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魔女と人間 〜共にある最期を迎える旅〜

~あらすじはありません~

――やっと見つけた。


 彼に気づかれないよう、すぐに姿隠しの魔法を使う。


 人間には使えない魔法だ。

 当然だろう。使える者が多ければ、盗みや強姦といった類の犯罪が数十倍に増えるはずだ。


 私のような魔女という種族……バグのような存在にしか使えない。寿命が長く種族維持にも興味が湧かない。人間の男性と生殖行為を行い子が産まれれば、魔女の素質は受け継がれずただの人間にしかならない。


『私たちはきっと神か妖のようなものね。増えすぎたら困るバグ』


 母がそう言っていた。

 

『……神と妖、違いすぎない?』

『たぶん神ね。人間とまぐわえば人間が産み落とされるのに、自分は神のまま。最初はきっとヒトをそうやって増やしたのよ』


 けらけら笑っていたから、冗談だったのか本気だったのかは分からないけど……私はバグの中でもバグなのだろう。


 だって――あの人を愛したから。あの人との子供が欲しいと望み、孫もいる。


『私はもうすぐ死ぬだろうから忠告しておくわね。ヒトと必要以上に関わるのはやめなさい。老いないからと面倒事を全部押し付けられるわよ。人間って自分勝手な生き物だもの』


 魔女は滅ぶだけ。

 終わりを待つだけの種族だ。


 母親以外の他の魔女に会ったこともない。魔女が魔女を産む条件はシンプルだ。「継ぐ者が欲しい」と強く望み自らの魔力を腹に注ぐ。胎芽が現れると魔女の力はなくなり、子が成人の姿になった頃に死ぬ。


 長く生きて寿命が尽きるのを待つか、子をたった一人でなして死ぬか。自死を選ばないなら、どちらかしかない。


 彼は害獣退治ギルドの前で、木の葉を集めている。箒で一つにまとめると空中でジリジリと燃やし、周辺を浄化魔法で清めている。害獣の血をしたたらせながら運んできた輩がいたのかもしれない。道の先の方まで既に浄化は終わっているようだ。


 彼が汗をタオルで吹いてベンチの前に座った。普通の……白髪混じりのおじさんだ。ブラウンの優しそうな瞳はずっと変わらない。あの頃のまま。


『どの魔道具も面白いですね!』


 キラキラした瞳で私の売るガラクタを見るのが印象的だった。大体の人は説明を聞くとため息をついて私を一瞥して出て行くのに。優しい男の子だなと思った。何もかもを楽しめる子なのかなとも。


 魔道具屋と適当にペンキで書いて、道楽で開いていた店。


 王家との秘密の取引が収入源で、店はただの暇つぶし。いつもなら一度来た人間は店を認識できないようにするのに、私はそのままにした。王家にもしばらくこの街に留まると伝えた。


『この鏡は何?』

『何か鏡に質問してみなさいな』

『うーん、この店は繁盛してる?』

『ワカリマセン』

『なんてこと聞くのよ』

『分からないって……もしかして繁盛してるの!?』

『何を聞いてもワカリマセンと答える鏡よ』

『マリアさんのセンスは、やっぱり面白いなぁ!』


 私は自分の名前まで教えてしまっていた。名前はと聞かれて、マリアと。もうこの世界にはいない母がマリアと呼んでくれていたから。

 

 どうして彼を好きになったのかは、分からない。一目惚れのような強い衝動はなかった。


 人と関わりたいのに追い返すような商品しか置かなかった。それなのに、あの人だけが喜んでくれた。


 商品を売っているはずの私に贈り物をしてくれたのも、あの人だけだった。


『マリアさんに、あ、いや、お店に似合うと思ってさ』

『そう……それで鉢植えごと葉牡丹を持ってきたのね。重かったでしょう』

『全然! これを店先に置けば、人がもう少しは来るよ』


 少しズレているなとは思ったけど、そこが可愛いと思った。自然に自然に、いつの間にか彼は私の世界に入り込んでいた。


『僕と一緒に店をやってほしい』

『ヒモはいらないわ』

『違うよ! これでも人脈はあるんだよ。浄化業で身を立てているから、魔道具の販売と浄化もしますって店にさ』

『いつの間に働いてたの』

『え……かなり前からね。雇われだったけど開業したんだ』


 少しずつ少しずつ、彼は会えないと寂しい存在になって――。


『好きなんだ。付き合ってほしい』

『もう付き合ってるじゃない』

『え!?』

『会話にも仕事にも付き合ってるわ』

『違うよ、マリアさん……。僕、諦めないから。今までと違ってチャンスはたくさんあるんだ。僕の気持ち、分かっていて共同経営に頷いてくれたんだよね?』

『ほとんどあなたの利益でしょう』


 王家から人が来ることにも、何も突っ込まないでくれた。ただただ自然に――、当たり前のように好きになってしまった。


 彼との会話が楽しくて。好意を感じるたびに顔がにやけて。モノクロの世界に虹が現れたように毎日が彩りに満ちて――。


 だから私は彼に聞いた。


『子々孫々の尻拭いや老後の世話なんかまで私にお願いしないと約束できる?』

『え?』

『私の外見が変わらないこと、気づいているでしょう』

『あ……もしかして妖精の一種かもしれないとは。え、子供、つくれるの?』

『つくれると思わずに告白とプロポーズをしたわけ?』


 そして、私は彼にこう告げた。


『面倒事を背負いたくないの。魔法でもって家族の尻拭いはしないわよ。それに……あなたが歳をとった時、私は姿を消すわ』


 母の言葉が頭から離れなかった。私を利用するだけの男に変わる彼も見たくなかった。


『若いなんて理由で一緒にいられるのも嫌よ。見た目も偽るわ。あなたと同様に歳をとっているように見せかける』


 本当は一緒に歳をとりたかった。

 

『マリアを利用なんてしない、誓うよ。側にいたいんだ。いいよ、どれだけでも偽って好きな時にいなくなってくれていい。僕はあなたを縛らない。自由なマリアが好きなんだ』


 子供が産まれた。初めての経験で大変なことがたくさんあった。一緒に学んで、一緒に悩んで、一緒に笑って、たくさんの思いを分かちああった。


 まだ側にいたい。

 もう少し、あとちょっと。


 私に彼を置いていくなんてこと、できるの――?


 私は自分の中の葛藤しか見えていなかった。だから、彼が私の前からいなくなるなんて考えもしなかった。


 彼の元へと近づく。こんなに、地に足がついていない感覚は初めてかもしれない。怖くて怖くて足が震えて、底なし沼に落ちてしまいそうで――。


 苦しくて息もできなくなりそうで、どうして助けてくれないのよと、つい私はジャリと足音を立てた。


 彼が顔を上げる。


 ジャリッとまた足音を立てる。


「お散歩かな、お嬢さん」


 相好を崩して、目尻にたくさん皺をつくって、誰の姿も見えないだろう空間に彼が微笑んだ。


 なんでよ。

 どうして私と離れていたのに、そんな顔ができるのよ! 寂しくて苦しんでくれていたらよかったのに。


「僕はね、家族に手紙だけ残してここに来たんだ」


 そうよね。

 私とあなたしかいない家に、家族に読ませるための手紙を残してあなたは消えた。


「ぶらりと旅をしたくなったから探さないでくれってね。妻にも書いたんだ。我儘な僕ですまないと。これは、僕の我儘なんだ」


 彼が立ち上がって歩くから、私も後ろをついていく。


 ――この場所は知っている。


 昔、私が立ち寄った田舎町。夜になるとくねくねと踊るように腰を振るキノコが裏手の森に生えていて面白かったと彼に話したことがある。


 私は、彼に話した数々の場所を探し歩いてここに来た。それしか手がかりはなかったから。


 森の入口。

 土の匂いは濃くなり、湿った草の合間からくねくねとカーブする長い柄が特徴の橙色のキノコが私たちを出迎える。


「僕は見たい景色を見て、妻はもう一度新しい人生を歩む。強引に結婚してもらったから、そろそろいいかなって」


 よくない……よくないわよ!


 魔法を解いて、泣きながら彼に抱きついた。


「おっ……と。はは、やっぱり君か、マリア。追いかけてくれたんだね。ありがとう」

「なんで行っちゃったのよ!」


 置いていくなんて言った私が責める権利なんてない。分かっている。


「君は無理をしていた。老いたふりまでずっとしていた。もう子供たちも巣立った。無理をする君とさせる僕。そんなのは――」

「してないわよ!」


 一緒に老いたかったの。


「久しぶりに見たな。何十年ぶりだろう。美しいな……過去の僕から君を奪っている気分だ。君はまだ若い。次の人生を考える時で――」

「次の人生なんていらない――! ごめんなさい。私は酷い言葉をあなたに……。置いていかれることがこんなに辛いなんて思わなかったの。ごめんなさい……っ、お願い、側にいて。あなたの最期を私に看取らせて」

 

 彼の口から漏れる息が震えている。ポトリと私の顔に涙が落ちた。


「君はこんなにまで、まだ若いじゃないか」

「仲間外れにしないで! 一緒に歳をとって穏やかに笑う私が好きだったのよね! こっちの私なんて――」

「僕は君に辛い思いをさせていたのか、夫失格だな」


 私が何も言わなかったから――、だから。


「一緒に旅をしようか」

「――!」

「変な魔道具も売りながらさ。僕も日銭くらいはまだ稼げるんだよ。もう人脈はないけどね」


 誰かから見たら、私は娘か孫で。

 実際は彼よりも数倍私の方が歳上で。


「ええ。あなたの手紙には『二人で』の文字を足しておいたわ。一緒に旅に出るとね」


 主語は書かれていなかった。私が一人でいなくなっても子供たちには二人で旅に出たと思わせられるし、私が残りたくてあの手紙を子供たちに渡せば彼だけがいなくなったことにできる、やさしい手紙。


 次は、私たち二人とも知らない街へ行きましょうか。でも、その前に――。


「それと、隠していた私の本業を教えるわ。まずは王都にゴーよ! 私の行方を探しているようだし、一緒に謝ってもらうわね」

「ええ!?」


 面倒事を押し付けられるのも幸せだとやっと知れた。だから私も押し付ける。


「この国の平和は実は私も守っていたのよ!」

「ははっ。よく分からないけど、君は歳をとるほどに元気になるな」


 やっと、夫婦になれた気がする。

 私たちはもう一度始めるのよ。

 

 王都に行って、次はどこへ向かおうか。


 ――魔女と人間の短い旅はこれから始まる。

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