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「死ね」
腕を落とされて動きの鈍ったマカール
ジグが止めを刺さんと剣を振りかぶる
その時、一筋の光が視界の端で迸った
光は真っ直ぐに伸びて標的へ―――カティアの元へ向かう
「な!?……くっ!」
その光に目を剥いたジグは慌てて身を翻すと双刃剣を放り捨てて走る
それなりの距離から放たれたとはいえ間に合うかはギリギリといったところだ
「え?……ちょおっ!?」
ジグの行動に首を傾げた後、遅ればせながらそれに気づいたカティアが回避をしようとするが光はかなりの速度で迫ってきており到底間に合わない
そこに全力で走ったジグがカティアと光の間に割って入る
左足で地面を抉りながら急制動を掛け、腰だめに左拳を振りかぶる
バトルグローブのスイッチを押してカティアの胸、ジグの胴体の高さで飛ぶ光に叩き込んだ
最大出力で放たれる衝撃波と光がぶつかり閃光が走る
衝突する二つの威力は同程度のようで、激しく明滅しながら拮抗する
ジグは衝撃波と拮抗している飛来する光の正体が矢であることに気づいた
矢は魔術で何重にも強化されており、衝撃波とぶつかりながらも推力を失っていない
どころか注がれている魔力量の差のせいか徐々に前進し始めた
衝撃波をもう一発撃とうにも支えるので精いっぱいだ
(まずい、押し切られる……!)
圧しとどめていたのは時間にしてわずか
しかしその短い時間にまたもカティアは自分が助けられたことに気づいた
襲撃者に対する怒りと何もできない自分の不甲斐なさが頂点に達した時、思考より先にカティアは動いていた
「……の野郎ォ!!」
腰の短刀を抜き放つとジグの拳を押し返し始めた矢に向かって振り下ろした
蒼い軌跡が走り、矢を眩いばかりに覆っていた光がぷっつりと途切れた
するとそれまで進み続けていた光の矢がまるでただの棒きれのように推力を失うと乾いた音を立てて地面に転がった
ジグは無理な姿勢で崩れていた体勢を立て直すとカティアの前に出て矢の飛んできた方向を警戒する
「すまん、助かった……その短刀は?」
「蒼金剛を主原料にした特注品。その辺の防御術じゃ防げない奥の手さ」
「なるほどな」
彼女が持っているのは蒼い輝きを携えた片刃の直刀だった
いつぞや見た食事用ナイフに毛が生えた物ではなくダガーと言えるほどの刃渡り
実運用に耐えうるほど強度のありそうな材質や持ち手の造形を見るにあのサイズでもとんでもない価格をするだろうことが窺い知れる
「……おいおい、今のを止めるのかよ……冗談じゃないぜ。マカールの旦那がやられるだけはあるってことかね?」
呆れたような声は矢の飛んできた方向から響いて来た
マカールと同じ色素の薄い金髪をした大弓を持った男が現れると辺りを見回して大きくため息をついた
周囲にはマカールの部下たちであった死体が散乱している
散らばった肉塊を足先で蹴飛ばしながらさして惜しくもなさそうに言う
「あーあーあーこんなに派手にやっちゃってまあ。こっちで人を調達するのだって楽じゃないんだがね……まあそれは置いておくとして、ここは退かせちゃくれないかい?そんなんでもウチの切り込み隊長なんだよ、一応」
大弓の男は悲壮な顔で出血を止めているマカールを顎で指す
ジグはつられてそちらに視線を向けるふりをしながら双刃剣の位置を確認する
マカールが這って下がったせいもあり今の武器との位置関係は丁度三角形のようだ
武器を取ってからマカールに近づくには距離的な無駄が大きい
カティアがウィークポイントとバレている以上迂闊な行動をとれば即座に彼女を狙うだろう
怠そうな態度をしているがその実、あの男には隙が無い
武器もない状態で挑むべき相手ではなかった
奴を仕留めきれなかったのは惜しいが、無理をしてカティアを危険に晒すわけにもいかない
「……いいだろう。行け」
「ちっ……」
マカールを尋問できればどれほどの情報をもたらすか
それを想像したカティアが舌打ちをするが、優先順位を考えれば無茶は出来ない
自分が捕まるようなことがあればそれこそ致命的なことになりかねない
ジグを警戒するようにジリジリとマカールが移動する
途中斬り落とされた腕を拾うと大弓を持った男の所へ駆けだした
ジグたちも動き出そうとした瞬間、マカールが叫ぶ
「あいつは俺とやり合って消耗してる!やっちまえぇ!!」
「っ……あいつ!?」
カティアが声を上げた時には大弓の男は矢をつがえていた
その滑らかかつ素早い動作で男の力量が窺い知れる
男は魔力を込めると三本の矢を同時に放った
速度重視で最低限の強化しか施せていないが、それでも並の装甲など簡単に貫く威力だ
Vの字に三射
うち二本は回避した場合を狙っての軸をずらした牽制
本命は中心の一射にあり、魔力を籠めているのもこれだけだ
ジグ一人ならばともかく今はカティアもいるため身体能力任せの強引な回避は難しい
「こぉぉ……!」
深く息を吸って丹田に力を籠めると両の手を胸の前に構えて矢の軌道を見極める
矢は既に目前にまで迫っている
「シッ!!」
ジグが動いた
両の腕を外側に最小限の動作で撃ち出し手甲で左右の矢を弾き飛ばす
鏃の側面を押しのけるように叩かれた矢が逸れていく
反動を活かし広げた両腕を鋭く戻すと一瞬遅れて飛来した矢を両の手の平で挟み込んだ
魔力を帯びた矢はそれでも推力を失わずに突き進もうとしたが、力尽くで止めるジグ
腕の筋肉が盛り上がり、歯を食いしばって抑え込む
矢は先の一射に比べて強化を施す時間がなかったためやがてその勢いを失った
「うっそぉお!?」
矢を白刃取りなどというあまりに馬鹿げた力技に男の動きが止まる
その隙にカティアの手を引いて双刃剣の元まで走る
ジグが武器を拾い上げるのを見る前に我に返ったマカールと大弓の男は撤退し始めていた
「旦那の嘘つきぃ!!ぜんっぜん消耗していねえじゃねえかよぉ!?」
「そ、そんな馬鹿な……畜生ぉぉお!!」
男の糾弾にマカールが吠える
騒がしく喧嘩しながら二人は走り去っていった
「腕が取れたというのに元気な奴だ」
失血死やショック死していてもおかしくないのだが、これもドラッグの効能だろうか
周囲を警戒して伏兵がいないことを確認したジグが武器をしまう
カティアはまだ興奮が収まらないようで深呼吸して整えている
「それで、どうする?流石に一旦ここを離れるべきだと思うが」
「……そうだな。だがその前に、と」
カティアは無理矢理に普段通りを装うと死体の一つに近づいた
真っ二つになった凄惨な死体に顔をしかめながらその荷物を漁る
「中身があるやつは持ってない、か」
彼らが使っていたドラッグの注射器を取り出して慎重に仕舞う
薬液はほとんどないが付着している成分から何か分かるかもしれない
それを見たジグも同じように他の死体から注射器を回収する
彼らは本当に下っ端だったようでそれ以外に組織に繋がりそうなものは持っていなかった
ジグたちは回収を終えるとこれ以上何かが起こる前にと足早にその場を去った
ジグたちがその場を去ってしばらく後
騒ぎを聞きつけた者達が集まって来ていた
「これはまた、酷いな」
大剣を背負った中年の大男、タイロンが眉をしかめる
彼は死体を検分すると仲間たちに伝える
「死体は全て剣によるものだな。魔術を使われた形跡はない。死んでいるのは恐らくマフィアだろう」
「……つまりこれをやった何者かが、例のドラッグを使っている側?」
タイロンに答えたのは二本の剣を腰に下げたザスプという青年
彼は鋭い視線を周囲の死体に向けたまま推測を口にする
「可能性は高いな。剣でやられたのは間違いないが、斬られたというよりも引き千切られたという方が正しい。とんでもない力だ」
「あなたにも同じことができるかしら?」
疑問を投げかけたのは銀髪の眼帯をした女性、エルシアだ
この三人は彼女を中心とした冒険者パーティーで、今回のドラッグ騒動の調査依頼をギルドから受けていた
当然のことながらこの街に関わるギルドもドラッグのことは耳にしている
しかし当事者であるマフィアたちと比べるとその情報は遅れているのは無理からぬことだ
立場もあり大っぴらにマフィアに聞くわけにもいかないため、より深い情報に関しては自分たちで集める必要がある
「同じことをするだけならば、できる。相手の数、状況次第ではあるがね。……だが人間を殺すのにここまでする必要はないはず。やはりドラッグを使うと力と共に理性も吹っ切れてしまうというのは本当らしいな」
「薬に振り回されるような三流らしい殺しってことか」
ザスプが軽蔑を隠しもせずに毒づく
ここまで自分たちの実力で上り詰めてきた彼らにとって、薬に頼るような行為は認められるものではなかった
「油断はするなよ?その辺りのチンピラだろうと十分脅威になることの証明でもあるんだ」
「ふん、そんな奴らに後れを取るほどぬるい生き方してきてないよ」
諫めるタイロンにザスプが鼻で笑う
口ではそう言いつつも彼が警告を正しく理解しているのを知っているタイロンはそれ以上何も言わない
子供扱いされたくはないが先達の忠告を受け入れないほど子供ではないザスプと、才能故に無茶をしがちな若者を構いたくなる年長者のタイロン
いつものやり取りを薄く笑いながら見ていたエルシアが方針をまとめる
「マフィア同士で潰し合ってくれているだけならともかく、一般人にも被害が出始めている。早急に対処する必要があるわ。この戦闘で生き残った方を探しましょう。この辺りの人に聞きこみが必要ね……私とタイロンで聞き込み、ザスプはこのことをアラン君たちにも伝えて、彼らと連携して情報収集」
「了解」
頷いたザスプがすぐに動く
エルシア達も手分けして聞き込みを始める
この辺りはマフィアにもなれず、表にもいられなくなったはみだし者たちのねぐらが多くある
金を握らせさえすれば情報収集には事欠かない
無論、自分たちの情報も金でいくらでも売り払うのが困った点だが
そうして集めた情報をもとに彼らは動く
バザルタ、カンタレラ、アグリェーシャ、そして冒険者ギルド
今この街は様々な思惑と情報が錯綜する混沌とした状況にあった