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一閃


 紅莉の舞を見た現舞姫の夕蓮は非常に満足していた。


(二次試験を見た時はもっと頭で考えて舞をする子だと思ってたけど)


 先ほど見た紅莉の舞には内側から溢れ出るような情熱が感じられた。


(他の候補者達の影響かしら)


 選姫の儀の間に急成長するというのは、夕蓮も身をもって経験していた。今回は踊り子でもない平民の少女が本選に残ったというのも大きな刺激になったに違いない。


(次が最後…)


 最後に出てくる風凰架の舞も夕蓮は二次試験で見ていた。表現力が高く、壮大な舞が出来る舞手というのが第一印象だ。一次試験の後から既にとんでもない天才がいると話題になっていたが、それも納得できる腕前だった。

 しかし、二次試験での評価は楽舞局と貴族で大きく分かれたらしい。


(確かに彼女の舞は刺激的ではあったけど…)


 夕蓮はそれが減点要素になったことに納得がいっていなかった。しかし、本選は減点ではなく一番良いと思った舞を選ぶ方式だ。紅莉の舞を彼女が超えるかどうかが夕蓮の投票先を決める。

 挑むような気持ちで入り口を見つめていると、凰架の名が呼ばれ静かに本人の姿が現れた。


 寒色で纏めた衣装は無難だが、質のいいものだというのは一目で分かる。胡春麗と同じ館を希望するほど仲がいいらしいので、胡家の力によるものだろう。

 それより着目すべきは、手に持った剣。華奢な凰架の肩幅ほどの長さしかない短剣を凰架は持っていたのだ。

 舞に用いるのは長剣が基本である。全ての舞が三尺以上の長さの剣を想定して作られており、剣を回す動きも短剣では迫力に欠けるだろう。

 何より剣舞は重さと長さのある剣を持ちながらいかに美しく動けるかが評価基準の一つになる。短剣を使うのはある種の掟破りとも言える。


 凰架が選んだのは『李王』。帝国が楼華国の舞に帝国の剣舞を取り入れて作ったものである。王族が見物する舞台で帝国発祥の舞を披露するのは中々の度胸だと夕蓮は選曲を知った時冷や汗をかいたものだが、それに加えて短剣を携えてきた凰架には心配を通り越して感心してしまった。


 静かに笛の音が奏でられると共に凰架は一歩踏み出した。美しい所作で剣を鞘から抜く動作をする。舞の所作はきっちりと曲の長さに合わせて作られており、剣の長さが違えば間延びして見えそうなものだが、凰架は所作が不自然にはならずそれでいて手持無沙汰にならない上手い塩梅で剣を抜く仕草をしている。


(まあ、短剣を使うならこれくらいは計算しているはずよね)


 問題はここからである。短剣を使うことの意味を示せなければ、ただ重い剣を振れなかったと解釈され評価は大幅に下がるだろう。


 凰架は剣を上に向け腕を真っすぐ突き出した。凰架の灰色の瞳が自分だけを見つめているような錯覚に夕蓮は陥り、背中に嫌な悪寒が走る。


(何、この感覚…)


 今まで味わったことのない冷たい感情が凰架の表情からは読み取れる。一閃、凰架の短剣が空を切り裂いた瞬間、夕蓮は花ごと地面に落ちる椿が脳裏に過った。


***


「本気?『李王』は帝国の舞でしょ?」


 凰架の選曲を聞いた時、春麗は開口一番で反対した。


「止めた方が良いよ。王家の評価が悪くなるに決まってるわ。特に王妃様は貴族出身で伝統を重んじる方らしいし」


 凰架は首を傾げる。


「剣舞自体帝国発祥の舞じゃん」


 何が問題なのかと言いたげな凰架に春麗は溜息をついた。


「『李王』は表題通り帝国の昔の国王の逸話からできた舞でしょ。李王の人生を讃える舞と評価されているし、次期国王の殿下の前でそんな舞をするなんて不敬と取られるに決まってるよ」


 李王は帝国がまだ帝国を名乗る前の王朝の王で、側室の息子として冷遇され、時に命を狙われながら武勲を立て国王に成り上がった伝説的な人物である。剣舞の題材としてはもってこいだろう。


「別に私はそういう舞にしないもん」


 凰架は実際に舞を見せた方が早いと、部屋の片隅に置いてあった扇を剣代わりに演奏もないまま舞を始めた。


(相変わらず、しっかりした足運び)


 凰架が一歩を踏み出すごとに、部屋を支配する空気が変わる気がする。凰架が好んで舞う自然の情景を題材とした舞では、凰架が表現する情報量に飲み込まれそうになるが、凰架の『李王』はあまりに殺風景だ。

 凰架が扇で空を斬るヒュンという音に春麗は不吉なものを感じた。


(そっか、李王の人生の路に並んでいるのはおびただしい程の死だ…)


 凰架が表現しようとしているのは『死』そのものなのだ。


***


(怖い)


 それが夕蓮が最初に抱いた感想だった。


 目の前で何かが消えていく鮮明な感覚。それでいて剣を振る凰架は驚くほど無機質だ。

 先ほどの紅莉の舞が有の舞ならこちらは無の舞。感情も情景も伝わってこないのに、そこで何が起こっているかははっきりしている。目の前で命が摘まれていくのを夕蓮はただ見ることしかできない。


 凰架の動きは軽い。短剣を使っているためだろう。長剣を使えばここまで軽快に動けなかったはずだ。この軽い動きが周りの空気を重く停滞したものに感じさせる。


(いけない。このまま支配されては審査なんてできないわ)


 夕蓮は深呼吸をして、凰架を見つめ直した。


 剣の扱いは上手いが重さがないためと考えれば、他の候補者に勝ってはいないと夕蓮は判断する。動きの速さも舞の表現としては面白いが、やはり短剣を使っているためなので技術としては評価するほどではない。


(これは、剣舞として評価していいものなのかしら)


 他の候補者とは全てが違いすぎて、比較できないのだ。


 ふと凰架の表情が更に無機質なものになったことに気づく。突然凰架の剣が重く鈍いものになる。剣を持つ腕も足取りも重く、ゆっくりとした動きで凰架は剣を真っすぐ突き出した。


 その一閃で、凰架の舞が『李王』が何か大きな節目を迎えたのを感じる。


(色が、消えた)


 夕蓮は目の前の舞台が突然紙に墨で書いたような、白と黒だけの世界に切り替わったように感じた。


(私だけが感じている感覚?違う、あの衣装はこの時のためだ)


 凰架の裳に織り込まれた光の角度によって浮かび上がる裳は、濃淡によってのみ表現される世界でも消えることはない。 


 李王はある戦で武勲を上げる直前に、実の兄を手にかけている。異母兄ではあるが、兄弟の中で唯一幼少期を共に過ごしたとされ、仲の良さはわからないがそこに何かしらの重い決断があったのは間違いない。

 夕蓮は後にこの史実を資料を読んで知り、あの一閃はこの時を表現したものだろうと気づくことになる。


 色が消えた世界の中で、凰架はより一層速い動きで剣を振り続ける。剣を回転させる振りも短剣ながら器用にこなしているのには夕蓮は素直に感心した。

 笛の音が凰架を追い立てるように早まっていく。もう後戻りはできないと李王が戦い続ける狂気じみた剣の動き。序盤の軽やかさはなく、速いのに一振り一振りが重々しい。


 最後に凰架が思い切り剣を縦に振るとぴたりと笛の音が止み、凰架も微動だにしない。


 誰が最初だっただろうか、審査員がほっと息を吐いたのを合図に凰架は居直り頭を下げる。

 顔を上げた凰架は先ほどの殺気だった無機質さとは違う、穏やかというかぼんやりとした無機質な瞳をしていた。


***


 翌日、舞姫候補者は大殿に集められ、結果を聞くこととなった。


「まず、剣舞という要件を満たしていなかったという理由から失格者が一名おりますので、その報告から」


 『失格』という単語を聞いて一名を除いた全員が体を固くする。

 唯一、緊張の『き』の字も見せなかった少女の方を見て、白院はなるべく平たんな声でその名を呼んだ。


「風 凰架殿。短剣を使った舞では剣舞の審査基準となるいくつかの観点に於いて、他の候補者との公平さに欠けると判断されました。貴女は第一回審査では失格となります。しかし、本選そのものを失格になった訳ではありません。次の貴女の舞を期待しています」


 凰架より先に春麗が抗議の声を上げようとしたが、その前に白院が困ったような微笑みを見せたので踏みとどまる。


「審査を抜きにして私の感想を。実に新しく刺激的、それでいて舞の本質を突いた見事な舞だったと思います。でも、あまり面白いことをして審査員を困らせないでくださいね」

「善処します」


 白院の言葉に凰架は微かに楽しそうに笑って答えた。


「さて、では審査結果を発表します。鱗 翠廉殿、二票。高い技量と剣舞への情熱を感じる素晴らしい舞でした」


 三票以上を狙っていた翠廉は僅かに肩を落とす。


「耀 詩琳殿。気品があり雄大な舞でした」


 詩琳は優雅にお辞儀をする。


「胡 春麗殿、得票なし。貴女らしい華麗で存在感のある良い舞でした」


 凰架の失格に衝撃を受けていた春麗は得票がないことをさほど気にした様子もなく、白院にお辞儀で返した。


「センナ殿、一票。神聖で美しい舞でした」


 センナは嬉しそうに微笑んだ。


「紅莉殿、一票。技量・表現力共に素晴らしい舞でした。あの舞で貴女の中で何かが変わったのではないですか?次の舞を期待していますよ」


 紅莉は一票得たことに肩を撫で下ろす。


「では、続いて第二回審査の課題を発表します。第二回では恋舞曲を発表してもらいます。また、第二回では客席を設け都の民を観客として迎え入れる予定です。それぞれ最善を尽くしてください」



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