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日が昇る少し前

ジグがいつものように走っている

走るルートは飽きぬようにその日の気分で変えている

繁華街周辺は粗方周ったので最近はいつもより街の外れの方を地形の把握もかねて見回しながら行く

ハリアンは裏道の類が多く、隠れた店や施設などもよくある

地形を把握するのは傭兵の習性だがその手の裏店巡りを好むジグの趣味とも合致している

日々の走り込みにも張り合いが出るというものだ

気になる雰囲気の店をチェックしながら一定のペースで走り続ける


「そろそろ引き返す頃か」


感覚からいつもの距離を掴むと踵を返して別のルートで帰る

同じ歩幅、同じペースで走っているため大体の方角が分かれば距離は問題ない


そうしていつものように走っていると後ろから誰かの足音がする

足音を隠しもせず一定のペースで響く間隔と速さから自分と同じように走り込みをしている者のようだ

軽快に跳ねるような音から女性か小柄な男だろうかと何とはなしに考える


すると音の主はペースを上げてジグと並走するようにしてきた


「おはようさん。おたくも朝早くから精が出るね」


愛想よく挨拶をしてくる

男らしい口調だがその声は女性のものだ

どこか聞き覚えのあるその声に内心で首をかしげながら返事をする


「ああ、おはよう」


相手も覚えのある声に思わずというようにジグを見た


「うん?……げぇ!あんたは昨日の……!」


声に驚き相手を見る

後ろに括った赤毛を跳ねさせながら並走しているのは先日殺し合ったワダツミの冒険者だった


「確か、ミリーナだったか?」

「……その節はどうも。ジグ……さん」


顔をしかめながら渋々といった風に名前を呼ぶ


先日の失態、それに伴う諸々との感情の折り合いがまだついていないミリーナはこの男とどう接するべきか判断に悩んでいた

先日のことを思い出すとまだ背筋が凍る思いすらするが、一応は手打ちということにはなっているはずだ

しかし理性と感情は別物

終わった話だからと言って、一度は殺し合った相手と何事もなく済むことは難しい

内心の緊張を押し殺しながら慎重に言葉を選ぶ


「昨日は、本当にすいません……でした」

「いい、済んだことだ。ああ、無理に敬語を使う必要はない」

「……それはどうも」


彼女の懸念とは裏腹にジグにそのことを根に持っている様子はまるでない

そのことに安堵しつつもミリーナはこの場をどう離れたものか思案していた

こちらから挨拶しておいて顔を見たらそそくさと去るのは相手の機嫌を損ねるのではないか

現在ワダツミはこの男に大きな借りがある状態だ

あまり迂闊なことをするわけにはいかない


(適当に世間話してお暇するか)


そう考えると当たり障りのない会話を出す

丁度お互い走っているのだからと話題にする


「あんたもよく走るのか?」

「ああ。日課だ。そっちもか?」

「あたし?あたしは……まあ、思うところがあって」


何気なく返された会話につい言葉を濁してしまう


”つい先日、自分のスタミナ不足を思い知らされたからだ”


自分の実力に自負のある彼女はそう口にするのを躊躇った

口を閉ざしたミリーナの表情からなんとなく事情を察したジグが走りながら口にする


「いい腕していると思うぞ」

「……嫌味か?」

「そうではない」


捉えようによっては皮肉ともとれるジグの言葉に少し恨めし気な視線を送りながら毒づく

言ってから不味いかと思って恐る恐る見るが、ジグは呼吸を乱さぬまま淡々と答えた


「才能がある奴は腕が上がるのが速い。だが体力を作るのは才能ではなく積み重ねだ。才能がある奴ほど上がる実力に体力が追い付かないんだ」


勿論個人差はあるが、体力をつけるのに近道はない

地道で辛い積み重ね

一で十を知る天才はそれを怠りやすい傾向にある

多少の困難ならば才能でどうにかできてしまう上に体力と実力の上り幅に差があるためだ

それを嫌い才がありながら伸びきらずに終わる者は多い

体力が足りないと感じた時にすぐに行動に移せるミリーナは確実に伸びる人間だとジグは感じていた


「褒めてくれるのは有り難いけど、世の中上には上がいるじゃん」


ちらりと横目でミリーナの方を見た

心なしか肩を落とした彼女からは僅かに諦観じみたものを感じる

少し考えてから師に言われたことを自分の経験を交えて口にする


「上を見るなとは言わないが、見ることでやる気を無くすくらいなら見る必要はないと思うぞ。やるかやらないか。結局はそこに尽きるんだからな」

「……そういうもんかな」

「そういうものだ」



それで会話が途切れてしばし無言で走り続ける

規則正しく一定のリズムでなり続ける足音

ミリーナはジグの方を見た


彼は自分とは違い装備を身に着けている

今からでもそのまま戦いに出られそうな格好をしているというのに上体をぶらさず一定の呼吸で走っている

対して自分は長時間走っているとはいえ、軽装だというのにわずかに呼吸が乱れ始めていた


「……積み重ね、か」


しばらくは続けてみよう

ジグの言葉にそう思わせるだけの説得力を感じたミリーナは毎朝のメニューに走り込みを追加することにした




ジグは知らぬことであるが、この大陸の人間は基礎トレーニングをあまりしない

基本的に魔術で強化できて、その方がより強くなるためだ

体を鍛えるよりも魔術の扱いを練習した方が結果的により強くなれる

余計なトレーニングはむしろ無駄な筋肉を増やして動きを阻害すると考えられている

それ自体は間違いではない

必要な部分を必要なだけ強化できる魔術ならば無駄な筋肉を一切つけない効率的な運用ができる


しかしどれだけ魔術で強化しようとも動かすのは自らの体だ

魔力は残っていても体力が尽きればそれまで

それを理解している者は実は少なくない

だが今まで魔術でどうにかしてこれたことを今さらそれ無しでやろうと思える者は非常に少ない

それ故か身体強化を使えるこの地の人間は瞬発力には優れていても持久力に難がある者がほとんどだった




その後ミリーナと別れたジグはいつものように汗を流し、身支度を整えてシアーシャを起こす

ノックしてから部屋に入るとベッドに突っ伏しているシアーシャが目に入る

うつ伏せで長い髪の毛も広がり放題のため少し不気味だ

その肩をゆするとのそりと身を起こして寝ぼけ眼をこちらに向ける



「おはよう。朝だぞ」

「……ぉぅぇぃ」


相も変わらず朝に弱いシアーシャ

肌着が乱れて目に毒な光景から視線を逸らしつつその顔に濡れた手拭いを乗せる


「びょ」


やはり妙な擬音を発しつつ起きる

彼女が起動するまで柔軟をして時間を潰す

ここ最近は魔獣を相手にしているせいか、いつもと体の疲労のしかたが違う

どちらが大変というものではなく、普段と違う体の動かし方をしているせいだろう

いざというときに万全に動けるようにするため入念に体を整えておく



「お待たせしました。行きましょうジグさん!」


体が十分にほぐれた頃に妙にやる気のあるシアーシャと二人でギルドへ向かった


冒険者でごった返した朝のギルド


「では行ってきます」


良い仕事を我先に取ろうと殺到する中にシアーシャがずんずんと分け入っていく

文句を言おうとした相手がシアーシャの眼光にわずかに怯んで道を譲る

しっかり加減しているのか、先日のように空気が凍り付くような威圧は発していない


実はその加減を覚えるのに随分手こずったのだが、本人はそれを口にはしない



「なかなか堂に入ってきたな」


最初は冒険者たちの熱気に気圧されていた彼女がああして躊躇いもなく進んでいく

そのことに妙に感慨深い面持ちで頷いているジグ



「そういうところが老けて見える原因じゃない?」

「……失敬な」


出会い頭に失礼なことを言う相手、イサナに渋面を向ける

しかし一理あると一瞬でも思ってしまったためにジグの返答にはキレがない

その様子にイサナが白髪を揺らしながら笑う


「……で?そっちはうまくいきそうなのか?」


仕切りなおすように話題を変えるジグ

イサナも深く追及はせずにそれに乗る

内容が内容なので具体的には口にしないがそれで十分に伝わる



「ええ。それなりのところに落ち着きそう。しばらくは私たちにちょっかい掛けている場合じゃないでしょうからね」


そう話す彼女の表情は明るい

どうやら交渉は上手くまとまったようだ

依頼は終わったがその後の経過が全く気にならないわけではない


証拠も犯人もしっかり押さえているのだから交渉自体はそう難しいものではなかったはずだ

問題は部族を、ひいては族長をどう説得するかが最大の関門だ

マフィアと交渉など武人気質のジィンスゥ・ヤが素直に受け入れられるとは思えない

どうやってか、結果的に上手くいったようだが

少しだけ安堵しながら目を細めた


「問題なく進んでいるようで何よりだ」

「うちの族長からも”此度の件、感謝している。有事の際は力になろう”と言伝を預かっているわ」

「……俺のこと、伝えたよな?」


ジグはその伝言を聞いて眉をひそめた

仕事だから助けただけで依頼次第では敵に回ることもある

それを理解しているとは思えない言葉だ


しかしイサナは苦笑いしながら肩を竦める


「勿論伝えた。次は敵かもしれないってことも。」

「御老体はなんと?」

「それはそれ、これはこれ、その時はその時。……だそうよ」

「……そうか」


(年老いた族長は頭が固いと相場が決まっているが……中々どうして、器のでかい人物のようだ)


おそらくだが部族の説得に上手くいったのも族長が積極的に協力したのだろう

ジグとしてもこちらの線引きをわきまえてくれるならば文句はない


「承知した。報酬次第で次も仕事は受けると伝えてくれ」

「有事の助力は?」

「……気が向いたらな」

「了解」



しばし肩で笑っていたイサナが思い出したようにジグを見た


「あ、そうだ。聞いたよ、昨日のこと。あなたワダツミで大暴れしたらしいじゃない」

「色々あってな……」






イサナに事情を説明していると依頼を取ってきたシアーシャが戻ってきた

良い仕事を取れたのだろうか、どことなく満足気なシアーシャがイサナに気づいて挨拶をする


「イサナさん、おはようございます」

「おはよう。今日も頑張るわね」

「はい、やりたいことが山積みなもので」


やる気に満ち溢れているシアーシャに微笑ましいものを感じて懐かしい気持ちになるイサナ

しかしこれではジグの事を言えないと思い直す


「そう。張り切りすぎないように気を付けてね」

「はい」


そう言ってイサナも自分の仕事に向かった


「私達も行きましょう」

「ああ」


準備の最終チェックを終えると二人も受付を済ませ転送石板で目的地に向かう


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