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第29話 15歳のイングリス・王都への旅立ち

 それから、三年の月日が流れた。


 三年前の事件――ユミルに王都からの監察役一行が訪れ、監察役のシオニー卿や、同行していた天上人(ハイランダー)のラーアルが命を落とす事になった出来事の後も、城塞都市ユミルやビルフォード侯爵の立場は守られ、変わりは無かった。


 改めて監察役が王都からやって来たのだが、その際は天上人(ハイランダー)の同行も無く、事件の詳細について聞き取りを行った上、ユミル側に非は無しと認定された。

 その決定の背景に、エリスやラファエルの尽力があった事は想像に難くない。


 イングリスは三年間更に修練に修練を重ねた。

 ラフィニアもイングリスに付き合って、特に弓の修練に精を出した。


 そうして二人が15歳を迎えたある日――


 ユミルの街の外門を出た所に、一台の幌馬車が停まっていた。

 その側に立っているのは、イングリスとラフィニアと、見送りに出て来た両親達やユミルの騎士団や街の住民達である。


「ラフィニア――元気でな。王都ではラファエルと仲良くな。それからエリス殿には十分に礼を述べておいてくれ」

「はいお父様。着いたらすぐに手紙を書きますね。ラファ兄様は忙しいのか筆不精だから、あたしが代わりに近況を知らせます」


 笑顔で抱きしめられているラフィニアは、15歳になって随分大人びたとイングリスは思う。

 もう女性としての魅力も備えはじめており、その明るい性格もあって愛嬌たっぷり。

 街ですれ違ったら、思わず振り返ってしまうような可愛らしい少女に成長した。


 15歳を迎えたラフィニアは、正式に王都の騎士学校に入学する事になった。

 今日は王都への旅立ちの日なのである。

 イングリスもラフィニアと一緒の騎士学校に通うため、共に行くのだ。


 イングリスは表向きには魔印(ルーン)を持てない無印者となっている。

 無印者は正式な騎士にはなれず、従騎士つまり見習い騎士の立場までしか許されない。

 だが王都の騎士学校には魔印(ルーン)無しでも通う事のできる、従騎士専用の過程も開設されており、イングリスはそちらに通うことになっていた。


 正式な騎士過程のラフィニアとは少々異なるが、座学や武術そのものの訓練など、共通の内容も多いらしい。

 寮も同じ部屋の予定であるし、今までとそう変わることは無いだろう。


「ああ頼む。イングリス。ラフィニアの事をくれぐれもよろしくな」

「はい。勿論です」


 と、頷くイングリスにビルフォード侯爵はこっそり耳打ちする。


「悪い虫が付きそうになったら追い払っておいてくれよ? この子はどうも好奇心旺盛過ぎる所があるから――」

「了解です。お任せ下さい侯爵様」


 イングリスとしても、ラフィニアに恋人などまだ早いと思っている。

 ラフィニアはビルフォード侯爵にとっての愛娘であるが、イングリスにとっても、精神的には孫娘やそれに近いような存在なのだ。


「まあ、お前がラフィニアの近くにいてくれるならば、虫の殆どはそちらに行くだろうからな。くれぐれも頼むぞ」


 ラフィニアがすれ違ったら思わず振り返ってしまう可愛らしさならば、イングリスは見た瞬間に視線がくぎ付けになる美しさだった。

 月の輝きのような銀髪と宝石のような紅の瞳はますます洗練され、しなやかな肢体はより女性らしく成長していた。

 年齢より少し上に見える大人っぽさは相変わらずで、15歳の今は18歳くらいには見える。

 もはや誰にも何にも非の打ち所の無い、絶世の美女となっていたのである。


「だが、娘がここまで美しくなると父親は心配だな? なあリュークよ」


 と、ビルフォード侯爵はラフィニアと別れの挨拶を交わしている父リュークに語りかける。


「親である自分が言うのもおこがましいですが、この子に関しては本当にその通りです――どこへ出しても恥ずかしく無さ過ぎて、逆に困りますな」

「大丈夫大丈夫! クリスには将来の侯爵夫人になって貰えばいいんだから!」


 と、笑顔でラフィニアが言う。


「ふむ。イングリスほどの娘であれば、あの朴念仁のラファエルも反応せざるを得んだろうな」

「……であれば、僭越ながらこのユミルの将来も明るいですな。ラファエル様のご意思次第ではありますが」

「うんうん! クリスならきっと――!」


 そう盛り上がるラフィニア達。

 どうも周囲の親しい人たちは、美しく成長したイングリスにそういう事を望んでいるらしい。


「いやいや……皆落ち着いてください」


(わたしの意志はどうなる……!)


 と、イングリスは思わざるを得ない。

 ラファエルがどうこうという問題ではなく、男性と結婚などあり得ない。

 想像するだけでも恐ろしい。自分の魂は男性なのだから。

 まだ女性と結婚しろと言われた方がいい。

 とりあえず、コホンと咳払いをして皆を制する。


「わたしはラニに仕える従騎士です。その勉強のために王都にも付いて行くのですから、それを無駄にする気はありません」


 と、そこに――


「ラフィニアー!」

「イングリスー!」


 母セレーナと叔母イリーナが、息を切らせてやって来る。

 二人とも、かなり大きな包みをその手に抱えていた。


「お母様!」

「母上!」

「「お待たせ! お弁当よ!」」


 母達の台詞が丸被りする。

 それぞれ、成人男性の三日分はありそうな量である。

 とてもお弁当どころの騒ぎではないが――イングリスやラフィニアにはこれが普通だ。

 二人とも人の数倍は食べるのである。


 二人だけでなくラファエルも、母セレーナや叔母イリーナも同じくで、母方の大食いの遺伝子が子供達にもしっかり反映された結果だ。

 だから双方の家族で食事をしている時は、異様な量を食べる女子供に大の男二人が驚いている光景がよく見られる。


「「ありがとうございます!」」


 笑顔の娘達を、母二人は涙ぐみながら抱きしめる。


「体に気を付けてね……クリスちゃんを大切になさい」

「二人仲良くね……大変かもしれないけど、くじけちゃダメよ」


 思えば、前世のイングリス王は寒村の農家の出身であり、八つの頃にはもう両親はいなかった。

 それに比べれば、イングリス・ユークスとしての15年間は両親の愛にも、生きて行く環境にも恵まれ、何不自由無く自分を鍛える事に時間を費やせた。

 あとはこれを――広い世界に出て、戦いの中でさらに磨き上げて行く時期だ。


 人も情報も集まる王都ならば、歯応えのある敵にも巡り合える。

 また、その情報も集まるだろう。

 国の一大事に騎士学校から学徒動員などしてくれれば、前線に立てるかもしれない。

 それらを楽しみに――両親への感謝をしつつ、この故郷ユミルを旅立とう。


「行ってきまーーっす!」

「お世話になりました、行ってきます! 皆さんお元気で!」


 イングリス達は見送りの人々に手を振りながら、幌馬車を出発させた。

 手綱を握るイングリスに、その横にラフィニアが座る。


 父や母の姿が見えなくなると、ラフィニアはグスッと鼻を鳴らしていた。

 やはり別れが寂しかったようだ。瞳に涙も浮かんでいる。


「ほら、ラニ。泣かないで。大変なのはこれからだよ――」


 ユングリスは指先でラフィニアの涙を拭ってあげた。


「う、うん……そうだよね。クリスはいてくれるんだし――ありがとね。よーし、じゃあ早速お弁当食べちゃお♪ お腹空いて来た!」


 ラフィニアが幌付の車部分に積んだお弁当を早速取り出す。


「あ、ずるい! わたしは手綱を握っていないと行けないのに……!」

「はい、食べさせてあげるわよ♪」


 ラフィニアはイングリスの口にサンドイッチを突っ込んだ。


「ふぁ、ふぁりゃがと……んむんむ――おいひぃ……」


 サンドイッチとはいえ、この先しばらくは食べる事の出来ない母の味だ。

 最後によく味わっておこう。


 お弁当に舌鼓を打つ二人の背後で、故郷ユミルはだんだんと遠ざかって行った――

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