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「しょうもない。」
心底呆れ切った表情でケインが吐き捨てる
視線の先では病院だというのに宴のように料理を並べた机
そしてそれをすさまじい勢いで平らげるジグの姿があった
「ま、まあまあそう言わず。」
その光景を引き気味に見ながら院長が宥める
「彼の怪我の回復速度は異常ともいえる程速かった。それに伴うカロリー消費も莫大なものになるはずなんだ。血もかなり流してたし、怪我を治すのって想像以上にエネルギーを使うんだよ?」
「……それは、まあ、分かりますけど。」
こちらが深刻になっていたのに実際はただの空腹などというふざけた理由だったのが気に食わないだけだ
三文芝居でもあるまいに
しかしこうして鬼気迫る表情で食料を摂取していくジグの姿を見ていると、確かにただの空腹で済ませられるものではないのだろう
短い付き合いではあるが、彼がそういったふざけ方をするタイプではないくらいは分かる
「あーできればもう少し、胃に優しい物を食べた方がいいんじゃないかな?ほら、お粥とか。」
医者としての立場からか病み上がりの患者が塩分糖分油分を山のように摂っている光景には抵抗があるようだ
水で食料を流し込むとジグは院長の言葉に視線すら動かさず答えた
「却下だ」
その一言のみ発すると喋る間すら惜しいとばかりに食事を続けた
院長は端的な拒否にそれ以上何も言えずに引き下がる
(……まあ、風邪とか内臓を痛めていたわけじゃないから、大丈夫か。……この異常な食欲、やはり副作用かな。あれだけの回復力をもたらした割には随分控えめな反動なんだな……相当高価なものを使っているのかな。)
実際は副作用でもなんでもなく、ただ消費したエネルギーを体が求めているだけなのだが
まるで副作用かと思わせる程にジグの食欲は収まるところを見せない
結局さらに二度ケインが買い出しに行ったところでやっとジグの食欲は収まった
見ているだけで気分が悪くなるほど食べ続けたジグはそこでやっと体の調子を確かめる余裕が出てきた
体をひねり肩をまわして動きに異常がないかを念入りに調べる
「背中に多少の違和感はあるが、尾を引くほどではなさそうだな。あの怪我をここまで治すとは、腕がいいんだな。助かったよ、先生。」
「いやあの、僕あんまり大したことしてないんだけどね。ところでジグ君、回復術の効きが異常によかったけど何か心当たりある?」
「これはまた謙遜を。……ふむ、回復術の効きがいい、ね。普段あまり術に頼った治し方をしていなかったからな。それ以外は特に思い当たることはないな。」
「そうかぁ……」
薬でも使い続ければ体が慣れて効果が薄くなることはある
それと同じで魔術に頼った回復ばかりしていると体がそれに慣れて生来の回復力が衰えるという説を以前聞いたことがある
(しかしあれは結局個人差や老化による体力の低下との区別がつけられなくて詳しい研究はまだ進んでいないんだよね。仮にそれを加味してもあの速度には説明がつかないなあ。やっぱり体のつくりからして違うような気がするんだけど……)
興味は尽きないがまさか調べさせろというわけにもいかない
世の中そういう人間もいると自分を無理に納得させるとその話を打ち切った
ジグは体の調子を確かめ終わると立ち上がる
「世話になったな。治療費はいくらだ?」
「ああ、それならワダツミが支払うって話になっているから気にしなくていいよ。」
院長の言葉を聞いてケインに視線でいいのか、と問う
「それだけの働きはしたよ。上もそう判断した。ああ、ついでにさっきの飯代も俺の奢りだ。」
「……そうか。では有り難く奢られておこう。」
「こっちこそ、うちの仲間を助けてくれてありがとう。」
手を差し出してきたケインに応じる
握った掌、その力強さにケインは素直に尊敬した
「一つ、聞いてもいいか?」
着替えて出ていこうとするジグに声を掛ける
彼は返事をせずに肩越しの視線だけで先を促した
「なんであんたは傭兵にこだわるんだ?冒険者になろうと思わないのか?」
登録することで得られるメリットは数多くあり、ジグほどの実力者ならその恩恵も大きいだろう
やっていることは冒険者と同じなのにいつまでも同行者としての立場を崩さない理由が気になった
ケインの質問に彼はそんなことかと笑った
「今までずっと、傭兵をやっていたからな。これが俺の生き方だ。今さら変える気にはならない。……実利的な話をするなら、特定の団体に所属するとそこに害をなす依頼を受けられなくなるだろう?」
「……ギルドに、敵対するつもりなのか?」
聞き返すケインの言葉に緊張が走る
警戒の色をにじませたケインに肩を竦めて否を返す
「恨みがあるわけでもないし表立って楯突く気はない。だが仕事の邪魔をするなら、それは等しく障害として対処する。それだけだ。」
所属して恩恵だけを得て、必要な時に構わずやってしまうこともできるが、そこはジグなりのけじめだ
必要があれば害をなす可能性がある所に所属するのは不義理が過ぎるというものだろう
それだけ言うとジグは病院を出て行った
「酷い格好だな。一旦宿に戻るか。」
服は乾いた血でがびがび、背中はバッサリと裂けていて服としての役割を果たしていない
替えの服を取りに宿へ向かう
「しかしさっきの空腹には参ったな。回復術にあれほどの空腹作用があったとは。」
最近食が太くなったとは思っていたが慣れない仕事のせいかと考えていた
先ほどの医者が言うには回復術による急激な再生は非常に体力とエネルギーを消費するらしい
以前イサナに肩を貫かれた時も今回ほどではないが空腹だったが、あの時は激しい戦闘の為かと思っていた
先ほどのように強烈な飢餓感に襲われるのであれば回復術も考え物だ
「それなりの怪我を術でポンポン治していたらすぐに燃料切れで動けなくなるな……」
食事を満足に取れない状況になることも多い傭兵には死活問題だ
回復術の使い時は注意する必要があるだろう
そんなことを考えながら宿に戻る
ボロボロの恰好を宿の人間に奇異の目で見られながら部屋に着くと着替える
「ジグさん、入りますよ。」
「ああ。」
こちらの帰宅に気づいたのか服を着替え終わった頃にシアーシャが入って来た
長時間集中していたのであろう彼女は身なりこそ整えてはいるが眼の下に隈を作っている
後半ジグの声も聞こえないほど集中していたシアーシャはろくに食事もとらず魔術の開発にいそしんでいたのだ
彼女は部屋に入ると鼻をひくつかせてジト目でジグの方を見た
「あの、また血の匂いがするんですけど。ジグさんしょっちゅう怪我せずにはいられないんですか?というか、働きすぎでは?」
「……うむ、まあ、成り行きでな。そうだ、魔術の方は上手くいったか?」
自覚はあるのでバツが悪そうにするジグ
都合が悪いので話を逸らすように聞くと彼女は得意気にして胸を張る
「中々いい物が出来ましたよ。魔力の配分と硬度調整に手こずりましたが、今までに比べて大分使い勝手のいい術ができたと思います。」
明日早速試してみましょうと意気込むシアーシャ
しかし隠しきれない疲労の色がその気勢をそいだ
「でもさすがに疲れました……今日は早めに休みます。」
「そうした方がいい。食事は摂ったのか?」
「まだです。ジグさんは……もしかしてもう済ませちゃってます?」
血の匂いに交じりわずかにソースの香りがすることに気づいたシアーシャ
「ああ、色々あってな。……何かあったのか?」
表情を暗くする彼女に聞いてみると困ったような顔をして笑う
言いづらそうに彼女が口ごもりながら伝える
「……あの、もしよければ一緒に行きませんか?食事には付き合わなくてもいいんで……」
「む?」
意図が読めずに首をかしげるジグ
「あ、あーやっぱりいいです、気にしないでください……」
自分に恥じ入るように慌てた様子で訂正するシアーシャ
彼女にしては珍しく煮え切らない態度だ
(ふむ……)
今までも別々に食事を摂ることはあった
ただ人恋しいという訳でもないだろう
相も変わらずその意図は理解できないが、何を求めているかは理解できた
適当にごまかしながら部屋を出ようとする彼女の後を追う
「ジグさん?」
脇に立つ彼の顔を見上げるシアーシャ
その蒼い眼を見ぬままに一歩進んで戸を開ける
「少し、飲みたい気分だ。晩酌に付き合ってくれるか?」
「っ……はい、喜んで。」
滲んだ喜色をごまかすように微笑み、ジグの後に続いて部屋を出る
外はもう日が暮れており魔力が生み出す光が夜道を照らしている
人の流れは少なくなっているが、まだまだ宵の口といったところ
繁華街を歩いていると近寄ってきたシアーシャが無言でジグの腕を取る
彼は何も言わぬまま、彼女のしたいようにさせた