11.冬の星祭り①
カーテンの隙間からは明るくなった空が微かに覗いている。
起き上がって大きく伸びをしたわたしは、のそのそと大きな寝台から降りる。最初の頃は端で縮こまるようにして眠っていたのに、今では寝台の真ん中で眠れるようになった。この柔らかくて気持ちのいい場所にすっかり慣れてしまったようだ。
カーテンを開けると夜空に瞬いていた星達が、ゆっくりとその姿を休ませていくのが見える。
遠くの稜線が金で刺繍されているように輝き出し、そして昇ってくる太陽が世界を赤く染めていく。わたしが今まで人の世で見ていた朝よりも美しく感じるのは、この世界がどこまでも清いからなのかもしれない。
朝陽を浴びながら
神様──ディエ様への感謝の祈り。それから、今日も
朝の光が段々と強くなっていく。
このゆっくりとした時間が好きだ。緩やかに、力強く色彩を変えていく空を見ているのが好きだ。朝はいつだって希望に満ちている。あの子爵家に居た時でさえも、朝は美しくて眩いものだった。
子爵家での生活が辛くなかったとは言わない。
でも……だからといって心を失うのはもっと辛い。あの人達を憎んでも何も変わらない。ただ自分が歪んでしまうだけ。なんて言いながら、腹立たしく思ったり憎らしく思う時もあったけれど……それに引き摺られないように、そう決めていた。
それを叶えてくれたのが、朝晩、それから食事の前に捧げる祈りだった。
祈ることで自分の中の靄も晴れていくような気がしていた。祈りは信仰深かった母を思い出させてくれる。気持ちの良かった神殿を思い出させてくれる。
立ち上がったわたしは窓を開いた。
涼やかな朝の風が部屋を満たしていく。深く息を吸ってゆっくりと吐く。いつのまにか眩いくらいに世界が明るくなっていた。
今日も素敵な一日になる。
そんな予感が胸いっぱいに広がっていった。
身支度を整えたわたしは厨房へと向かい、いつものように双子と一緒に朝食の準備をした。
全員で食卓を囲み、後片付けを済ませたら神殿のお掃除。それからお洗濯。
変わらない一日が始まるはずだったのに──
──わたしはルカとリオによって、自室のドレッサーの前に座らされていた。
「……何をするの?」
「今日は大事なお役目がある」
「今日は何よりも優先すべきことがある」
ルカがわたしの顔に化粧を施しながら真面目な声で言葉を紡ぐ。
リオはクローゼットの中から、これまた真剣な声で同じような事を言う。
顔を滑るブラシが少し擽ったい。
瞬きをしてしまうと、「目を閉じて」と言われてしまった。言われた通りに視界を閉ざすと、軽やかな足音が近付いてくるのが分かった。クローゼットの方から聞こえたから、きっとリオだろう。
瞼に触れるひんやりとした指先。
それと同時に髪に触れられているのも分かった。支度をしているのは分かるけれど……着飾るような大事な何があるのだろう。
「今日は何があるの?」
出来るだけ動かないように意識しながら問いかけると、わたしを囲んでいる二人が笑ったのが分かった。薄目を開けて目の前の鏡を覗き見ると、二人はにこにこと機嫌よさげに笑っている。
目元にまた細い指が近付いてきたからそっと目を閉じた。目元に何かを塗った後、今度は唇に筆がのせられる。
「王都にあるステルラという菓子屋は知っている?」
「ええ、美味しいって評判のお店でしょう。行列が出来ているのを見たことがあるわ」
「ステルラでは毎年この日にしか販売しないお菓子がある」
「この日……今日は特別な日? ここに来てから日付に疎くなってしまって」
「今日は冬の星祭り」
「……もう星祭りの時期だったのね」
この場所にお世話になってから一か月以上が経っている。
そう考えると確かにもう星祭りの時期になっていてもおかしくないのだろう。
星祭りは年に二回、夏と冬に開かれる。
昼と夜の長さがほとんど同じになるその日には、空に
「ステルラで限定のお菓子を買ってくるという役目ね?」
「そう。【青星のチョコレートケーキ】を買ってきてほしい」
顔横の髪を編まれている気配にゆっくりと目を開けてみる。化粧は終わったのか咎められることはなかった。
ほんのりと色付いた目元、頬、それから唇。派手ではないその化粧はわたしによく似合っていた。
リオが顔横の髪を編みこんでいる。手際よく逆側も編むとそれを後ろに持っていって結っているようだ。
「分かったわ。でも、どうやって行ったらいいの? ディエ様にお力を貸して貰えるかしら」
「
髪を結い終えたリオがうんうんと頷いているのは、出来栄えに満足しているのだろう。
いや、ちょっと待って。いまリオは……ディエ様と一緒にと言っただろうか。
「いつもは主様に頼んでいる」
確かに買い出しにはディエ様が行っているし、お手伝いできるならぜひともしたい。
ルカに手を引かれて立ち上がったわたしは、リオが用意してくれていたワンピースに目を向けた。淡い菫色のワンピースは胸元に飾られたリボンがとても可愛らしいものだった。袖口や裾には揃いの白いレースが縫い付けられている。
「用意して貰って言うのも何だけど……買い出しならお仕着せでも良かったんじゃないかしら。お化粧や髪形も、こんなに可愛くしてもらうなんて……」
着替えを手伝って貰いながら、申し訳なさに声が小さくなる。
買い出しなのにこんなに支度を整えて貰ってもいいのだろうか。
「今日はお祭り。楽しんでくるといい」
「今日はお祭り。はしゃいでもいい」
「でも主様から離れないように」
「主様に手を引いて貰うといい」
二人は優しい笑みを浮かべながらそんなことを言ってくる。二人の気遣いに目の奥が熱くなってくる。この場所に来てからというもの、すっかりと涙脆くなってしまったみたいだ。
お祭りを楽しむだなんて、いつぶりだろう。母がまだ元気だった時は、手を繋いで一緒にお祭りに行ったけれど……それももう遠い思い出だ。
「ありがとう。チョコレートケーキ、楽しみにしていて」
ステルラで【青星のチョコレートケーキ】を買ってくる。
お祭りを楽しむといっても、最大の目的はそれなのだ。忘れないように心の中で復唱をして、よしとばかりに頷いた。
「では行こう」
「主様が待っている」
わたしは用意されていた白いコートを羽織り、白い手袋をつけた。
手袋の手首には蝶々の刺繍がしてあって、とても可愛らしい。コートの襟元にも蝶々のピンが飾られているから、きっと揃えてくれたのだろう。
準備が整ったのを見て、二人がわたしの手を引いてくれる。
小さな手をしっかりと握り締めながら、胸がどきどきと早鐘を打つことを感じていた。