白い結婚がバラ色に染まるまで〜30歳離れても愛してくれますか〜
両親を早くに亡くした貴族令嬢イヴォンヌは、義母娘から虐げられる毎日。そんなある日、義母の差し金で50歳の退役軍人の後妻として嫁ぐ話が浮上する。だが相手のギルバートは「これは白い結婚だから安心してほしい」とイヴォンヌに告げる。亡き父の部下だったギルバートは、忘れ形見の窮状を聞き、便宜上の婚姻関係を結び彼女を保護してくれるというのだ。イヴォンヌはためらいつつも、彼の提案を受け入れた。
死に別れした前妻を今でも愛するギルバート。彼の温かい心根を知り、初めての安らぎを得たイヴォンヌは次第に心を寄せていく。しかし30歳差という現実は、予想以上に大きな壁となって二人の前に立ちはだかった。果たしてイヴォンヌは、白い結婚を本物にできるのだろうか?
「イヴォンヌ! 私のドレスを勝手に持ち出したでしょう!」
イヴォンヌ・カスバートが居間で読書をしながらくつろいでいると、義妹のオーガスタがたいそうな剣幕で怒鳴り込んできた。普通の令嬢なら思わずひるんでしまいそうな勢いだが、イヴォンヌは顔だけ上げてオーガスタを見ると、不敵な笑みを浮かべ、嘲るような口調で反論した。
「パーティーに行くのに必要だったのよ。綺麗にしてちゃんと返したけど?」
「あなたのやったことは泥棒と同じなのよ? 分かってる?」
「一着でも自分のがあればこんなことしないわ。どうせ直接頼んだって貸してくれないじゃない?」
「よくもまあ、抜け抜けしゃあしゃあと……あ、お母様。イヴォンヌが私のドレスを――」
義理の姉妹が争っているところに義母のクロエがぬっと顔を出した。面倒な奴が来たとイヴォンヌは心の中で舌打ちする。
クロエは、冷たい目でイヴォンヌを見下ろすと、頬に手を当て、わざとらしい口調で嘆きの言葉を口にした。
「話は聞こえてましたよ。イヴォンヌ、泥棒をしてまでパーティーに行きたかったの? そんな卑しい娘に育ってしまったなんて、天国のキースが聞いたらどう思うかしら? 彼に合わせる顔がないわ」
「お父様の名前を気安く呼ばないで。遺産を好き勝手使ってるあなたにその資格はないわ。実の娘がどんな扱いを受けているか予め分かっていたら、父だって再婚しなかったでしょうに」
「減らず口だけは上手ね。可愛さのかけらもない娘だこと。それで、パーティーで目ぼしい人はいたの?」
義妹のドレスを拝借してまでパーティーに行った目的を見透かされ、思わずうっと言葉に詰まる。その拍子に、先日出席したパーティーの思い出がまざまざと思い出された。
実は、理想的な紳士との出会いがあったなんて口が裂けても言えない。お互い仮面を着けていて素性は分からず、その場限りの逢瀬だったが。家を出るために結婚を利用したいだけの現実主義者のイヴォンヌでも、思わず浮き足立つ体験だった。
突然黙り込んだイヴォンヌを見て、クロエは、答えに窮して何も言えないのだろうと判断したらしい。それで、皮肉な笑みを浮かべ、驚くべきことを告げた。
「さしずめ早く結婚してこの家から出たいんでしょう? 大丈夫。こっちも同意見なの。お互いの利害が一致したわね。そこで、ふさわしい人を選んであげたから感謝しなさい?」
「な、何ですって!?」
予想外の展開に思わず素に戻り、瞬間しまったと顔をしかめる。それを見たクロエは更に笑みを深くした。
「結婚相手を見つけてやったと言っているのよ。相手は50歳の元軍人、大佐まで上り詰めたギルバート・サッカレーという方よ。奥様を亡くしてから5年も独り身だったけど、いい加減若い娘が恋しくなったようね。若い娘は重宝されるだろうから、献身的にご奉仕するのよ?」
「ええ? 50歳!? 何それ、まるで親子じゃない! てことは30歳差? アハハハハ! 老人介護ね! イヴォンヌにぴったりだわ!」
脇でオーガスタが腹を抱えて笑う。プライドの高いイヴォンヌでも、これはさすがに取り繕いきれず、顔面蒼白になってしまった。
「そんな、急に結婚だなんて……しかも、50歳の男性の後妻? どういうこと?」
「どうもこうも、文字通りの意味よ? あなたも20歳だからもう年頃でしょ? いい嫁ぎ先を見つけるのは親としての務めですからね。持参金も不要だし、この上なくいい条件だわ」
好き好んで若い娘が30歳も離れた男に嫁ぐわけがない。普通の親ならそんな縁談を進めるはずがない。だが、家が貧しい場合は、多額の援助と引き換えに若い娘を嫁がせるケースは珍しくなかった。
今回は、邪魔者のイヴォンヌを排除できる上に多額の金を引き出せるといういいこと尽くめの話なのだ。どうせその金は母娘の遊興費に充てられるのだろう、今までがそうだったように。
「善は急げで、一両日中に相手の方が見えるから粗相のないようにね。もうお金は頂いてるから後戻りはできないわよ?」
イヴォンヌが反論できず黙って唇を噛みしめるのをいいことに、クロエは上機嫌になって要らないことまでべらべらと話した。そして、いつもならイヴォンヌに罰を与えるところが、彼女の悔しそうな顔があまりにも愉快だったため、何もせずに部屋を出て行った。
**********
時は少しさかのぼる。ギルバート・サッカレーは、軍隊時代の友人の訪問を受けていた。妻が亡くなってから5年、隠居生活も同然の暮らしを送ってきたが、いくら何でも老け込むには早いだろうと昔の友人が会いに来てくれる。退役してしばらく経つが、ずっと忘れずに友人が訪ねてくれるのはありがたい限りだ。
アーサー・サリバンは、軍隊時代の同期で、苦楽を共にし、お互い助け合いながら死線を乗り越えてきた仲間だ。彼は、紅茶をすすりながら気の置けない友人に話しかけた。
「クララが亡くなってもう5年か、月日が経つのは早いものだな。お前もいい加減引きこもってないで外の世界に出たらどうだ?」
「外の世界ならこないだ見てきたよ。ジミーを覚えてる? そう、2期下の。彼に誘われて仮面舞踏会に行ってきた。舞踏会なんて久しぶりすぎてどうしたらいいか分からなかったけど、ダンスは覚えていたよ」
「ダンスをしたのか!大きな一歩じゃないか!」
「相手は感じのいいお嬢さんだったな。最近の若者はしっかりしている。でもそれだけさ。浮気したらクララに怒られてしまうからね」
ギルバートはそう言って力なく笑った。5年前に病で他界した最愛の妻クララとの間に子はいない。それからはずっと一人、心にぽっかりと穴が空いたまま、余生のような生活を送っている。社交も最低限に抑え、日がな一日、庭園にある温室で趣味の絵を描くのが日課だ。
「ところで話があると言っていたが何のことだい?」
「そうそう、カスバート大佐を覚えているかい?」
「もちろんだとも。我々の上司で尊敬できる先輩……じつに勇敢な軍人だった……。亡くなって10年ぐらい経つのかな」
ギルバートは昔を懐かしむように目を細めた。軍人としても、人間としても尊敬できる先輩だった。もっと長生きしていれば確実に中枢を担う存在だったろうにと惜しく思う。
「そこの家の未亡人が長女の嫁ぎ先を探していてね。なんと、財産さえあれば相手の年齢は問わないと。つまり、老人の後妻でもいいって言ってるんだ」
「ひどい話だな。自分の娘をそんなところに進んで嫁がせる親がいるのか」
「それが、実の娘ではないんだよ。前の奥さんの忘れ形見らしくて。今のは後妻なんだ」
「その忘れ形見こそカスバートの実の娘だろう? 何とかしてやれんもんかね?」
「そうだとも。そこで君の出番だ」
アーサーの意外な一言にギルバートは目を丸くして旧友を見つめた。
「カスバートの忘れ形見がそこらの脂ぎったオヤジに嫁がされたら、彼に合わせる顔がないだろう? ぜひ信頼のおける者に託したい。だが、うかうかしてるうちに適当な助平爺が選ばれてしまうかもしれない。その点君なら身分財産人格共に申し分ない。このままダラダラと余生を過ごすくらいなら、一つ人助けを頼まれてくれないか? お願いだよ」
「つまり、彼女と結婚しろと? いきなり何を言い出すんだ!?」
ギルバートはすっかり仰天して声がひっくり返ってしまった。一体アーサーは何を言い出すのか? 亡き妻に一生を捧げている自分に若い娘と再婚しろだなんて。
「だから言っただろう、これは人助けだよ。どこの馬の骨とも分からぬ奴と違い、君なら紳士的な振る舞いができる。クララに操を立てているのも知っている。こんなこと君にしか頼めない」
「……つまり白い結婚というやつか?」
「まあそういうことだ。もちろんお互い同意の上であればその限りではないが。少なくとも、結婚の形を取れば身柄の保護と金銭的援助のどちらも満たすことができる。どうか頼まれてくれよ」
「後見人とか養子ではダメなのか?」
「どうも、未亡人は、血の繋がってない娘を快く思ってないらしい。だから目に見える嫌がらせをしている向きがある」
「……そりゃ厄介だな」
親友アーサーの頼みとあらば、簡単に一蹴することはできない。ギルバートはじっと考え込んだ。
確かに、特にやりたいこともなければこれといった希望もない。人生が終わるまで静かに過ごせればそれでよかった。
ただ、死ぬ前に自分が誰かの役に立てるならば、協力するのはやぶさかではない。人助けだと思ってくれというアーサーの言葉が決め手となった。
「分かったよ。話に乗ろう。今こそ大佐に恩返しするときだ」
そう言ってギルバートは微笑んだ。
**********
あっという間にギルバート・サッカレーと会う日が来た。こっそり家出をしようと画策したイヴォンヌだったが、彼女の手の内を知るクロエによって計画はことごとく潰された。ここ数日は家の中に軟禁され、外部と連絡することもできず、どう足掻いても無駄だった。
しかし、初めて見たギルバート・サッカレーは、予想していた脂ぎった好色な中年とは程遠い人物だった。白髪混じりのアッシュグレーの髪に穏やかな目元、直立した時の姿勢のよさは軍人の名残りが垣間見え、どこか父のありし日を彷彿とさせた。初めて会うのについ最近どこかで会ったような、そんな不思議な感覚さえ覚える。
しかも、はるか年下のイヴォンヌ相手にこれ以上ないくらいの低姿勢で、礼儀正しく挨拶してきた。そして、二人きりになったところで、とんでもないことを言ったのだ。
「どうか安心してほしい。これはいわゆる『白い結婚』だから。君との間には何もない。いいね?」