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ジグと男たちの間に割り込んできたのはウルバスだ
尾を神経質に揺らしながら縦に長い瞳孔で男たちを見据える
「ジグは勇敢な戦士。侮辱は許さない」
そう言って威圧を掛ける
鈍い彼らも実力者の明確な敵意に気づいたようだ
うろたえながら後ずさるが、亜人に脅されて退いたというのは彼らのプライドが許さなかった
「ハッ!蜥蜴野郎と仲良くするなんてよっぽどオトモダチが少ないみてえだなぁ!亜人なんぞに庇われて人間としての誇りはねえのかよ?」
「人であることにそれを感じたことはないな。誇りというものは、自らで成したことに抱くものじゃないのか?」
苦し紛れの罵倒に淡々と返す
元々異種族など知らなかったジグからすれば人間であることに良いも悪いもない
孤児だったため出自もわからず、何々人であることを誇りに思うなどという愛国心のある発言も理解できないものだった
そういった考えでの発言だったのだが、男にとっては”お前は何も成しておらず、ただ人であることに縋りついているだけの落伍者だ”と聞こえた
冒険者業も思うように行かず、有望な新人に絡むことしかできない彼らにとってそれは何よりの屈辱だった
「……お前に何がわかる!」
激高した男たちが腰の得物に手をやる
抜かないのはかろうじて残った理性がウルバスとの戦力差とギルド内で刃傷沙汰はまずいと理解しているためだ
しかしいつその理性が切れてもおかしくはない状態だ
相手の戦意に反応してウルバスが無言で腰を落として踵を上げる
腕を肩幅に開き、武器こそ抜かないもののいつでも戦闘に移れる姿勢をとる
一触即発の空気だが、ギルド職員がそれを見逃すはずもない
「この場で私闘をするのならば、相応の処分を覚悟してもらいますが……構いませんか?」
そう言って冷たい視線を向けるのはギルドの受付嬢、アオイ=カスカベだ
彼女はいつもの無表情で冒険者同士の諍いに眉一つ動かすことなく口を挟んでくる
彼女の言葉を受けて男たちが葛藤を見せるが
「……クソが。行くぞ」
さしもの彼らもギルド相手に揉める程無謀ではなかったようだ
悪態をつくとジグたちの方を睨みつけながら踵を返す
乱暴にドアを開けて出て行った彼らを見送ったアオイがこちらに顔を向ける
「ギルド内での揉め事はお控えください。……一部始終は見ていましたので、あまり強くは言いませんが」
「すまん」
「ごめんなさい」
ウルバスと揃って頭を下げる
絡んできたのが彼らとはいえ非がない訳ではない
もう少しうまいやり方もあったなと反省するとウルバスにも詫びを入れる
「悪かったな、こちらの問題に巻き込んでしまって。」
「首を突っ込んだのはこっち。それに恩人を悪く言われたら、怒るの当然。」
「……すまんな」
事も無げにそう言って目を細めるウルバス
ジグは彼の対応にどうにも胸のかゆい思いがしてしまう
こちらの人間はどうにも貸し借りや恩にこだわる傾向が強いようだ
二人のやり取りを見ていたアオイが首をかしげる
「ジグ様たちはあくまで援護に徹していたという話でしたが……随分信頼されてなさりますね?」
確かに彼の言い方はただ助太刀されただけにしては大袈裟過ぎた
ウルバスは焦ったように尾を小刻みに揺らす
「……それぐらい助けられた、ってこと。」
見るからに嘘の苦手そうなウルバスが言い訳をするが、傍から見ても怪しい
爬虫類の瞳がアオイのガラス玉の様な視線に負けて宙を泳ぐ
「……まあ、いいです。」
彼女はそれ以上の追及をやめるとジグの方を見る
整った顔にはほんのわずかだが、意外そうな色が見て取れた
「順調に人脈を広げているようですね。失礼を承知で言うと、ジグ様はもっとドライな方だと思っていました。」
「……以前いた所とは考え方が随分違ってな。俺も少し戸惑っている。」
アオイの言う通りここに来てからジグは図らずも様々な伝手や繋がりが出来てしまっている
傭兵の仕事をするだけならばここまでする必要はなかった
しがらみが面倒だ、と言えるほど一人で生きているつもりはない
しかしあまり人と親しくなってやりやすい仕事ではない
(環境が変わりすぎた……いや、俺も変わっているのかもしれないな。自覚はないが)
「そうですか……何かお困りのことがありましたら、私にご相談を」
アオイはそう言って一礼すると業務に戻っていった
カツカツと規則正しい足音が遠ざかっていく
「……驚いた。あの人が事務的なこと以外に話しているの、初めて見た。どんな関係?」
「一言には説明しづらいな……ん?」
袖口を引かれて見ればむすっとした顔の魔女様
あの男たちへの殺意は抑えてくれたようだが浮かれ気分を邪魔されてすっかりご機嫌斜めのようだ
「悪い、その話はまた今度な。依頼主様がしびれを切らしているようだ。」
ウルバスはシアーシャを見るとシュルシュルと笑った
「うん、またね。」
ウルバスが仲間たちの元に戻っていった
ジグはむくれたシアーシャの頬を指でつつく
ぷすーと音を立てて空気が抜けて元に戻るが、彼女の機嫌は傾いたままだ
「もう、せっかくのお祝いムードが台無しです。せめて血祭りにさせてくれれば気分も上がったのに……」
「物騒な事を言うな。ああいう手合いに一々目くじらを立てていたらキリがないぞ。慣れろ」
「ジグさんのこと馬鹿にするからいけないんですぅー」
やれやれと頭を掻くジグ
子供のように口をとがらせてブーたれる彼女をなだめながらギルドを出た
しばらく機嫌のよくないシアーシャだったが、豪華な食事を前にするとあっという間に上機嫌になってくれた
嬉しそうにパクつく彼女を見ながら少し甘やかしすぎだろうかと悩むジグ
それと同時にそんなことを考えてしまっている自分に驚愕する
(やはり変わったな、俺も)
その変化が良い物なのかは分からない
仕事の面だけで考えるならば剣を振るだけで解決できない面倒ごとが増えたとも言える
以前までの自分ならば確実にそう考えていただろう
しかし不思議と悪い気分はしない
目の前のステーキに夢中になっている彼女を見てそう思うのであった
薄汚れた裏路地
鼠がそこかしこを這い回り、それと同居するように浮浪者が転がっている
生きているのか死んでいるのかも分からないが、時折身じろぎするのを見るに生きてはいるのだろう
茶髪を肩口で切り揃えた目つきの鋭い女は壁に背を預けそれを冷めた目で見ていた
ふと気配を感じ、護身用に持っている腰の短刀に手をやる
「お嬢、お待たせしやした。」
「ヴァンノか……」
聞こえた声が知っている物だったため短刀に掛けた手を離した
女の向けた視線の先にトレンチコートを着たくたびれた中年男性が姿を現す
ヴァンノは女に気を遣い葉巻を消すと小瓶を取り出して手渡す
「これは?」
中身は見えないが錠剤だろう
受取ったそれを下から眺めるようにして揺らすとそれなりの数が入っている音がする
「やっぱ例のドラッグでしたわ。あの男に吐かせた情報どおり、決まった時間や場所で取引しているわけじゃなさそうです。」
「……無作為にばらまいているのか。中毒者を増やしてからが本番って訳か?」
「それもありやすね。ただ本当の目的は恐らく……」
「ウチの縄張り(シマ)で好き勝手やることでの宣戦布告と、チンピラ共の取り込みが本命か。」
ヴァンノが女の言葉に無言で頷く
舌打ちをすると瓶を強く握りしめる
「……で、舐めた真似しやがる馬鹿の名前くらいは掴んできたんだろ?」
「”アグリェーシャ”」
その名を聞いた女の視線が険しさを帯びる
この辺りの言葉ではないが、その独特の言語には聞き覚えがある
「……西の連中か。向こうじゃ違法薬物の規制もかなり緩いって聞くが、とうとうこっちにまで手を出してくるとはね。」
「あっちの連中は節操ってものを知らんのです。放っといたら街が腐っちまいますなぁ……」
女もギャンブルも身を崩すという点ではさして違いはないかもしれない
だが薬物の恐ろしさはそれらとはまた次元が違う
人を、脳を壊し理性では抗えないほどの快楽とそれを遥かに上回る中毒性をもたらす
一度あれに手を付ければ抜け出すのは容易ではない
「早急に動く必要があるな……」
彼らは間違いなく悪人だ
しかし彼らなりに守らなければならない一線というものはある
友人に「お前の作品は中身は読めないこともないが、タイトルがつまらねえよ。シンプルなのがいいって自分に酔ってそう」と言われました。しばき倒しておきました。