時々ボソッとロシア語でデレる隣のアーリャさん
※本文中のロシア語は翻訳ソフト頼りなので、かなりいい加減だと思います。あらかじめご了承ください。もし読者の皆様の中にロシア人、あるいはロシア人じゃないけどロシア語ペラペラのハイスペックな方がいらっしゃいましたら、感想欄で正しいロシア語を教えてください。お願いします。
「あ、ヤバ。英語の教科書ない」
あれ~? おかしいな。もしかして、昨日宿題に使ったまま机の上に置いてきちゃったか?
時計を見ると、次の英語の授業が始まるまであと2分。隣の教室行って友人に教科書借りるには少々迷惑な時間だろう。……仕方ない。
「なあ、アーリャ。悪いんだけど教科書見せてくれない?」
俺は少し申し訳ない気持ちで、遠慮がちに隣に座るクラスメートに話し掛けた。
すると、寄せた眉根に呆れを滲ませながら、隣の少女が振り返った。
「……なに? 忘れたの?」
呆れ半分迷惑半分の表情でそう言う彼女は、牧アリサ。フルネームはアリサ・アレクサンドロヴナ・マキ。アーリャはその愛称で、彼女はクラスメートに自分のことをそう呼ぶよう言っていた。
透けるような白皙に、色素の薄い金髪と茶色い瞳を持つ、和と洋が見事に調和した美少女だ。ロシア人の父と日本人の母を持ち、小学生まではロシアで過ごしていたらしい。
「ああ、昨日宿題に使ったまま家に置いてきちゃったみたいでさ。悪いんだけど机くっつけさせてくんない?」
「……まあ、いいけど」
「ありがとっ」
素早くお礼を言い、そそくさと机をくっつける。
幼少期から母親の日本語に触れ、中学3年間を日本で過ごしたせいか、彼女の日本語には全く違和感がない。
もっとも、まだ読み書きは苦手らしいが。現に、横目でチラリと見た彼女のノートはびっしりとロシア語で書かれていた。
「それにしても、あなたいい加減忘れ物多過ぎない? 今月に入ってもう何回目よ」
「いや、自分でも気を付けてるつもりなんだけど……」
「ホントに気を付けてたらこんなに忘れ物しないでしょ」
「仕方ないだろ? 気を付けること自体を忘れちゃうんだから」
「ただのバカじゃない」
「ヒドッ!」
辛辣な口調でそう言い放ち、ハアッとこれ見よがしに溜息を吐くと、アーリャは視線を前に向け直しながらボソッと言った。
「Ну, мне тоже нравится эта часть」
「え? なに?」
「別に? 『こいつホント馬鹿だわ』って言っただけ」
「ロシア語の罵倒やめてくれる!?」
俺の小声の叫びに、アーリャはフッと小馬鹿にした笑みを浮かべる。
そして、ちょうどそのタイミングで始業のチャイムが鳴り、英語の先生が入ってきた。
「きり~つ、れー」
「「「「「お願いしま~す」」」」」
そのまま授業が始まり、俺達は黒板に向き直った。
……と、見せかけて横目でこっそりアーリャの様子を窺う。すると……
(うぅ~~わ、めっちゃニマニマしてる。口元めっちゃ緩んでる)
不思議と、今の彼女の内心が俺には手に取るように分かった。あれだ。「言っちゃった。言っちゃった。ウフフッ♪」って思ってるわ。
なんでそんな風に思うかというと……さっきのロシア語。彼女は「こいつホント馬鹿だわ」と言ったというが、実際には違うから。実際は、「まあ、そんなところも好きだけど」と言ったのだ。この帰国子女様は。
はい。わたくし氷室将嗣。実はロシア語分かります。
なんでかと言うと、俺の父方のじいちゃんがすんごいロシアかぶれだったから。
ロシア文学やロシア映画をこよなく愛し、両親共働きで祖父母の家に預けられることの多かった俺は、幼少期からそれらに触れて過ごした。
結果、リスニングだけならほとんどネイティブレベルで出来るようになってしまった。
話すのと読むのはそこまででもないし、書く方はさっぱりだが……リスニングはほぼ完璧。だから彼女の小声&早口なロシア語もバッチリ聞き取れてしまった。本人は全く気付いてないけど。
(あ~あ~、ニマニマしちゃってぇ……おっと)
彼女の視線がこちらに向くのを察知した俺は、素早くノートに視線を落とし、何食わぬ顔で板書をし始めた。
その間も、頬に彼女の視線をバリバリ感じる。「気付いてない。私、告白したのに。ぜ~んぜん気付いてなぁ~い。ウフフ~♪」って思ってるのがガンガンに伝わってくる。いや、気付いてるけどね? 今も笑いそうなの必死に堪えてるんだよ? 君と一緒で。
この俺達の奇妙なやり取りが始まったのは、今から3カ月ほど前。
それまで何か特別なことがあったのかと言われると……実は特筆するようなことは何もない。
ただ、高校に入った直後、その特異な容貌と育った環境の違いのせいでなかなか周囲に馴染めなかった彼女を、隣の席になったよしみでそれとなくサポートしてあげた。
まあ、ロシアと日本の文化の違いについてはじいちゃんに色々と吹き込まれたおかげで、結構分かるところがあったからな。半分くらいは眉唾だったっぽいけど。
でまあ、少しサポートしてあげたら彼女は持ち前のコミュ力の高さであっという間にクラスに馴染んでしまった。だから、俺が手を貸した……というか口を出したのなんて、最初の頃のほんのちょっとだけだった。
あ、ちなみに「ロシア人って、なんか特別なあだ名で呼び合うよな? アリサってなんて呼ぶの?」って振ったのは俺だ。それにクラスの女子が食い付き、あっという間にアーリャ呼びが定着した。
そんなこんなで、俺も彼女がクラスに馴染むのに一役買ったとは思うが……今ではむしろ、しっかり者の彼女にうっかり者な俺が助けられることの方が多い。
だから、正直どこでフラグが立ったのか俺にはさっぱり分からん。
ただ、今から3カ月前。彼女はいきなりロシア語でだけ俺にデレるようになったのだ。
そう、忘れもしない3カ月前。休憩時間での何気ない会話の直後、いきなりロシア語で愛の告白をぶちかましやがったのだ。このハーフ美少女様は。
あまりにもさりげなく、しかも小声で超早口だったため、最初は聞き間違えかと思った。
だが、それからも事ある毎にボソッとロシア語でデレられ、「あ、これマジだわ」と否応なく悟った。
そして、その頃になると流石に「俺、ロシア語分かるんだよね」とも言えず……それとまあ、俺に伝わっていないと思い込んでいる彼女が滑稽で可愛かったのもあり、すっかりカミングアウトする機会を逸してしまった。
今では、ロシア語でデレた直後、隠し切れないニヤケ顔を晒す彼女。素知らぬ顔で気付かない振りをする俺。この光景が日常化してしまっていた。
「それじゃあ、ここに入るの。そうだな、氷室。答えてみろ」
あ、やっべ。全然聞いてなかった。
先生に名指しされ、慌てて頭をフル回転させるも……分からないものは分からない。やむなく当てずっぽうで答える。
「えっと……④のtalking?」
「違う、ちゃんと話聞いてたか? それじゃあ……その隣の牧」
「はい、②のto talkだと思います」
「そうだ。氷室、女子と席をくっつけて気が散るのは分かるが、授業はちゃんと聞けよ?」
先生のからかうような言葉にクラス中に笑いが広がり、俺は愛想笑いを浮かべて首を縮める。
同時に、アーリャが自分の体を抱くようにしてスススッと俺から距離を取った。
「え? なに? 私のことそんな目で見てたの?」
「見てねーわ」
「ゴメン、ちょっと離れてくれる?」
「見てねっつの!」
「ほらそこ、授業中だぞ」
「「は~い」」
先生に注意され、小芝居はやめにする。
「Ты мне нравишься」
いや、だから……席戻しながらなんでサラッとそんなこと言うの?
「私はそんな目で見てるけど」じゃねーわ!! そしてニマニマすんな! 全部伝わってるからな!?
内心で思いっ切りツッコミながらも、俺はポーカーフェイスで前を向く。
それからは、特にお互い会話もなく授業を受けた。いや、いくら机くっつけてるからって、隣同士で会話しないのは当然だけどさ。
ただし……何もなかったかと言えば、そうでもなかった。
(なにやってんの? ねぇ、なにやってんの?)
教科書を見ようと、アーリャの方を向いた時だった。
なんかノートの端に変なもの書いてる……と思ったら、なんと俺の似顔絵だった。妙に上手いこと特徴捉えてるんで、一発で分かってしまった。
……いや、なんかやたら間抜け面で描かれてるし、ご丁寧に鼻水まで垂らしてる辺り完全にイジってるが。
と、その悪意に塗れた似顔絵をマジマジと眺めていたところで、パッと顔を上げたアーリャと目が合った。
途端、アーリャはフフンっとばかりに挑発的な笑みを浮かべ、その似顔絵に向かって四方からググイッと矢印を書き、ロシア語で何か書き殴り始めた。
……うん、思いっ切り筆圧強めで書き殴ってるから一見「バカ」とか「アホ」とか悪口書いてるみたいだけど、実際書かれてる字を見たら滅茶苦茶デレてるね。「好き」とか「カッコイイ」とか書かれてるね。
というか、その程度の単語ならあとで調べようと思えば調べられるからな? なにをこの距離でバレるかバレないかギリギリのスリルを楽しんでんの? バカなの?
つーかはっず! カッコイイって誰がだよ! んなこと今まで女子に言われたことねーわ目ぇ腐ってんのか!?
「おい氷室、聞いてるか?」
「え? あ、はい」
「じゃあ、問10を答えてみろ」
「えぇっと……」
先生の声に弾かれたように前を向くと、慌てて黒板の上に視線を這わし、なんとかヒントを探そうとする俺。
その隣で完全に他人事みたいな表情で含み笑いを漏らしているアーリャ。
このヤロウ……誰のせいだと思ってやがる。
「えっと……③?」
「違う」
「うげっ……」
「くふっ」
テメェ笑ってんじゃねぇーーーー!! 可愛いから許すけど! 許すけど!!
先生に注意される俺の横で普通に笑っているアーリャに、心の中で思いっ切り叫ぶ。
……こんな日常が、これからもまだまだ続くと思っていた。少なくとも2年でクラス替えが行われるまでは、この滑稽で、どこか心地いい関係が続くと思っていたんだ。
でも、冬休みが明けて3学期が始まった時。その時にはもう……彼女は、日本からいなくなっていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『アラ? アーリャちゃんじゃない。こっちに帰ってきてたの?』
『あ、プーシャのお母さん。はい、去年の年末に帰ってきたんです』
『へぇ、そうだったの。またウチにも遊びに来てね? ウチの子も寂しがってるから』
『はい、また今度』
久しぶりに会った友人のお母さんと軽く言葉を交わし、家路を辿る。
去年の年末、突然ウラジオストクに住む父方の祖父母が交通事故に遭ったという知らせが届いた。
幸い命に別状はなかったものの、歳だったせいもあり、2人共介護が必要な体になってしまった。
他に頼れるような親戚もおらず、2人揃ってホームに入るようなお金もなく、更に父が、勤務先の会社からロシアの本社に戻って来ないか打診されていたことも重なり、あれよあれよという間にウラジオストクにある祖父母の家に移り住むことが決まってしまった。
あまりにも急だったため、日本でお世話になった人達に、満足にお別れを告げることも出来なかった。
一度、諸々の手続きのために母と一緒に日本に戻った際に、担任の先生や連絡のついた友人数名には直接挨拶をしてきたが、それも数は限られていたし、何より……一番会いたかった人には、結局何も言えないまま別れることとなってしまった。
ハーフというその見た目から、ロシアでも日本でも奇異の目で見られ続けた私に、ただ1人普通に接してくれた人。
私のことを良い意味でも悪い意味でも特別扱いせず、ただのアーリャとして見てくれた人。私の……初恋の、人。
なのに……実に滑稽なことに、その時になるまで、私は彼の連絡先を知らないことに気付いていなかったのだ。
でも、その方が良かったのかもしれない。
もし会ったとしても、私はきっと何を言えばいいのか分からなかった。
もう日本に帰れるかどうかも分からないのに、今更何を言えばいいのか。
いや、想いならもう何度も伝えていた。彼はそのことに気付いていなかっただろうけど。彼には伝わらないと分かった上で、何度も伝えていた。今となっては、果たしてそれで良かったのか、あるいは悪かったのか……。
『寒い……』
ロシアの冬は寒い。特に12月や1月は、一日中気温が零度を下回ることなどザラだ。
でも、この胸に吹き抜ける寒風はそれが原因ではない。
『……会いたい』
ぽつりと漏らした言葉は、誰に届くこともなくロシアの寒空に消えた……直後。
『ああ! ロシアの女性はみな実に美しい!! オ~オ~、麗しのロシアよ~~♪』
突如として街角に響き渡った、やけにいい声の、それでいて微妙にイントネーションがおかしいロシア語に、私は目を瞬かせた。
『……なに? あのファンキーなおじいちゃん』
そこには、美女2人をナンパ(?)するどこぞのマフィアのようなド派手な毛皮のコートを着込んだ、日本人のおじいちゃんがいた。
「ああもう、じいちゃんやめてくれよ恥ずかしい! えぇ~っと、『すみません、人を探してるんです。この辺りに住んでると思うんですが、この人ご存知ないですか?』」
そして、その隣でスマホ片手に何かを尋ねる…………え?
…………………………
……え? な、なんでいるの?
呆然と立ち尽くす私と、スマホから顔を上げた彼の視線が……バッチリ合った。
「「あ」」
そして、同時に声を漏らす。
直後、「いたぁぁぁーーー!!」と叫びながら、物凄い勢いでこちらに駆けて来る彼。
一方私はと言うと、あまりにも突然のことでどうしたらいいのか分からない。いや、確かについさっき会いたいとは言ったけど。言ったけど!
「ハアッハアッ、やっと見付けた」
「う、うん……お疲れ?」
結果、棒立ちのままよく分からない返しをしてしまう。感動の再会もなにもあったものじゃない。
「えっと……なんで、ここに?」
「なんでって……お前に会いに来たに決まってるだろ?」
「い、いや……でも、どうしてここが?」
「前にクラスで、お前がロシアにいた頃の写真を見せてくれたろ? その時写ってた背景にちょっと見覚えがあったから、そこからお前が住んでたところを割り出して、後はまあ……地道な聞き込みだな」
「なっ……なんで、そんなこと覚えて……」
確かに見せた記憶はある。だが、それはもう半年以上前のことだ。
ただでさえ忘れっぽい彼が、半年以上前にチラッと見ただけの写真のことを覚えていたというのが信じられない。その上、そんな小さな手掛かりを頼りに私のことを探しに来てくれたというのが、なおさら信じられない。
呆然とする私を前に、氷室君は恥ずかしそうに視線を逸らしながら言った。
「そりゃ、確かに俺は忘れっぽいけどよ……好きな女の子が見せてくれたもののことは、流石に忘れねぇよ」
「ひ、氷室、君……」
突然の「好き」という言葉に、私の頭の中が真っ白になる。
目に入るのは氷室君だけ。その後ろでファンキーなおじいちゃんが美女2人の肩に両腕を回してどこかに行こうとしてるけど、そんなこと気にもならない。
一瞬の忘我の後、胸の奥から沸々と歓喜が湧き上がって──
「ん?」
「? どうした?」
「さっき……氷室君、ロシア語しゃべってなかった?」
それも、割と流暢な。しかも気のせいでなければ、相手の女性とも普通に会話が成立していたような……。
「ああ、あれ」
さっきとは別の理由で思考停止する私を前に、氷室君はどこか気まずそうな笑みを浮かべ……
「悪い。俺、実はロシア語分かるんだよね」
「え──」
……ロシア語分かるんだよね? ロシア語、分かる。ロシア語…………ロシア語分かる!!?
「い、いつから……?」
「いつからって……割と子供の頃から?」
「はいぃ!?」
子供の頃から……ってことは……
「な、ば、ババ……」
「ババ?」
「バカァァァァーーーーー!!!」
大声で叫び、脱兎のごとく駆け出す。
凍った路面を走ったら危ないとか、そんなこと考える余裕もなく走り続ける。
そして、祖父母の家の庭先に駆け込むと、庭の隅に蹲って頭を抱えた。
「ア゛ア゛ァァアアァァァァーーーー!!!」
分かってた。伝わってた。
あれも、これも。ああっ、それも……どれもこれも!!
「ウ、ア、ア゛、ア゛!! アアァァーーー!!!」
ヤバい、死ぬ。これは死ぬ。恥ずか死ぬ! いや、むしろもう死ぬしかない。よし、死のう。今すぐ死のう、そうしよう。
「お~い、大丈夫か?」
「いぐぅっ!?」
背後から肩を叩かれ、頭を抱えたまま跳ね上がる。
恐る恐る振り返ると、そこには呆れたような半笑いでこちらを見詰める氷室君。
その視線に、またしても羞恥心がオーバーヒートしそうになる。
「あぁ~~その、とりあえず返事が欲しいんだが……」
「……返事?」
「いや、さっきのあれ。一応告白のつもりだったんだけど……」
そう言って頬を掻く彼に、私は……キッと視線を鋭くさせると、いつものように叫んだ。
「バカ!」
そして、
『好き!』
その言葉に、氷室君はニヤッと悪戯っぽい笑みを浮かべ──
『うん、知ってる』
そう、流暢なロシア語で答えてみせるのだった。
2020/5/15 視点逆転バージョン『ロシア語でデレてるけど全然気付かない隣の氷室君』を投稿しました。
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