14.冬の星祭り④
双子に頼まれていた【青星のチョコレートケーキ】の販売時間になった。
わたしは時間を把握していなかったのだけど、日が暮れ始めた頃になってディエ様は金色の懐中時計で時間を確認した。パチンと高い音を響かせながら蓋を閉め、コートのポケットにしまう仕草も何だか様になっている。
リオに頼まれたディエ様が以前に予約をしていたようで、ディエ様の手にはしっかりと予約票が握られている。それのおかげでお店に並ぶ事もなく、チョコレートケーキを手にすることが出来たのだった。
お店から離れて、ケーキの入った箱をディエ様が指で叩く。その瞬間、音もなくケーキの箱は消えてしまった。
先程から買ったものは全てディエ様が預かってくれているのだけど、一体どういう魔法なのだろう。不思議に思ってもディエ様は悪戯に笑うばかりで教えてくれはしないようだ。
王都を朱金に染めていた夕陽も、その余韻を残すばかり。
足元で溶けていた雪は次第に凍り始めているのか、足元で独特の音を響かせている。
ケーキも買ったし、もうあとは帰るだけ。
お祭りを楽しむ人たちの熱気はまだ冷めていないようだけど、わたし達の大事な用事は済んでしまった。
帰りましょうかと言いながら、手を添えたままだったディエ様の腕を引く。わたしに目を向けたディエ様は目を細めて微笑んでいた。
「もう少し付き合え」
「でもケーキを……」
「あいつらが食べるのは明日だろ。俺が持っていれば傷むこともねぇし気にすんな」
「そういうことでしたら」
もう少しディエ様とお祭りを楽しめるのか。
そう心の中で呟くと、また心臓が騒がしくなる。今日はいつもと違って、何だか落ち着かないのに……それは不快なものではなかった。
どきどきして、暖かくて、嬉しい気持ち。そんな想いで満たされる日。
「このあとは花を飛ばすんだろ? それを見てから帰るか」
冬の星祭りでは、夜になると魔石で作られた花を空に飛ばす、【青の花畑】という大きなイベントがある。
青く光る花々がゆっくりと空へと浮かび上がり、空に大きな花畑が出来る様子はとても美しい。母と家の窓から見ていた時も、その美しさに息を飲んだほどだった。
「ディエ様は【青の花畑】をご覧になったことは?」
「いままではケーキを買ったらすぐに帰っていたからな。実際に見たことはねぇ」
「ではきっと驚きますよ。とっても美しくて幻想的なんですもの」
「へぇ」
「夏は火の魔石を使って、【赤の花畑】が出来上がるんです。火で作られた大輪の花が夜空に浮かんでは消えていくのも、とても綺麗ですよ」
「じゃあ夏はそれを見に来るか」
ディエ様の言葉が嬉しくて、笑みを誤魔化すことなんて出来なかった。
だってディエ様は、
そこにわたしが居ることを当然のように思って下さる。それが嬉しくて、頬が緩んでしまう。
「花はどこで飛ばすんだ?」
「中央広場です。魔導士の方々が魔力を込めて飛ばして下さるんですよ」
「広場で見るのと俯瞰で見るのと、どっちが見やすいだろうな」
「近くで見ると花が昇っていく様を見られますし、遠くからだと花畑のように青く染まるのが見られます。どちらも素敵なので、あとは好みなのかと……」
「お前はどっちが見たい?」
わたしよりも自分を優先してくれて構わないのに。
ディエ様はこうしてわたしの意思を聞いて下さる。それはこのお祭りの中だけではなくて、神域に居る時からも変わらない。
それが嬉しくて甘えてしまうのだから──わたしもすっかり我儘になってしまった。
「わたしはどちらも好きですし、どちらも見ていますから。今回はディエ様のお好きな方を選んで下さい」
「そうか? じゃあ……」
ディエ様が腕を引いて歩くから、わたしもつられるように足早に歩き出した。
広場に向かうのか、それとも高台に向かうのか。ディエ様はどちらを選ぶのだろうと楽しみに思ってしまう。
しかしディエ様が向かったのは薄暗い路地裏。
お祭りで賑わう通りが明るいものだから、いつもより余計に暗く感じてしまう。賑わう通りとは対照的に人の気配はほとんどしない。
「ディエ様?」
片目を閉じたディエ様がとても素敵で、胸の奥が締め付けられる。
どこに行くのかを問うよりも早く、ディエ様とわたしの体は白い光に包まれていた。
光が弾けた先、わたし達が居たのは──広場の側にある時計塔。
普段は立ち入りを禁止されているはずの時計塔で、わたし達は大きな鐘のすぐ下にいた。鐘の周りは四本の柱が建っていて、鐘の音を響かせる為か壁はない。
普段は立ち入りを禁止されているはずの時計塔に居ると気付いて、わたしは驚きに目を丸くするしかなかった。
「ここなら昇ってくる花も見えるだろ」
「そうですが……いいのでしょうか」
「ここに上ってくる奴もいねぇし、下から俺らが見える事もねぇ。心配しなくても大丈夫だ」
ディエ様がそう仰るなら大丈夫なのだろう。
下の広場を覗き込むと、広場の人々は空を見上げている。だけどわたし達に気付いている人はいないようで、誰も気に留めてはいない。
広場に青い花が咲いた。ひとつ咲いたかと思えば、波紋が広がっていくように花が一気に咲き広がっていく。その美しくも幻想的な光景に大きな歓声が上がった。
「わぁっ……!」
広場の人々と同じようにわたしも声を漏らしていた。
ゆっくりと昇っていく花がわたし達の前を通っていく。魔石で作られた花なのに柔らかそうな花びらが広がって、触れてみたいと思ってしまう。
「へぇ、なかなか見事だな」
伸ばしかけていた手を慌てて引っ込める。わたし達がここに居ることは秘密なのだから、花を揺らしたりしてはいけない。危なかった。
隣に立っているディエ様の声も柔らかい。
その様子を窺い見ると、口元には笑みが浮かんでいて、楽しんで下さっているようだった。それにほっと安堵の息をつきながら、昇っていく花へ視線を戻した。
昇る花々が集まって、花畑を作っていく。
わたし達の居る時計塔よりも高い場所で広がっていく青い花畑。
手が届かないほどの高さだけど、それでも広場に居る人達よりは近い。
空が花で埋まっていく様を側で見られるなんて思ってもいなかった。何度も見た花畑がこんなにも近いなんて。
「……とても綺麗です」
「特別な日になったか?」
優しい声に目を瞬いて、ディエ様に向き直る。
わたしを見つめる赤と黄の瞳がいつもよりも深いように見える。溺れてしまいそうなほどに深いその瞳は、どこまでも美しくて──恋しい、と思った。
「……忘れられない、特別な星祭りになりました。ディエ様、連れてきて下さってありがとうございます」
「おう」
それからわたし達は、花が散ってきらきらとした光の欠片になるまでを、高い場所から見つめていた。
魔石が砕けたその青は、まるで雪の結晶のように降り注いでいる。広場に落ちる前に霧散して消えてしまうのだけど、その儚ささえ美しかった。
夜も深まり、冷えているはずなのに寒くない。
自分で触れてみた頬は冷たいのに、胸の奥がぽかぽかと暖かい。
月のない夜。青い大きな星だけが