第20話 12歳のイングリス8
深夜――
イングリスは城の支度部屋で身支度を済ませると、城を出た。
ラーアルが滞在しているのは、城からは少し離れた丘の上にあるビルフォード侯爵の別邸だ。そこまでの夜道を、一人で歩いて向かった。
格好はドレスではなく、いつも騎士団の面々に随行するときに使っている騎士見習の軽鎧だ。
家に置いてある自分のものではなく、城に置いてあるものを借りた。
下手に母セレーナに知られると心配をかける。
ラーアルがイングリスの逃げ道を塞ぐためか、即今夜に、と言い出したのは逆に都合が良かった。母に知られずに事を済ませる事が出来る。
ラフィニアはイングリスを一人で行かせられないと、最後まで大騒ぎしていたが、ビルフォード侯爵が涙を流しながら組み止めてくれたので、その間に一人で出てくる事が出来た。
「さて、と――どうなるか……な」
無論、単に身を捧げに行くだけのつもりはない。
向こうもそれは計算済み――いや、
そうだとしても、万一の備えはあるだろう。あの鉄仮面の大男もいた。
それに
だから彼自身、強くなっている事も考えられる。
何にせよ、手応えがあればいいが――
ラフィニアの願いごとは叶っていたし、自分の願いごとも叶えて欲しいものだ。
「ん――?」
ラーアルが待っているはずの、ビルフォード侯爵の別邸。
その門が見える場所までやって来ると、門前に人が立っているのが見えた。
ラーアルの側に控えていた、鉄仮面の大男だった。
イングリスは彼に近づいて行くと、丁寧に一礼した。
「こんばんは。イングリス・ユークス。お招きに預かり参上しました」
イングリスが声を掛けると、男は黙って門扉を開いた。
ギギギと重い音がして、門が開く。
男は一度イングリスを振り向くと、ついて来いと言うように首で合図した。
イングリスは男の少し後を大人しく付いて行く事にした。
館の建物に続く前庭はそれほど大きくは無いが、並木道の木々はそれぞれきっちり刈り込まれており、手入れが行き届いている様子だった。
暫くのあいだ、暗闇の中に二人の足音だけが響く。
並木道も真ん中を過ぎたあたりで、男が足を止めた。
「?」
「すま……ない――」
掠れた小声で、それだけが聞こえた。
見た目こそ恐ろしいがどうやら主よりも余程、良識のようなものがあるらしい。
何も言わないがラーアルの振る舞いを見て、心を痛めていたのだろうか。
「お心遣いありがとうございます。ですが、お気になさらず」
イングリスは男の背中に笑顔を向ける。
「……」
男はそれ以上何も言わず、再び歩き出した。
そして、並木道の最終端に差し掛かった時――
宵闇を、銀閃が切り裂いた。
並木の陰から突如として繰り出された斬撃が、前を歩く男を襲ったのだ。
「!?」
尋常な速度、威力ではなかった。
二筋の銀光が大男の首を一瞬で刎ね飛ばしていた。
「速い……っ!」
見事な斬撃である。
大男は哀れだったが、それ以上にイングリスはその剣に目を奪われていた。
震えがくるようだ。言うまでもなく武者震いだが。
その剣を放った主は、金髪碧眼の美しい少女だった。
イングリスに攻撃を仕掛けてくることは無く、早足に近づいてくる。
「あなたは――エリスさん?」
夜会の席で顔だけを合わせた
レオンがイングリス達を紹介すると、何故か怒って立ち去ってしまったが。
それが何故ここに?
「ええ。あなた――もういいから逃げなさい」
「……わたしを助けに来てくれたんですか?」
「まあ、ね。話はレオンから聞いたわ。あなた、ラファエルの従兄妹なんでしょう? だったら放っておけないもの」
意外だった。自分達はあまり好かれていないと思っていたのだが。
「ありがとうございます。ですが、このまま引き返すわけにはいきません。わたしが来ないとなったら、ラーアル殿は何をするか分かりませんから」
監察官殺しの罪を、このユミルとビルフォード侯爵とに着せられるのは間違いないだろう。それは流石に止めねばなるまい。
「みすみすあの男の慰み者になるつもり? もっと自分を大切にしなさい! 後は私が何とかするから!」
「どう何とかするおつもりですか? まさかラーアル殿を暗殺するつもりでは? それは危険過ぎます。このユミルに危害が及びかねない」
「……あなたが気にする必要はないわ。いいから帰りなさい!」
「そうは行きません」
「聞き分けのない子ね! いいわ、これ以上進もうとするなら攻撃します。あなたもああなりたくなければ、大人しく逃げなさい!」
本来なら
怖がらせて申し訳ないが、この少女の意志は固そうだし、問答している時間もない。
エリスは内心で詫びながら、イングリスに向けて剣を構えた。
「ふ……ふふふっ」
だが、エリスが怯えて帰ると踏んだイングリスは、全く違う反応を見せる。
笑ったのだ。実に不敵に、そして嬉しそうに。
目の奥に底知れない闘志が、ギラギラと輝いている。
先程までの可憐で儚げだった印象が、ガラッと変わった。
「ありがとうございます。進もうとすれば、手合わせをして頂けるという事ですね?」
その笑顔は実に可愛らしく、そして嬉しそうに輝いていた。
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