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事務所を出たジグとカティアが来たのは以前イサナに襲われたあの裏路地だ
バザルタの縄張りからは少し外れていて南寄り……カンタレラの端の方にある
薄汚れた裏路地だが住んでいる者はまだそれなりにいるようだ
「わざわざここに来た理由でもあるのか?」
「まあね。以前聞いた話なんだが、この辺りでカンタレラの下っ端が薬を捌いてたって噂があってな」
言いながら裏路地を進んでいく
その足取りは慣れたもので日頃からこの手の道をよく使っているのを感じさせた
「薬を売るぐらいならばマフィアがやっているのは普通じゃないのか?」
「そりゃまあ、多少ハイになっちまう程度の軽い奴なら扱っちゃいるけどさ」
彼女は表通りに視線を向ける
距離こそあるが、まだ表通りの雑踏は多少聞こえてくる
眉をしかめて口調を低くする
「こんな”浅い”ところで大っぴらに店開くのは流石にマナー違反ってやつだ。カンタレラの奴らはそういうところ、うち以上にうるさかったはずなんだよな……」
そこが懸念材料のようでカティアは唸っている
「若いのが小遣い欲しさに暴走したか?」
「それくらいの躾ができないほどカンタレラも耄碌しちゃいないとは信じたいが……ありえない話じゃないかな」
可能性を語りつつもその口調は沈んでいる
競合相手が露骨に衰えているのを認めるのも複雑な気分になるようだ
怪しい建物はないかと見回しながら考え込む彼女を横目で見ていたジグ
どこか既視感のある光景を眺めていると脳裏にふと思い浮かんだことがあった
「あ」
そう言えば以前、ここで薬物を売っているマフィアを見たのを思い出した
(確かあの時はこの辺りの裏事情を聞こうと売人の後を尾けたんだったな)
この街に来てすぐの頃、情報をやり取りする相手を探していてこの辺りに来ていたのだったか
その時に取引こそしなかったが薬物売買をジグに持ち掛けたマフィアがいたはずだ
あの時はその後のイサナのインパクトが強すぎて今の今まですっかり忘れていたが、カティアの話を聞くにこんな浅い部分で薬物を扱うのはまずないという
無関係ということはあるまい
「なんだよ急に間の抜けた声出して」
「薬物を売っていたというそのマフィアに心当たりがあるかもしれん」
「なにぃ!?なんでそれを先に言わないんだよぉ!」
「色々あってな。すっかり忘れていた」
あの時はこの街での薬物の扱いはそういうものとして流していたので異常性に気づかなかった
自分自身あれからかなり濃い日常を送って来たので薬物程度のことはすっかり抜け落ちていた
まさかあの時のマフィアがここに繋がってくるとは夢にも思わなかったのだ
「クソ、場所はどこだ?」
「確か、向こうの方だ」
降ってわいた手掛かりに
焦る彼女を連れておぼろげな記憶を頼りに裏路地を行く
この辺りの地形はある程度把握しているが、あの場所だけは苦い思い出もあり後回しにしていたのが悔やまれる
売人を尾行して辿り着いた場所は既に覚えていない
あの時見つけた店を探すのが精々だった
「ここが?」
「ああ。戦闘用ドラッグは扱っていなかったが、イイ気持ちになれる程度の薬はそこそこあった」
小さな掘立小屋に近い店には人の気配がなく、棚には何も並んでいなかった
既に引き払われた後のようだ
それでも駄目元で二人は虱潰しに探してみたが何かしらの痕跡や証拠らしきものは見つけられなかった
「畜生、遅かったか……」
悪態をついて壁を蹴りつけるカティア
(これで振り出しか。駄目元だったとはいえ、あとちょっとだったかと思うと腹が立つ……だがそれでも噂が本当だったってことが分かっただけでも十分、か。ジグが偶然知っていたから良かったものの……あ?)
苛ついたように頭を掻きむしった彼女がふとジグに視線を向ける
「…………なぁ。あの時アタシに絡んだチンピラが戦闘用ドラッグを使っていて、あんたがそれを倒した。そしてそのあんたがいろんなトラブルに巻き込まれたことが切っ掛けでアタシの用心棒になって、恐らくこのドラッグ騒動の始まりであるこの店についても関わってた。……偶然にしては、ちょっと出来すぎてないか?」
「……」
ジグは何も答えずどこか遠くを見ている
その無言がカティアの纏う空気を剣呑なモノへと変えていく
「……おい、なんとか言えよ」
返答のない相手にカティアの緊張が高まっていく
背中を嫌な汗が流れる
「偶然かどうかは置いておくとして」
言いながら背の双刃剣へ手をやるのを見てカティアが身構えた
腰の短刀を握り中ほどまで抜く
しかし戦うのは無謀と分かっているため視線を巡らせて逃走経路を探す
ゆるりと武器を抜いて片手で持ったジグがカティアを見ぬまま応えた
「遅くはなかったようだぞ?」
「え?」
状況を理解できていないカティアの前で、ジグがおもむろに双刃剣を時計回りに半回転させる
乾いた金属音が二回響き、何かが落ちる
音に目をやれば彼の足元に二本の短矢が転がっていた
「っ!」
何が起きたかを理解するとともにすぐさま身を翻して先ほどの掘立小屋の陰に隠れて盾にする
「てめえら、どこのモンだ!」
カティアの
それに応えたのか、暗がりから複数の男たちが現れた
既に武器を抜いていて、とても友好的には見えない
この辺りでは見慣れない服装と暴力的な気配を隠そうともしていない振舞い
「こりゃぁ驚いたなあ。うちが昔使ってた店のあたりを探ってる奴がいるって聞いたから来てみれば……なんとまさか、あのバザルタのレディがいるとはねえ?」
先頭に立った痩身の男が粘ついた笑みを顔に張り付けて曲刀の峰をなでる
「……アグリェーシャか」
「俺はマカール。お察しの通り、アグリェーシャで荒事を担当させてもらっている。よろしくなぁレディ?」
「その荒事担当さんがアタシに何の用だ?」
敵意を滲ませるカティアにマカールが曲刀を肩に担いでニッカリと笑う
大きな口が弧を描き、狂気をわずかに孕んだ瞳が見開かれる
「いやなに、バザルタさんにも余所者の俺たちのことをもっと知ってもらおうと思ってなあ。折角だからウチのアジトへエスコートさせてもらおうとしたんだよ」
「悪いな、エスコートなら間に合ってるんだ」
マカールは上機嫌に話していたが、曲刀を肩に担いだまま肩を落とす
「そうみたいでなぁ。そっちの兄さんに邪魔されちまった……で、それならまとめて全員御招待しちまおうって考えてな。……悪いけど、一緒に来てくんない?」
「一昨日きやがれ」
「ま、そうなるわな。いいぜぇ、抵抗してくれても。その方が好みだぁ」
その言葉を合図に他の者が徐々に距離を詰めてくる
包囲を狭めながらマカールがふと思いついたよう首をかしげる
「しかし分からねえなぁ……どうしてここがわかったんだ?いやバレること自体は驚きゃしねえんだがよ。気づいたのがバザルタの人間っていうのが解せねえ。浅いとはいえカンタレラの縄張りだろ?ここは」
「さあな。巡り合わせってやつじゃねえの」
はぐらかすカティア
マカールは答えを期待していたわけではないようで肩を竦めたのみ
「ほーん。ま、後で言いたくて仕方なくなるようにしてやるよ。……女は無傷で捕らえろ、男は殺せ。見せしめになるべく無残に、な」
マカールの指示と共に包囲を狭めていた男たちが動き出した
相手の数は九人
マカールは高みの見物を決め込むようなので向かってきているのは八人
双刃剣を腰だめに構えたジグが迎え撃つ
突っ込んできた一人を躱し、時間差で斬りかかる二人目の剣を流す
三、四人目の同時に振るわれた武器を受け止めて五人目を蹴り飛ばす
力を込めて弾き返すと六、七人目に横薙ぎの斬撃を放つ
剣を立てて防御する男たち
相手の武器の質はそれなりのもので一方的に破壊されるようなことにはならない
しかしジグと男たちでは力と、何より武器の質量に大きな差がある
結果、双刃剣は防いだ武器を強引に押し返し胴を斬る
慌てて割り込んできた八人目の剣を弾いて斬り返す
咄嗟に回避行動をとるが双刃剣の間合いは広い
腿を深く抉られて体勢を崩す男
しかし追撃は仕掛けず、そのまま大きく後ろに下がり囲まれないように距離を取った
人数差に加えて護衛対象への牽制をしながらの戦闘だというのにこの有様に男たちの顔が歪む
「いやー強い強い。流石に重要人物の側付なだけあるねえ」
気の抜けた拍手をするマカールは仲間を軽くいなされたというのにその声には緊張感がまるでない
(随分と余裕がある。それだけ腕に自信があるのか?)
疑問を覚えたカティアが相手の男たちへ視線を移す
そしてその光景に驚愕した
「なっ!?」
先程ジグに斬られた男たちが平然と立ち上がっていた
決して浅い傷ではなかったはずだ
現に今も血を流し続けている
男たちは煩わしそうにそれを見ると何かを取り出した
小さなケースから出てきたのは以前見た注射器だった
真っ赤な薬液が入ったそれを躊躇いもせずに首筋に打つ
「おぉ……ひ、ひひぁ!」
打った直後は恍惚とした表情を浮かべていた男たちが突如として狂相を浮かべる
眼は血走り、口は裂け、涎を垂れ流している様は同じ人間と呼ぶのに抵抗があるほどだ
斬られた腹部のことなど忘れてしまったかのような振る舞い
実際、あれほど流していた血が止まっている
「な、なんだあれは……?」
「……俺の知っているドラッグと違うな」
とても体に悪そうだ
自分の知るドラッグにあそこまでの劇的な変化は存在しない
痛みを感じなくなるだけではないだろうことは血の止まった腹部を見てもわかる
「そいつは特別でな?魔獣の素材をふんだんに使った特注なんだよ。これがまた気持ちよくってなぁ……こいつを使うと、何でもできちまうんだよぉ……やっぱマフィアはたまんねえな?」
「この、腐れ外道が……!」
うっとりとした表情で語るマカールに嫌悪感を剥き出しにするカティア
同じマフィアとして一緒にされては心外だとばかりに吐き捨てる彼女にマカールが嗤う
「人様に迷惑かけて食い物にして生きてる俺たちマフィアに、今さら外道とか言われてもなぁ……やり方の違いこそあれあんたらも同じ穴の狢だろ?」
「……一理あるな」
「おいぃ!」
思わぬ裏切りに驚愕するカティア
逆にマカールは面白そうな顔をしてジグに問いかける
「お、兄さん話分かるじゃなぁい。どう、うち来ない?兄さん強いし、いい待遇で迎えられると思うんだけどなあ」
ジグはそれに答えず双刃剣を撫でた
「道具を使って戦うのは獣にはない人の優れた部分だ。何も恥じることはない」
「うんうん、だよなぁ」
「だが、道具に使われて理性を失っているようでは三流もいいところだ」
「うんうん―――あ?」
マカールのこめかみがわずかにひきつる
曲刀を持つ手に力が入り体から殺気が滲みだす
「……ごめん。よく聞こえなかったから、もう一回言ってくれる?あと状況理解してるよね?」
マカールの怒りにカティアが肌を泡立たせる
ジグはそれに対し構わんぞと鷹揚に頷く
「道具とは使うもので、使われるものではない。お前たちは危ないおもちゃを手にして喜んで使っているガキと同じだ」
そう告げたジグを見るマカールの顔から笑みが消えた
曲刀を肩から降ろしその刃先を向ける
「……オゥケェーイ、完全に理解したわ。……てめえは楽には殺さねえ。生きてることを後悔させてやるぜぇ?」
「やってみろ。理性を投げ捨てた獣にできるものならな」
「すぐに証明してやるよぉ!!」
マカールの咆哮に合わせてドラッグを使用したマフィアが動く
先ほどまでとは段違いの速度
リミッターを外した動きに体が壊れ、すぐに強引な再生が施される
技も何もあったものではない力任せに振るわれる剣
「シャァァア!」
「雑だな」
ジグはその軌道を読み、間合いを正確に見切る
一歩下がって躱すだけで自分の速度と力を制御できていない男は大きく体勢を崩した
斬ってくださいと言わんばかりの隙を遠慮なく突く
力を籠めると今度は斬るのではなく、胴を両断する
引き千切れ宙を舞う上半身を蹴り飛ばして後続にぶつける
それなりの重量物を獣のように振り払う彼らにさしたるダメージはない
しかし一瞬視界を遮れれば十分だ
ジグの姿を見失った男の頭部が刎ね飛ばされる
「アアアアァ!」
「馬鹿の一つ覚え!」
味方の死すら気に掛けず男が突っ込み、上段からの振り下ろし
双刃剣が円を描き、横に弾きながら剣の峰を押すように勢いを加える
そのまま振り下ろされた剣は地に埋まり、同時に跳ね上げた逆の刃が男の側頭部にめり込んだ
最小限の動作のため勢いは大したことがないが、人間の頭蓋を砕くくらいならば十分だ
即死させてしまえば再生力も関係がない
「次!」
「調子に乗るなよぉ!」
仲間を飛び越えてきたマカールが斬りかかる
勢いをつけた頭上からの一撃を柄で受け止める
マカールは無理に押し込まずに曲刀を軸に反動をつけると身を翻して跳ねる
ジグの後ろを取って仲間と挟み撃ちの形を作った
「好き勝手やりやがってよぉ……次はこっちの番だぜぇ?」