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第10話 6歳のイングリス

 イングリスは6歳になった。

 その日、出かける前――イングリスは屋敷の居間の窓から外を見ていた。

 少し離れた山間の空に、雨が降っている。

 その雨は、普通の雨ではない。キラキラと虹色に輝いているのだ。


 虹の雨(プリズムフロウ)――これが魔石獣を生む、と言われている。

 これを浴びることにより、自然の動植物が魔石獣と化し、人を襲うのだ。

 人そのものに対しては、魔石獣化は起きないようだが――


 それでも街中に降ると家畜などが魔石獣化してしまいかねないため、十分に警戒する必要がある。

 綺麗な薔薇には棘があると言うが、これはそういった類のものだ。

 美しい光景だが、人にとって忌むべきものである。


 ――イングリスにとっては、血沸き肉躍る雨である。

 是非とも歯応えのある魔石獣に誕生して頂いて、腕試しをしたいのだ。

 ラファエルや父リュークと稽古するのもいいが、やはり相手がこちらを殺すつもりでかかって来る実戦こそ最高の修業である。

 魔石獣に人に対する慈悲など無い。相手としては最高だ。


(もっと降れ! もっと街に寄って来い! 私にもっといい修行をさせてくれ!)


 そんな事を思っているイングリスに対し、母セレーナは憂鬱そうだ。


「嫌ね、不吉だわ――今日はあなた達の洗礼の日だって言うのに……」


 何をするかと言うと、魔印(ルーン)を授かる日だそうだ。

 魔印(ルーン)魔印武具(アーティファクト)を操るために必須である、とされている。

 魔印武具(アーティファクト)は魔石獣を倒すために必須である、とされている。

 されている――というのは、イングリス自身は例外だからだ。


 確かに普通の鋼の武器では、魔石獣を傷つけることはできないようだ。

 それはイングリスも試した事があった。数か月前、街中に虹の雨(プリズムフロウ)が降り、魔石獣が現れたため実験したのだ。

 同時に改めて確認したが、神騎士(ディバインナイト)としての、霊素(エーテル)を使う戦技ならば魔石獣も倒す事が出来る。


 ともあれイングリスのような例外を除いては、この虹の雨(プリズムフロウ)の降る地上で生活圏を確保するために魔印武具(アーティファクト)は必須であり、それを操るための魔印(ルーン)はとても重要視されるようだ。


 魔印(ルーン)は下級中級上級特級と階級分けがされており、要は強い魔印(ルーン)ほど強い魔印武具(アーティファクト)を扱う事が出来る。

 ラファエルのような特級印を持つ者は万人に一人いればいい方だとされる。


 国をも滅ぼすという最強クラスの魔石獣には、彼のような特級印を持つ者が操る究極の魔印武具(アーティファクト)のみが対抗できるらしい。

 国家存亡の危機に際する危機管理の要――そういう存在のようだ。

 叔母が身を大切にするようにラファエルに注意していたのが分かる。


魔印(ルーン)か……」


 窓の外を見ながら、イングリスは呟く。

 神騎士(ディバインナイト)たる自分にそんなものは必要ないのだが――

 むしろラファエルのように特級印など授かってしまった日には、それだけで人々の希望が集中し、それに応えるのが義務のようにされてしまう。

 ラファエルを見ているとそれが分かる。

 そしてそれに懸命に応じようとしている姿も尊いが――


 英雄王イングリスにとっては、それはもう前世で通った道だ。

 イングリス・ユークスとして生きる今回は、自分の部を極めるためだけに生きたい。

 余計なものは背負い込みたくないのだ。面倒である。


 だから逆に恐ろしい。せめて特級印だけは勘弁してほしい――


「ねえ、イングリス――」


 母セレーナに、ぎゅっと抱きしめられた。


「母上? どうしましたか?」

「洗礼を前にこんな事を言うのは、不謹慎でしょうけど……お母さんね、あなたに特級印だけは授かって欲しくないの。あれは――人々のためだけに生きて死ぬことに縛られる気がするの。それはあなたを取られるのと一緒よ」

「奇遇ですね、母上。わたしも特級印だけは勘弁してほしいと思ってました」

「本当に!? あなたは戦いにすごく興味があるみたいだから、強い力が欲しいんだと思っていたわ――」

「ええまあそれはそうなんですが……生き方を縛られる力はいりません」

「そ、そう? じゃあ洗礼の時に、特級印だけはイヤだーっ! て念じてね? そうすれば、神様もきっと願いを聞いて下さるわ」

「分かりました。お約束します」

「いい子ね――じゃあ、出かけましょうか」


 イングリスは母に連れられて、洗礼が行われる領主の城へと向かった。

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