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第37話 15歳のイングリス・天上人が支配する街8

 イングリスの視線を受けたシスティアは――逆ににやりと笑みを見せた。


「馬鹿め! 結果的に貴様は動きを止めているぞッ!」

「!?」


 視界の中のシスティアがすらりと長い足を振り抜くと同時、イングリスの腹部に重い衝撃が走った。

 システィアの蹴りが距離を飛び越えて、イングリスの胴に突き刺さったのだ。

 槍だけでなく、蹴りも同じように距離を無視できるのか――!


 それは想定していなかった。

 確かにそれができるなら、イングリスが立ち止まって槍を受けたのは攻撃の間を与えたに過ぎなかったという事になる。まんまと欺かれたか。

 流石は天恵武姫(ハイラル・メナス)

 頭に血が上ったように見えても、戦いの駆け引きは狡猾で油断も隙も無い――!


「くっ……!?」


 蹴りを受け、体が浮いて後ろに飛び始める。

 ――この一瞬が致命的になり得る!

 この体が浮いた状態では、姿勢を制御できないのだ。


「もらったっ!」


 すかさずシスティアが槍を振りかぶっている。

 このままあの突きが距離を飛び越えて来れば、イングリスの身は刺し貫かれるだろう。


 ――ならばこれを!


「はああぁぁぁっ!」


 イングリスの身体が青白い光に包まれる。

 霊素殻(エーテルシェル)を発動した証だった。


 直後、距離を飛び越えたシスティアの槍が、背後からイングリスを刺し貫こうとする。

 しかしそれは叶わなかった。

 イングリスの肌にぎりぎり触れた程度の所で、槍の穂先が強烈な振動を受けて弾かれてしまったのだ。


「何っ!?」


 青白い光は霊素(エーテル)を凝縮した波動。イングリスの身を護る強固な障壁だ。

 システィアの槍の威力では、その障壁を貫通する事が出来なかったのである。


「そんなはずは無いっ!」


 システィアにとって、イングリスが姿勢を立て直すまでが勝負。勝機なのだ。

 何か異様な手応えで槍が弾かれたが、一撃で止めずに、連続で突きを叩きこむ。

 しかしイングリスを刺し貫く事が出来ないまま、彼女が体勢を立て直すのが見えた。

 着地をしながら深く沈み込み、反動で地を蹴り――

 そしてその直後、彼女の姿が消えた。


「!?」


 少なくともシスティアにはそう見えた。

 姿が消えて、青白い稲妻が迸ったようにだけ認識できた。


 ドゴオォッ!


 体が浮き上がるような衝撃!

 これまで体験したことが無いような、猛烈な衝撃がシスティアの鳩尾を貫いていた。

 システィアにとっては全く気が付かないうちに、イングリスの膝蹴りをまともに喰らっていたのだ。


「あ……! ううぅ――そんなまさか……」


 足が震え立っていられず、思わずその場に膝をついた。

 力の入らない手から槍が抜け落ち、カランと音を立てて転がった。


 イングリスとしては、霊素殻(エーテルシェル)を発動しシスティアの攻撃を防ぎ、着地と同時に突進し反撃しただけだった。


 ただ――霊素殻(エーテルシェル)には、イングリスの身体能力を更に引き上げる効果もある。

 そうやって強化されたイングリスの全速力が、システィアの認識の範疇を超えていたというだけの事だ。


「……いい戦いでしたね。想像していたよりも遥かに楽しかったです」


 イングリスはポンと、システィアの肩を叩いた。

 そして労をねぎらうように、爽やかで麗しい笑顔を向ける。

 結局、霊素(エーテル)を使った戦技を使わざるを得なかった。

 まだまだ自分も力不足だという事。それを教えてくれたいい相手だった。


「くッ……! これではあの方に顔向けが――」


 その時――


「クリスー! 外の敵達は全員捕まえたわ! そっちは――あっ……!? かっ……く、くるし……ぃ」


 様子を見にラフィニアがやって来て――

 そしてその細い首を、虚空から現れた手が鷲掴みにして締め上げた。


「ラニ!?」

「動くな!」


 システィアの仕業だ。距離を飛び越えてラフィニアの首を掴んだのだ。


「……」

「私はこんな所で倒れるわけにも掴まるわけには行かん……この娘の命が惜しくば、私を行かせろ!」

「……どうぞご自由に。行って下さい」


 イングリスは邪魔をする意志は無いと言うように、両手を上げて見せる。

 それを見たシスティアは、槍を拾い上げるとこちらに背を向けず慎重に、廃教会の裏口に近づいて行った。

 ややふらつく足取りが、ダメージの大きさを物語っている。


「……一つ、構いませんか?」

「なんだ――」

「わたしとの戦いであれば、何度でも受けますし、不利と思えば何度出直していただいても結構です。わたしも腕を磨いて更に強くなったあなたと、何度でも戦いたいので。ですが、この次にもまたラニに手を出すようでしたら……命は無いものと思いなさい」

「……」


 イングリスに一瞬だけ覗いた、凍てつくような殺気のこもった視線、表情。

 初めてみるそれが、システィアの背筋をぞくりとさせた。

 こんな少女が、何という目と気迫だろうか――底知れぬ深みをそこに感じるのだ。


「それだけです。ごきげんよう」


 急転直下の、虫も殺さないような、たおやかで麗しい微笑み。

 分からない。何者なのだ、この少女は――

 システィアは思わず尋ねていた。


「……貴様の名は?」

「イングリス・ユークスと申します」

「――システィア・ルージュだ。また会おう」


 システィアの姿が廃教会の外に消え、同時にラフィニアが解放される。


「ラニ! 大丈夫!?」

「けほっ。けほっ……! うん、大丈夫よ――ごめんね邪魔しちゃったみたい……」

「ううん、そんなことないよ。もうあれで終わりだったし、あれでよかったんだよ。じゃあ帰ろう? そっちも終わったんだよね?」


 イングリスはラフィニアを助け起こすと、その頭をぽんぽんと撫でた。


「うん、全員捕まえたわよ? これで報酬もたんまりだし、パパッと路銀が稼げちゃったわね?」

「そうだね。わたしも満足だよ。久しぶりに楽しい戦いだったから。ラニの思い付きにもたまにはいい事があるね」

「よーし、じゃあ帰ろう」

「うん」


 二人は笑顔で頷き合った。

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