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ジグは自分の想定の甘さに内心で舌打ちをする
ヴァンノの鋭さは想定以上のようだ
日頃から騙し騙されの世界で生きている男を舐めていたようだ
こういう手合いは証拠が無くとも類推し読み当ててくるのを分かってはいたのだが
「聞くところによると、兄さんはどんな依頼でも受けるらしいですな?」
「……国や憲兵に追われないような仕事なら、な」
ため息をついて肩を竦める
相手が気づいているのに無表情を貫くのも馬鹿らしい
傭兵として数多く殺してきたジグだが、犯罪行為として処罰されるようなことをしたことは意外にも少ない
無論バレなければ多少ダーティな手段を選ぶこともあるが、行動の基本方針が悪党に分類されるようなことはなかった
これは彼の善性によるものではなく団の方針がそうであったことと、元軍人である師の教育が良かったためだ
「ほうほう。つまり、場合によっては俺たちマフィアとやり合うことも辞さない……そういう事ですかい?」
薄ら笑いを浮かべながらの挑発
それはマフィアたち本人を前にしてどういう反応をするかを確かめる意図がある
ここで日和るか黙るかでこちらの対応も変わってくる
「そうだ」
即答だった
周囲がマフィアだらけのこの状況で迷うことなくそう言い放った
カティアが呆然と口を開け、イサナが呆れたように額に手を当てる
その二人を余所にヴァンノはフンと鼻を鳴らす
肯定は予想の範囲内だ
これだけ腕のいい戦士がフリーという方が珍しいのでそれは驚きに値しない
問題はどこの勢力下にあるのか
自分の調査ではそこまでは調べきれなかった
「ほぉ、そりゃすげえや。俺ら相手にそこまで言い切れるなんて、兄さんのバックには誰がついているんだい?」
心当たりのある勢力にいくつかアタリをつけながら胸ポケットを漁り葉巻を咥える
愛用のシガーカッターを取り出すと先が潰れないように一息で―――
「いない」
ずるり
言葉にするとそんな音をたてて葉巻の先端がひしゃげる
斜めに滑った刃が中途半端に葉巻を切りラッパーも緩んでしまっている
こうなってはもうどうしようもない
しかしそんなことはどうでもいい
今この男は何といった?
「……聞き間違いかもしれねえが、確認するぜ。今、いないって言わなかったか?」
「そう言った」
「……そうかい。ワシの耳が駄目になっちまったかと思ったんだが、安心したよ」
コイツ馬鹿か?
そう言い放ちたいのを気合で抑え込むヴァンノ
この状況下で黙っているメリットはほぼない
具体的に明かさなくとも仄めかせるだけでいいのだ
チラリと後ろ見て視線で尋ねたが、白雷姫も首を振っている
……ジィンスゥ・ヤ、あるいはそれに類する勢力でもないらしい
駄目になった葉巻を捨てながら頭を掻く
もし本当にどこにも属していないのなら自殺したがっているようにしか見えない
本物の馬鹿を相手にするのは骨が折れる
ヴァンノは一気に肩が重くなったのを感じつつ嘆息する
「……ハハハ、大した兄さんだ。いやほんと、この状況でそこまでいえる奴はそうはいねえよ」
ヴァンノが乾いた笑い声をあげる
しかしその目は笑っていない
周囲のマフィアたちは割って入りこそしないが後始末をしながらも聞き耳を立て注意をこちらへ向けている
「なるほど、確かにウチの奴らじゃ兄さん相手にするのはちぃと荷が勝ちすぎてる。けどなぁ、兄さん。世の中広い。上には上がごまんといる。ウチとやり合うってことは、ジィンスゥ・ヤの達人も出張ってくるんだぜ?その辺ちゃんと理解して言ってるかい?」
そう言って背後、イサナを顎でしゃくる
ジィンスゥ・ヤでも指折りの達人、白雷姫の二つ名で呼ばれるイサナはそれに応える
「あ、私パスで」
「……はい?」
手持無沙汰に柄を撫でていた手を挙げてそう言った
あまりにも軽く、あまりにも理解不能
ヴァンノの許容限界を超えた一言は彼の動作を一時止めた
しかしそこはマフィアの幹部
すぐに気を取り直すとこめかみに手を当てて頭痛を堪えるようにイサナの方へ向き直る
口の端がヒクついているあたり完全に立ち直れてはいないようだが
「なぁ、イサナ嬢。俺たちは同盟関係だ。ウチがそっちの足元を固めてやる代わりに、そっちが武力を貸す……今回みてえにな」
「ええ、そうね」
「それが知り合いだからって程度で戦うのを拒否されちゃあよ、同盟にならねえんだよ。こいつと戦うのを断るってのは、
彼らにも面子がある
約定を一方的に破棄されて黙っていられるほどバザルタの面子は軽くない
「それは勿論、出来る範囲で協力するわ。あまりにも筋の通らない要請でなければ、ね」
「この男と戦うのが、それに当たると?」
恫喝一歩手前の鋭い視線
それを受けても涼しい顔を崩さずに首を振るイサナ
「そういう訳じゃない。……死ねと言われて素直に従うほどの同盟関係ではない。それだけ」
ヴァンノはその言葉に眼を剥いた
ジィンスゥ・ヤの達人が……数で、組織力で圧倒的に上回るはずの自分たちをしても不可侵を選ばざるを得なかった要因である武人が
ジグと戦えと言われるのは死ねと言われるのと同義だと口にしたのだ
「そいつは何かの冗談かい?」
「冗談でこんなこと言えるほど自分の剣に自負がないわけじゃないんだけど?」
だろうよ
奴らの頑固さはうちが一番よく知っている
嘘をついている可能性は低い
……にわかには信じがたいが、どうやらこの大男はイサナをしても正面から当たるのを避ける程の使い手のようだ
「話はそれだけか?」
「……ああ。うちから依頼をすることがあったら、よろしく頼むぜ」
「依頼なら歓迎だ」
脅しの通じない相手に自分が出来ることは今この場にはない
苦々しい気持ちを押し殺す
話が済んだのを見計らってカティアがジグに軽く頭を下げる
どうやら仕事は終了のようだ
「色々世話になったな。面倒ごとも片付いたし、護衛はここまででいいよ」
「こちらも金払いのいい依頼人でやり易かったぞ」
これからの後処理は大変だろうが、護衛のいるような事態ではなくなったということだろう
当初の予想であるマフィアの護衛としては大分派手な立ち回りを演じることになったが
「さっきの冒険者たちの事も含めて報酬は色を付けておくから安心してくれ。壊れた装備の分も追加してな」
「助かる。本当に」
事前の契約に装備の補填も入れておいて本当に良かった
折角働いても武器を買いなおすだけで使い切ってしまって骨折り損もいいところだ
あれだけの力を持つ男が装備の金額でホッと安堵しているのを見て思わず笑ってしまうカティア
「じゃあ、またな。叶うなら、ジグとは敵対しないことを祈っておくよ」
ジグはそれに応えず口の端だけで笑うと踵を返す
負傷のことなどまるで感じさせない力強い歩みでマフィアたちの真っ只中を突っ切ると路地へと消えていった
行かせてもいいのかと視線で問う部下たちをヴァンノが手で止める
「やめとけ。今はそれよりもやることがあるだろうよ。……アグリエーシャ幹部の意識が戻り次第締め上げろ。どんな手を使ってもいい、全てを吐かせろ。ウチのシマに手を出した糞野郎どもに骸を送り付けてやれ。……着払いでな」