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ジグを撃破した三人はカティアを追うべく駆け出そうとした
その動きに迷いは無く、自分たちの勝利を信じて疑っていない
はずだった
「……え?」
その瞬間、エルシアが止まる
まるで信じられないものを見てしまったかのように間の抜けた声を上げた
首筋に冷や汗が流れ産毛が逆立つのを感じながら恐る恐る後ろを振り向く
何もない路地だ
誰もおらず隠れる場所などどこにもなく、ただ先ほどまでの戦闘の余波で荒れているだけでなんの変哲もない
突然動きを止めた彼女に仲間が怪訝そうにする
「どうした?早くいかないと追いつけなくなるぞ」
「いや、待てザスプ。もしや何か……」
エルシアが二人の声を遮るように身を翻す
倒れたジグ以外誰もいない後ろへ向かって武器を抜くと油断なく構えた
「おい、何を……」
「まだよ!」
端的に一言叫ぶエルシア
その口調に先ほどまであった余裕は消えていた
発したその一言と尋常ではない彼女の様子で遅まきながら状況を理解した二人が信じられぬ気持ちで、それでも彼女の言葉を無条件に信じて戦闘態勢をとった
静寂が包み込む路地で、それでも彼らは警戒を解かない
「―――騙せていたと、思ったんだがな」
誰もいないはずの路地に声が響く
その声には聞き覚えがある
当然だ
つい先ほどまで話していた相手の声をこの短時間で忘れられるはずもない
声と共に倒したはずのジグがむくりと身を起こす
「……おいおい、冗談だろ?」
ザスプは今までエルシアがあれで魔獣を倒してきたところを何度も見ていた
防具越しだったとはいえ、あれをまともに受けてただの人間が動けるはずがない
しかし眼前の光景は彼のそんな常識を覆している
エルシアの警告がなかったら無防備な背後を襲撃されていただろうことは想像できる
あの男の不意打ちを自分は防げるだろうか?
……無理に決まっている
タイロンの剛撃を受け止め、自分の剣速にも悠々と対応して見せたのだ
どう対処したとしても、恐らく一人はやられていただろう
驚愕の表情を浮かべる三人を余所にジグは近くに突き立っていた双刃剣を取ると砕けて無残になった胸鎧を見て悲しげな表情をした
襤褸切れ同然のそれを脱ぎ捨てると軽く肩を回して調子を確かめる
エルシアの打撃によるダメージは大きく、万全とはいかないことを痛みで把握したジグが顔をしかめながら首を曲げパキポキと音を鳴らしながらゆるりと構えた
「しかし解せんな。気づいていたならもっと早くに動いているだろうに、離れてからバレるとは思っていなかった。どういう理屈だ?」
「……虫の知らせってやつよ」
独特の呼吸をして体の魔力を練り上げながらエルシアが嘯く
落ち着け
アレを受けて立っていられるのは驚いたが、無傷ということはあるまい
実際に相手の動作の節々からダメージが抜けきっていないのを見て取れる
防具も壊れた以上もう一度耐えられることはないはずだ
「もう一度同じのを叩きこむ。……アレを使う。時間を稼いで」
小声に無言で頷いた二人が一歩前に出る
ジグはただ静かに構えているだけだが、そこには得体の知れない圧がある
「大したものだな、薬の力とは。アレを受けてまともに動いていられるとは流石に思わなかった」
タイロンが注意を引きつけるように声を掛ける
対してジグは呆れたように肩を竦めた
「奴らが使っているのはこんなものではない。自分の力に体が耐え切れず、しかし再生しながら戦い続ける化け物に変えてしまうような代物だ。あれに比べれば俺が使っているものなど気付け薬程度さ」
「ハッ!やっぱり使ってるんじゃないか。そんなものは真の実力じゃない」
注意を引くという目的半分、ジグを糾弾する意思半分を込めてザスプが吠える
自分の実力を頼りにここまで上り詰めてきた
彼にはその自負がある
薬で得た偽りの力などは実力とは言えない
口にはせずともタイロンも同意見だった
二人のジグを見る視線に軽蔑が混ざる
「真の実力、か」
だが非難されてもジグの表情は変わらない
「では剣を使うのはいいのか?弓や魔術で遠間から射殺すのは?どれも人がより強くなるために産み出した道具だろう。もっと発達して、指先一つ動かすだけで人を殺せるような武器が出たとしたら……それでもお前は剣を振り続けるのか?」
「……何が言いてぇ?」
「お前たちは結局、自分が気に入った方法を肯定しているだけという事さ。剣も、薬も、魔術も。戦うために産み出した道具に過ぎん。必要ならば使うだけのこと。それについて行けない者は死ぬだけだ」
剣士や武人になりたくて武器を取ったわけではない
生きるため、戦うために武器が必要で、それが偶々剣だっただけだ
殺し合いの場で、磨き上げた剣技のみを競いたいなどと戯言を
「剣に拘るのは結構だが、それに頼って新しいことを拒むままだと足を掬われるぞ?」
魔術というものを、その恐ろしさを最近知ったばかりのジグにとってこれは自分にも返ってくる言葉だ
つい先ほども相手の魔術への対応を怠って痛い目を見た
使えないにしても魔術というものをもう少し学んでおくべきだったのだ
(まったく、本当に人の事を言えないな)
自嘲めいた笑みを浮かべてジグが体の調子を確かめる
既に服用した薬はその効果を発揮し始めている
体の痛みは薄れて、感覚は鋭く研ぎ澄まされる
吐く息が熱い
荒くなりそうな呼吸を意識的に整え、湧きあがる闘争心を押さえつけるように飲み込むと腹の底に落とし込む
体は熱く、頭は冷たく
戦いを主目的としながらも決してのめり込むな
薬を使って戦闘することに関して耳にタコができるほど師に言われ続けた言葉だ
限界を見誤れば容易に体は壊れ、使い物にならなくなる
傭兵は消耗品だが、それはあくまでも使う側にとっての話だ
傭兵本人にとって自分の命は一つだけのもの
「大事に使え。体も、心もな」
がむしゃらに剣を振るっていたジグに傭兵団の先輩たちはよくそう言った
こんな仕事をしておいてなにをとあの時は思ったものだ
当時のことを思い出して微かに笑う
感傷に浸ったのは一瞬
「さて、もう時間稼ぎはいいだろう。こっちも準備は整った」
先程から強烈な魔力の匂いを感じている
あちらも奥の手を切るようだ
「……随分好き勝手言ってくれたわね」
二人の間を縫ってエルシアが前に出た
その姿にジグが目を細めた
「それがお前の切り札か」
銀髪を靡かせて歩く彼女が纏う威圧は先ほどまでと比べ物にならない
その顔に眼帯は無く、彼女の素顔を露わにしていた
端正だが艶を帯びた顔つきは彼女の雰囲気そのまま想像通り
違うのはその眼だ
白眼の部分は血のような深紅
瞳孔は縦に伸びた爬虫類を思わせるが、その色は黒を通り越した闇色
両の眼に見つめられればまるで全てを見透かされているような錯覚すら覚える
意識の弱い者ならば睨まれる、どころか見られただけでも気を失ってしまいそうになるだろう
どうやら夥しい魔力の発生源はあれのようだ
「珍しい眼をしているな」
「それだけ?もっと素直な感想を言ってくれてもいいのよ?」
「そう言われてもな。お前も異種族なのか?」
「いいえ。私は純粋な人間……この眼は訳アリなの」
「そうか。詳しくは聞くまい」
「あら、意外と気を遣えるのね。……始めましょうか」
交わす言葉はそれまで
無言で相手の隙を窺い合う両者
動いたのは同時
土埃と共にジグの姿がブレるように動き、それと同時にエルシアが棍を半歩踏み込み右上に叩きつけた
ザスプとタイロンが捉えきれなかったその動きを、エルシアは完璧に見切っていた
瞬時に距離を詰めたジグの双刃剣と銀棍がぶつかり合う
武器の重量差は銀棍に刻まれた魔術が補う
しかしそれでも今回は双刃剣を弾き返すことはできなかった
衝撃の威力を速度と力、そして技をもって相殺する
その威力に赤と黒の眼が驚きに見開かれた
至近距離でジグとエルシアの凶眼が交差する
一度勢いが止まってしまえば力比べで自分が勝てる道理はない
エルシアはすぐさま棍を反すと左膝を狙って突き下ろす
体を捻り右の膝で払いのけながら横薙ぎの斬撃を放つジグ
後ろに飛びのくが双刃剣の先端が防いだ棍に引っかかる
武器ごと持っていかれそうになる勢いになんとか堪えて下がると入れ替わるように時間差で二人が前に出た
風刃を放ちその後を追うようにザスプが走り、タイロンは岩で左半身を覆うように即席の防御を固めると大剣で突き込む
不可視の風刃をまるで見えているかのように避けると距離を詰めたザスプのサーベルが迫る
囮の一撃目を流すと本命たる二撃目を双刃剣の柄で滑らせるように絡めとり、足を払って地面へ叩きつける
続く大剣の突きを横薙ぎで腹を叩いて逸らしつつすれ違うように踏み込むと下段斬りが膝裏を狙う
タイロンが大剣を戻して足を守るがそれはフェイント
軌道を変え地面に突き立てた双刃剣を支柱とした強烈な回し蹴りが即席の防御を砕いて背中に直撃
タイロンの巨体が前に飛ばされる
「ぐわぁ!」
「あっぶねえ!」
身軽なザスプはさっきと同じ轍を踏まずに回避
岩と鎧のおかげでタイロンもほぼ無傷だ
蹴り飛ばしたジグの後隙を恐ろしいほどの正確さでエルシアが突く
鋭い刺突が喉元まで迫るのをギリギリのところで手甲で弾き、引き抜いた双刃剣を片手で振るう
最小限の動きで上に逸らしたエルシアがカウンターで脇を打とうとする直前、棍を引き戻した
直後に棍の真下からかち上げようと迫っていたジグの拳が空を切る
(完全に死角だったはずだ。読まれたのか?)
当然怪しいのはあの眼だ
今も魔術を発動し続けているがその効果は依然としてわからないまま
まさかこちらの思考を読んでいるなどとは言うまいな……
いずれにしろ厄介なのは間違いない
長期戦はこちらに不利と考えていいだろう
妖しく光る双眸は双刃剣を握りなおすジグの姿を捉えて離さない