちる程に」
「ここに来た時は肩に触れるくらいしかなかったものね」
顔を左右に動かし、色んな角度から髪型を見る。うん、やっぱり可愛い。
「クラリスクラリス、今日はこのワンピースにしよう」
クローゼットからリオが持ってきたのは、濃紫のワンピースだった。立てた襟や、同色のレースに覆われた胸元は少し大人っぽく見える。スカート部分には全面に刺繍が施されていて、とても素敵。
「……もしかしなくても、お遣いなのね?」
「クラリスは勘がいい」
にっこり笑うリオはわたしの言葉を否定しなかった。
それからわたしはそのワンピースを着て、ルカにお化粧をして貰った。
いつものお仕着せももちろん大好きなのだけど、華やかな装いは心が踊る。可愛らしく仕上げて貰ったわたしは、浮かれながら双子と共に厨房へと向かったのだった。
朝食を終えて、いま──
わたしは王都近くの森の中にいた。ディエ様と一緒に。
そう、今日のお遣いはディエ様と一緒にと双子に言われてしまったのだ。元々はディエ様が買い出しを担っていたのだから、それもそうかという話なのだけれど。
「よし、行くか」
ディエ様はわたしがついていく事に異論はないようで、こうして一緒に連れてきて下さった。ルカとリオは何やら含んだような笑みを浮かべていたけれど、これはただのお遣い。それ以上でもそれ以下でもない。……と、わたしは半ば自分に言い聞かせていた。
不意に冷たい風が吹いた。
神域ではいつも春の穏やかさに包まれていたから、こうして冬の風を浴びると驚いてしまう。身を縮こまらせたわたしに、ディエ様が目を向けた。
「寒いか? もっと暖かな装いの方が良かったかもな」
「いえ、充分過ぎるほどに暖かい支度をしてもらいました。今まで暖かい場所にいたものですから、冷たい風にびっくりしてしまいまして」
「それもそうか」
わたしは以前と同じく白いコートに白い手袋を着けている。コートの襟元に飾られたピンは、今日はダリアだ。髪飾りと揃えてくれているのだろう。
コートも手袋も厚い生地だから冷気が入り込むこともない。それに薄い紫のマフラーもしているし、足元の編み上げブーツもしっかりとした作りだ。完璧な冬の装いである。
ディエ様も濃紺のコートに白いマフラーと、暖かそうな装いをしている。
赤と黄の変わった瞳もそのままで、美貌も相俟って人目を引くのでは……と思ったけれど、そういえば前回の【星祭り】では誰もディエ様に目を向けなかった。
こんなにも素敵なのに。それに今までの買い出しでもディエ様の見目なら目立ってしまうんじゃないだろうか。一目見て好きになってしまう人達が居たっておかしくないのに、そんな話も聞いたことがない。
「……変な事を考えてないか」
咳払いと共に掛けられた声に、はっと我に返った。
「心を読むのはやめて下さい」
「顔に出てる」
心を読まれたと思うのだけど、それについて追及するのはやめた。ディエ様に口で敵う気はしないもの。
「そんなことよりディエ様、今日のわたしは可愛いと思いません?」
「いきなり何言ってんだ」
「髪型だってお化粧だって、服装だって可愛いと思うんですよ。二人がめいっぱい手を掛けてくれたので。それでですね……何か言いたい事はないでしょうか」
「強制的に聞こえるぞ」
「そんな強制なんてしませんよ。でも客観的に見ても今日のわたしは可愛いと思うんですよ。それについてディエ様が何か言う事はないのかな、とちょっと思っただけでして……」
呆れたように肩を竦めるディエ様が腕を軽く曲げてくれる。手を添えるよう促しているのだろうと、わたしは迷わずにその腕へと手を掛けた。
前回と同じ、はぐれてしまったり人にぶつかったりしない為だ。ディエ様はそう思っているだろうけれど、わたしは違う。どきどきするし、嬉しいし、なんだかふわふわと落ち着かない。
「あー……可愛いんじゃないか」
「そうでしょう。そう言ってくれると思ってました」
言わせた感が強いけれど、それでもいいのだ。
嬉しさに笑みを零すとディエ様が肩を揺らしているのが分かった。赤と黄の瞳が優しく細められている。
「今ので満足できんのか」
「
「気持ちを表に出さないんじゃなかったのか」
「そう言いましたけど、やっぱり気持ちを声に出して育てていくことにしたんです」
「変なやつ」
ディエ様はわたしによく『変なやつ』というけれど、もしかしたら褒め言葉なんじゃないだろうか。
浮かれているわたしはそんな事を機嫌よく思っていて、心が読めるであろうディエ様はそれを否定しなくって、わたしの笑みは深まるばかりだ。
いや、浮かれてばかりもいられない。
今日は買い出しなのだから。ディエ様の負担を減らすべく、わたしがついてきているのだもの。ご迷惑を掛けないようにしなければ。
そんな事を考えながら、王都へと足を進めていく。
森と言っても王都に隣接しているようなものだ。道も整備されているしあっという間についてしまう。
「おい」
「はい?」
そういえばディエ様はわたしの名前を呼んでくれないな。
「服も化粧もいいが、髪型が一番似合ってる。可愛いんじゃないか」
不意打ちに足が止まった。
顔から火が出ているんじゃないだろうか。ぐらぐらと体の中で何かが茹ってしまいそう。
口を開くも何も言えないでいるわたしを見て、ディエ様は悪戯っぽく笑った。
それさえ素敵だと思ってしまうんだから、もう自分でもこの気持ちはどうにもならないなと気付いてしまった。