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足を掛けて三面鬼の頭蓋を叩き割ったハルバードを引っこ抜く。
血を拭って武器を見てみれば、細かい傷こそあるものの歪んでいる所もなく万全といっていい状態だ。
「良い武器だ」
これがなければもっと手古摺っていただろう。
持ち主に礼を言っておこうと周囲を見る彼の元へ先ほどの冒険者が戻って来た。
クロスボウを腰に下げ、金髪を束ねて横に流した眼つきの鋭い女性が軽く頭を下げる。
「助かったよ。私はリザ」
自己紹介を始めるリザにすぐには答えず周囲を見る。
セツたちが追い詰める個体を除けば三面鬼は全てシアーシャが仕留めていた。
猿狗達は頼みの用心棒を失い戦況は決まったと言っていい。
今の自分の仕事は休むことだと判断したジグが肩の力を抜いた。
「ジグだ。怪我はいいのか?」
「そっちは大したことないけど、ボルトも魔力もすっからかん。私はもう戦えない」
「そうか。近くにいれば寄る魔獣くらいは対処してやろう」
「ありがたい。弾のない後衛なんて役に立たないから、助かるよ」
そう言って肩を竦めるリザ。
ジグはふと思いついたことを彼女に聞いてみることにした。
「そうだ、これの持ち主を知らないか?勝手に借りてしまったものだから返したいんだが」
ハルバードを見せて聞いてみると、リザは沈痛な面持ちで視線を逸らした。
その意味を理解したジグが“そうか”とだけ呟くと、武器を真っ直ぐに胸の前に掲げた。
ジグが無言で顔も知らぬ男の健闘を称えているのをリザが同じく無言で見つめた。
「その男の名は?」
沈黙を先に破ったジグがリザに問う。
彼女は静かに口を開き、もう返事のないその名を伝え―――
「……あ、俺? ハインツ=ロマーノ、二十六歳です」
頭上から軽い声が降って来た。
ジグが顔を上げて声の方を見ると、一人の若い男が木の枝に掴まっていた。
血まみれでひん曲がった手足を力なく振るその姿はジグに死にかけの虫を連想させた。
「ハインツ!?」
リザが驚きに声をあげながら慌てて彼の元へ走り、ジグは外套を外して平らな地面に敷く。
身軽に木を登り、ぐったりとする仲間の様子を見て顔をしかめた。
慎重にその体を背負って固定すると、ジグの手を借りてなるべく揺らさないように静かに降りる。
敷かれた外套の上に横たえるとすぐに応急処置を始める。
先程の軽い口調とは裏腹に、彼の容態は中々に酷い。
右腕は折れて明後日の方向を向いており、所々に血が滲んでいる。
苦しそうな呼吸から察するに肋骨も折れている。
枝に掴まっていたというより、引っかかっていただけというべきだろう。
彼は血だらけの体で苦痛に表情を歪めながらも、それでも笑って見せた。
「へ、へへへ……風の魔術を、最大出力でぶっ放したら……俺の方が、ぶっ飛ばされちまってよ……」
そこまで言って血の混じる咳をする彼をリザが諫める。
「静かにしてろっ!くそ、魔力が足りない……ジグっ、回復術は?」
「俺はできんが、雇い主なら魔力が有り余っている。連れてこよう」
「頼むっ!」
必死に手当てを続ける彼女に頷くと立ち上がる。
シアーシャを呼びに行こうとするジグの背に掠れた声でハインツが呼び掛けた。
「……よう、兄さん。仲間助けてくれて、ありがとよ」
「仕事だ、気にするな」
「……それでも、よ……礼ぐらい、させてくれねえか?」
ジグは肩越しにハインツ達を見た。
仲間を死なせまいと必死なリザと、仲間が無事で満足気なハインツ。
正反対の表情を浮かべる彼らに鼻を鳴らして肩を竦めてみせる。
「寝言に聞く耳は持たん。どうしてもと言うのなら、自分の足で立って言って見せろ。その時は、一杯奢らせてやる」
走り去る男の背中を見送ったハインツが笑い、すぐに痛みを思い出して表情を歪めた。
「寝言って、言われちまった……」
「その通りじゃないか。先の事より、今の心配をしなさい」
相棒にぴしゃりと言われてしまう。
こんな時でも変わらず辛辣な彼女だが、いつも通りの彼女を見ると逆に安心してしまう。
頬に血をつけたリザが不敵に笑った。
「あの男に一杯奢るんだろう? 口先だけの男は格好が悪いぞ」
「……そう言われちまうと、死ぬに死ねねえな」
不器用な相棒の励ましに、痛みを堪えて笑って返してやる。
「えぇい!!」
苛立ちと共にシアーシャが両手を地面につけて魔術を行使する。
練り上げた魔力が地中を走り、大地が彼女の意思に従い蠢き始めた。
一度、静かに脈動した地面が揺れ始める。
揺れは徐々に強さを増していき、木々を激しく左右に振った。
シアーシャは地中を操作し、集中的に揺さぶることで局所的な地震を生み出したのだ。
特に木の根を中心に揺さぶることで樹上の猿狗達の動きを封じる。
木の揺れは激しさを増していき、枝を掴み損ねた猿狗が落下する。
冒険者たちは最初こそ地震に驚いたが、地面の揺れ自体はそこまで大きくないのに加えて、猿狗達が地に落ちたのを見て動き始めた。
落ちた猿狗を複数人で囲んで武器を突き込んでいく。
落ちまいと枝を必死につかんでいた猿狗も魔術や矢の斉射を受けて次々と処理されていった。
「あー……そう来ますかぁ」
落ちた猿狗を仕留めるべく地の杭を生み出そうとしていたシアーシャが渋々と術を解いた。
ああも群がられると魔術では冒険者を巻き込んでしまう。
幸い彼女を煽っていた猿狗は無事に袋叩きになっていたので留飲を下げることにした。
シアーシャが手の土を払っていると誰かが駆け寄ってくるのが聞こえた。
重く、それでいて速い聞き慣れた足音だ。誰かはすぐに気づいた。
「ジグさん、お疲れ様です」
「シアーシャ、そっちは片付いたな?」
振り返りながら見ると、足を止めた彼の様子はまだどこか慌ただしさを感じさせている。
何かあったのだろうかと首を傾げていると、急に手を引かれた。
彼の方から触れてくるのは珍しく、少し驚いているとそのまま膝の裏に手を差し込まれて抱え上げられた。
「うわわっ!? ジグさん……?」
「急患だ。魔力はまだあるな?」
「は、はい……足りないと感じたことは無いですけど」
「そうか。では急ぐぞ」
返事を待つ前から動き出していた体が加速する。
速い。人ひとりを抱えているとは思えぬほどの速度にシアーシャが目を白黒させる。
足の速さと力もあるが、何より体の動かし方が巧い。
窪みや木の根を避けるのみならず、器用にそれらを利用して加速すらしている。
「……」
無言でジグの顔を見上げるシアーシャ。
速さ以上に彼女が驚いたことが別にあった。
普段からジグの手を握ったり組んだりしたことはあるが、その時感じたものともまた違う何か。
背に回された手が熱を持っているのを感じる。
暖かい。
言葉にすると実に陳腐なそれは、しかし言葉以上の何かを彼女に感じさせた。
それをもっと感じたくて、求めるようにシアーシャは手を彼の首へと回す。
「……む」
首元へ顔をうずめたシアーシャ。
彼は鼻先を彼女の髪が掠めると無言で眉間のしわを深くした。
娼婦の香水などとはまた違う、柔らかくも甘い女の匂い。
その匂いに、近頃意識的に無視していたそういう欲求がふつふつと湧き上がってくるのを感じる。
どこかで一度解消しておくべきかもしれない。
しかしなぁ、とジグは頭を悩ませた。
(以前に娼館へ行ったときは随分と機嫌が悪くなっていたからな……)
どうやって察知していたのかは不明だが、以前娼館で済ませてきたときは非常にご機嫌斜めになっていた。
“女はその手の空気に非常に敏感だから気をつけろ”、と女好きの先輩傭兵は口酸っぱく言っていたが、その意味をこれほど実感したことはない。
なぜ自分が彼女の機嫌を伺ってまで欲求の解消を後回しにしているのか。
そう思わないでもないが、不思議とジグの足は安易に娼館へ向かうことを拒んでいた。
ジグは何かいい手はないものかと考えながら、目の前の温もりから意識を逸らすようにして思考を他所へ向かわせた。
書籍版では、本編で圧倒的に不足しているシアーシャとジグのイチャな関係性を増やしていく予定です。
やり過ぎにはならないのでご安心?を……