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空が白み始めた頃にシアーシャを起こす

朝の弱い彼女だが状況のためか普段よりすんなり目が覚めたようだ


身支度を整える彼女に手ぬぐいと水を入れた桶を手渡す


「ジグさんて結構綺麗好きですよね。傭兵ってあんまりそういうの気にしないイメージありました」

「不潔は長生きできんからな。そのイメージは間違ってはいないが」


戦場で傷口が汚れたのをそのままにして戦いが終わった後に腕や足を失う者も少なくない


「それに身綺麗にしておくとそれが理由で依頼が来ることがあるんだ」


過去何度か護衛・護送依頼などを受けた際に”臭くないから”という理由で雇われたことが本当にあった

仕事内容次第ではそれ相応の身だしなみを求められることも多い


「傭兵といえど、腕さえよければ他はどうでも良いとはならないものさ」

「なるほど……あれ、よいしょ…むむ」


テントの中で体を拭いているシアーシャが何やらゴソゴソしている


「どうかしたか?」

「狭くて背中が上手く拭けなくって……ジグさん手伝ってください」

「……」


また無茶を言う

彼女は他人と関わってこなかったからかどうにもこの手の言動に問題がある

他所でやって誤解を与える前にどうにかしなければ


そう思いはするもののどう教えたものかと悩むばかりであった


「ジグさーん」

「……分かった分かった」


嘆息しながらテントに入る


白い背中が目に入る

長い黒髪を肩から前に垂らしてこちらに背を向けている

女性特有の香りが鼻腔をくすぐる


「お願いします」


差し出された手ぬぐいを受け取り桶で絞る

加減が分からないので肌を傷つけぬように丁寧に拭いていく


「どうだ?」

「もう少し強くても大丈夫ですよ」



ジグは決して不能ではない

欲求の順位が低いだけで性欲はあるのだ

また近頃ご無沙汰だったためにこれは少し揺さぶられるものがあった



ジグは一点を集中して見ずに全体をぼんやりと見た

艶かしい背中ではなく体の輪郭を広く捉える

自分の腕すら何処か遠く眺めるような心持ちで手を動かした


観の目と言われる技法を用いて己の情欲を宥め賺す(なだめすかす)



「…終わったぞ」

「ありがとうございます」


手ぬぐいを渡すと素早く背を向けてテントを出る

人知れず呼吸を整えると平静を装いつつ声をかける


「シアーシャ、こういったことはあまり男に頼むものではないぞ」

「分かってますよー」


軽い返事にどうにも不安になる

彼女のことだから男にいいようにされることはないだろうが、いらぬ面倒にならないか心配だ




準備の終わったシアーシャと朝食を済ませる

そうして集合時間に集まったところでアランたちからの説明を聞く


「先日は皆ご苦労様。不測の事態も起きたが大した怪我人も出ずよくやってくれた」


アラン達の奮闘のおかげで討伐隊に狂爪蟲が接触することはなかったようだ

もし横から奇襲を受けていたらその対処に追われるうちに正面の岩蟲に蹂躙されていただろう



「このことについてギルドに異常を報告した所、”必要十分な数は討伐したと判断。周辺を偵察後帰還せよ”との指示が出ている。昨日と同じ場所まで探索後、ギルドに撤収する予定だ」



アランから通達された情報に冒険者たちがわずかにざわつく

どうやら昨日の異常はそれほどの事態のようだ



「探索とは別に調査のため魔獣の死骸を回収する。回収班はこちらで指定させてもらう。その他は…」



その後もアランがいくつか指示を出した後に出立した


同じ道を討伐隊が進む

昨日のこともあり皆警戒しての探索だったが、拍子抜けするほど何もなく現場に着いた



アランたちと他十名ほどの冒険者が比較的状態のいい魔獣の死骸を見繕っている

ちなみにジグの倒した魔獣は損傷が激しく、原型をとどめていないものが多いため調査の役にたたなかった


残りは周囲を調べて魔獣の群れの残りを探す


ジグはシアーシャに付いて周囲を警戒していた

その際狂爪蟲の死体を見つけたのでシアーシャと調べてみる



「やっぱり魔術らしき痕跡はありませんね。おかしなところも特には……あれ、これなんでしょう」

「何かあったのか?」



彼女の視線の先を見ると魔獣の後頭部から何かが生えている

小さな突起のようなそれは先端部に黒っぽい実のようなものが付いていた



「なんでしょう、あれ」

「分からんな。もとから付いていたようには見えないが」

「昨日戦った時はどうでした?」

「…いや、覚えていないな。迂闊に触るなよ、毒かもしれん」

「はい」



戦っている最中にそこまで観察はしないし、見たとしても記憶には残らないだろう


彼女はそれが妙に気になるようで他の死体も調べ始めた

いくつかの死体を調べたところ、すべての魔獣にその突起らしきものが生えていることがわかった



「…なんだこれは。普通じゃないぞ」

「甲殻を突き破って出ている所を見るに、元々生えていたわけではなさそうですね。おそらくですが、これが異常行動をとった原因かもしれません」

「可能性は高いな」

「アランさんに伝えましょう」



シアーシャは死体を布で包んでいるアラン達の元へ向かうと事情を説明した

報告を受けたアランたちはすぐに死体を見て他の個体にも同じものがあることを確認すると、周囲の冒険者に注意を促した


「突起物には決して触れないように。運ぶ者は目と口を覆い、死体には直接接触しないように気をつけてくれ」



その情報を聞いた回収班は非常に嫌そうな顔をしたが、今更仕事を放り出すわけにも行かない

各々で極力体の露出部分を減らして死体を運び始める


貧乏くじを引いた彼らには悪いが、自分たちでなくてよかった


「雲行きが怪しくなってきたな…」

「でも楽しくなってきましたね!」

「そうか…?」


彼女はこのトラブルも楽しんでいるようだ

冒険者稼業を始めてからというものの、トラブルが起きたときは美味しいことも同時に起きていたせいもあるかも知れない

ジグとしてはイレギュラーが起きるのは勘弁なのだが




結局ギルドに着くまでもこれといったことは起きず、無事に帰還することができた

アラン達は諸々の報告のため奥へ案内されていった


討伐隊の一行は受付へとぞろぞろ並び始める

これだけの人数だ

すんなりと進むはずもなく待ち時間も長そうだ


シアーシャは先に帰っていても構わないと言ったが護衛対象をほったらかして帰るわけにもいかない

いつものように受付が見える場所に座る


これで恐らく八等級に昇級できるだろう

冒険者としてはまだまだだが、一般的に見れば相当に早い昇級だ

今後のことを考えるとそろそろパーティーを組むことを視野に入れなければならないのだが


「俺の扱いが難しいな」


当然、冒険者でもない男を連れている彼女をパーティーに加えるのに難色を示す

ジグはシアーシャの護衛であって、有事の際には彼女を優先する

いざというときに頼れない人間を身近に置いていい顔をする人間はいないだろう


しばらくそうしているといつの間にか時間が立っていたようだ

どうしたものかと考えていると誰かの気配を感じて顔を上げる

ゆったりとした足元を隠す独特の衣装に身を包んだ白髪の女


「聞いたわよ。また何かあったんだって?」

「…はぁ」


イサナ・ゲイホーンが断わりもせずに正面の席に腰を下ろした

またしても面倒の種が近づいてきたことにため息を隠しもしないジグ


「ちょっと、なによ。人の顔見るなりため息ついて」

「…何でもない。で?何の用だ」


ジグの塩対応にイサナが口を尖らせた


「用がなきゃ話しかけちゃいけないの?」

「面倒臭い小娘かお前は。いつまで思春期のつもりだ」


容赦のない口撃にイサナが怯む

しかしすぐに気を取り直すと不敵に笑う


「…そんな態度取っていいのかしら?あなたが欲しがるであろう情報を持ってきてあげたっていうのに」

「魔獣の群れのことか?それなら後でアランに聞くから別に構わん」


想定外の返答にイサナが目を瞬かせる


「あんた彼らとも関わりがあるの?意外と顔が広いわね…」

「話す気がないならお引き取り願おうか」


イサナといると悪目立ちするのであまり一緒にいたくない

現に今も冒険者たちがチラチラとこちらを窺っている


「分かったわよ……調査員たちによると、あれはキノコの一種らしいわ」

「キノコ?」


予想外の単語にジグが首をかしげる


「とてもそうは見えなかったが」

「キノコってものすごい種類があって見た目も千差万別。まだまだ未発見のものも多いそうよ」


ジグもかつてキノコについて調べたことがある

有事の際の食用に使えるかもしれないと考えたのだ


しかし出た結論は”もうそれを食べるしか生き残る道がない場合にのみ手を出す”というものだった

調べれば調べるほど毒をもつ種類が多く、たちの悪いことに食用と非常に似通った毒キノコも数多く存在することが判明したためだ

猟師などのベテランですら間違えて命を落とすことがある

片手間で覚えられる知識ではないため、野生のキノコには手を出さない方がいいという教訓のみ得るに終わった


「虫の体を苗床にして繁殖するキノコなんだけど、特徴的なのが”宿主の体をある程度操ることができる”ってこところね」



このキノコに寄生された虫は同族が多くいる場所を探す

宿主が死亡した際に体を突き破り先端の胞子が詰まった袋を弾けさせる

その胞子がまた次の宿主の体に付着して勢力を拡大させていく


どういった理由か、このキノコに寄生された虫は同族に襲い掛からない

それ以外は普段と変わらずに行動するため繁殖や狩りなども行われるそうだ



「…おい、大丈夫なのかそれ。回収班とかまずいんじゃないのか」

「人間には寄生しないそうよ。どころか虫なら何でもいいわけじゃなくて同系統の虫同士でしか寄生できないみたい」


特異な能力故か、有効な相手も限られているということだろうか


「なるほどな。それであの大群か」

「あんたもツイてないわね」


イサナがカラカラと笑う

目下最大のツイていない案件である当人が何を言っているのだろうか


「要件は終わりか?よし帰れ」

「なんでそんなに邪険にするのよ。情報話したんだからちょっとは付き合いなさい」


仕方がない

人間に害のないモノだというだけでも役に立つ情報ではあった

シアーシャが戻るまでは相手をしてやるか


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