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第98話 15歳のイングリス・天恵武姫護衛指令6

「あははは。そんなあだ名付けられちゃったの、イングリスちゃん」


 イングリス達の話を聞くと、リップルは可笑しそうに笑った。

 今日は元気そうである。

 本音では辛いだろうし、例の症状が起きて目覚めた後や、ふとした拍子に表情が曇るのは見ていて分かる。

 が、努めて明るく振舞おうとはしてくれる。こちらに余計な気を使わせないためだ。


 状況はミリエラ校長の指示通り、各学年ごとのチームが一日交代でリップルの護衛に付いている所だ。

 今日はイングリス達の一回生の当番の初回。

 リップルはアカデミーの敷地内は自由に行動して問題ない、という事になっている。

 イングリス達も、なるべく授業を休まない方がいい。

 という事で、必然的にリップルが授業を見学しに来るような形になる。


 聞けば、上級生達の当番の時もそうだったらしい。

 それは国の守り神たる天恵武姫(ハイラル・メナス)が授業参観に来てくれたのと同じであり、他の生徒達の授業への士気も上がっていた。


「ええ。さすがに少し恥ずかしいです……」


 これでも自分の精神は、英雄王と呼ばれた一国の主。

 最近ではすっかり女性の体にも慣れたし、楽しめてもいる。

 だがまさか、おっぱいちゃん呼ばわりされる時が来るとは……人の運命は分からない。


「ユアちゃんって何か変わってるもんねえ。ボクも名前覚えてくれなかったなあ」


 天下の天恵武姫(ハイラル・メナス)の名前も覚えないとは、豪快な事だ。


「リップルさんは何と?」

「ケモ耳様」

「……」


 確かにリップルは獣の耳をしているけれども。

 一応偉い人だという意識はあるらしいが。


「まぁ別にいいけどね。ラフィニアちゃんは何て呼ばれたの?」

「小鬼ちゃん――」


 カミナリを落とされたのがちょっと怖かったらしい。


「……レオーネちゃんは?」

「二号ちゃんです――たぶん、ここで……」


 と、リンちゃんが埋まってくつろいでいる胸元を指差す。


「ああ、それつながりだ……リーゼロッテちゃんは?」

「ト、トンガリ……ですわ」


 髪が巻き毛で先が尖っているように見えるから――だと思われる。


「ははは。みんなめちゃくちゃだねえ」

「――まあユア先輩はクリス並みに変わってるけど、ちゃんとわかってくれたと思うわ。多分……問題はシルヴァ先輩よね。リップルさん、シルヴァ先輩に失礼な事言われたり、されたりしませんでした?」

「ん? 別に大丈夫だよ? ちょっと肩に力が入り過ぎてる気はしたけど――でもあの子、ボクと相性いいと思うよ?」


 とリップルが言うのを聞きながら、イングリスは目の前のチェスの駒を進める。

 対面には難しい顔をしたレオーネが座っていた。

 今日は座学の授業の一環で、チェスをやっていたのだが――

 少し教室に居残って対戦を続けていたのだ。


「ううっ……ま、参りました――」


 と、レオーネは肩を落とす。


「ダメだわ、何度やっても勝てない……! イングリスってば、敵が現れたら真正面から殴り倒す事しか考えない子なのに……っ!」

「人聞きが悪いよ――普段はあえてだからね」


 チェスと現実とは違う。現実の駒は成長をする。

 成長をして、全ての相手の駒を叩き潰すような真似も出来る。

 イングリスの普段の行動は、成長を最大化させるために思考された結果なのだ。

 つまり思慮深く敵に最短で突撃しているだけだ。


「まあねえ、クリスってチェスも強いのよねえ――昔からそうなのよ」

「普段の様子からは、そういう想像はつきませんわね」

「ところがどっこい、初めてやった時に自分のお父様に勝っちゃうし、ラファ兄様もウチのお父様も、一回も勝ててないのよねー」


 と、イングリス達の隣の盤面で対戦しているラフィニアとリーゼロッテが話し合う。


「ラフィニアさんはどうなのです?」

「あたし? あたしが勝てるわけないじゃない! ……見て分かるでしょ?」


 と、ラフィニアは少々恨めしそうな顔をする。

 盤面上はリーゼロッテの圧倒的優位である。


「そ、そうですわね――もう少し努力が必要ですわね」


 ラフィニアには、裏のかき合いや駆け引きの勝負は向いていない。

 チェスはそういうところが試されるゲームだ。ラフィニアが弱いのは当然である。


「まあ実際あたしが出来る必要ないし。困った時はクリスに任せればいいもん。ね?」

「いやいや、それでは一人前の自立した騎士として――」

「うん。全部任せてくれていいよ?」

「甘っ!? イングリスさん、あなたちょっとラフィニアさんに甘過ぎませんか?」

「そう? でもいいんだよ、わたしがずっとラニの従騎士でいればいいでしょ?」

「は、はあ――それでいいんですの? あなたの強さならば、武勲で地位も名誉も得られると思いますが?」

「うん。興味ないから」


 むしろ下手に出世などさせられる方が困る。前線に立てなくなる。

 この先そういう事があったとしても、自分が無印者の従騎士なのを逆に利用して、とことん拒否しようと思っていた。


「ははは……変な人ですわねえ」


 リーゼロッテが渇いた笑いを浮かべる。

 ついでに進めた駒で、あちらの盤面も決着がついた。


「うー! また負けたぁ……!」

「リップル様も一局如何ですか? お手前を拝見してみたいですわ」


 と、リーゼロッテがリップルを誘う。


「いやー。ボクもラフィニアちゃんと同じで、そういうのエリス任せだからねぇ。体を動かす方が得意かなぁ」

「では手合わせをしに行きませんか? ちょうど長い間座っていて体をほぐした方がいいでしょうし、適度な運動は精神衛生上にもいいですし、暴れた方がストレス解消にもなりますし――」


 すかさずさらりと誘いをかける。

 是非リップルには一度相手をして欲しかったのだ。

 天恵武姫(ハイラル・メナス)と戦える機会を逃してはならない。


「クリスうぅぅ~?」


 じとーっ。とした目でラフィニアに睨まれる。


「今は止めておきなさいよ、イングリス。リップルさんに何かあったらどうするの?」

「そうですわ。そんな場合ではないでしょう?」


 レオーネもリーゼロッテも呆れ口調だった。


「いやいやいや。決してわたしが戦いたいだけじゃなくてね? リップルさんの為にもいいかなあって――ね、ラニ?」

「ダメです。ワガママ言わないの。魔石獣が出て来るだけで十分でしょ?」


 と、ラフィニアに言われるが――


「んー? いーよ。じゃあやろっか?」


 と、リップルは意外にも首を縦に振ってくれたのだった。


「ほ、本当ですか!? ありがとうございますリップルさん!」

「戦闘したらどうなるかも確かめたいって、ミリエラもセオドア様も言ってたからね。ボクもイングリスちゃんの力を体感してみたいし――って凄く嬉しそうだね。ははは……」

「はい! わたし、リップルさんの事が大好きです!」


 イングリスの瞳は宝石のようにキラキラと輝いていた。

 余りにも嬉しそうにし過ぎるので、逆にリップルとしてはちょっと怖かった。

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