専属絵本作家の恋愛サポートがつらたん
田村 志穂には専属絵本作家がいる。
物語を作るのが得意な弟の修斗と、絵を描くのが上手なクラスメイトの松本 玲愛の二人だ。志穂は中学生の時に二人を引き合わせ、自分好みの絵本を作ってもらい、ひたすら悦に浸っていたのだが。
「え……なんで二人がキスしてんの?」
二人が交際を始めたのは、志穂と玲愛が高校一年生、弟の修斗が小学六年生の時だった。
志穂は二人を引き合わせた責任もあり、秘密の交際をサポートして過ごすのだが。あれから三年。自分の恋愛のことなどすっぽりと頭から抜け落ちていた志穂は、特に浮いた話もないままシングル大学生となる。
「二人には末永くお付き合いしてほしいんだけど……さて、どんな作戦で切り抜けようか」
降りかかる困難をどうにか切り抜けながら、志穂は専属絵本作家たちの交際を見守っていく。
バイトが終わって家に帰ると、玄関には明らかに女物と思われる春物のブーツが鎮座していた。
「うわ……不用心すぎる。あとで説教だな」
私は靴箱の目立たないところにブーツをしまうと、スマホを取り出して弟に文句を叩きつける。
【玄関にブーツ発見】
【玲愛来てるんでしょ】
【母に見つかったら地獄だよ】
【ひとまず靴箱に隠しといたから】
立て続けに四通ほど送ったが、既読はつかない。
まぁ、それも当然だろう。若いカップルが部屋にこもれば何かと忙しいだろうし、私としては「ふむふむ、健全なお付き合いをしてるんですね」くらいの感覚だけど……問題は一つ。
弟の修斗は中学三年生で、恋人の玲愛は大学一年生――私の同級生なのだ。
四歳差の恋人と考えれば、ナシではないかなぁとは思うものの、中学生と大学生っていう字面を見るとなかなかにヤバい。まぁ、付き合い始めた時も小学生と高校生って組み合わせだったけど。
周囲の目もあるため、二人の交際は秘密だ。
そんなわけで、唯一それを知っている私は、これまでも何かと二人の偽装工作を手伝ってきた。デートに行きたいと言われれば、私と玲愛が遊びに行く風を装って三人で出かけたり。玲愛の家に修斗を呼ぶ時には、私がお呼ばれしたって口実で同行させたり。
「……毎回スタバのフラペチーノで手を打ってやってるのは、姉の温情だと思えよぉ」
ボヤきながら風呂に行き、ささっと服を脱いでシャワーを浴びる。なお、風呂場での鉢合わせを防止するため、入り口の扉には「使用中」の札をかけるのも忘れない。なにせ、これまで三回くらい遭遇したからね。あれはめちゃくちゃ気まずかった。
風呂を出ると、スマホにメッセージが届いている。玲愛からだ。
【志穂ちゃん、ごめん。ブーツの件ありがとう。危なかった、気をつけないと】
まったく、玲愛はおっちょこちょいなんだから。
中学生の彼氏がいるという自覚をしっかり持って、慎重に行動してほしいものだけど……とはいえ、そう簡単に性格が変わるわけないもんなぁ。
部屋に戻ってラフな格好になった私は、夕食の献立を考えながらキッチンに向かう。なにせ自室にいると隣からどんな声が漏れ聞こえてくるか分かったもんじゃないからね。
イチャイチャカップルから逃げるようにキッチンに立つようになった私は、ここ数年で料理の腕をメキメキと上げて、今やなかなかのシェフっぷりを発揮するようになっていた。そう、自画自賛である。私の彼氏になる奴はきっと幸せだぞぉ。まぁまだ候補者すらいないわけだけど。
さて、夕飯を作るにはちょうどいい時間だ。
母の帰宅はいつも通りなら深夜だろうから、修斗と玲愛と三人で食卓を囲むことになる。今日はトンカツでも揚げるか――などと考えながら、エプロンを身に着けた時だった。
「ただいまぁ! 志穂、帰ってるー?」
「母さん? え、どうしたの。早くない?」
ドクン、と心臓が跳ねる。ヤバいヤバい、今は弟たちが部屋でイチャコラしてる頃だぞ。落ち着け、慎重に行動するんだ。ビークールだぞ、私。
平静を装って玄関に顔を出すと、朝より少しくたびれた母が靴を脱いでいるところだった。
「早くなるなら連絡してよぉ。今日はトンカツにしようと思うから、母さんの分も揚げるね」
「ありがと、ごめんね。急に帰れることになったから、うっかり連絡を忘れてて」
「はいはい、お疲れ様。とりあえずお風呂でサッパリしてきて。ビール飲むんでしょ?」
そうして、母の荷物を受け取って風呂場に追いやり、シャワーの音を確認した後で、私は弟の部屋のドアをバンと開ける。
「し、志穂ちゃん」
「母さんはシャワー中だから、今のうちに」
「うん、ありがとう」
なるべく音を立てないよう気をつけて、玲愛を玄関から送り出す。なんだか悪事の片棒を担いでるみたいな感じだなぁ。我ながら悪い女に育ってしまったものよ。
そうしていると、弟が背後から声をかけてくる。
「……ありがとう、姉さん」
「はぁ……二人を引き合わせたのは私だから、協力は惜しまないけどさぁ。もうちょっとこう、落ち着いて交際できないもんかねぇ」
「うん、いつもごめんね」
まぁ、仕方ない。
あと一年くらい経って、高校生と大学生くらいになれば、そこまで人目を憚る必要もなくなってくると思うけど。もうしばらくは、こんな感じが続くんだろうな。
◆ ◆ ◆
弟は昔から、物語を作るのが得意だった。
「ねー修斗、なんか面白い話して」
「うーん……じゃあ、しりとりでおしりをとられちゃったひとのはなし」
「何それ、面白そう!」
まだ小学校に上がってもいない弟は、様々な物語を作っては私に聞かせてくれた。いや、けっこうな頻度で私がお願いしていた気もするけど。
「ねー、面白い話して」
「そうだなぁ……カエルがおうちにかえるはなし」
「えー、それ面白いの?」
「それがね、カエルはたいへんだったんだよ」
弟が小学生になっても、私はずっと物語を欲しがり続けた。
語り口がなかなか面白くて、私はいつもケタケタと笑って聞いてたんだよね。同じ内容を私が話してもこんなに面白くはならなくて、私はすっかり弟の物語のファンになってしまっていた。
「なんか面白い話して」
「んー……霞を食べる仙人が、おならを食べる話」
「ぶっはぁ、ダメだ、もう笑っちゃう」
そうしているうちに、私は中学生になった。
相変わらず弟の物語は面白い。だけど、ちょっとだけ不満もあった。なにせ、弟は一度話した物語を二度と話してくれないのだ。なので私はお気に入りの話はノートに記録しておくようになった。
同じクラスの松本 玲愛と初めて話をしたのは、その頃だった。
彼女は教室の隅でいつも暗く俯いていて、友達がいない。時おりノートに向かってカリカリと何か絵を描いているってことは知っていた。
それである時、たまたま彼女の絵を見かけて――その瞬間、私の背筋に雷が落ちたのだ。
「松本さん!」
「へっ? えーっと」
「田村 志穂だよ。松本さんのイラストを見てビビッと来たんだ」
私は持ち歩いていた弟の物語ノートを見せながら、溢れんばかりの情熱を込めて彼女に語りかけた。たぶん、ちょっと引かれていたと思うけど、そんなの関係ない。だって彼女の描いている絵は、弟の物語にすごく合うと思ったから。
「弟の物語を、松本さんに絵本にしてもらいたいんだよ! たぶん、すごく素敵になると思うんだ」
「わ、わかりました。やってみます」
「やったぁ、ありがとう。楽しみにしてるね!」
私はてっきり、彼女がいつもノートの端っこに描いているような簡単なイラストに、ちょっと文章が付け加わったくらいのモノができあがる――そんなイメージを持ってたんだけど。
出来上がったのは、水彩絵の具を使った綺麗な絵で、本屋さんで売っていてもおかしくないような装丁のしっかりした本になっていた。めっちゃ気合いが入ってる。
「で、できました、田村さん。どうでしょうか」
「松本さん……いや、玲愛。最っ高」
「へっ。そ、そうですか?」
その出来栄えを大変気に入った私は、彼女を自宅に連れ帰って弟と引き合わせることにしたのだ。そして、今後は二人で協力して、私が気に入るような絵本を制作するべしとお願いしたのである。
我ながら、めちゃくちゃ偉そうな態度だった自覚はある。
そうして、玲愛は私の家に通うようになり。弟と二人で頭を捻って、一ヶ月から二ヶ月に一冊といったペースで絵本を作ってくれるようになった。そんな生活が、中学を卒業しても続いていって。
――二人がキスしているのを見たのは、高校一年生の春のことだった。
◆ ◆ ◆
夕飯のトンカツを揚げながら、二人のこれまでの交際を思い返す。
当時は小学六年生とキスしてる玲愛の姿に衝撃を受けたものだけど。引っ込み思案で友達のいなかった玲愛が、年齢の割に背が高くて大人びている修斗を好きになっちゃったのも、まぁ仕方がなかったのかなと思う。むしろ、その可能性に一切思い至らなくて、ただただ絵本を作ってもらって悦に浸ってた私が呑気すぎたのかもしれない。
二人の交際をサポートするため、一緒に過ごす機会は多かった。遊園地も、夏祭りも、クリスマスだって。もちろんできるだけ二人きりになれるよう気を使ったりもしてね。
そうしているうちに、私は自分の恋愛のことなどすっかり頭から抜け落ちたまま、シングル大学生になったわけである。つらたん。
そんなことを思い返していると、母がのそのそとリビングに現れる。
「お風呂出たよぉ」
「はい、お疲れ様。今ビール出すね」
「ふふ、志穂は良い嫁になるね」
母はそう言って、ソファに背中を預ける。ちなみに、我が家に父親はいない。修斗が生まれた少し後に病気で亡くなってしまったのだ。私はもう、薄ぼんやりとした記憶しかないけど。
女手一つで、私たちを育てるためにバリバリ仕事をしている母はすごいなぁといつも思っている。そんな母に心労をかけないためにも、修斗と玲愛の交際はもう少し隠しておきたいのが私の思いだ。
そうしていると、修斗もしれっとダイニングに現れる。親子三人揃っての夕飯は、久しぶりだ。ご飯、味噌汁、千切りキャベツ、トンカツ。母さんの好きな柴漬けも食卓に並べれば、出来上がり。
「あぁ、そうだ。言ってなかったけど」
ソファの上でアザラシのようになった母が、何でもないことのように話し出す。
「今度、部署異動することになってね。在宅勤務ができるようになるみたいでさ」
「ふーん……在宅?」
「うん。これまで二人には寂しい思いをさせてきちゃったけど……これからは一緒にいられる時間が長くなる予定だから。よろしくね」
母は這うようにしてソファからダイニングの椅子へと移動してきた。
私は弟に視線を向けながら考える。母が家にいると、これまで余裕だった「おうちデート」の難易度が爆上がりするなぁ。
二人には私の専属絵本作家でいてもらわないと困るから、末永くお付き合いしてほしいんだけど……さて、どんな作戦で切り抜けようか。