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第89話 15歳のイングリス・天恵武姫の病10

「セイリーン様のお兄さん……? でも確かに、雰囲気とか似てるかも――優しそうな所とか。ねえクリス?」

「そうだね……」


 と、それには同意をしておくが――

 セイリーンとラフィニアが馬が合い、親しくなる事は構わない。

 が、如何にセオドアがセイリーンと似た雰囲気であろうが彼は駄目だ。

 親しくなる事の意味合いが変わってくるかも知れない。

 ラフィニアにはまだ恋人など必要ない。

 それがイングリスのわがままだとしても、嫌なものは嫌なのである。


 そんなイングリスの内心をよそに、ラフィニアはセオドアに笑顔を見せる。

 セイリーンの兄だと知って、より一層警戒心が解けたようだ。

 これはまずい傾向である。


「二人とも、妹の命を救ってくれてありがとうございます。魔石獣に変えられたと聞きましたが、今はどこに……?」

「こちらに」


 と、イングリスは自分の胸元に指をさす。

 ちょうどリンちゃんがひょっこりと顔を覗かせていた。


「セイリーン……!? ああ、微かだけれど確かにあの子のマナを感じる……こんなにも変わってしまって――」

「ごめんなさい、あたし達に出来たのは、この状態で助ける事だけで――」

「いや、いいんです。君達は良くやってくれました。命さえあれば、まだ終わってはいないんです。必ず元に戻す方法を見つけ出してみせる……!」

「何か出来る事があったら、手伝わせて下さい!」

「はい、よろしくお願いします。セイリーンを預からせてもらっても構いませんか?」

「ええ」


 肉親がそう求めるのならば、断る事は出来ないだろう。

 イングリスは胸元からリンちゃんを掬い上げて、セオドアに手渡そうとした。


「さぁ、セイリーン。もう安心だよ、私が何とかして見せますから――」


 と、セオドアがリンちゃんに手を触れると――


 がぶっ!


 リンちゃんはセオドアの指先に噛み付いていた。


「つっ……!? どうしたんです、セイリーン?」


 しかしリンちゃんはそっけなくセオドアを無視し、またイングリスの胸元に潜り込んでしまった。


「リンちゃん? お兄さんが迎えに来てくれたんだよ?」

「どうかしたの?」


 リンちゃんはぶるぶるぶる、と首を振り、完全にドレスの中に隠れてしまった。

 中でもぞもぞされると、くすぐったい。


「ちょ、ちょっとリンちゃん、そんなに暴れたらくすぐったいから……!」

「……帰りたくないって事なのかな?」


 ラフィニアが首を捻る。

 その後暫くセオドア特使がリンちゃんに呼びかけ、イングリス達もリンちゃんを促したが、一向に様子は変わらなかった。


「以前のセイリーンとは違うようです……もうしばらく君達に預けた方がいいのかも知れません」


 セオドア特使は、かなり落胆した様子だ。

 彼の妹に対する親愛の情が見て取れるようである。


「分かりました。あたし達は構いませんから」

「けれども、調べねばならない事は山のようにあります。必要なときはセイリーンを連れてきて貰っても構いませんか?」

「はい。勿論です」

「ありがとう。さぁ、セイリーンのことも気になりますが、まずはリップル殿の事です。こちらもあの現象を収める方法を見つけ出さないと――ミリエラ、君にも手伝ってもらいたいんですが」


 と、セオドアはミリエラ校長に呼びかける。

 親しげなのは、二人が旧知の仲だからだろう。ミリエラ校長がそう言っていた。


「はい、勿論ですよお」

「頼みます。天上領(ハイランド)で僕らの技術を学んでいた君ならば、十分助けになってくれるはずです」

「ご期待に沿えるように、頑張りますっ!」

「だがどうする、セオドア? このまま魔石獣が出現し続けては、落ち着いて調べる事もできまい?」

「そうですね。まずはどこか遠くに運び出さないと――何度も王城を襲撃されるわけには行きませんから」

「じゃあ私がリップルを運びます。また魔石獣が現れたら、すぐに倒すわ。でもどこに運ぶの?」


 とのエリスの問いには、誰もすぐには返せない様子だった。


「あ、大丈夫だよぉ――自分で行くから」


 と、リップルの声がした。見ると、リップルが瞳を開いていた。

 同時に彼女を覆っていた黒い球体のような光も消失した様子だった。


「リップル! ああ、良かった――大丈夫なの?」


 エリスが一目散に駆けつけ、リップルを助け起こした。

 特に何も異変は無い。先程までの現象がうそのようである。


「……今はね、何か波が引いたみたいに――だけど、さっきまでの事も何となく覚えてる。ごめんね、みんな。地上を守るためにいる天恵武姫(ハイラル・メナス)のボクが、みんなを傷つけてしまったなんて……」


 リップル自身、相当ショックを受けている様子だった。


「仕方が無いのよ、あなたのせいじゃないわ」

「そうですよ! リップルさんがやりたくてやったんじゃないし!」

「ラフィニアの言うとおりです、リップルさんが悪いわけじゃ――」

「無理やりやらされた事ですから」


 エリスに続いて、イングリス達もリップルを慰めた。


「ありがとね、みんな。だけどたまんないよ、こんなの――何のための天恵武姫(ハイラル・メナス)か分からなくなる。ねえウェイン、ボクはどこに行けばいい? もしどうにもなりそうになかったら、壊してくれてもいいし、どこか誰もいない所に捨ててくれてもいいよ」

「馬鹿な。わが国の守り神をそのように扱うわけには行かぬ。しばらくの辛抱だ。それまではどこか厳重な警戒体制を整えた場所で休んでくれればいい」


 とはいえ具体的な場所の選定や配備する戦力などは、これから検討という事だろう。


「すぐに、割ける戦力や場所の選定を行います」

「ああラファエル。頼むぞ」


 そういう状態の今ならば――と、イングリスは一歩進み出る。


「失礼します。ひとつ提案があるのですが、構いませんか?」

「構わない。言ってみてくれ」

「どうしたんだい、クリス?」


 ウェイン王子とラファエルが頷く。


「リップルさんには、解決策が見つかるまで騎士アカデミーに滞在して頂いては如何でしょう?」


 イングリスの瞳がキラリと輝く。

 そうすれば、いつ現れるかも知れない魔石獣を相手にいい実戦訓練ができる――というわけだ。

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