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腰かけたシアーシャがずりずりと椅子の足を引きずってジグの横に移動するとその前に依頼書を滑らせる。
ジグは頬杖をついて彼女の持ってきた依頼書に視線を落としながらベイツに問いかけた。
「それで、お前は何の用なんだ?」
「おう、それなんだがよ……」
そこで言葉を切るとベイツがにやりと笑ってこちらの依頼書を指差す。
「その依頼の内容……ズバリ、
「ほう」
丁度読んでいた依頼書にはベイツの言う通り猿狗と呼ばれる魔獣の討伐依頼が記されていた。
何故分かったと視線で問うとベイツはしたり顔で説明して見せた。
「簡単だ。シアーシャちゃんが報酬金よりも評価値を重視しているのは受けている依頼で分かってた。俺がざっと見てきたところ、七等級でも受けられる依頼で一番評価値が高くて数が多いのが猿狗だった、それだけだ」
「おー流石、ベテラン冒険者ですね」
「まあな!」
シアーシャのよいしょに胸を張るベイツ。
実際大したものだ。あれだけある依頼の中からピンポイントで当ててくるのは知識量、経験共に豊富なベイツならではだろう。
彼は面倒見が良いので同じクランの若手に依頼の選び方でも教えているのかもしれない。
「そこでだ。実はうちの若いのも猿狗の討伐に行くんだが……ちいと協力しねえか?」
「それは俺ではなくシアーシャに聞いてくれ。そもそも猿狗とはどんな魔獣なんだ?」
「そこから先は私が説明しましょう」
そう言ってシアーシャが割り込むと得意気に日々読み漁っている書籍の知識を披露する。
「猿狗とは四本腕の猿の体に犬の頭部を持った動物型の魔獣です。大きさは成人男性と同じぐらいですが、前傾姿勢なんで体積や重量はもっとありそうですね。腕の力が強いくらいで魔術を使うでもなく特異な能力もないので個としての強さは大したことありません。この魔獣の厄介なところは、群れをつくるんです」
ジグは無言で首を傾げた。
数の厄介さを侮っているわけではないが、群れをつくる魔獣くらいで珍しいとは思えない。以前に戦った袋狼も小規模とはいえ群れをつくっていた。
ジグの怪訝そうな視線にシアーシャが一つ頷く。
「無論、ただの群れではありません。この魔獣は他の魔獣との群れをつくるんです」
「他の魔獣?」
「……普通、魔獣は別種と群れをつくることはまずねえ。稀に近縁種が混じることがあるくらいだ。だがこの猿狗って奴はちょいとばかしおつむがいい。どうやってか分からんが、他の魔獣とコミュニケーションをとることができるんだ。自分より強い魔獣に取り入って餌やらなんやら世話してやることで守ってもらおうってんだ」
「手先が器用で鼻も利くから狩りがとっても上手いらしいですよ」
共生関係という奴だろうか。それにしてはやや歪な気もするが。
どちらにしろ猿狗と言う魔獣の厄介さは理解できた。どんな魔獣を群れに加えているか分からない以上、相手の危険度を正確に計れないのだ。相手への対策や準備を入念にする冒険者にとっては嫌な相手だろう。確かにそれならば評価値が高いのも頷ける。
「ちなみに猿狗の素材はほとんど役に立たないことで有名です。皮は死後すぐに傷む、肉はとんでもなく臭い、牙や爪も同じ等級の魔獣に比べて特別鋭いわけでもない等々。厄介でお金にならない魔獣としての悪評も兼ね備えています」
「それでも放置するには色々と不確定要素の強い魔獣だから評価値が高めなんだよ。特に今回の群れは例年に比べて規模が大きくて、うちとしても無視できねえ」
相変わらず面倒見のいいことだ。
だがこちらも彼らにばかり付き合っている訳にもいかない。ここ最近別の依頼にかまけていて本業を疎かにしていたのだ。
「……?」
違和感に動きが止まる。
「ジグさん?」
不思議そうにしたシアーシャがこちらを覗き込む。
艶のある黒髪がさらりと垂れ、蒼い瞳がジグの思考を戻した。
「何だ、敵か?」
ジグの様子から何かを感じ取ったベイツが気取られぬように周囲を警戒する。
「……いや、何でもない。気のせいだろう」
「ならいいが」
ジグがちらりと周囲を見る。
冒険者やギルドの職員が忙しく動き回るそこに取り立てておかしなところは無い。
本当に気のせいだったようだ。
「今日はシアーシャに付き合う予定だからそっちのお守りは出来んぞ?」
「はっはっは、そこまで頼みはしねえよ。協力って言ったろ?要は索敵と配置を決めてお互い被らないようにと、何かあれば援護しようぜ。……そんな口約束しとこうって話だ」
「……口約束?」
契約にうるさいジグが少し不服そうにした。
それにシアーシャとベイツが苦笑いして顔を見合わせる。
「……なんだ、二人して」
「いえいえ、何でもありませんよ」
「そうそう、何でもねえよ」
そう言って笑う二人と眉間にしわを寄せるジグ。
笑いを引っ込めて咳ばらいをしたベイツがその意図を語る。
「何かを強制する訳じゃねえ。見捨てたって俺たちは文句を言わねえし、逆もまた然りだ。……まあ、付き合い方は考えさせてもらうが」
「それに何の意味がある?」
随分と曖昧な話だと眉をしかめるジグにベイツが内心で意外そうにする。
世間知らずという訳でもない彼にしては意外に子供っぽいところもあるものだ。
「案外、馬鹿にできないもんだぜ?口約束ってのもな」
助けるべきか助けないべきか。
揺れた天秤を傾けることも……あるかもしれない。
ベイツ自身、その狭間で揺れ動いたことは一度ではない。
なればこそ、だ。
「打てる手は全部打っておく主義なのさ。冒険者の鉄則だぜ?実際にやっている奴は少ねえけどな」
後で連絡役寄こすわ。
そう言ってベイツは去っていった。
「あいつめ。まだ受けるとも言っていないものを」
だがシアーシャは反対も拒否もせずに笑っていた。
依頼主がいいのならば、構わないのだが。
「ふふっ」
やや憮然としたジグの腕をシアーシャが引く。
「行きましょうジグさん。今日はきっと楽しくなりますよ」
「……ああ、そうだな」
彼女に引かれるままに席を立ったジグが腰の剣、その握りを確かめる。
荷物の最終確認をするとシアーシャが魔力を込めて荷台を浮かび上がらせた。
彼女が貯まった資金で購入した浮遊術式が刻み込まれた荷台に携帯食料や野営道具などを積み込む。自分達用の浮遊荷台を購入するのは冒険者としての基盤が出来上がってきた証で、一人前と見なされる基準でもある。
未だレンタルに頼っている冒険者たちが羨ましそうに真新しい荷台を見つめている。
武器や防具ではなく荷台がこれほどまでに羨望の眼差しを集めていることにおかしさを感じるかもしれないが、持ち帰れる素材の数がそのまま収入につながる冒険者たちにとっては非常に切実な問題なのだ。
運ぶために手が塞がれば魔獣からの襲撃があった時に対応が遅くなる。かといって人手を増やせば取り分が少なくなる。
レンタル代は買うのに比べれば安いが決して軽い出費ではない。それも初心者救済のため、ある程度昇級するか時間がたてばレンタルは出来なくなる。
冒険者になってから日の浅いシアーシャが既に自前の浮遊荷台を所持しているのは珍しいことだ。
しかも彼女は奮発して自走型を購入したのだから嫉妬されるのも無理からぬことだった。
魔具専門店で半日悩んで価格交渉の末購入したらしい。
その際に以前討伐した綺晶蜥蜴の眼球を譲ることを条件に割り引いてもらったそうだ。血を吐くような表情で”究極の選択でした……”と語るシアーシャが記憶に新しい。
何と定価で二百万するそうだ。
ジグは自分の武器の倍以上する値段を聞いた時、思わず言葉を失った。
そんな曰くつきの荷台を颯爽と引き連れ二人は転移石板の部屋に向かった。
この度、株式会社マイクロマガジン社様のGCノベルズより書籍化されることとなりました。
来年春頃に一巻発売を予定して行動しております。
皆様の応援のおかげでここまで頑張ってこれました。
深くお礼申し上げます。