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五日後の船が出る当日
当初懸念していたトラブルは一切なく、拍子抜けするほどあっさりと乗り込めた
二人はばれた時のための逃走ルートや次善案を考えていたのが無駄になって何よりだと安堵する
船は順調に進んでいった
本来この海域は潮流が荒く、逆巻くような流れをしている
だが特定の時期になると潮の流れが穏やかになるとのこと
それでも並の船では渡航は困難で専用の船を用意する必要があった
船で集めた情報を要約するとそんなところだ
「で、肝心の異大陸の情報だが…ほぼない」
「え、どういうことです?」
船旅が始まって二日
二人は船室で情報をまとめて朧気ながらも今後の方針を立てようとしていた
そこで聞かされた話にシアーシャが首をかしげる
「先遣隊はもう到着してるんですよね?なのに情報がないというのは…」
「どうも先行した船との連絡が取れていないようなんだ」
本隊から先行して進んだ船が着岸、設営できる場所を探すというのが筋書きだった
「伝書鳩を捕食する生物でもいるのかもしれないな」
何が起こるかわからない場所だ、できるだけ情報を仕入れておきたかったが
「ないものはしょうがありません。それより私、ジグさんに聞きたいことがあったんですよ」
ベッドに寝転がったままシアーシャはこちらに好奇の視線を向ける
「以前戦った時に私の術を読んでいましたよね。あれはどういう原理ですか?」
「あーあれなぁ…」
「あ、話したくなかったら無理にとは言いませんよ。手札を開示したくないのは戦う人にとって当然ですし」
少し考え、話すことを決めた
「それは構わないが、実は俺自身にもよくわかってないんだ。…匂いがするといってわかるか?」
ジグは自分にもよくわかっていない感覚を魔女である彼女なら心当たりがあるかと思い尋ねた
「匂い、ですか?」
「ああ。攻撃系の術を使う前には刺激臭が、この前使った傷を癒す術の時には甘い匂いがした」
シアーシャは眉間にしわを寄せてうなっている
「うーぬ…他に何か特徴はないですか?」
「他に…ああ、あの剣山のような攻撃の前はひときわ強烈な匂いがしたな」
「もしかして、ですが」
推測であることを念押ししてから話し始める
「魔力ってただそのまま使っているわけじゃないんですよ」
「魔力とは?」
「そこからですか…簡単に言えば魔術の燃料です」
教師のように説明するシアーシャ
気持ち楽しそうに見えるあたり説明好きなのかもしれない
「魔術の発動にはいくつか工程があります。一つ目は魔力を汲み上げること。池から桶で汲むところを想像してください」
「二つ目は指向性を与えること」
「指向性?」
「用途に応じた性質を与えるんです。攻撃に使うのか、防御に使うのか…一度与えた指向性は変えられませんし、攻撃用を防御に使うことはできません」
「三つ目は指向性を与えた魔力に形をつけること、これを術を組むといいます。印を結んだり詠唱したり、方法はいくつかありますけど」
ジグは説明を聞き考える
「これが魔術の工程です。おそらくジグさんは魔術に指向性を与える際の魔力反応を嗅ぎ取っているのかと思われます」
「思われる…ということは、お前には」
「はい、わかりません」
残念そうにシアーシャが足をぷらぷらさせる
白い足が揺れるのを見ながらジグが尋ねる
「なぜだ?」
「魔力って私にとってあるのが当たり前なんですよ。生まれたころからあるものだからいちいち認識していないというのが推測です。それに恐らく、普通の嗅覚とは別物だと思いますよ」
「確かに、鼻で嗅ぐというよりは頭で感じ取るような匂いだったな」
シアーシャとの戦闘を思い出す
実際に嗅覚を使っていたとしたら魔術の発生に気づくのはもっと遅れていただろう
風向き次第では気づけなくても不思議はない
「うん?そうなると俺だけでなくほかのやつも匂いには気づいていたはずだよな」
「気づいていたと思いますよ?言われてみれば私が術を放つ前にざわついてましたし。あの時は命の危機にでも感づいたのかと思いましたが」
「なのになぜ避けなかった…いやすぐに結びつけるのは難しいか」
頭に浮かんだ考えを即座に否定する
「そうでしょうね。その関連に気づく前にはほとんど死んでますし。よしんば気づいてもそうそう避けきれるものじゃありません」
「なるほどな。俺からも聞いていいか?」
ジグの質問にシアーシャはベッドから降りると対面に座る
「なんですなんです?」
「…なんでそんなに機嫌がいいんだ」
妙に嬉しそうな彼女につい聞いてしまう
「誰かに自分のこと聞かれるのって初めてなんですよ。なんだか嬉しくなっちゃって…」
はにかみながら笑う彼女に思わず口元に笑みが浮かぶ
手でそれを隠しながら何でもないように話す
「お前は炎を出したり洪水を起こすような術を使わなかったよな。あれはなぜだ?」
噂の魔女は洪水で街を押し流しただの、火の海にしただのというものばかりだった
シアーシャは苦笑しながら手を顔の前で振る
「あれはちょっと話に尾ひれがついてますよ。魔女単体にそこまでの力はありません。使う術が偏っているのは属性のせいですね」
「属性?」
また聞きなれない単語が出てきた
「術というか個々人の魔力には相性があるんです。私の魔力は土や石に干渉するのが得意です。できないことはないですが、消費も大きく効果も下がってしまうんで進んで使うことはありませんよ」
ただ、とシアーシャは続けた
「条件次第ではとても大きなことができます。水属性の魔女が川の流れを変えて街を押し流すくらいはできるでしょうね。私も山の近くにある街を土砂崩れで埋めるくらいならできると思いますよ」
物騒だが納得できる話だ
「回復は何属性なんだ?」
「体に干渉するわけですから、人体属性?魔力は肉体に宿ってるわけですから干渉するのは誰でもできると思いますよ。魔女と人間の構造は意外と近いというのはこの前知りました」
「俺で実験するな」
魔術にも原理がちゃんとあって、何でもできる万能じゃないということか
勉強が好きというわけではないが、未知に対する好奇心が満たされるのは存外に楽しいものだった
「興味深い話だった。ありがとう」
「いえいえ、私もいろいろ謎が解けて満足です」
魔術談義(講義?)に盛り上がる二人を他所に船は目的地に近づいていく
船に乗って二十日目の朝
見張りが眠い目をこすっていると朝もやの向こうになにかが見えた
大慌てで報告に走り、すぐに船は喧騒に包まれた
乗組員たちが忙しく動き回り、怒号が飛び交う
ついに異大陸に着いたのだ