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今日も今日とて早朝の走り込みをするジグ
休みと言えど日課は変わらないし、この生活を長く続けているためやらないと落ち着かないのだ
比較的酒には強い方で昨晩はそれなりに飲んだというのに体調が悪い様子はない
ちなみに結局チーズも肉料理も用意した
「あのワインは素晴らしかったな……」
先日のことを思い出してその余韻に浸る
開けた瞬間に部屋中に香りが広がったのは初めての経験だった
味も申し分なく、口当たりのまろやかさと深い味わいが絶妙にマッチした一品だった
本当に良いワインとは金さえ出せば手に入るというものでもなく、それなりの伝手や運が必要になる
今回は非常に運が良かったといえるだろう
一応シアーシャにも声を掛けたのだが取り込み中だったようで返事はなかった
今日まで休みにすると言っていたのでそっとしておいた方がいいだろう
走り込みを終えると小休止を挟んでから武器を持って素振りを行う
筋力トレーニングの意味もあるが、剣を使わない日があると感覚が鈍ってしまうのを防ぐためだ
素振りとは言ってもただ闇雲に振るのではなく仮想敵を見立てて実戦のつもりで戦う
近頃は魔獣との戦闘も多くなってきたためそれ用の戦い方をイメージしておく必要があった
当然だが魔獣と人間相手では戦い方がまるで違う
力も強く、人間相手のように首さえ刎ねればいいというわけでもない
魔獣の種類も多いためより臨機応変な戦い方を求められる
しかし一方で人間相手の時のような狡猾さはかなり低いと言っていい
追い立てたり誘い込んだりといった狩りをする動物の本能ともいえる戦略は使ってくるが、人間相手のそれと比べれば児戯に等しい
虚実入り交えた剣戟や集団のどこを突けば一番痛手なのかなどを思考し徹底的に突いてくる狡猾さは魔獣の頑強さや膂力と比較しても劣るものではない
つまり、どちらにおいても手は抜けないということだ
魔獣の次は人間、そしてまた魔獣と仮想敵を変えながら訓練をする
「こんなものか。」
日課を終えると汗を流してから準備を整え部屋を出る
ちらりとシアーシャの部屋を覗いてみたが床に座り込んで紙に何かを書き込みながらぶつぶつ念仏の様な声が聞こえてくる
「……うむ。」
集中しているようなのでそっとしておこう
主だった用事は先日済ませてしまったので特に理由もなく街をうろついている
気になった店を冷やかしたり鍛冶屋に寄って武具を眺めたりして過ごす
しばらくそうしていると体が空腹を訴えてきた
「昼食はどうしようか……」
目に入る店を吟味しながら歩いていく
先日は肉料理を食べたので魚だろうかなどと考えながら通りを歩いていると気になる匂いがジグの鼻をくすぐった
その香りに誘われるように大通りから少し外れた道を行く
匂い出所らしき場所に着くとやや手狭な肉料理らしき店が見つかった
香ばしい香りが実に食欲をそそるが肉料理は先日食べたばかりだ
「……昨日肉を食べたからと言って、今日肉を食べてはいけない法はない。」
ジグも男の子、肉は大好きだった
師にはバランスよく食べろと言われてきたが、それはそれだ
意気揚々と扉を開けて店に入る
「……らっしゃい。好きなところに座ってくれ。」
カウンターしかない店のようで店員はおらず、店長と思しき髭を蓄えた男がいるだけだ
お世辞にも愛想のいい接客ではないがこういう店はむしろその方が合っている
ジグの他に客は二組だけなので空いている席に適当に座ろうとする
来客に気づいてこちらを見た客が声を掛けてきた
「おぉ?ジグじゃねえか。」
「奇遇、だな。」
「ああ。そっちは久しぶりだな。」
「こっち来いよ。一緒に飯食おうぜ。」
そのうちの一組は知り合いであった
ベイツとグロウに声を掛けられてジグも隣に座る
グロウの方は初日以来だったので随分久々だ
「……注文は?」
「あー、おすすめはあるか?」
注文を聞かれてすぐに思いつかなかったので聞いてみる
店長は髭をさすりながら答えた
「……今日は牛ヒレのいいところが入っている。」
「ではそれを使った料理を適当に三品ほど頼む。」
ジロリと店長がジグを見る
「量、結構あるぞ?」
「見た目以上に食べる方だ。問題ない。ああ、追加でサラダも頼む。」
言い訳のように野菜を頼んでバランスを取る
ジグがそう言うと店長はそれ以上何も言わずに黙って調理に移った
「派手に、やってるらしい、な。」
グロウが言葉少なに聞いてくる
「まあな。先日はそちらで騒いですまなかったな。」
「お互い、済んだこと。」
「そうだな。」
やはり経験を積んだベテランは話が早い
短いやり取りでこの件を流すとそれを見たベイツが話に混ざってくる
「実際あんたらの昇級スピードは相当なもんだぜ。素人じゃねえのは分かっていたが、前は何やっていたんだ?」
「さてな。」
冗談めかして聞いてくるベイツに適当にはぐらかしたジグ
口調とは裏腹にかなり興味深く聞いていたベイツもその意味を理解しそれ以上深くは聞いてこない
ベイツは気を取り直して話題を変える
「いや、立ち入ったことを聞いたな。そういや傭兵だっけか?お前みたいな傭兵は初めて見たが。」
「こっちの、傭兵は……アレだから、な。」
「そうらしいな。こっちじゃ戦争が起きないようだから無理もないが。」
ベイツとグロウは不思議そうな顔をする
生まれついてから魔獣がいない場所など聞いたことがない二人にとって魔獣のいない地というのは想像ができない
「魔獣が出ないほどの僻地なんて想像もつかねえんだがな……まあそれはいいとして、戦争なんて一度も見たこともねえからどんなもんかも分からねえんだよ。その辺聞いてもいいか?」
「構わないが……飯時にする話ではないぞ?」
ジグはさして気にする方ではないが、進んで話したくなるほど酔狂でもない
少ないとはいえ他に客もいるので店に迷惑をかけるのは避けたい
ジグがわざわざストップをかけたのにベイツが僅かに怯んだ
「……そんなにエグい話か?」
それでも興味が捨てきれないベイツの様子に少し考えてから言葉を選んで話す
「そうだな……戦争が激化すれば目前の対処に手一杯になる。当然、片付けが疎かになるからナマモノが痛みやすくなる。俺が冒険者の仕事を手伝って最初に思ったのが、いくら臭くても新鮮なナマモノは遥かにマシってことだな。」
「……」
大分ぼかして伝えられた情報だが、それでも食欲が失せるのは間違いない話だ
ベイツも修羅場は何度も見てきたのでそれで吐き気を催すほど軟弱ではないが、どうやら人間相手の大規模な戦いは魔獣討伐とは毛色が違う凄惨さのようだ
「……よし、今みたいな感じでぼかして概要を話してくれ。」
それでも聞きたいと思ってしまうくらいにはベイツも好奇心がある方だった
「すまん。ベイツは、臭いものを開けたくなる、タイプなんだ。」
「そのようだ。まあ直接的な表現を避けて話せば問題あるまい。」
その後はジグが傭兵という職業と戦争というものを説明した
依頼主のことは基本的に話せないが、数ある仕事の一例や国が広く傭兵を募ったような誰でも知っている依頼は話しても問題ない
ただ立っているだけの依頼からどこぞの犯罪組織へかち込む鉄砲玉のような仕事まで
死亡を確認するために文字通りドブをかき分けながら犯罪組織の首領の死体探しをしたことなどを表面的に話した
具体的に話すと死体の指の数が合わない、死体偽装の可能性はないか、などと探し回りそこに住んでいた魚の腹を手当たり次第に掻っ捌いてようやく見つけたというおまけ話もある
「なんつぅか、手広くやってんなお前さんも。」
「信用が大事な、仕事というのは、納得だ。」
一通り聞き終えた二人がしみじみと頷いている
冒険者もギルドからの評価が大事な職業なので共感できる部分があるのだろう
「……おまち。」
「すげえ量だな。食いきれんのか?」
話に一区切りついたところで料理が来た
牛ヒレのステーキとシチュー、そしてローストビーフ
どれもボリュームがあり実に美味そうだ
早速ステーキを大きく切り口に運ぶ
やわらかい肉を噛みしめると濃縮された旨味が口いっぱいに広がる
「……やはり、肉だな。」
食べるたびに体に活力がみなぎるようだ
体が資本の仕事は肉を食べねば力が出ない
「次はそっちの話を聞かせてくれ。」
冷めてしまうのはもったいないので話のバトンを渡して食事を再開する
次々にステーキを咀嚼していく
ヒレは脂身は少ないがやわらかく赤身を味わうならこれ以上のものはない
熱々のシチューに口内を軽くヤケドしながらほろほろに煮込んだ肉と野菜を頬張りパンに絡めて飲み込む
箸休めにローストビーフを一枚
こちらも程よいレア具合で後を引く
サラダを肉で包んで食べるとすっきりしていていくらでも入りそうだ
パンに肉とサラダを挟んで即席ローストビーフサンドにすればこれがまたシチューと合う
思い思いの食べ方をしながらどんどんジグの胃袋に収まっていくのを二人がやや引き気味に見ている
この店の料理は決して少なくない
一品で十分成人男性一人が満腹になれる量だ
それを三品、衰えることなく食べ続けるジグはちょっと異常だった
「店長。パンとシチュー、後サラダお代わりだ。」
「お、おう。」
そのうえお代わりまでするときた
店長はたじろぎながら奥へ引っ込んでいく
食べ終わるのを待っていては話を始められないと察したベイツが切り出す
「そういや例の賞金首、うちでも人を出してるぜ。場所も見当を付けているし、今日決行のはずだ。」
「ほう。ワダツミから見ても旨い相手なのか。」
水を飲んで一息ついたジグが興味を示した
「金額的にはそれなり程度の相手だな。暇なら倒してもいいが、わざわざクラン動かすほどの儲けは出ねえってのがうちの考えだ。ただ止めもしねえからどっかと手を組んでやる分には一声かければ好きにしろってスタンスだ。」
ということは金銭とは別に理由があるということだ
ジグは少し考えてみたがいまいち利点を思いつかなかった
視点を変え利益ではなく不利益に意識を向ける
蒼双兜に生きていられると困る理由には思い当たることがあった
「ワダツミは有望な若手を優先的に支援しているんだったか?」
「御名答。」
ベイツはそう言って酒を呷る
グロウが話の後を継ぐ
「若手の多くは、七等級だ。そこに賞金首狙いの冒険者が、沢山来た。」
「なるほどな。狩場が飽和しているのか。」
七等級自体の人口が多いため狩場を変えれば解決というわけにもいかない
また上の等級に挑むというのも難しい
本来は腕に自信がなければ上の等級へ挑むのは危険な行為なのだ
七等級は一つの壁になっているのもあって無理をすることを避けるのがほとんどだった
「そういう訳だ。うちの若いモンから得物の取り合いになっちまうって陳情がわんさか挙げられてきてな。こっちも対処する必要が出てきた。」
「というと、お前たちがやるのか?」
「俺とグロウはこれから別件でしばらく手が離せねえ。今回は経験を積ませるって意味合いも兼ねてミリーナとセツに音頭を取らせている。」
「なるほどな。あの二人なら腕は問題ないだろう。」
個々の実力もさることながら二人の連携は見事な物だった
蒼双兜やらがどの程度強いのかは知らないがアレを倒そうと集まっている他の冒険者たちと比べても十分な実力は見て取れる
ベイツはそれを聞いて笑った
「才能がある分ちょいと調子に乗りやすいのが玉に瑕だったんだが……最近長くなっていた鼻を誰かさんに圧し折られてからめっきり謙虚になっちまってな。周りが見えるようになったみたいだし人をまとめる難しさを知ってもらおうと思ってな。」
「面倒見のいいことだ。」
「俺たちの、仕事。」
そう言って杯を傾けるグロウの表情はどこか誇らしげにも見える
ベイツも満更でもなさそうにしていたが少し顔を曇らせた
「……本当なら俺たちも付いていって様子を見てやりてえんだがな。今からどうしても外せない仕事が入っちまってな。」
後輩たちを見守れないのが本当に悔しいのだろう
陽気で表情を崩さないベイツが少し沈んでいた
「誰か知り合いの冒険者に頼まなかったのか?」
「それをアラン達に頼もうとしたんだが、向こうにも用事があって断られちまったんだよ。」
(先日アランが呼ばれていたのはそれか。)
実力のある冒険者パーティー
それもクランメンバーの身内なので信頼性も申し分ない
彼らが受けなかったのは本当に忙しかったのだろう
行儀悪くもシチューの器をパンでふき取るようにして食べて食事を終えたジグ
味と量、どちらも満足のいく料理だった
隠れた名店を見つけられたことに喜びながら食後の茶を啜っていると視線を感じた
「……なんだ?」
視線を注いでいたのはベイツたちだった
まるで思わずちょうどいい物を見つけたかの様な顔をしている
「お前、今日暇だよな?」
「まあ、一応。」
「傭兵って金さえ払えば何でもやるんだよな?」
「……仕事内容に見合った金額かつ、公的機関等に追われる恐れのない仕事なら、な。」
彼らの意図を悟ってため息をついたジグ
嫌気がさしたのではない
結局休みの日まで仕事が来て、そしてそれを受けようとしている自分に呆れたのだ
これでは本当にシアーシャのことを言えない
ジグの内心など知らぬ二人が前のめりに迫る
「なら、仕事を、頼みたい。」
「……それは構わないし、金額次第だが多少の無理も聞こう。……だが俺一人では転移石板を使えないぞ?」
ジグはあくまで同行者
冒険者のおまけである都合上、一人で行くわけにはいかない
当然それを理解している二人は代案を出してくる
「問題ねえ。主力はジグなんだから適当な若いの見繕っておくよ。最低限、自分の身くらいは守れる奴ならすぐに手配できる。報酬に関しては……」
ベイツが相方を見る
それを受けてグロウは頭の中で計算する
仕事の危険度とジグの力量、急な仕事である点を加味して額を告げる
「前金で、二十。成功報酬で、さらに二十。これは、何も起きなかった、場合だ。」
「イレギュラーはその内容次第で要相談……ってことでどうだ?」
「ふむ。」
ただ見ているだけでも四十というのは悪くない
トラブルが起こっても手当てが出るという言質もある
ジグは手を差し出す
「ここの払いも持つのならば、その依頼受けよう。」
「……ちゃっかりしてやがるぜ。」
その手をベイツが握り返して契約は結ばれた
「いつ出発する?」
「可能なら今すぐにでも行きてえ。お前の都合次第だ。」
「では準備ができ次第ギルドへ向かおう。案内役の手配は任せたぞ。」
仕事が決まれば動くのは早い
ジグは宿に戻って準備するために席を立つ
ベイツたちも支払いを済ませるとクランハウスに戻って手頃な冒険者を見繕うべく動き出す