匣(はこ)に住まう蜘蛛

作者: ちょっと様子見

 ほんのりと明かりの灯る部屋の窓に、蜘蛛が巣を作った。

 巣の真ん中で、蜘蛛は獲物がかかるのをじっと待っている。


 俺はその蜘蛛の巣を眺めて見ていた。

 そこに一匹の蛾が舞いながら近付いてくる。

 蜘蛛の巣があると知らなかった蛾は、俺の部屋で鈍く光る液晶ディスプレイの光を目指していたのだろう。

 だが、それを見越して蜘蛛は巣を作った。

 蛾は知らず知らずにその光に誘われ、ついにその巣に捕らえられてしまう。

 蛾はまた宙を舞おうと必死に暴れるが、蜘蛛の糸はその身に絡まり、だんだんと身動きがとれなくなっていった。

 その様子を見ていた蜘蛛は、しめた、と言わんばかりにその蛾に飛び付く。そして噛みつき毒を蛾の体内に注入すると、ゆっくり味わいながら中身を吸い出す。


 この世界は弱肉強食だ。と、改めて思い知った。


 その光景を見終わった俺は、鈍く光る液晶ディスプレイに視線を移すと、軽快にキーボードを打つ。

 そして、そのはこの中に住まう蜘蛛達に、いつもの如く餌を与える。


《http://ooooo/ooo/hikariblog》


 今まで動きのなかったスレッドに、コメントを張り付けると、蜘蛛達は一斉に飛び付いた。

《お、なに、このビッチ》

《顔は可愛いなぁ》

《だけど、やりまくってそうな顔だな》

 蜘蛛達は、それが綺麗な揚羽蝶だったとしても容赦なく食いかかる。

《てか、俺の近所じゃん。探してみようかな》

 そのコメントを見た俺は、自然と口元が歪む。

《会えたら一発やれるんじゃね?》

 コメントが次々と更新される様子を、俺はじっと眺めていた。

《てか、こいつ出逢い厨だって!》

《メンヘラくせぇ……》

 蜘蛛達は毒を吐き出しながら、獲物を美味しそうに味わう。

 そして、俺はこの光景を楽しく眺めていた。

 ネットワークに住まう蜘蛛達に餌を与え、美味しそうに獲物をむさぼる姿を見るこの瞬間が、俺にとって最高の祝福なのだから。



   ***



 大型掲示板サイト『つうちゃんねる』にある、俺が作り上げたスレッドに、痛いブログのリンクを張り付けてから一日が経つ。

 今回の獲物はなかなかしぶとく、完食とまではいかなかった。だが、あそこに住まう蜘蛛達には、食べごたえのある獲物だから喜んでいるようにも感じる。

 彼らは徹底的に毒を仕込み、ゆっくりと味わうのが好きだ。

 俺もたまに、彼らのその行動がが怖いと感じるときがある。だが、彼らを餌付けしているような感覚は、その恐怖をも忘れさせてくれるほどの優越感に浸れたのだ。

 俺にとって、これはただの憂さ晴らしであり、ただの暇潰し。

 誰かがゲームで遊ぶ人のように、または、毎日ランニングする人がいるように。俺にとって、ネットに住まう蜘蛛達に『餌付け』することは、ただの趣味であり、唯一の楽しみでしかなかった。


 日差しが傾き始めた頃、学校帰りの俺はスマートフォン片手にゆっくりと繁華街を歩きながら見回す。

 俺はスマートフォンでネットサーフィンし、餌になり得そうな獲物を探しながら町を徘徊するのも、日常的な行動のひとつになっていた。

「今日はクズの中のカスばかりだな」

 俺はつい、独り言を吐き捨てる。

 ネットサーフィンすればするとぼ、当たり障りのない発言しかしないやつばかり。

 俺にとって、面白味もクソもないこいつらは、『クズの中のカス』でしかなかった。

 重い溜め息を吐くと、スマートフォンのお気に入りから『痛ちゃんねる』のリンクをタップし、その後の様子を伺う。

 あのビッチ女の話題に進展はないかと、期待を胸にタップしていく。

 その指先は、俺のスレッドへと伸びる。そして内容を見てみると、もう昨日のビッチ女の話題は鎮静化していた。

 ブログリンクをタップしても、そのブログは存在しない物となってる。

 蜘蛛達の会話を察するに、もう昨日の餌は食い尽くされたようだった。

 また殺風景になった掲示板を見ると、俺の口からは重い溜め息が漏れ出す。

 楽しみを無くした俺は、スマートフォンをズボンのポケットに入れると、ゆっくりと歩みを進めた。

――家に帰ったところで、今から無駄に流れるテレビの音と、会話のない両親がいるだけ。

 俺は冷めた目で回りを眺めていると、老舗のパソコンショップが目に入った。

 なんとなく、パソコンショップに近付くと、ショーウィンドウに飾られた真新しい液晶ディスプレイに目を奪われた。

「新しい液晶ディスプレイ、欲しいな」

 この液晶ディスプレイは新中古らしく、そこまで高くもない。この値段なら、俺の貯金箱に貯めた金で買える。

 俺は憂鬱な気分から解放されるように、その液晶ディスプレイに魅せられた。

 ただの変鉄もない液晶ディスプレイ。

 前々から欲しがった、というのもある。だけど、それ以上に魅せられるなにかがこのディスプレイから感じるのだ。

 これを買わなければ、あとで後悔する。ならば、いっそのこと買ってしまおうと心に決めた。


――その時。

 俺の隣に、ふわりと白い何かが視野に入った。

「何しているの」

 澄んだ声が白い何が現れた方から聞こえる。

 俺は話しかけられたかと思い、声のした方を向く。すると、そこに立っていたのは白い色の髪の毛をした女の子だった。

 この制服は見たことがある。といっても、俺が通っている高校の制服だった。よくよく見れば、隣のクラスにこんな白髪の女の子が居たことを思い出す。

 その子の名前は『翼夢よくむくう』。

 無関心で無欲で無口で無愛想で無頓着。『無』がよく似合う、学校ではちょっとした有名人だった。彼女はクラス中から嫌われていて、俺のクラスの女子も気味悪がっていたような。

 そんなことを考えながら彼女を見つめていると、漆黒の瞳と目が合ってしまった。

「なに?」

「…………いや。俺に、話しかけなかったか?」

 キョトンとする彼女の顔を見ているのが辛い。

 たぶん、俺に話しかけたのではないのだろう。と思うと、急に恥ずかしくなってくる。

 冷たく感じる彼女の漆黒の瞳が突き刺さる感覚がして、

俺は彼女から視線を逸らした。

 横目で見える彼女は何事もなかったかのように、俺の欲しがっていた液晶ディスプレイに視線を向ける。

 一瞬、この女もこの液晶ディスプレイを買おうとしているのか? と思えた。

「な、なぁ……?」

 俺は勇気をもって話しかける。だが、彼女には俺の声は届くはずなのに、全く無反応であった。

 これ『無視』なというやつのか?

「えっと」

「…………なに?」

 無視されたことが想定外で、俺は挙動不審な態度をとると、彼女は瞳だけをこちらに向け、睨み付けられるかのように俺を見て言った。

「こ、このディスプレイ、君も買うの……かい?」

「そんな物に興味なんてない」

 俺はぎこちなく笑いながらそう聞くと、彼女は冷たい視線を向けながらそっけなく答える。

 内心ほっとしながら、「ああ、そうか」と言っては見たが、彼女の態度がとても気に食わなかった。

 ああ、そうだ。次はこいつを餌にしようか。と思ったその時に、また彼女が口を開く。

「ねえ」

 また独り言じゃないのかと思い、始めは返事をしなかった。

「ねえ。これ、あなたには何に見える?」

 と、漆黒の瞳とこちらに向けて話しかけてくる。

 彼女が指差すのは、他でもない俺が欲しいと思っている液晶ディスプレイであった。

「……これ?」

「そう」

「これって……液晶ディスプレイ、だよな?」

 俺がそう言うと、彼女はすぐにその液晶ディスプレイを見る。そして、見てから「そう」と言うと少しだけ固まってから後ろに向き、すぐに歩き出す。

 俺が見た彼女の瞳は、なんだか寂しそうにも感じた。

 そのまま去ろうと、彼女は足を進める。だが急に立ち止まり、首だけこちらに向けると、横目で睨み付けるように俺を見てきた。


「あなたの目に映る『それ』は、本当の姿じゃないかもしれない。私には関係のないことだけど」


 彼女は意味不明な言葉を残すと、人混みの中に消えていった。

 それを聞いた俺の頭の中が、クエスチョンマークで一杯になる。

 だが意味不明な言動で有名な彼女の言葉など、聞く耳持とうなんて思いもしない。

 俺は彼女の言葉などすぐに忘れて、パソコンショップの中に入り、店員にショーウィンドウの液晶ディスプレイを買いたいと事情を話す。そして一旦家に帰ろうと、足早に店を後にした。



   ***



 俺は鼻唄混じりで液晶ディスプレイをセッティングする。

 あのあとすぐに家に帰り、貯金箱を片手にパソコンショップまで走った。

 店員に話しておいたから大丈夫だとは思ったが、あんな掘り出し物を他の奴が見つけたら放っておくわけがないと思ったからだ。

 ……そう言えば、あそこの店員のじいさんが変なことを言っていたな。

『そんなに古い型のディスプレイをどうするんだい?』

 って。

 古い型? こんなに真新しい液晶ディスプレイなのに? と、疑問に思ったが、俺は「使えるから大丈夫ですよ」と、店員に笑って言った。

 見た目が八〇、九〇といった年齢そうだったし、ボケ始めていてもおかしくないだろう。というよりも、もうボケ始めていて、この真新しい液晶ディスプレイの値段も一桁〇を付け忘れたに違いない。

 そう思うと、俺は得した気分になり、落ち込んでいた気分もみるみる晴れていくようだった。

 液晶ディスプレイを本体に繋ぎ終えると、確かめるために電源ボタンを押す。本体が音を立てて動き出すと、新しいディスプレイが眩しく光る。

 立ち上がるのを今か今かと待っていた俺は、マウスを片手に画面を見つめた。そして、立ち上がったのを見計らい、俺はすぐにインターネットのアイコンをダブルクリックする。

 俺の居場所。

 俺の存在できる場所。

 俺が俺でいれる場所。

 心踊らせながら、お気に入りから『痛ちゃんねる』という文字をクリックした。

 そしてポインダーを軽快に操作しながら、俺のスレッドを探す。そして見つけるとすぐにクリックし、中の様子を舐め回すように見た。

 相変わらず、スレッドに動きはない。

 俺はにんまりと笑ってから、キーボードを軽快に打ち始める。

「どうせ嫌われているような、どうしょうもない女だ。晒されたって仕方がない」

 そう言いながら翼夢空の情報を書き込んでいく。

「俺を無視するからだ」

 俺ふつふつと沸き上がる苛立ちを、キーボードにぶつける。キーボードは激しい音を立てながらも、軽快なリズムを刻む。

「君がいけないんだ……」

 一通り翼夢空の情報を書き終えると、俺の口元が緩み、気持ちが高ぶる。

「さあ、俺の可愛い蜘蛛達。餌の時間だ……!」

 俺の気持ちは最高潮に達し、勢いよくエンターを押そうとした――

――その時だった。


 急に俺のスレッドに、コメントが流れ込む。

 そして、そのコメントに群がるように、蜘蛛達はコメントを書き込みだす。

「誰だよ、俺のスレッドなのに」

 嫌悪感をあらわにしながら、始めのコメントをよく読んだ。

「……な、なんだよ、これ」

 俺は目を疑った。

 そのコメントに書かれていることは、全てが俺についてのことだった。

 俺の名前、生年月日、住所、通う高校の名前、そして……別のリンク先。

 そのリンクをクリックすると、そこには俺の顔写真。

「こいつ……なんだよ!」

 蜘蛛達は群がるようにそのコメント……いや、俺のことについて食いかかる。

《顔、不細工だなー!》

《それも、こいつがスレ主かよ! きんめー!》

《自分が一番痛いじゃん! ドン引きですよ、こっちはww》

 今まで餌を与えてやった恩など忘れてしまったかのように、蜘蛛達は俺に容赦なく食い付き、毒を吐き出しながら貪る。

「なんだよ……! 誰だよ、こいつは!!」

 俺のことを晒した……餌にしたこいつが誰なのか。こういう時に、匿名というものが無性に腹立たしく感じる。

 そう思いながら途方に暮れていた俺は、はたと思い付く。

「そうだ、ID」

 すぐに俺を晒した奴のIDを見る。

 だが、それを見た俺は自身の目を疑った。

「……おい、どういうことだ?」

 どうして、俺のID……なんだ? どうして?

 何度見返しても、俺が書き込む時のIDだ。見慣れているから、見間違えるはずがない。

 俺は、意味がわからなくなり呆然とする。


「しつぼーしちゃった?」


 頭が真っ白になってしまった、そんなときだった。

 俺は買ったばかりの液晶ディスプレイを眺めていたはずだ。なのに、なのに。

 眺めていたはずのディスプレイは消え、代わりに真っ黒な物体が居た。白い仮面を着けた真っ黒な物体は、不気味な仮面をこちらに向け、俺に話しかけているみたいだ。

 その物体は、よくよく見ればなんだか『蜘蛛』にも見える。

「ぜつぼーしちゃった?」

 こいつ、何を言っているのかわからない。意味がよくわからない。

 というよりも、こいつはなんだ?

 俺のディスプレイは? どこにいった?

「キミがしがみのことをそうみてただけだよ」

 気持ち悪い仮面は、笑って言っているようだった。

「お前は誰だよ! どこから入ったんだ!?」

「だれだ? ぐもんだよぐもん。しがみはしがみだよ」

 しがみ? しがみってなんだよ。こいつの名前なのか?

 それよもなんだよ、こいつは……っ!

「せつめいむずかしい。しがみはにんげんのたましいをたべる」

 人間の魂を食べるだと? ならば、こいつは俺を食べるっていうのか?

「そう、たべるの。キミはしがみのひさしぶりのごちそう」

 そう考えていると、まるで心の声がわかるかのようにそのしがみと言うやつは返答してくる。

 俺は不気味に思うと、その場から一歩退いた。

「あのしがみにねらわれていなくてよかった。あのしがみは、キミを『きょうき』にしてから、にくごとたべてしまうから」

 こいつは何をいっているんだか今でも理解に苦しむ。

 だが時間が経つごとに、こいつの言っている内容を把握できてきた。

「とにかく、俺を食うってことだよな?」

「そうだ。にくたいとたましいをきりはなして、たましいだけをおいしくいただくの」

 しがみは嬉しそうにそう話す。

 そうか、俺は食われるのか。

――死ぬのか。

 俺はそう思った瞬間、なんだか死んでもいいと思ってしまった。

 冷めた家庭。

 冷めた学校。

 冷めた社会。

 こんな世界に未練なんてない。

 本当は、死ぬ理由が欲しかったのかもしれない。

「なあ、しがみ」

「なんだ、キミ」

「お前は俺をどうやって食べるんだ?」

「キミがしんだら、そのときにたましいをたべる」

「今食べて、殺してくれるんじゃないのか?」

「キミはなにをいう。しがみはたましいをたべる。にんげんはしんだとき、はじめてたましいとにくたいがはなれるの。にくたいごとたべるなんて、へんしょくのしがみいがいいないよ」

 しがみはそう言うと、今か今かと待ちわびているようだった。

 その白い仮面の下から、白いドロッとした液体がこぼれ落ちる。

「このしがみのこうぶつは、『し』をほっするにんげんだから。そのときのたましいはなんともかんびでウマイ」

 しがみは俺を殺してくれるわけではなさそうだ。

 こいつが言いたいことは、「自殺をしろ」ってことだろう。

 俺は深く溜め息を吐く。そして、俺の部屋の窓から下を眺めた。そこから見る光景は、人がまるで蟻のように見える。

 こんな高層マンションを選び、住んでくれたことだけは、親に感謝しようと思う。

 窓を開けた俺は身を乗り出し、しがみに最後のお願いをした。

「なあ、しがみ」

「まだしゃべるの?」

「いや、最後だ。最後に頼みたいことがある」

「はやく」

 待ちきれんと言わんばかりのしがみに、俺は淡々と言った。


「俺を突き落としてくれないか」



   ***



 悲鳴が上がる。

 俺は目を開くと、沢山の人々がパニックに陥っている。

 その人々の視線の先には、ただの肉とかした俺の体があった。

 ドラマで見るような綺麗な死体じゃない。

 トマトが潰れたように、真っ赤でグロテスク。

 だけど、俺にはこれが『俺だった』ことがすぐにわかる。

 変わり果てた俺の姿を見ても、俺は「やっと死ねたのか」としか思わなかった。


「では、いただきます」

 俺の目の前に現れたのは、しがみだった。

 しがみは仮面を上にずらす。白くてドロッとした液体が、しがみの口らしき所からまた零れる。

 俺はそのまま食われるのを待った。

 食われる前のほんの一瞬。そのときに、俺の瞳は翼夢空を捉えた。彼女はまた悲しそうな顔をしてこちらを見ている。

 死んだ俺が見えているのか?

 ああ、そうだ。彼女は意味深な言葉を残していたな。これはこの事だったのか。

 そんなことを思ったが、もう今さらどうでもいい。

 俺はすぐに目を瞑り、永遠の闇へと身を委ねた。



最後までお読みいただきまして、誠にありがとうございます。


夏も終わりに近付いていますが、お体を壊さぬよう、お気を付けてお過ごしくださいませ。




謎の多い『しがみ』について、また、『翼夢空』については、後日書かせていただく予定です。