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右足を一歩後ろに下げて半身になる

剣先を後ろに、刃筋を右斜め下に

脇構えと呼ばれるこの構え


間合いを計りづらくする他、狙いを読みにくくする利点がある

また半身に構えていることから回避行動もとりやすく後の先に向いた構えだ

後方に構えているため遠心力を乗せやすく、抜刀術ほどではないが威力もある

刀身の長さは既に知られているので奇襲の意味は薄いが、間合いの差から先手を取られる現状には最適


イサナは慎重に相手を探る

ジグは深く構えているわけでもないのに隙が見いだせない

重量武器を使っているのに重心が非常に安定しているため揺さぶりも効きにくいだろう


こちらの武器は速度

以前の打ち合いではこちらの速度に相手の対応が間に合っていなかった

今回も同じように行くと考えるのは楽観が過ぎるが、長所を生かさないのも悪手


頭の中で攻め筋を構築する


「……良し」


腹は決めた

全力でぶつかるべく、丹田に力を籠める



汗が額を伝う


ジグが呼吸を吐いた瞬間

その間隙を狙い動く





「…なんと、凄まじい」



先ほどとは段違いの速度に周囲が目を見開く

若くして才を磨き、部族の誇りともいえる達人にまで至ったイサナ


剣の申し子とまで言われる彼女の本気

男たちはその一端に触れて興奮すら覚えた




「…!」



神速の踏み込みにジグの攻撃が遅れる

速度を緩めぬまま上体の動きだけでそれを躱す


僅かにタイミングのずれた突きが髪をかすめた



「シッ!」


後ろに構えた刀を逆袈裟に斬り上げる



完璧なタイミング

回避不能と誰もが思った




「ふっ!」



胴を狙った斬り上げは戻した薙刀に防がれた


「なっ!?」


会心の一撃を防がれ動揺するイサナ



馬鹿な

引きが間に合う速度ではなかったはず

いったいどうやって



実はジグが先ほど放った突きはフェイントだった

力はほとんど籠めておらずいつでも防御に移れる程度の攻撃しかしていなかったのだ

今までの突きとは音からして違っていたのだが、踏み込みすぎていたためにイサナはその違いに気づけなかった


タイミングがずれたのではなく、彼女にそれを気づかれないために引き付けてから攻撃したのだ



突進の勢いを乗せた斬り上げを後ろに流すようにいなす



「く…!」


つんのめる体をなんとかとどめる

自らの速度が仇となり即座に行動とはいかず、一瞬の間が出来てしまう


その間を見逃してくれる相手ではない

縮んだ距離を放さず柄を横薙ぎに叩きつけてくる


まだ戻りきっていない体勢で受け流す

距離が近く満足に勢いが乗せられていないため防げた

しかし体を回転させ流れるように薙刀を叩きこんでくる


「舐めるな!」


それを捌きながら逆に斬り返す


至近距離は薙刀の間合いではない

近づかれた際に対処する技はあるが、それでも得意距離ではない

あえてその間合いで戦い続けるとはこちらを侮っているのか


怒りと共に一刀を繰り出す

ジグはそれをゆるりと躱すと後ろに下がった


「逃がさない!」


今さら下がろうとしてももう遅い

追いすがるように距離を詰めて横一閃

ジグは身をかがめながら一回転しさらに下がる

しかし下がるのと進むのでは後者の方が速い


前に出て近距離を維持し続けようとした

しかしその時、下段からの攻撃がいつの間にか迫る


ジグが後ろに下がりながら体を回転させ足元を払う一撃を放っていた


「まず…!」


誘われていた

あえて近距離で戦っていたのはこのためか!


前に出ている体と防ぐには低すぎる攻撃にとっさの判断で上に飛ぶ


飛んで、しまった



「…やっば」



イサナの長所は速度と瞬発力だ

だが飛んでしまえばそのどちらも活かせない

そして空中での回避行動には限度がある


自らの失策を悟った時にはもう遅すぎた


その瞬間を待っていたジグが動く

絶好の機会に焦ることなくしっかりと刀の届かぬ間合い

万が一にも反撃のない距離を保つ


着地の瞬間を狙った一撃は防御も虚しくイサナの意識を刈り取った








残心を解くと今の戦闘を吟味する


「うむ。それなりに勘は取り戻せたな」


やはり実戦形式の稽古は違う

素振りや仕合ではここまで一気にはいかなかっただろう


正直に言うとここまでやるつもりはなかったのだが、イサナが実戦形式を強く希望したのだ

やはり彼女も武人

負けたままではいられないということなのだろう



「イサナ様!?ご無事ですか!」


そのイサナは他の武芸者に介抱されている

加減はしたので大怪我にはなっていないはずだが、周囲の人間は大慌てだ

重病人であるかのように担ぎ上げて屋内に運び込まれていく



ジグは苦笑いしながらその後を追った







「…この光景、すごく久しぶり」


目覚めるや否や、開口一番にイサナが言う

まだまだ未熟だった頃、稽古で意識を失ってはここで目を覚ましたものだ

腕が上がるにつれ自分が意識を奪う側になり、ここに来ることもなくなっていたのだが


心配で落ち着きのない男たちを外に追いやり介抱していた立会人の男が微笑む


「見事な仕合でしたよ。良い勉強になりました」

「私、ばっちり負けちゃったんだけど」

「それもまた、良い経験かと」

「…むぅ」


表情を崩さない男―――この道場の師範代に渋い顔を向ける

ゆったりした動作の中に見受けられる実力者の片鱗

彼には幼い頃、ここで扱かれたものだ


「鼻を折られましたかな?」

「天狗になっていたつもりはない…けど、実際負けると…クるものがあるね」


苦い顔をするイサナに師範代がカラカラと笑うと濡らした手拭いを差し出す

礼を言って受け取り汗と汚れを拭う


「世界は広いものです。…そう言い続けていた私も、正直同年代であなたに勝る者がいるとは思ってもいませんでした」


師範代の言葉に苦笑いで返す



「イサナ、平気か?」


部屋の外でジグが声を掛けた


「シュオウが来たぞ。目的の場所を絞り込めたらしい」


もうそんなに経っていたのか

思いのほか長く寝ていたらしい


「大丈夫。入って」

「私はお邪魔ですな」

「ごめん。これありがとね」


手拭いを受取ると礼をして立ち上がる

ジグたちが部屋に入るのと入れ替わりに師範代が出ていく


「もういいのか?」

「嫌味?きっちり加減してたでしょ」


軽口をたたく彼女を見て問題なさそうだと頷くジグ

シュオウが寝ていたイサナを見て首をかしげる


「イサナ様?どうなされたのですか」

「ちょっと、ね……具合が悪いわけじゃないから気にしないで」


シュオウは疑問を感じつつも本人がそういうのならとそれ以上は聞かない

ここに来た本来の目的を進めるべく報告する


「候補の場所は四か所。そのうち人の出入りがあったと思しき場所は二か所です」

 

地図を見て二か所を確認する

北にバザルタ、南にカンタレラ、東にジィンスゥ・ヤ

候補の場所はジィンスゥ・ヤの西と、すぐ北にあるようだ

ジグは土地勘のあるシュオウに意見を求める


「どう見る?」

「西の可能性は低いかと。どちらのマフィアが動くにしても別の勢力に露見する可能性が高くなります。逆に北であるとすれば、バザルタ・ファミリーが関与している可能性が高いでしょう」


妥当な判断だろう

自分の縄張りから離れたところでやるには難易度もリスクも高すぎる

自分たちとの繋がりを示す証拠さえ見つからなければいいのだからある程度近場でも問題はない


「二勢力が手を組んでいる可能性はあるか?」

「…ない、とは言えません。しかし過去、二つの勢力が大っぴらに手を組んで行動したことはありません。暗黙の了解として不干渉を貫くことはありますが。それに…」


シュオウはそこで言葉を切る

言わずともその先の予想は付く


もし二つの勢力が手を組んでジィンスゥ・ヤを排除しようとしてきたら

その最悪の展開を口にしなかったのは如何なる理由か


二人も追及はしない

ジグは関係がないため

イサナは想像もしたくないため


「では今夜、北を調べよう」

「分かりました。人員はどうされますか?」

「数は少ない方がいい。敵の隠密能力は未知数だ。少数精鋭で行く」

「私とジグ、シュオウも手伝って。…あと、ライカも連れていく」


イサナが口にした名にシュオウが驚きをあらわにする


「ライカを、ですか?…しかし、あれは殺しに魅入られた狂人ですぞ。何をしでかすか…」

「分かっているわ。でも今は手が足りない」


反対するシュオウだったが、イサナの意思が変わらないことを悟ると口を閉ざす

僅かな逡巡の後、已む無く首を縦に振った


「…承知、しました。では、後程族長の所に」


それだけ言うと部屋を出る

その背を見送るとイサナがため息をついた



「…やっぱりいい顔はされないか」

「ずいぶん嫌われているみたいだな」

「殺しを愉しむやつとお友達になりたい人の方が少ないでしょ」


件のライカという人物

賞金稼ぎという職業もだが、殺しを愉しむという


「そんなに珍しい事でもないと思うがな」

「…あなたの周りがおかしいだけじゃない?」



そう言われると何も言い返せないが

しかし他者への攻撃性とは誰しも持ち合わせているものだ

ちょっとした環境や衝動から発現してしまうことも珍しくない


問題はそれとどう付き合うかだと思うが

この辺りイサナ達とは根本から考え方が違うようだ


「時間まで手順を詰めましょう」


イサナの言に従い二人は地図に視線を移し経路などを確認し合った


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