18.お茶会でぼんやり
夢見が悪かったような気もする朝。
悪かったようなそうでもなかったような……思い出そうとすればするだけ、夢が霧の中に消えていくようだ。大した夢でもなかったのだろう。
顔を洗って鏡を見ると、目の腫れもすっかり引いていた。目が赤くなっていることもない。
うん、
朝食の席でディエ様と一緒になっても、昨日よりも普通に出来たと思う。
ディエ様は何も触れないし、わたしも言わない。ただ食事時の些細なお喋りを楽しむだけ。
それだけでわたしの胸は弾むから、自嘲で苦笑いが漏れてしまった。
お掃除もお洗濯も、ディエ様に隠れることなく出来た。
ディエ様は広間に居たり、中庭に居たり、黒豹の姿でお昼寝したりよく見かけたけれど……それだけわたしが目で追いかけてしまっているのか。その視線に恋慕が隠せないかもしれないから、気をつけなければと思った。
そしておやつの時間。
今日はわたしの部屋で、ルカとリオと一緒にお茶をすることにした。
ソファーには二人に座ってもらい、わたしは一人掛けの椅子に腰を落ち着ける。
ルカは刺繍の続きをするようで、リオは本を読むようだ。わたしはというとレース編みの続きをしようと思っている。
テーブルセンターをレースで編もうと思っていて、少しずつだけど形になってきているところ。これが上手く出来たら、今度はボレロとかストールも作ってみたいとわくわくしているのだ。
不器用ではないが器用でもない。そんな自己評価を今までしていたけれど、好きなものにならそれは当てはまらないようだ。難しいところは双子に聞いたりしているからでもあるけれど、中々綺麗なレースが編めているのでは、なんて。
テーブルの上には紅茶とクッキーが用意されている。
昼食後にわたし達が焼いたクッキーで、真ん中にはイチゴのジャムを乗せてある。このジャムはリオの手作りで、朝食の時にはわたしが必ず食べる大好物でもあった。
「
「主様は食べると言っていた?」
焼き上がって粗熱を取ったクッキーとコーヒーを、ディエ様に届けて欲しいと頼まれたからその時の話だろう。
トレイにそれらを載せたわたしは図書室に居るというディエ様の元にそれを届けた。どうして昨日の今日で図書室なのかと思わないでもなかったけれど、図書室でディエ様は本を読んでいらした。
本に視線を落とすディエ様の頬に、睫毛が影を落としてとても綺麗。
柔らかな光の差し込む窓の側で椅子に座り、何やら分厚い本を読んでいるその姿はまるで絵画のようにも見えた。
わたしがトレイをテーブルに置くと、顔を上げたディエ様は「ありがとう」と言ってくれる。それに笑みを返したわたしは、双子と一緒に作ったことや、今日のコーヒーはリオが丁寧に淹れただとか、そんな事を口にしていたと思う。
ディエ様が何か言いたげに口を開くから、一気に喋ってその場を離れた。図書室が少し心の傷になりそうだけど、そうも言っていられない。少しずつ慣れていかなければ。
「ありがとうって言ってらしたわ」
「それなら良かった」
「今日のクッキーも美味しく出来た」
二人はそれぞれ手元に目を落としながら、可愛らしく頬を緩めている。
つられるようにわたしも笑みを浮かべながら、籐籠の中から編みかけのレースとシャトルを取り出した。
クッキーも食べたいけれど、少しこっちに集中しよう。こないだはおやつを食べてばかりで目を落としてしまっていたから。この部分だけ作ったら、少し休憩。
そう決めたわたしは、初めて習った時よりも滑らかにシャトルを動かしていった。
「──リス、クラリス!」
大きな声にはっとする。
びくっと体が跳ねて、驚きに心臓がばくばくと騒がしい。思えば最近、胸が落ち着いている時なんてない気がする。酷使してしまっているけれど、どうしようもない。
「クラリスクラリス、大丈夫か」
「クラリスクラリス、起きているか」
「……え?」
驚きからかぼんやりしていたわたしは、椅子の周りにいる双子に目を向けた。何だかやけに目が乾いていて、瞬きを繰り返すと少し痛むほどだ。
ルカとリオ。二人はソファーでそれぞれ好きな事を楽しんでいたのに、一体どうしたと言うのだろう。
「どうしたの?」
「クラリスが動かなくなった」
「クラリスが止まってしまった」
「やだ、わたし眠ってしまっていた?」
寝不足ではないはずだけど、そういえば……最近ぼうっとする事が増えたかもしれない。
自分では分からなかったけれど疲れている? ……いや、子爵家に居た時に比べたら楽にのびのびと過ごしている。
「目は開いていた」
「瞬きもしなかった」
「え、こわい」
わたしは膝の上に編みかけのレースを置くと、心配そうにこちらを見つめる二人の頭にそっと触れた。
「少しぼんやりしていたみたい。昨日夢見が悪かったから、そのせいかしら」
正直なところ、あんまり覚えていないのだけど。でも良い夢ではなかった気がする。だからきっとそのせいだ。
軽い調子で笑って見せたのに二人の顔は曇ったままだ。そんなにおかしい状態だったのだろうか。
膝に置いたレースに目を向けると、まったくと言っていいほどに進んでいない。
テーブル上の紅茶はすっかり冷めているようなのに、わたしは何をしていたのだろう。
「大丈夫。心配させてごめんなさい」
先程よりも明るい声でそう告げると、リオとルカは顔を見合わせてそれからようやく笑みを浮かべてくれた。
それにほっとしたわたしは編んでいたレースを籠に戻した。今日はもう編む気にならない。また明日からやればいいだろう。時間はあるのだから。
二人がソファーに戻ったのを見て、わたしは紅茶のカップを手に取った。やっぱり冷めて香りも飛んでしまっている。
口に運ぶといつもより苦味が強い。やっぱり温かいうちに飲むんだった。
「クラリスクラリス、ぼんやりというのはよくある事?」
「よく……というか、最近かしら。きっと春が近付いているからね。わたし、季節が変わる頃は眠たくなってしまうの」
「クラリスは眠たい?」
「そうね、早い時間に眠るようにはしているのよ。朝に起きるのは苦じゃないんだけど……どうしたの?」
二人の声には、まだわたしを気遣うような色が残っている。
それでも二人は揃って首を横に振ると、にっこりと笑みを浮かべてくれた。
「なんでもない」
「なんでもない」
きっと心配してくれているのだろう。
勘の良い二人の事だ、わたしがディエ様に振られてしまった事ももしかしたら知っているのかもしれない。それで余計に気遣ってくれているのだろう。
そう思いながら、クッキーをひとつ口に運んだ。
サクサクと軽い仕上がりに、甘みの強いジャムが良く合っている。艶々なジャムはまるで宝石のように見えて……ディエ様の瞳にも少し似ていた。