それゆけ! 本気狩★メイドさん
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太陽が全ての姿を見せた頃、毛足の長い絨毯の敷かれた廊下を一人の女性が歩いていた。
背の高い女性だ。男性の平均身長とさして変わらないであろう長身は背すじがスっと伸び、印象としては更に大きく見える。
足音は絨毯の上ということを加味しても更に無く、よく見れば鍛え上げられた筋肉が丈の長いソックスに包まれている。口部分に吊紐があるということはコレはガーター付きか。
ベルト部分が隠れているのは膝上丈のスカート。服そのものはフリルの無いヴィクトリアンメイドだが、その丈だけは通常のモノとは異なるようだ。
とは言え、長身の女性が黒地のシンプルなドレスと純白のエプロンを身に着けている様はこれ以上ない一体感を見る者に感じさせる。まあ、こんな時間では誰も周囲には居ないのだが。
ブラックベリーのようなほんのりとした赤みを持った長袖の黒いドレスからは、何やら更なる黒さを持った紐が垂れている。否、紐ではない。尻尾だ。
エプロンを縛った紐の辺りから現れ、歩みの度に右へ左へと揺れる尻尾はまるでビロードのよう。朝日を受けてキラキラと輝いている様は廊下に置かれた美術品にも負けていない。
ではそんな尻尾を持つ彼女は何かと言えば、猫だ。もとい、猫の獣人だ。尻尾と同じく艶やかな黒いショートカットから、天を突くように三角形の耳が生えている。
顔は人間のソレだが、猫の耳と尻尾を持ったタイプの獣人である。切れ長の瞳、スラリとした鼻先、細い顎。触れれば切れてしまいそうな顔のパーツは成程猫科の猛獣のようだ。
人間の耳があるべき場所は髪の毛に覆われて中は見えそうにない。
長身ショートカット黒猫系メイドである。そして歩く度に尻尾が、胸が揺れる。大きな胸が揺れる。とても大きな胸が揺れる。手から零れそうな胸が揺れる。
長身ショートカット黒猫系巨乳メイドである。朝早く、それこそ朝の仕事を始めるか夜の仕事が終わるかどうかの時間に豪華な装飾をされた廊下を歩いている。
メイドの足が止まる。迷いなく止まった事から、最初から目的地が定まっていた事が解る。ノック。四回。こんな朝早くに訪れているのに仕事なのだろうか。いや、メイドは仕事である。
「―――。」
人気の無い廊下に音が生まれる。発信源はメイドのようだが、あまりにもか細く余程耳が良いか密着でもしない限りは聞こえないだろう。
メイドは一拍置くとノックを繰り返し、また口も動かさずに声を発する。更にそれをもう一度繰り返すと、一瞬の躊躇も無くドアを開けて部屋へと踏み込んだ。
豪華な部屋だ。廊下の物よりも更に高級品と解る絨毯。机や椅子、ベッドも相応の品だ。それでいて部屋全体の調和がとれており、見る者に嫌味な部分を感じさせない。
置かれた小物やハードカバーの本も真新しい物から使い込まれた物まで様々だが、これだけの『物』が溢れている事自体がこの部屋の持ち主の地位を現している。
しかしそれらに興味を示さないメイドは、手早く仕事を片付け始める。朝日の漏れ出したカーテンを開き、ベッドの隣に立つ。
天蓋付きのベッドは大きく、数人は余裕をもって同時に眠れるだろう。それを納め、尚且つ狭さを感じさせないこの部屋の大きさは尋常ではない。
廊下を歩く最中この部屋と同じ扉がほぼ一定間隔にあったという事は、この部屋と同等の部屋がこの建物には複数ある事が解る。
まあ、元々高級であると一目で解る部屋だ。今更この程度で驚くほどでもないという事か。第一、メイドが居る時点である程度の察しはつく。
「―――。」
もう一度メイドから音が漏れる。視線がベッドへ向いているという事は、話し掛けているのだろう。声量が全く足りていないが。呟きでももう少し音量が出る筈だ。
しかしメイドは満足げに一度頷くと、やはり一瞬の躊躇も無く体を捻る。横ではない、縦回転だ。助走も無く空中でメイドが一回転し、落ちてきた踵がベッドへと吸い込まれていく。
「げぼぁ!?」
「おはようございます、ご主人様。さっさと起きやがって下さい」
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それゆけ! 本気狩★メイドさん
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「よっこらせ、っと……やれやれ」
洗濯物をムチャルクの粉末と一緒に樽にぶち込み、魔法で作り出した椅子に腰かける。溜息一つつく間に掬った水を樽に入れ、魔法で作った蓋とスクリューを入れて回転を始めた。魔法式洗濯機である。
座っているのも蓋もスクリューも真っ黒だが、これは当然。俺の属性は闇。俺自身の影に質量を持たせて操作するという割ととんでもない魔法が使えるからだ。
「なんて、誰に言ってんだか……」
それこそ誰に言うでも無い呟きと共に影から本を取り出す。自分の肉体の体積分だけ自由に使える空間、これも魔法だ。所謂アイテムボックス系魔法だな。
「………。」
栞を挟んでいた所から読書を再開するも、文章が頭に入って来ない。代わりに脳内を埋め尽くすのは何故か今更になって俺自身の事だった。
―――俺は、転生者だ。
宗教、特に仏教の六道輪廻的なソレではなく、ジャパニーズサブカルチャー的な『記憶を保持して生まれ直す』というアレだ。
それも異世界転生且つTS、つまりトランスセクシャル要素も入っていた。前世は男、今世は女の転生者である。
そりゃもう最初はブチギレたね。気が付いたら死んでて子供、それも女になってるんだから。八つ当たりだが、湧き出る怒りのままに魔法使って非合法っぽい組織をぶちのめす毎日を送ったもんだ。
まあ、そんな日々も暫くすれば慣れてくる。俺の中で折り合いが付いたのか肉体に引っ張られたのかは知らないが、気が付けば今は家業の手伝いだ。
こうしてメイド服に身を包み、朝にご主人様を起こし、身支度を整え、部屋の掃除をし、エロ本を机の上にキチっと並べて置き、朝の鍛錬を終えたご主人様の着替えを用意し、食堂まで三歩後ろを静かに着いていき、貴族の御令嬢同士とは思えないやりとりを眺め、学園の生徒でもある日中担当のメイドと交代し、魔法を使って悠々と洗濯をしている。
この後は洗濯物を干し、バレバレだったがこっそりとご主人様が隠していたエロ本を再び机の上にキッチリと並べて置けば今日の仕事は終わりである。後は夕方まで寝る、つまり夜勤シフトだ。
普通のメイドと言うか使用人は日中のみの仕事だろうが、生憎と我が家の家業は普通ではない。おやすみからおはようまであなたの暮らしを見守る、そんなお仕事である。メイドもそのカバーに過ぎないのだ。
とは言え学園内に居る間は楽な仕事だ。他にも同業が居るので暇を持て余す事は無いし、場合によっては協力もする。そもそも各種結界もある。
「それでも来る奴は来るが……駄目だな、読む気にならん」
栞を元の位置に戻して本を足元の影にぶち込む。膝に頬杖を突いて視線を中空に飛ばせば、樽の上下底面を掴むように伸ばした闇の腕が樽を上下に振っていた。きっとああいう不規則な動きが汚れを落とすのに良いのだ。多分。
仕事は楽で、給金も良く、休みもそれなりに有るというか無理やり勝ち取った。更にエセ中世ファンタジーな世界は割と面白く、魔法も人並み以上に使えている自信がある。
「でも、チンコねぇんだよなぁ……」
前世よりは良い生活なのだろう。生活水準は下がってはいるが、割と俺のような転生者が居るのか意外と生活に苦労は無い。魔法が便利過ぎるというのもあるが。
しかし、チンコが無い。息子が居ない。いきり立つ野生が感じられない。獣人なのに。思わずため息も零れてしまうというものだ。
自分の姿を鏡や水面で見る度に思うが、何故コレが俺なのか。何故コレが前世の俺の前に現れなかったのか。何故コレを相手に一発抜く事も出来ないのか。
正直な所、爽やか王子系ご主人様に引き寄せられたお姫様やら巫女様やら騎士様やら幼馴染様やら後輩のメイドやらからの視線が痛いのだ。しょうがないだろう仕事なんだから。
「はぁぁぁぁぁぁ……」
普段の生活については割り切ったつもりでいる。女の体でのオナニーも悪くない。男の裸体をふと見てしまう事も無くは無い。
が、今現在は男を相手にどうこうというのは考えられない。その辺りも割り切る事が出来れば今の生活にも変化が出てくるのだろうか。そんな先の事は解らない。
「……まあ、なるようになるか」
俺は肩を落とし、ゴウンゴウンと鳴る洗濯樽の音をBGMにのんびりと流れる雲を眺めるのだった。
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―――あれから、それなりの時間が経った。
色々あって魔王だか何だかが現れ、それをウチのご主人様がぶっ殺しに行く事になった。割と強いからね、あの人。俺が本気で殺しにかかっても殺しきれないぐらい強いからね。
で、当然ながらお姫様、巫女様、騎士様、幼馴染様、後輩のメイドはその旅に着いていった。俺? 行かないよ? 契約内容から外れてたもん。
当然ながら我が家の爺さんについてけと言われたが実力で学園残留組の座を勝ち取り、旅の間はそれはもう楽をさせてもらった。たまに部屋の掃除だけしてれば良いんだから。久々に全力で戦ったよ。
そして気が付いたら魔王を手籠めにしてご主人様が帰って来ていた。何かパレードとか色々やったらしいけど俺は知らん。普段住んでるのがそこそこ離れた山奥なもんで。
で、帰って来たご主人様御一行と顔を合わせたのが昨晩。挨拶しに行ったらそりゃあもう騒がれた。いや、だから何で着いてかなきゃいけないんだって。
ああ、それから旅の間に色々とあったのかご主人様の中の獣が目覚めていた。いや、性欲だけどさ。こっちが監視してるのを知ってか知らずか、かなり遅く……と言うかついさっきまでギシギシアンアンやってやがった。
正直、羨ましい。チンコを使える事自体も、使える相手が居る事も。何か、こう……ちょっとした虚無感を感じる。ドワォ。
とは言えそんな俺の内心とは関係なく朝日は昇り、こうして久々の朝の業務の為に廊下を歩いている。
半ば癖になっている気配を消す歩き方で部屋の前まで歩き、今日はご主人様以外も居るのでノックの音も最小限に留める。声もいつも以上に出さないように気を付けないとな。
そしてさっさと部屋に入ると、臭ぇ! うわ、この部屋すげぇ臭ぇっ! 人の体臭、って言うか女臭ぇ! ああそうだよな、男女比が酷いもんな!
……気を取り直し、閉まってなかったカーテンに声が漏れていた可能性を考えつつもベッドの隣に立つ。全員あられもない姿で熟睡中だ。
いや、待て。こいつらヤった後に身体洗ったか? 洗ってないよな。桶無いもんこの部屋。用意だけはしてあったけど、結局呼ばれなかったし。
臭いのも仕方がないか、と脚に力を籠める。少し間が空いたが、またいつもと変わらない日常が始まる事に口角が上がるのを自覚した。
さあ、今日も一日を始めよう。ご主人様。
「ごぼぁ!?」
「おはようございます、ご主人様。さっさと起きやがって下さい」
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猫耳メイド:長身ショートカット黒猫系巨乳メイド。正確には長身ショートカット黒猫系巨乳アサシンメイド。名前はまだない。他の話に出てくる時につける。多分。
前世が男で今世が女のTS転生者。大事なモノとそれ以外をスッパリ分けられるタイプ。その内前世が男って事も割り切る事が出来る。今はまだ無理。
ご主人様と言ってはいるが敬意の欠片も持っていない。メイドが荒れに荒れていた頃からぽやーっとしていた癖に強かったので正直嫌いである。自分とご主人様の命なら間違いなく自分を選ぶ。
ご主人様が学園から不在だった時に悪徳大臣やらが暗躍していたがアッサリと鎮圧している。学園に手を出さなければ今頃玉座についてヒロイン全員好きにできたのに……。
趣味は魔法の精密性訓練も兼ねた木彫りフィギュア製作。かなりファジーな魔法の中でも特に利便性の高い闇魔法の使い手。影を伝う高速移動も可能。