47
「……」
落とし前の加減が分からぬジグと迂闊に喋って状況を悪化させるのを恐れたカスカベ
それぞれの思惑から言葉が止まる
生まれた沈黙はそう長いものではない
しかしこの状況を悪化させるには十分な時間だった
硬直する場を動かしたのは扉を蹴り開ける音だった
何人かの足音が建物内に駆け込んでくる
「増援か。……時間をかけすぎたか」
己の失策を悟り嘆息するジグ
これを狙っていたのならば相当のやり手だ
相手への称賛すら覚えてカスカベの方を見る
しかし仲間が来たというのにカスカベは焦るように表情を険しくする
この増援は彼の意図してのものではないらしい
ジグの想像を余所にカスカベは焦りを募らせていた
(不味いぞ……こちらの間違いである可能性が高い相手にこれ以上の無礼は信用問題に関わる!何とかして止めねば)
勘違いで暴行に及んだという事実だけでも不味いが、更なる恥の上塗りは阻止せねばならない
一瞬でそこまでを考えたカスカベは階段を駆け上がる足音の主に向けて声を掛けようとする
「待っ……」
「下がれカスカベ!」
「ぐえっ」
しかし一瞬遅かった
軽やかに階段を駆け上がってきた仲間に襟首をつかまれて強引に後ろに放り投げられる
非常時なので仕方がないが、声を出そうとしたところを冒険者の力で襟首を引っ張られて喉を圧迫された
回転する体で何とか受け身を取ろうとするが制御が効かずもがくカスカベ
そのまま落ちれば死ぬかもしれない危険な状態だ
呼吸もままならず落下する体を別の誰かが受け止める
比較的軽いとはいえ大人一人の落下する体を軽々と受け止めるなどまともな人間にはできない
冒険者、それも身体強化に長けた者だ
カスカベを受け止めた女性は床に降ろして外傷がないのを確認するとすぐに上を向いた
先に上った仲間が敵と斬り合っているようだ
重い剣戟音と仲間の実力を考えると容易な相手ではないことを察して援護に向かおうとする
「無事ですね?ここは任せて外へ退避を」
「げほっ、げほ……ま、待っ……」
「大丈夫です。私たちなら遅れは取りません」
カスカベを置いていこうとする仲間に待ったを掛けようとする
しかし襟首を強く引っ張られたため激しくせき込んで言葉が途切れてしまう
「仲間の仇は必ず取ります」
「げほっ、ち、ちが……」
なんとか止めようとするが声にならない
その間に仲間は上へ走って行ってしまった
それを真っ青になって見送ることしかできないカスカベ
彼の内心を絶望が埋め尽くしていく
それでも間に合ってくれと願いながら悲鳴を上げる体に鞭打って後を追った
「下がれカスカベ!」
カスカベの体が放り投げられた時にはジグも既に動いていた
バックステップして足元の長剣を拾い上げると突っ込んでくる相手の武器を受け止める
続けて振るわれる連撃を弾き、いなし、躱す
相手の胴を狙った流し斬りをいなし立ち位置を変えるように距離を取る
階段側に背を向けたジグが相手を見た
二十を超えたかどうかという若い女だ
赤髪を後ろで一つに束ねていて活発そうな雰囲気をしている
赤髪女は鋭く目を細めてこちらの隙を窺う
(できるな)
先ほどまでの相手とは段違いの実力者
やや細身の長剣を肩口で構えた姿は若いながらも堂に入っている
その構えから実力を推し量ったジグは先ほどまでのように手加減しながら切り抜けられる相手ではないと判断する
(仕方がない。クランと揉めるのは避けたかったが、死んでしまっては意味がない)
最悪事情を話してイサナに証言してもらえばアリバイは証明できる
カスカベだけを生かしておけば証人としては十分だろう
謂れのない疑いを受けて襲われているのはこちらのほうだ
この場で殺しても正当防衛で、罪に問われる可能性は低い
ジグはそう考えると、なんの抵抗も覚えずに相手を殺すことを決めた
仕方がないが今日の夕食は肉をやめて魚にしよう
それぐらいの気軽さで相手の殺害を是とする
「ッ!」
赤髪女は何かを感じ取り身を固くするが、その理由がわからずに困惑した
相手から感じる気配には何も変わりがない
長剣を下段に構えているだけで何か仕掛けてこようという感じもしない
だというのに、妙に首筋がチリチリとする
(ヤバい、か?)
理性では問題ないと判断していても勘が危険信号を発している
彼女は自身の経験と才覚から勘を信じることにした
相手への警戒度を上げ、その動きに注視して即座に対応できるように備える
それが彼女の命を繋いだ
ほんの一瞬
瞬きをした瞬間に相手が距離を詰める
自然な動作から繰り出された首への刺突を防げたのは勘と運だった
「……っ!?」
喉元まで迫っていた脅威を必死に弾くと距離を取らせようと斬り返す
しかし相手はそれを恐れずにさらに前に出た
至近距離での袈裟斬りをその巨体からは想像もつかない身軽さで対処した
左肩を前に出して膝を柔らかく曲げダッキングすると長剣の軌道を読み切って紙一重で回避する
そして膝を曲げたまま腰をひねり胴を狙った横薙ぎ
「くっ」
強引に長剣を引き戻して縦に構えて防ごうとする
身体強化の出力を上げて無理矢理に軌道を変えたせいで体が悲鳴を上げる
それを無視して押し通した結果、なんとか間に合わせることができた
しかしジグの構えを見て目を見開く
ジグは長剣を左手一本で振るっていた
右手は柄から放して拳を作り、横に寝かせた刀身の後を追うように放っている
ジグの剣は防げても縦に構えた剣では拳までは防げない
十字に交わる二本の剣をすり抜けるようにボディブローが叩き込まれた
「がはっ」
肺から空気を吐き出しながら赤髪女が吹っ飛んでいく
(浅い)
ジグは手応えから相手に深手は与えられていないと気づく
ボディブローが完璧に決まればその場で崩れ落ちるように倒れる
あのように派手に吹き飛んだりはしない
赤髪女は直撃の瞬間自ら後ろに飛んで衝撃をできるだけ殺したのだ
そしてそれ以上にあの防具
一見ただの皮鎧にしか見えないが、強力な魔獣の外皮を使っており魔力を通すことでその硬度を増していた
(その上から殴られたのに、この威力かっ……!)
まともに食らえば内臓を潰されていたのは間違いないであろう一撃に彼女は慄いた
衝撃を殺して防具で防いだというのにすぐに戦闘復帰するのは難しいほどの痛手を受けている
内臓や骨は無事だが呼吸を乱されたのが致命的だ
あの男がそんな隙を逃すとは思えない
吹き飛んだ相手がテーブルや椅子を巻き込んで倒れ伏す
態勢を立て直す前にケリをつけるべくジグが走ろうとする
「…チッ」
しかしすぐに止まると踏み込んだ足を軸にその場でターンすると背後を斬りつけた
見もせずに振るわれたその剣はしっかりと受け止められる
サーベルを手にした青髪女が敵意も
新手に眉を僅かにしかめつつも攻撃対象を青髪女に移す
挟撃されては不味いと考えたジグが苛烈に攻める
手早く仕留めようと振るわれた長剣
しかし相手もさるものでその剛撃をいなしていくだけではなく同時に魔術を詠唱してジグに放った
「器用だな」
近接戦闘をしながらの魔術詠唱は非常に難易度が高いと本で読んだジグは相手の技量に感嘆の声を漏らす
先ほどの赤髪女と同等以上の使い手のようだ
生み出された氷槍が冷気を放ちながら迫る
ジグは長剣を片手に持ち帰ると足元に転がっていた武器を足で跳ね上げる
中に浮かぶ曲刀を左手で掴み取ると氷槍を打ち払った
青髪女がそれを見て驚愕の表情を浮かべるとさらなる氷槍を作るべく詠唱を重ねる
曲刀は防御に徹して長剣で攻撃を続ける
相手も徐々にジグの剛撃をいなしきれなくなってきた
一際力を入れた一撃に相手の体勢が崩れる
その隙を埋めるように打ち出された氷槍
「それは分かり易すぎるぞ」
「なっ!?」
それを予測していたジグは斬り払った氷槍を相手へ蹴り返す
回転しながら迫る氷槍
崩れた態勢では躱しきれないため止む無くサーベルで受ける
それは致命的な隙だった
氷槍を食らってでも距離を取るべきだったのだが魔術を蹴り返すなどという曲芸に不意を打たれたせいでそこまで考えが至らなかった
上段からの渾身の一撃
(受けきれない)
それを絶望的な気持ちで、しかし諦めずに受けようとサーベルを構える
ジグは躊躇いもなく振り下ろす
しかしまたしてもその動きを止めざるを得なかった
「あと少しで楽にしてやれたものを」
「させない!」
復帰した赤髪女が突っ込んでくるのを曲刀で防ぐ
その分だけ勢いを削がれた長剣がサーベルで止まった
「っ……ぁぁあ!!」
九死に一生を得た青髪女が身体強化を引き上げて跳ね除けるとそのまま斬りかかる
サーベルを長剣が
長剣を曲刀が
前後から振るわれる攻撃を厳しい表情で捌くジグ
元々二人で組んでいたのであろう女たちの息のあった連携がジグを追い詰めていく
捌ききれない斬撃が体のそこかしこを掠めて血に染めていった
それでも二人の女は攻めきれずにいた
圧倒的有利な場面のはずなのにその表情から焦りが消えることはない
(化け物め!なんでこれが対処できるんだよ!)
赤髪女は内心で毒づきながら剣を振るう
鋭く突いた剣をジグが引き込むようにして曲刀で受けると剣の腹を膝で蹴り上げる
空いた曲刀を腹部めがけて滑らせようとしたのを途中でやめて体ごと回転させサーベルを流す
相方のサポートがなかったら今ので決まっていた
その事実に背筋を凍らせながらも剣を止めない
(冒険者ではない……これほどの実力者、なぜ今まで噂になっていないのです?)
青髪女が相方の窮地を救うと内心で疑問の声を上げた
そもそもこの男が何者なのかも分かっていない
クランで騒ぎが起きていると聞いて駆けつけてみればこの惨状
相方が殺られかけているので急いで加勢したが二人がかりだというのにそれすら凌いでいる
「っ!?」
受けた長剣がサーベルを絡めとり掬い上げる
剛から柔
急激な変化についていけずに武器こそ手放さなかったものの隙を晒してしまう
その隙を埋めるように被弾覚悟で相方が斬り込んだ
二対一である以上相打ちは男にとって痛手であるため止む無くそちらに対処する
しかしきっちりと手傷を負わせてリターンを得るのは流石というべきか
(考えるのは後ですね。意識を他所に向けて勝てる相手じゃない……!)
ジグは根気よく捌きながらも隙を窺っていた
確実にどちらかを仕留められる瞬間を虎視眈々と待ち続けている
絶好のチャンスと思えるタイミングは既に何度も見送っていた
(まだだ、まだ焦るな)
迂闊な行動を見逃す相手じゃない
一人を倒せてももう一人を確実に処理できる余力を残さなければならない
その瞬間をただただ待ち続ける
先に隙を見せたのは赤髪女だった
先ほどのボディブローが徐々に効いていたのだろう
激しい動きをするタイプなのもあってスタミナが追いつかずに動きが遅れ始めた
そこに生まれた隙を補うように青髪女が動く
(それを待っていたぞ!)
フォローに動いた青髪女にジグが牙を剥いた
二人に向けていた攻撃を一時的に青髪女一人に集中させる
誘われた
女がそう気づいたようだがもう遅い
曲刀がサーベルを受けるとともに振るわれた長剣が女の頭部をかち割ろうとした
なんとか下がろうとする青髪女
しかしほんの僅かに間に合わず先端部が頭部に迫る
遠心力が乗った剣ならば先端が当たるだけでも十分に死に至らしめることができる
(終わった)
女が自らの死を覚悟した
その瞬間
横合いから放たれた矢が窓を突き破り長剣に直撃する
魔術で加速と軌道修正を行われた矢は正確に長剣を打ち砕いた
「なに!?」
勢いで長剣を弾き飛ばされたジグが咄嗟に距離を取る
絶好のチャンスを逃してしまったが、それよりも問題は
(魔術の匂いを感じ取れなかった……遠距離からの攻撃か)
さらなる新手にジグの表情が険しくなる
現状でも手に余るというのにこれ以上の増援など相手していられない
不本意だが撤退する判断を下したジグ
「そこまでだぁ!おいたはその辺にしてもらおうか!!」
そこに男の野太い声が響いた
無視しようとしたが聞き覚えのある声にジグが逃げようとした動きを止めてそちらを見る
カスカベを伴って階段を登ってきたいかつい男には見覚えがあった
以前シアーシャとギルドで出会ったベイツだ
彼はいかつい割に愛嬌のある笑顔をニカッとジグに向ける
「事情はカスカベから聞いたぜぇ?まあここは俺に任せちゃくれねえか」
「……やっと話の分かるやつが来たか」
これ以上の戦闘は必要ないことをジグが察すると溜息とともに戦闘態勢を解いた